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東院宝物手箱  作者: 馨
子供の調度
2/32

 美術館は閉館時間を過ぎていたので正面玄関はブラインドが降ろされ、『本日は閉館しました』と書かれている案内板が立てられていた。

 一縷の望みを賭けて自動ドアに手を掛けて恐る恐るゆっくりと力を入れて左右に開くと、幸か不幸か自動ドアが開いた。電源は切っているが鍵はしていなかった様だ。すみません、と心の中で謝って自動ドアの向こうへ体を滑り込ませる。

 電気が落とされている所為かいつもの館内とは雰囲気が違っていた。 どきどきと跳ね回る心臓を抑えて事務室へ行こうとしていたら、

 「誰ぞそこにおるのかえ」

 「ひぎゃあ!!?」

 誰もいないと思っていたのに突然声を掛けられ、明里は大きく飛び上がってしまう。

 「おお、すまぬな。驚かせてしもうたか」

 暴れ回る心臓を押さえつけて声の主の方へ振り向くと展示室の入り口の近くに尼姿の女性が立っていて、明里はひっ、と小さく悲鳴を上げる。全く関連性の無い場所と人物に明里の恐怖心は振り切れた。だが、これまた息を呑む程美しい人だった。肌は皺や染みなどは一切なく、電気は落とされているというのに彼女はまるで光を纏っているかの様だった。外見は若く見えるのに言葉遣いが古めかしいのと立ち居振る舞いが異様に落ち着いている為、外見とは裏腹に意外と歳を重ねている様に見えた。

 そんな美人の尼僧も明里を見て目を丸くさせていた。

 「そなた、私が見えるのか」

 「はいっ!?」

 見えるも何も先日の健康診断の視力検査では視力は二・〇との結果を叩き出し、全く問題無い。夜目が利く方なので普通の人よりもよく見えているかもしれないが。

 「まぁ良い。どうなされた?何か用向きがあって来たのであろう?」

 尼僧に促され、当初やって来た目的をはっと思い出す。

 「わっわすっ、わすれものがっ……!」

 完全に気が動転してしまいうまく言葉が出て来ない。どもりながらなんとか言葉を捻り出す。

 「ほほほ、そう怖がらずとも良い。悪さはせぬよ」

 明里の気の動転具合が面白かったのか口元を袂で隠して上品に笑う尼僧。柔らかな表情に緊張が少しだけ緩んだ。

 「あのっ、わたっわたしっ、スマートフォンを落としてしまって……」

 しどろもどろになりながら用件を告げると尼僧はふむふむと頷き、細くなめらかな指をついと事務所の方を指差す。

 「まだ常設展示室に遥がいた筈じゃ。聞いてみるとよかろう」

 ついと彼女が指差した先は展示室だった。

 「あ、ありがとうございます!」

 尼僧にぺこりと頭を下げると顔の横でひらひらと手を振ってくれた。

 『遥』が誰なのか明里は分からなかったが、恐らく尼僧より事情を知っていそうな人なのだろう。女の人の学芸員さんの名前かもしれない。

 しかし常設展示室に近付いて行くと何やら騒ぐ声が聞こえて来た。

 そろりと常設展示室を覗き込んだ瞬間、明里は我が目を疑った。

 「遥!この唐変木と僕を並べて展示するのはやめてくれ!僕の品格が疑われる!」

 「それはこっちの台詞だ!お前と並べられて俺も馬鹿の一味だと思われたくない!」

 「取りあえずお二人とも落ち着いて下さい」

 青い着流しを着た銀髪のポニーテールの男とちょんまげに羽織袴の男が胸倉を掴み合って激しい言い争いをしていた。その間に先程声を掛けて来た男性の学芸員が眉を寄せながら二人の間になんとか割って入って仲裁している。

 閉館後の美術館だというのに展示室には人が溢れていた。

 否、人も溢れていたが、それ以外のものも溢れていた。

 人は数人程度で動物の様なものや小人の様なものが床を走り回っていたり、踊っていたり組み立て体操をしていたりと、まるで小学校の休み時間の様な混沌さを極めていた。

 ついに自分が狂ったかと明里が顔を青くさせていると握っていた自転車の鍵がするりと手をすり抜けて落ちた。

 「あっ……!」

 ちりん、と鍵に付けていたキーホルダーの鈴が小さく、だが確かに音を響かせながら床に落ちた。

 その瞬間展示室にいた全てのものの視線が一斉にこちらに向いた。

 がやがやと騒々しかった先程までが嘘の様にしん、と水を打った様に静まり返る。

 「え!?」

 一番最初に声を上げたのは喧嘩を仲裁していた学芸員だった。切れ長の目をビー玉の様に丸く見開いている。

 「えっと、どうした?館はもう閉館なんだが……」

 言い争いをしていた二人もぴたりと動きを止めてこちらを微動だにせずに見つめている。喧嘩の仲裁を一旦止めて学芸員がこちらに走り寄って来る。勢いが怖くて一歩足を引いたら背中をとん、と軽く支えられた。

