21歳男性 -前編-
湧也と穂香のお話第三弾。
前編と後編に分けようと思います。
タイトルの意味は後編で。
一月某日、晴れ。午前七時十二分。僕と穂香ちゃんは海岸に来ていた。
「なんで穂香ちゃんは普通に厚着してんの!?」
「寒いもん」
「僕のが百倍寒い!」
穂香ちゃんはセーターの上にコートを羽織った冬らしい恰好なのに、僕は白いシャツにジーンズという夏のような恰好だ。何故こんなことが起きたかというと、僕が穂香ちゃんの頼みを聞いたからだ。
一ヵ月前、レギュラーの収録が終わって、夕飯どうしようかなと考えていたところに、穂香ちゃんがスタジオ近くのコンビニ前で立っていた。
「穂香ちゃん……? どうしたの?」
「えっくん先輩……」
「うん?」
いつも口を大きく開けて笑う穂香ちゃんが今は、への字口で俯いてしまっている。急かしてしまうと穂香ちゃんのことだから「なんでもない」と言って流してしまうだろう。月に一、二回くらいしか会う機会がないけど、これだけは何となく分かったから、僕は穂香ちゃんの言葉を待った。
「アタシ……先輩の写真、撮りたい」
………え?
穂香ちゃんに趣味に写真があるのは知っていたし、写真を見せてもらった事もある。けど、人物写真は難しくて撮らないと言っていた。そんな穂香ちゃんがどうして僕の写真なんかを……。
「なんか、急にそう思った」
穂香ちゃんの眉はまだ下がっている。そんな顔しなくても嫌がったりなんかしないのに。でも僕じゃなくてもっといい人はいなかったのだろうか。
「でも僕よりカッコいい人なら、穂香ちゃんの周りにもいっぱい―――」
「えっくんがいい」
眉は下がったまま、僕を真っ直ぐ見ている。真冬の冷たい風がずっと僕の頬を刺している。
「写真を売ってお金を貰おうなんて思ってない………撮影も……仕事に支障が出ないように、アタシが先輩のスケジュールに合わせるから……」
あぁ、そんな縋りつくような顔で僕を見ないで欲しい。ここで断ったら可哀想じゃないか。こっちは外面の演技は苦手なのに。
「……わかった」
穂香ちゃんは僕の返事を聞いて、嬉しそうに笑った。目尻を下げて、三日月のような口を作っていた。
「やったぁ! 先輩カッコいいし、撮るの楽しみだな~!」
穂香ちゃんが跳ねるように喜んでるから、僕もなんだか気分が上がったような気がした。やっぱり彼女には笑顔が一番似合う。
この寒いのに、元気にはしゃぐ穂香ちゃんだけど、とりあえず話を聞かなきゃならない。
「穂香ちゃん、色々話も聞きたいからどっか入ろう? 寒いし」
僕たちは、ここから近いファミレスに入ることにした。
ドリンクバーからコーヒーを二つ持ってきて、一つは穂香ちゃんの前に置いた。
「ありがと、えっくん」
「ううん、それで写真だけど」
とりあえず僕は、穂香ちゃんがどんな写真を撮りたいのか聞きたかった。仕事でグラビアとかは撮ってもらうことがあるけど、穂香ちゃんはどうなんだろう。そもそも風景写真ばかり撮っているみたいだからどんな風に人を撮るのか想像できない。
「普通の先輩が撮りたい」
「……えっ?」
「普通の先輩が撮りたいんだけど……何かいけなかった?」
「いや……いいけど、普通の僕って何?」
うーん……と口を尖らせて考える穂香ちゃんだけど、僕の方が分からないから不安になる。いや、穂香ちゃんがちゃんと僕の写真を撮れるかじゃなくて、穂香ちゃんから見た本当の僕はどう映っているのかということが。
「えっくんは普段、お仕事で雑誌の撮影とかあるでしょ? それはそれでカッコいいけど、そうじゃなくて、ホントにどこの街にもいる二十一歳の男の人っていうか、そんな写真」
「ああ、なるほど」
どうやら穂香ちゃんは、声優としての僕じゃなく、ただの二十一歳の男として僕を撮りたいらしい。
「でも僕……この仕事取ったら何もないよ?」
「アタシは知ってる」
声優・江夏湧也はよく理解できてない。でも、オフの先輩はよく静かに笑ってる。その顔が凄く幸せそう。
「えっくん自分が思ってるより、素がすごい魅力的だと思うな」
真摯な声でそう言うから、この後輩は、実は僕より年上じゃないかと錯覚した。彼女が大人になるまであと一年近くあるのに。僕は自然と口が開いていた。
「わかったよ」
僕は冷めたコーヒーに口をつけた。
一方、穂香ちゃんは僕が了承すると、やったぁ!と歓声をあげた。
「どこで撮ろうかな! えっくんはゴテゴテしたものよりシンプルな方がカッコよく撮れるかも! そうだなースタジオ借りて休日過ごしてる風とか? あーでも外でも撮りたいなー」
大人びた顔で諭したと思えば、わくわくした子どものように笑う。なんてこと無いように顔を変える彼女に、僕は目が離せない。十分足らずの立ち話がほとんどだった僕たちがまともな交流を始めたのは、僕が高校を卒業してからで、そこから約一年経とうとしている。この短い時間で穂香ちゃんのことはある程度知ることが出来たけど、やっぱり彼女は掴めなくて。
「穂香ちゃんってなんか―――」
「あ、コーヒー冷めちゃった!」
