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東院宝物手箱  作者: 馨
子供の調度
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 レポートの締め切り六時間前、明里は大学内のカフェで鬼気迫る表情でノートパソコンに齧り付いていた。

 大学や市の図書館で借りて来た東院美術館や他の美術館に関する資料を睨みつけて行き詰まったレポートの打開策が見つからないかと必死で頭を巡らせる。

 「お疲れさん」

 目の前に突然喋る苺大福が現れた。

 否、誰かの手によって苺大福が差し出されたのだ。本から顔を上げれば遥が明里に大福を差し出していた。

 「えっと……」

 「差し入れ。課題、頑張ってるみたいだからな」

 明里の手に苺大福を握らせ、流れる様に明里の前の席に座る。あの美術館で働く人はお菓子の選択がちょっとばかり渋いらしい。

 「明日展覧会初日でしょう?こんな所に来ていて大丈夫なんですか?」

 「報告とちょっとおつかいを頼まれてな」

 渡された苺大福をじっと見つめていると遥が切り出した。

 報告、と言われて博雅の事だと明里は気付いた。貰った苺大福をそっと脇に置いて開いていた本を閉じる。

 「博雅様が展覧会に出てくれることを了承してくれた」

 思わず顔を上げると、遥が微笑みながら頬杖をついて明里を見つめていた。

 視界の完成度の高さに明里は思わずぴしりと固まってしまった。

 「それで博雅様と鈴子様が是非明里ちゃんに展覧会を見に来て欲しいそうだ」

 そう言うと遥はズボンのポケットから長方形の上質な紙を明里の方へ差し出す。明里は紙を覗き込んだ。

 桜を溶かした様な薄紅と春先の雲の様な柔らかな白色が混ざり合う地に春を寿ぐ様な金色で「子供の調度」と印字されている。

 展覧会の招待券だ。

 「良いんですか?」

 「ここで受け取ってもらえないと俺のおつかいが失敗になる。この年になっておつかいが出来ないレッテルは流石に欲しく無いから、出来れば俺の為にも受け取ってくれ」

 遥の言葉に明里は小さく吹き出してしまった。

 「では、有り難く頂戴致します」

 「どうぞお納め下さい」

 明里は深々と頭を下げて招待券を受け取ると遥も深々と頭を下げる。

 「じゃあ来てくれるの待ってるな」

 ひらひらと手を振って遥は去って行く。

 机の上には苺大福と展覧会の招待券が行儀良く並んでいた。


 遥の来襲の後、苺大福で燃料を補給し、怒濤のラストスパートを掛けて締め切りの一時間前にレポートを提出し終えた明里は、翌日、晴れやかな気持ちで美術館へ向かう。

 休日で展覧会初日ということもあっていつもより人が多そうだと思い、夕方頃に行く事にした。

 先日獅子丸に絡まれた時券売窓口にいたおばさんに招待券を出して館内へ入る。

 予想通り人はまばらだった。他の展示品を眺めつつ、明里は今回の展覧会の目的である博雅と鈴子の元へと向かう。

 「あら、小泉様」

 「明里だー!」

 鞠で戯れていた獅子丸と五、六人のお姫様方御一行に出くわす。

 「こんにちは」

 足下に走り寄って来た獅子丸を抱き上げながら明里は挨拶をする。

 「此の度は展覧会の為にご尽力下さったと天澤様から伺いました。ありがとうございます」

 お姫様方がしずしずと頭を下げるので、明里は飛び上がった。

 「え!?いえいえ!私は何もしてません!」

 深々と頭を下げたままのお姫様方と明里を、獅子丸はきょとんとした表情で見上げている。

 漸くお姫様方が頭を上げてくれたので明里は小さく胸を撫で下ろす。

 「奥の展示室で博雅様と鈴子様が首を長くして小泉様が来られるのを待っていらっしゃいますわ。お二方の晴れ舞台を見てさしあげて下さいまし」

 獅子丸様は私どもがお預かり致しますわ、とお姫様方の一人が細い白魚の様な手を差し出して明里から獅子丸を受け取った。

 博雅と鈴子が展示されている部屋に入ると明里に気付いた二人が駆け寄って来る。

 「明里様」

 堅苦しい正装に似合わない気の抜けた笑顔を浮かべる博雅と、そんな博雅の姿を苦笑しながら見つめる鈴子。時間も遅く、丁度展示室には人がいなかったので気兼ね無く話す事が出来た。

 「この度は色々とありがとうございました。御陰様で道を選ぶ事が出来ました」

 「そんな、私はただ自分の意見を言っただけです」

 顔の前で手を左右に振って否定すると博雅は深い笑みを浮かべた。

 「あなたの意見が僕にとっては一つの光明となったことは確かですよ」

 こうやって穏やかに笑えるようになるまで、彼はどれだけ悩んだのだろうか。そして道を選んだ今でも心の中では葛藤が続いているのだろう。

 「博雅ー!遊んでー!」

 「うわっ!?獅子丸殿!?」

 穏やかな空気をぶち壊したのは極彩色のポメラニアン、獅子丸だ。博雅の足下で構ってくれと飛びついている。

 「えっと、どうやって遊びましょうか……」

 「おすわりって言って!」

 「えっ、それで良いんですか?」

 「それが良い!」

 断れない博雅は獅子丸の珍妙な言動に首を傾げながらも獅子丸に付き合ってその場を離れた。

 「明里様」

 博雅と獅子丸の姿を眺めていると鈴子に名前を呼ばれた。

 「この度は本当にありがとうございました」

 丁寧に腰を折り、頭を下げる鈴子に明里は慌てた。

 「かっ、顔を上げて下さい鈴子様!」

 必死にお願いして鈴子は漸くゆっくりと顔を上げた。美しい花の顔は苦笑を浮かべていた。

 「博雅様のあの後ろ向きな気質は今に始まったことではありませんが、些か度が過ぎて来たと思っておりましたので、良い機会でした」

 鈴子の言葉を聞いた明里は、先日遥が言っていた言葉をぼんやりと思い出していた。

 この世で最も強い生き物は女であると再認識した瞬間である。

 「でもね、度が過ぎることはいけませんが、あれがあの人の良い所でもあります。だってあの人の後ろ向きな所はあの人が優しくて責任感があるからだもの」

 そう言ってはにかむ鈴子の顔は今までの印象とは異なり、あどけない少女の様な可愛らしさを感じた。

 今も鈴子は博雅に恋をしているのだ。


 人も、そして神も変わって行く。

 そのきっかけの多くは「出会い」だ。

 心が折れそうになった時に手を差し伸べてくれた人。

 自分と考えや価値観が異なる人。

 生涯の友となる人。

 互いを唯一無二の存在と定めた人。

 そして人との出会いのみならず、物との出会いも人や神の運命を変える。

 美しいものや心揺さぶられるものに出会った時、生き方すら変えてしまう。

 人にしろものにしろ、想いが在るものとの出会いこそが生きて行く上での至宝となる。

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