鼓動(オージェとジェームズ)
まるで子守歌のように、優しく響く鼓動が全てを包み込む。
「ジェム?」
「……あぁ、オージェか。」
「どう、したんだ?お前、何かあったのか?」
「何が?」
クスリと口元だけで小さく笑う幼馴染み。その笑みが、今にも砕け散りそうな程に脆いモノだと、オージェは気付いた。気付いて、愕然としてしまう。ジェームズという青年の精神はひどく図太くて、先に壊れるのは絶対に自分の方だと信じていたからだ。
自宅代わりに使っている、王宮の傍の屋敷。そこにいるのは数人の召使いと、と、オージェとジェームズの2人だけだ。誰に憚ることなく本性をさらけ出しても良い空間だというのに、今オージェの目の前にいるジェームズは猫かぶりのままだった。この状態になる時が、いったい何であるのかを彼は知っていた。
思わず、本当に思わず、オージェはジェームズに手を伸ばす。振り払おうと伸ばされた腕を掴んで、親友の頭を胸に抱え込む。藻掻くように暴れるの押さえ込んで、何があったと、低い声で問いかける。何もないと暴れ続けるジェームズに、オージェは根気よく尋ねる。しばらくして、ジェームズの動きが止まった。
「……エレノアが、死んだ。」
「……エレノアって、お前の乳母だった?」
「流行病にかかって、自宅に戻っていた。それが、先日、死んだらしい。」
「ジェム……。」
淡々と語る言葉が、震えていた。慰める言葉を持たないオージェは、ただジェームズの身体を抱きしめた。エレノアという名の乳母の事は、オージェも知っていた。初老の女性で、けれどいつも笑顔を浮かべていた、優しい人だった。ジェームズの本性を知っても尚、優しく微笑んでくれるヒトだった。ジェームズが、オージェ以外で唯一自分をさらけ出せる相手だったのだ。
あの人が、死んだのか。ジェームズの傷の深さを思えば、自分が哀しんでいる場合ではないと思う。それでも彼は、自らの傷を晒す事はないだろう。傷を傷だと認識する事すらできないだろう。それが解っていたから、オージェはジェームズの身体を抱きしめて、優しくその背を撫でる。
「ジェム。」
「人間は、あっけないモノだな、オージェ。」
「……。」
「そうやって、皆、脆いままで死んでいく。いつか、皆。」
「俺は、お前を置いては死なない。」
「嘘をつけ。お前の方が年上だろう?それに、お前は護衛じゃないか。どうせ、いつかお前も、私を置いて、死んでいく……ッ!」
「死なない。お前みたいな危なっかしいの残して、死ねるわけがないだろう?」
宥めるように、オージェはそういう。その想いは真実だった。この親友は、自分がいなくなったら誰にも心をさらけ出せない。ストレスを積み重ねて、ついには精神を破綻させるかもしれない。そんな事を考えれば、1人残して死ぬなどという事は、できない。死んでも死にきれないに決まっている。
だからオージェは、繰り返す。お前を置いては逝かない。その言葉を、ジェームズは否定し続ける。嘆くように喉の奥に絡んだ声を出し、嘘をつけと呻き続ける。優しく背を撫でながら、オージェはただ繰り返し続けるだけだ。
押しつけられたオージェの胸から、規則正しい鼓動が聞こえる。優しく響くその音に、ジェームズは頬を涙が伝うのを感じた。エレノアが死んだと聞かされた時に、胸をかけたのは焦燥だった。もしも、彼女のようにこの相棒が死んだならば、自分はいったいどうすればいいのだろうかと、そんな思いが胸をかけた。
「大丈夫だ、ジェム。俺はお前を残して死んだりしない。」
「…………ッ。」
「大丈夫だから、ちょっと寝ろ。な?」
「……オー……ジェ……っ。」
「どうせ昨夜も寝てないんだろう?寝てろ、傍にいてやるから。」
その言葉が真実だと、解っていた。ふっと、全身から力が抜ける。突然襲いかかってきた睡魔に流されて、ジェームズは眠りに落ちる。オージェの、規則正しい鼓動を聞きながら。
まるで子守歌のように、優しく響く鼓動が全てを包み込む。