 「この娘が忘れ物をしたそうでな。そなたなら知っておるであろうと思うたのでこちらへ行く様に言うたのじゃ」

 後を追って来たらしい尼僧が説明してくれるが、尼さんの姿を見た彼は更に目を見開いた。

 「ちょ、ちょっと待った!君、この人が視えるのか!?」

 「え?はぁ、まぁ……視力は良い方なので」

 学芸員はあんぐりと口を開けた。美形はどんな顔をしても美しいのでずるい。平々凡々一般人の明里がそんな顔をすればお間抜けもいい所だが、彼がするとチャーミングに見えるだけなのだからずるい。

 「ほほほ、やはり無意識のうちに力が目覚めてしもうた様じゃな。今まで素通りしておったしの」

 学芸員の驚愕の表情を見た尼僧が上品に笑い声を上げる。

 何がどうなっているのか分からず学芸員と尼僧を交互に見ているとくいくいと服の裾を引っ張られた。

 視線を足下に向けると腰くらいの大きさで甲冑を着込んだ男の子が凛々しい目つきでこちらを見上げている。

 「お主、我等の事が見えるのか」

 「は、はい」

 「そうか。ならばあちらで囲碁でもしようぞ」

 「い、囲碁ですか?」

 「うむ」

 「囲碁はやったことがないんですが……」

 「そうか。ならば貝合わせはどうか」

 「えっと、多分分かると思います」

 小さい武者さんに手を引かれて小人達や絢爛な十二単や振袖を着たお姫様が集まっている所へ行くと、お茶席で見かける赤い毛氈が床に敷かれて今で言う盤上遊戯の様なものが色んな所に広げられていた。

 「まぁ、新人さん?お手柔らかにお願いします」

 「へ?いや。こちらこそお手柔らかに……」

 美しいお姫様方の視線が一斉にこちらに向く。

 まるで花束の中に誘い込まれる蝶の気分だった。

 「ちょ、ちょ、ちょ、坂田様、お姉さん方!ちょっと待って下さい!その子状況全然分かっていないんで!」

 学芸員が慌てて小さい武者さんに掴まれていない方の腕を掴む。

 「後で俺がお付き合いさせて頂くので、今回は勘弁して下さい」

 「あらぁ、それなら仕方無いわねぇ。また今度いらして下さいなお嬢さん」

 ぐいぐいと学芸員の人が引っ張るので何が何だか訳が分からないままそちらへ引っ張られる。

 「あ、あのっ、私携帯電話落としちゃって……!」

 ここへ戻って来た当初の目的を思い出して説明すると学芸員は、あっ、と声を上げた。

 「あ、もしかしてこれか?」

 学芸員が自分のズボンのポケットから何かを取り出して明里の掌に置く。それはよく手に馴染んだサイズの自分の携帯だった。

 「こっこれです!ありがとうございます!」

 「さっき見回りしてた時に見つけたんだ」

 ほっと息をついたのも束の間、学芸員は『STAFF ONLY』と書かれた扉を開けてずんずんと進んで行く。

 「え!?ちょ、ちょっと!」

 初対面に近い男の人にどこへ連れて行かれるのか分からないまま引っ張られるのはちょっとした恐怖だ。しかし踏ん張るどころか学芸員の方が足のコンパスの長さが圧倒的に長い為転ばない様に付いて行くので精一杯だった。

 なんとか止めようとするが男の足は止まらない。

 「すまん、あそこだとあの方達がちょっかい出して来るから落ち着いて話が出来ん。えっと、名前は?」

 「こ、小泉明里です」

 「明里ちゃん、ちょっと状況を説明するから時間貰うぞ」

 否応も無しに一室の部屋へ連れ込まれる。この男が犯罪者なら明里はこの時点で犯罪に巻き込まれている。戸惑いながら部屋に足を踏み入れると、そこは大学の研究室の様な所だった。恐らく職員が作業をする部屋だろう。

 部屋の手前には簡素な大きな机が置かれ、部屋の隅には来客用のソファとローテーブルのセットが置かれている。奥は簡易なしきりで空間を仕切っており、個人の空間となっていた。分厚い美術書や美術雑誌、紙の資料が綺麗に並べられたり乱雑に積まれたりしている。資料以外にも空間の主の趣味のものなのか、飛行機や車のプラモデル、ファッション雑誌や女性誌が置かれていたりする。

