十一
そしてその日の午後、二回目のグループ展のミーティングが開かれたのだが、出席率は前回よりも上がったもののまだまだ欠席者がいる状態だ。
まずは前回ミーティングに出ていなかった人の担当を決める。
明里の広報班も一人メンバーが追加された。
「この間のミーティング出れなくてごめんね!バイトがどうしても抜けられなくってさぁ」
広報班に新たに加わったのは先日遥と話していた時に詰め寄って来た面子の一人だった。
一部の隙も無く完璧に施された化粧と今からデートに行ける様な服。女子としての戦闘力の高さを伺わせる。明里などこのあとはバイトなのでジーパンにTシャツという夏休みの小学生の様な格好である。
彼女は顔の前で両手を合わせ、小首を傾げて明里に謝った。
「別に大丈夫だから気にしないで」
モヤモヤした気持ちは燻っているものの、それをなんとか飲み下して言葉を絞り出した。
謝ることは大切だが、謝れば済むと思っているんだろうなと分かることも歳を経ることによくあり、色々な事を知れば知る程人の世界は生きにくいと思った。
現在の進捗状況を凛に説明し、これからの段取りについて話し合う。
「じゃあ来週までにデザイン案を決めようか。印刷会社も探し始めた方が良さそうだね」
明里が一人でばたばたしていたことが嘘だった様にこれからの予定が決まって行く。
安心するのと同時に、今まであんなにじたばたして憂えていた自分は何だったのだろうかと明里は気付かれない様に息を小さくついた。
「明里ちゃん大丈夫か?」
「えっ?」
テーブルの上を片付けているとカウンターからマスターに声を掛けられた。
丁度客が捌けたので今店内には明里とマスターしかいないのでこのタイミングで声を掛けてくれたのだろう。
「何か大分考え込んでる様だったから。制作上手く行ってない?」
自分では上手く感情を隠せているつもりだったのだが、周りから見れば言葉にせずとも筒抜けだったらしい。
自分の情けなさに苦笑を浮かべながら首を横に振る。
「いえ、制作はいつもどん詰まりなんですが……」
「いつもどん詰まりって」
明里の言葉にマスターが苦笑を浮かべた。
食器をカウンターの中へ下げながら明里はどう言葉にしたものかと考え込む。
「グループ展、で、ちょっと色々考えさせられて」
自分の中でぐるぐると答えの出ない疑問が渦巻いている。
疑問を感じる、ということは今までの自分の価値観からズレているということ。
だが、明里にも価値観があって事情がある様に、相手には相手の価値観があり、事情がある。どちらが間違っているとは一概には言えない。
相手を責めたい訳では無いのに、自分の中で簡単に受け入れることが出来ない。
明里の口から物事を説明するということは無意識でも明里の価値観が入ってしまう。欲しい答えは決まっているのに、平等な答えが欲しい。何と偽善的で自分勝手な考えなのだろうか。
「グループ展のミーティングの集まりがあまり良くなくて。先に集まっていた子の方が負担も大きいのに、後から出席した子は謝るだけで結局やらなかったことが帳消しになってしまって、なんだか理不尽だなぁと思いまして………」
言葉を口にする度にだんだんと明里の視線が下に下がって行く。
これではただの愚痴だ。
人間としての器の小ささを自分で暴露している様で穴があったら入りたいきぶんとはまさにこのことだと明里は身を縮ませた。
言うんじゃなかったと公開と羞恥が自分の中に溢れ返って、今にもここから逃げ出したくなった。
「まぁ世の中そういうもんだよなぁ」
マスターの言葉に明里の心は更に冷えた。
ああ、やっぱりまた情けないことを言ってしまった、と。
やることもしないで愚痴だけは一人前なんて恥以外の何ものでもない。
「真面目な人ばかりが損をする。本当、遣る瀬ない世の中だよな、全く」
マスターの続けた言葉が一瞬理解出来ず、自分の中で意味を理解するまでにひどく時間が掛かってしまった。マスターはゆっくりと言葉を重ねていく。
