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その場所は、酷く薄暗かった。
照明と呼べるものは数本の燭台に灯った青い炎だけで、それですら辺りを照らす程度の役目も果たせていない。
ただ見えるのは、円上に置かれた燭台の中心にある穴。
底は見えずただ暗く、どんな闇よりも深く、禍々しい穴。
それが地獄と人間界を結ぶ唯一の通路なのだ。
いや、通路といえど誰彼構わず通れるものでは無い。それは誰もが知っていることだろう。
通るのは、死者――人間界で亡くなった者。それに尽きた。
だから通路といえど、行き来はせず、一方通行のものだった。
「……ひま」
少女の声だった。
声を出さなければその存在すら気付かない空間で、穴のそばにいた少女は呟いた。
「全くどうして、門番の仕事って言うのはこんなにも暇なのかしら」
弛緩しきった声色で、虚空を眺めて発した言葉は広く閉ざされた空間だというのに反響一つしなかった。
「そんなこと言っちゃダメだよ! リリフちゃんっ!」
もう一つ少女の声。
こちらは先の声とは対照的に、甲高く張り詰めたものだった。
「いくら死者がやって来ないからって、そんな気を抜いちゃダメっ! いつも緊張感を持って仕事に打ち込まないと――――」
「ロゼ、呼び方」
「え? ふあああっ! 失礼しました、リリフォード様!」
「いや、リリフで良いんだけど、一応マスターなんだから『様』は付けようって話。……あんたこそ仕事に緊張感持ちなさい」
「ふ……ふみゅ~……」
ロゼと呼ばれた少女は視線を落とし、バツの悪そうな顔をする。
リリフと呼ばれた少女との関係は、言わば上司と部下。彼女たちの会話から察するにそういうことなのだろう。
「全く……友達関係は子供の時だけ。そう言う決まりでしょう? ある程度は割愛出来るけど、それは二人でいる時だけ。お父様や魔王様の前でそんな風に呼んだら、消されちゃいかも知れないんだから」
「そ、それは嫌ですっ!」
「もちろん私も嫌。だからそのための練習なの……でも、今回は私も軽口叩いちゃったのが原因だわ。ごめん」
「いえいえそんなっ!」
二人の間に沈黙が流れる。
原因を他人だけに押しつける事を退けるために自己反省をしたリリフ。しかしそれは少しだけ空気を不穏にしてしまった。
「……でも、ちょっと嬉しかったです」
その空気を先に壊したのは、ロゼだった。
「え?」
「わたしがいなくなったら、リリフ様も嫌だって言ってくれて」
「なっ……!」
虚を突かれたリリフはたじろいだ。
自分の発した自然な思いを拾われ、彼女は顔を赤く染める。
「何を言ってるの、当然でしょ?! 折角使役した使い魔があっけなく消されちゃったら勿体ないって思うもの、そうよ、そうなのよ!」
顔を明後日の方向に向けて早口になったリリフ。
その言葉が本心でないことを当然のように見抜いたロゼは、
「リリフちゃん、だーいすきっ!」
「も、もう! だから『様』を……」
――瞬間、リリフの足から地面を踏む感覚がなくなる。
「……え?」
身体が落ちていた。
ロゼの言葉に気圧されていたリリフは、いつの間にか後退った足が穴の中に入り込んでしまったのだ。
「り、リリフちゃんっ!」
ロゼの声が聞こえたのは、目線がすでに地面と同じ高さまで来ていたときだった。
駆け寄って手を伸ばそうとしたロゼだったが、後の祭り。
リリフの身体は、その闇の中に消えてしまっていた。
「リリフちゃん! リリフちゃーーーーーーーーんっっ!!」
その場所にロゼの声が広がるも、やはり音は虚しく壁に吸収されてしまって響かなかった。