腹癒せ(オージェとジェームズ)
その日は酷く苛立ちがたまっていて、ついうっかり。そう、本当についうっかりだったのである。誓って、ジェームズは本気ではなかった。限りなく本気に近い怒りを覚えていたのは確かだが。
まさか、本当に大怪我をするとは思っていなかったのである。
確かに、普通なら大怪我をする。よじ登ってくつろいでいた木の上から突き落とされたりしたら、いくら腕自慢の護衛役でも無理ではなかろうか。だがしかし、そんな事はジェームズの脳裏には浮かばなかったのだ。オージェは非常にタフな男で、何をしても壊れない玩具のようだったから。
「オージェ、怒ってるのか?」
「怒るより先に呆れてる…………。」
「それは悪かったな。何か呑むか?今日ぐらいは世話をしてやる。」
「お前の所為だ、お前の。」
叫ぶと傷に響くのか、オージェは呻くような低い声でそういった。悪かったなと、悪びれもせずにジェームズは答える。別に彼が嫌いというわけではないのだが、ついつい軽んじがちなのである。その辺りは幼馴染み故というか、2人の性格の違いというか、まぁ、詰まるところ極端に正反対のような2人であるというわけだが。
それでも、言葉と態度程には怒っていないのである。普通は怒り狂ってもおかしくはないが、オージェは違った。彼は目の前の幼馴染みの性格をよく知っている。常は二重にも三重にも猫を被っているジェームズが、本当な手の付け所のないぐらいにサドで毒舌だという事を、彼は知っていた。誰に言っても信じて貰えないだろうが。
だから、機嫌が悪かったんだろうと、思うのだ。その機嫌の悪さの八つ当たりに殺され駆けたのでは割に合わないが。それでも、受け身をうっかり取り損ねて倒れた自分を見た時のジェームズが、心底焦ったような、不安に満ちた顔をしていた事をオージェは知っている。だから、それだけで充分だった。
口で何を言っていても、どれだけ虐められていても、自分という存在はジェームズにとって必要不可欠の存在なのだ。そんな事を思うと、自分でも不思議な程に気分が晴れやかになっていく。現金と言うよりは阿呆と言われそうだが、別に彼は構わなかった。
「冷たい水が飲みたい。」
「水?」
「真水が良いな。何も入ってない奴。」
「解った。持ってきてやる。」
ゆっくりと立ち上がり、くるりと踵を返す。その後ろ姿にも迷いなどカケラも存在せず、彼が自分に非があると思っていないように思わせてくれる。だがしかし、一瞬だけ揺れた肩を、オージェは見逃さない。苦笑を、思わず浮かべていた。
「ジェム。」
「ん?」
「大丈夫だからな、俺は。タフなの、お前も知ってるだろう?」
「……知っている。」
たった一言呟いて、ジェームズの姿は扉の向こうへと掻き消えた。少しだけ、安堵したような声音で。本人も意図していなかっただろう本心が、そこからこぼれていた。それを理解して、オージェは笑う。それだけで、彼にとっては充分だった。
たとえ腹癒せに怪我をさせられても、多分、傍にいる事が幸福なのだ。