「この世界は真面目な人ばかりが割を食う。悲しい事にそれを嘆いても結局世界は変わらない。世界というものはどんな悪人よりも残酷非道なものだ」
マスターの肯定と否定の両方が入った答えに明里は戸惑った。明里の戸惑いを感じたマスターは深い笑みを浮かべて言葉を続ける。
「だが、そんな世界だからこそ、本当に美しいものに人は惹かれるものだ。付け焼き刃の世渡り上手などいつか化けの皮が剥がれるし、そんな人間はいくら取り繕っても本能で人は理解してしまう。不義理な人にはなってはいけないよ。いつでも誰にでも胸を張れる様に人として最低限の礼儀は尽くしなさい。たとえ見返りが無くとも。それがゆくゆくは自分を助けてくれる」
目先の損得ばかりに目を取られてはいけない。
自分の為だと思って人に尽くす。
「……はい」
握っていたエプロンを強く握りしめ、明里はゆっくりと返事を返した。
それから一週間後の三回目のミーティングが開かれたが、それでもまだ出席しない強者が存在する。
文句を言っても仕事は減らないので皆思う所はあるものの各々の仕事を進めて行く。
広報班の仕事のメインは展覧会が開かれる前の為、他の班より進捗は早めだ。印刷を依頼する会社の選定やDMの印刷部数の決定、そしてデザイン案の決定を進めて行く。
どのデザインで行くかは決定したが、色のパターンを増やして来週最終決定をすることになった。
「そういえばさ」
唯一のパートナーが突然話しを振って来たので顔を上げて話を聞く体勢を取る。
明里の向かいの席で頬杖をついてこちらを眺めている彼女は、今日も今日とて完璧な出で立ちだ。
「小泉さんってやっぱり東院美術館の学芸員さんと付き合ってるの?」
彼女の質問の内容を理解した明里は思わず顔を顰めた。
「付き合ってないよ」
返事をするのも面倒で手元に目線を戻しながらなげやりに答える。
学食で遥と遭遇してからというもの見知らぬ人から声を掛けられることが多くなった。
遥とどこで知り合ったのか、紹介してもらえないかという話しが大半だった。
いくら自分が関わっているとはいえ、何故遥関連の対応を自分がしなければならないのかと、ここ数日の明里は心の中で遥と遥のことに関すると貪欲な周囲の人間に対して内心で山の様に文句を連ねていた。
有名税は本人に支払って頂きたいものである。
学内の噂には疎い明里だったが、最近になって美形の威力を思い知った。
芸大近くの美術館ということもあって通う学生が多い所為で遥や美喜の知名度はこの学内に於いてかなり高いことが分かった。
そして遥の所為で明里の知名度も無駄に上がってしまった。
明里に関しては七十五日も経てば噂は消えてくれるだろうが、いかんせん人の噂の的になった事が無いので繰り返し投げかけられる似た様な質問の数々に辟易していた。
彼女はまだ話しを聞きたそうにしていたが、明里がそれ以上話し掛けるなと言外に滲ませていたので、何度か口を開きかけては閉じるといった行為を繰り返していた。
その刹那、背筋がぶるりと震えた。
嫌な予感がして恐る恐る周囲を見渡し、何も見当たらないことにほっと胸を撫で下ろそうとした時、視界の下の方にちらりと人の頭が見えた。
視線を自分の足下へ移動させ、そこにいるものを認識し、脳で理解した瞬間、明里は思わず叫び声を上げそうになって必死に声を飲み込んだ。
「この泥棒猫……!!」
六条の君がぜいぜいと肩で息をしながら明里の座っている椅子に縋り付いていた。
「どうしたの?」
明里の様子がおかしいことに気付いた凛が首を傾げながら問い掛けて来る。
いつもなら愚鈍な明里の脳内も、この時ばかりは瞬時に起動して最善の言い訳を弾き出そうと奮闘する。
「ごごごごごめん!!お腹痛いから帰るね!」
「えっ!?大丈夫!?」
「大丈夫!!ごめん!!」
緊急脳内会議の結果、最善と打ち出された理由は使い古された嘘か誠か五分五分の理由だった。明里は自分の愚かさに顔から火が出るかと思ったが、今はそれどころではない。
広げた資料や荷物を慌ててまとめ、六条の君を引きずって脱兎の如くその場を後にする。




