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東院宝物手箱  作者: 馨
子供の調度
5/32

 次の日も大学に行くと昨日とは違う面子が講義室で騒いでいた。

 見えていない聞こえていない振りはやはり疲れたが二日目ということもあって少し耐性がついて来た様だった。

 美術館での一連の騒動で自分よりも苦労していそうな人達を見ると在る程度のことは耐えられるらしい。人間とは実に単純な生き物である。

 今日はアルバイトのシフトが入っていた日なので、講義が終わるとさっさと片付けてアルバイト先の喫茶店へと向かう。

 「おつかれさ、ま、でーす……」

 夫婦二人で営む喫茶店なので規模も小さく、裏口もないので表の入り口から店に入る。小さなカウンターと四人掛けのテーブルセットが二組だけという小さな店内の内装はマスターの好みで木材をふんだんに使用して鮮やかな緑の観葉植物が様々な形で店内の至る所に配されている。

 そして店内のカウンターには見た事のある男性が腰掛けていた。

 見た事のある男性こと遥も店に入って来た明里を見て目を丸くさせている。

 「おつかれ明里ちゃん」

 カウンターの中から丸眼鏡を掛けた還暦間近のマスターが声を掛けて来る。

 「え?明里ちゃん、何でここに……」

 「どうも」

 ぺこりと遥に頭を下げると次はマスターが驚いた表情を浮かべた。

 「うちのバイトさんだよ。なんだ、二人とも知り合いなのか?」

 「つい先日うちの美術館で話す機会があったんですよ」

 いきなりの事態にどう説明したものかと明里がぐるぐると悩んでいると遥がマスターの問いにそつなく答えた。落ち着いて考えれば答えはこんなにもシンプルなのに、明里はつくづく突発的な事に滅法弱かった。

 明里は一旦店の奥でに入り、簡素な制服に着替えてカウンターの中に入る。

 「一応常連なのに今まで会った事がないなんて不思議だよな」

 「一回生の時はこの時間帯は授業があったので……」

 今日は新学期になって初めての出勤で、一回生の時は入っていない時間帯だった。

 「ん?……明里ちゃんごめん。ちょっと抜けるな」

 スボンのポケットにいれていたマスターの携帯が着信を知らせ、マスターは携帯を耳に当てながら店の奥へ行く。

 明里はシャツの袖を二、三回捲くって水滴を付けたコップを取って拭いて行く。

 「今日は学校大丈夫だったか?」

 静かにコーヒーのカップをソーサに置いた遥が口を開いた。

 「昨日よりかは……見えない聞こえない振りをするのもなかなか骨が折れますが」

 「あいつら色んな所に潜り込んで話し聞いて来るからな。時々びっくりする様な事をそこら辺で話してるぞ」

 それはこの二日で明里も痛感した。

 次回のテスト内容はもちろんのこと、学生同士の三角関係の真相や教授と学生の不倫話などなど。今の所知り合いの名前がでて来ていない事が救いだがそれも時間の問題だろう。

 「あの、」

 「うん?」

 明里はコップに目線を固定したまま口を開いた。

 「昨日のお内裏様とお雛様、大丈夫ですか?」

 明里の問いに遥はあー……と苦笑を浮かべた。

 「昨日から状況は変わってないな。部屋の前で博雅様は延々と泣いてるし鈴子様はうんともすんとも言わない」

 確か展覧会の初日は三日後だった筈だ。

 はぁ、と遥が重々しく溜め息をつく。

 「視えて聞こえる分無視することもできないしな。困ったものだ。意に背けば軽く呪われたりもするし、苦労が絶えない」

 さらりととんでもないことを言う遥。

 無理矢理展示すればいいのではないのかと明里もちらりと思ったがそう簡単な問題ではないらしい。

 「こういうこと、多いんで、す……か」

 拭いたコップを置くついでに遥の方へ視線を動かした明里は思わずぎょっと目を剥いた。遥が角砂糖の入った器を引き寄せて五つ程角砂糖を摘んで入れていた。味を想像しただけで胸焼けしそうだった。クールな外見を裏切って甘党らしい。

 「まぁ、生きている年月が長いと皆色々とな。人間だってそうだろ?生きる時間が長ければ色々思う事は増えて行くもんだ」

 くるくるとスプーンを回してコーヒーを一口飲む遥。

 何故か明里がどきどきしながら遥がコーヒーを飲む所を見つめていた。

 「博雅様と鈴子様は名家の娘さんの雛人形として作られた。娘さんは生まれつき体が弱かった様で、若くして亡くなられたらしい」

 遥は何事も無かったかの様にカップをソーサに戻して口を開いた。明里は目を丸くして遥の顔とコーヒーを交互に見比べるが遥はそのまま語る。

 「それで博雅様は自信喪失してしまったそうだ」

 雛人形は女の子が健やかに育つ様に、子供に降り掛かる災厄を代わりに引き受けるという。彼女の親は娘が無事大きく育つ様に藁にも縋る様な想いを雛人形に託しただろう。そして博雅や鈴子もその想いを受けて生を受けたのならば役目を果たす事が出来なかった時の絶望は計り知れない。

 「それでもなんとか毎回鈴子様が宥めて下さってたんだが」

 苦笑を浮かべながら激甘のコーヒーを一気に呷る遥。思わず味の想像をしてしまった明里は顔を歪めてしまった。

 しばらくして電話を終えたマスターが戻って来て三十分程世間話をして遥は仕事に戻って行った。


 翌日、その日のうちの授業は全て終わってしまったので明里は近所の川辺へスケッチに出掛けた。

 スケッチの合間に考えるのは博雅と鈴子の事だ。他人が口を出すべきことでは無いが、その場に居合わせてしまったこともあって行く先がどうしても気になってしまう。

 夫婦というものは実に難解なものだと明里は自分の両親に想いを馳せた。

 明里の両親は現在別居中だ。明里が大学進学をして家を出た年に夫婦仲が拗れてしまったらしい。

 永遠の愛を誓い合った仲だというのに十数年でそれを翻すどころか顔を合わせる事すら嫌がる関係になるなんて結婚を決めた当初の彼等は思いもしなかっただろう。

 何がきっかけになるかは分からない。だが、運命というものは機械の歯車よりも精密で、些細な事がきっかけで全てが狂い始めることもある。

 温かくも時々冷えた空気が通り抜けていく。春独特の物悲しい空気の中、桜並木は満開の時期を少し越え、穏やかな春風に花弁を散らして行く。

 はらはらと散って行く様はまるで桜の涙の様でその切なさに胸が締め付けられた。

 どれほど美しく咲いても、風に翻弄され光の様な早さでその命を終えて行く。まるで時代や他者に翻弄される人の姿の様だった。

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