穂香ちゃんはコーヒーを一気に飲み干した。ほら、いつもそうやってすり抜ける。
僕は一応、事務所に確認を取った。写真を売るつもりはないこと、仕事に支障がでないように撮影を短期間で終わらせること、その他諸々を伝えると、あっさりOKが出た。僕らは撮影スケジュールを立てて、最初の撮影日を明後日の朝に決めた。
そして、冒頭に戻る。
真冬に薄着で海にいる光景は不思議に思えるだろうけど、夏の写真を冬に撮ると、夏にはない透明感が出ると穂香ちゃんが言っていた。
「えっくん、早く撮っちゃわないと風邪ひいちゃうよ!」
「寒いよ~、外は今度にしようよ~!」
本当に寒い。青い空には雲一つなくて、太陽も出ているんだけど、空気はやっぱり真冬だから冷えてるし、風もある。バリアが薄いから寒気によるダメージが本当に大きい。蹲って腕を擦ってもあまり意味がない。
「ダメ! 今度今度って延ばしてたら出来なくなっちゃうよ! すぐ終わるから、ね?」
何やってるんだろう……。二十一の男がごねてるのを年下の女の子が宥めてるなんて。いや、でも寒いものは寒いんだ。穂香ちゃんはちゃっかり厚着してるし。
「やだよ~お願い~!」
「えっくん立って! 撮るよ! えっくんもアタシも時間ないから!」
そうだ。僕はこの後レギュラーがあって、穂香ちゃんもお昼からアルバイトに行かなきゃならないんだ。グダグダしてる時間は無い。僕は意を決して立ち上がった。
「よし、撮ろう!」
僕はただ海岸を歩いていて、穂香ちゃんの「こっち向いてー」「笑ってー」という指示と、デジタル一眼レフのシャッター音が波の音に紛れて聞こえる。たまにしゃがんでシーグラスをいじったり、海水に触れてみたり(ホントに冷たかった)もした。僕も夢中になってたみたいで、本当に夏の海で遊んでいるんだと脳が思い込みを起こして寒さを忘れていた。
「よし! オッケー、終わり!」
「うわっ寒い!」
撮影が終わったんだと認識した瞬間に一気に寒くなった。穂香ちゃんは「三十秒で戻る!」と駐車場へ向かった。海風が容赦なく僕に吹き付ける。雲が白いフィルムのように青空にかかっていた。
「えっくんゴメンね! はいコレ着て、コレ羽織って!」
「待って、今着るからいっぺんに言わないで!」
穂香ちゃんが車から僕のニットとコートを持ってきてくれた。ニットは穂香ちゃんがイベントスタッフのように僕に被せてきた。仕事でされることをプライベートでされているから不思議な感じがする。穂香ちゃんに手伝って貰いながら、なんとかコートも羽織って僕たちは車へ戻った。
助手席側の後部座席で服を整えて、台本を開こうとすると「えっくん」と運転席から声がしたから「なに?」と運転席を見た。
「何か温かい飲み物買う? コンビニ寄ろうか?」
「あー……欲しいけど遅れちゃうからいいや。ありがとね」
「じゃあこのまま行っちゃうよ?」
「はーい」
車のエンジン音が聞こえて、すぐに車は流れに乗った。
撮影前日、穂香ちゃんがスタジオの近くまで送ってくれると言った。穂香ちゃん曰く「無茶なお願い聞いてくれたからせめてスタジオまで送る。でも横づけにしたら色々大変だし、えっくん、マネージャーさんに怒られちゃうよね」らしい。流石に申し訳ないから断ろうとしたけど、なんだかんだでじゃあ最寄り駅まで、とお言葉に甘えてしまった。
彼女の運転で車に乗るのは、今日この時が初めてだったりする。恐怖心は湧かない。アルバイトは運転免許が必要みたいだし、ドライブも好きだと言ってたから慣れてるんだろう。運転席と僕の座席は凄く近くて、穂香ちゃんの顔がはっきり見える。普段の彼女が異常なまでにほんわりしているからか、目つきが鋭く見える。カースレテオから流れるトランスは、この中古のアルトとは釣り合わない気がした。
僕は台本をチェックしていたし、穂香ちゃんも僕に話しかけなかったからお互い話すことも無くて、無言のままスタジオの最寄り駅まで着いた。はい着いたー、と穂香ちゃんが大きく息を吐いた。
「ありがとう、穂香ちゃん」
「間に合う?」
「うん、全然余裕。穂香ちゃん次の撮影は?」
「うーん、えっくん今週はもうオフ無いでしょ?」
「あーそうだよ……。週末イベントだし」
「アタシも予定があるし……また連絡するよ」
「わかった」
僕は車から降りて、穂香ちゃんに軽く手を振った。そして、穂香ちゃんも手を振り返してくれた。
穂香ちゃんの車が見えなくなってから、僕はスタジオへ向かうため足を進めた。きっと近いうちに、また穂香ちゃんに引っ張られて、振り回されるんだろう。そして、こっちが引き寄せようとしたら、彼女はすり抜けてしまって、僕は少し虚しくなったりするんだろう。けど、それでも僕が穂香ちゃんを追ってしまうのは、彼女といると心が緩むような、不思議な感覚があるから。そう遠くない日、またその感覚を味わうことになる。僕は何故か、その日が酷く待ち遠しく思った。
後編へ続きます。
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