 流れる様に応接用のソファへ誘導される。ソファにも資料が置かれていたが大雑把に他の机に退かして無理矢理スペースを作る。

 「俺は天澤遥あまさわはるか。この館の学芸員だ」

 この状況に疑問を抱きながらも反射で「はぁ、どうも」と呑気に返してしまう。

 遥は書類の束の一番上に置いていた小分けの菓子を入れた木の器を持って来ておもむろに机の上に置く。

 「じじくさいものしか無いが良かったら食べてくれ」

 確かにおかきや黒飴、豆菓子、干し芋など自分で買うより祖父や祖母からおやつとしてもらう確率の高いものばかりだ。

 「お菓子だー!!」

 どこからか高い声が響いて明里は思わず飛び上がった。

 声の主を探して周りを見渡していると再び机の下から声がした。声の方向に目を向けた明里はぎょっと目を見開いた。

 「お菓子食べたい!ちょうだい!」

 ぱっと見たら子犬かと見間違うが、自然界の色ではありえない極彩色の巻き毛に大ぶりの宝石の様な瞳を輝かせる子犬が前足を机の上に乗せて身を乗り出そうとしていた。だが、子犬とは思えない太く鋭い牙が口元から覗き、そして極めつけは人語を話している。しかし仕草は犬そのものでふりふりと尻尾をご機嫌に振るって遥に問い掛けている。

 フォルムだけ見るとその辺にいるポメラニアンに近いが絶対に普通の犬じゃないと分かる。

 「獅子丸ししまる、今から大事な話しをするからちょっと待ってろ」

 飼い犬をあしらう飼い主の用に慣れた手つきで犬(仮)を机から降ろす遥。そして自分の隣に置いてそれこそお座敷犬の用に撫でて宥める。

 「この人だぁれ?俺のこと視えてるの?」

 お菓子をお預けされた犬(仮)はもう既に興味が削がれたのか目の前の人間に興味を移す。ふりふりと忙しなく尻尾を振って小さな舌を口から出している姿は近所にいるお座敷犬にしか見えなかったが、如何せん色と形状が独特すぎる。

 「視えてますからちょっと静かにしてましょうね」

 「分かったー」

 遥は適当に菓子受けから小分けの袋に入ったおかきを手に取り、袋を開けておかきを与えてやると犬(仮)は嬉しそうに食いついた。

 珍妙な犬(仮)を明里がじぃーっと見つめているとおかきを一心不乱に食い漁る犬(仮)の頭を遙がぽんぽんと撫でてやりながら苦笑を浮かべる。

 「この子は唐獅子図の付喪神なんだ」

 くりくりの毛並みを丁寧に撫でながら呟かれた言葉に一瞬気を取られる。

 「……は」

 今までも雲行きは大分怪しかったが、一気に明里の警戒レベルが跳ね上がった。

 「……今まで私そんなもの視えたことありませんけど」

 今まで心霊体験なんて心当たりは無いし、変なものが見えた事も無い。あなた人外のものが見える特異体質になりましたよと見ず知らずの人にいきなり宣告されるなど宗教勧誘や詐欺の一種にしか思えない。

 明里の疑念の眼差しをものともせずに遥は続ける。

 「元々見鬼の素質があって、何かがきっかけで見える様になったんだろうな。今まではこいつらが足下素通りしても気付いてなかったし」

 こんな派手な犬……否、獅子が足下を通っていたら気付かない筈が無い。

 薄目になって見えないように足掻いてみても派手な毛色は嫌でも認識してしまう。視力が良い事は明里の秘かな自慢だったのだが、そこまで視力が良く無くても良いと思う。

 「君結構な頻度でうちの博物館に来てたからなぁ。うちの収蔵品は曰く付きや神格の高い神様が多いから神気に充てられたのかもしれん」

 遥がなにやら原因を分析しはじめたがぶっちゃけ心底どうでも良い。

 「視えなくすることってできないんですか」

 原因がどうだろうがどうでもいい。結局どうなるのかが問題だ。

 このままでは今まで通りの生活は難しくなるだろう。

 「それが出来たらいいんだがな。残念ながら見鬼の才を封じる術は無い」

 術がないのならもう仕方無い。

 遥の答えに明里は小さく息をついて腰を上げた。

 「分かりました。別に視えるだけで実害は無さそうなので大丈夫だと想います。ありがとうございました」

 一応頭を下げて、では、と言って入り口へと向かう。

 「…………」

 遥は何か言いたそうではあったが明里が聞き入れない事を察しているのか止めはしなかった。

 だが、

 「!?」

 事務室のドアの取っ手に手を掛けた瞬間、右足に何か温かいものが飛びついてきて明里はぴしりと固まった。

 足下を見ると先程まで遥の横にいた筈の獅子丸が明里の足に抱きついている。

 きらきらとつぶらな瞳で明里を見上げ、相変わらずふりふりと尻尾を振って舌をぺろりと出している。

 「遊んで!!」

 明里は一瞬迷ったが素早くしゃがんで獅子丸の胴を掴み遥の方へ向き直させる。獅子丸がきょとんとした顔をしているうちに素早く事務室を辞した。

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