沈む騎士
「今日であと二年か?」
ウォッカを入れたグラスが氷と溶け合いながらカランと澄んだ音を立てる。バーを照らす間接照明と小さく流れるジャズが、今日の朝倉の功績を讃えてくれているようで、生きて帰ってくる事への執念による精神的な疲れもここ空気が癒してくれるようだった。朝倉は無事作戦が終わった日の夜はいつもここに来る事にしていた。
「ああ、ちょうど二年だ」
「長いな」
「ああ」
ウォッカを一口含むと、アルコール度数の高い液体が、まだ死ぬなよと言いたげに体に火を付ける。
「お前なら生き残るよ」
バーテンダーがカウンター越しに言うこの台詞も、もう何度聞いた事だろうか。いつ燃え尽きてもおかしくない己の命に安い願掛けは無意味だ。
閉店間際に駆け込んだので既に店主は入り口を閉め、最後のグラスを磨き終わったようだ。少し感傷的になりながら、今日は飲み過ぎてしまったようだと、辛うじて機能を保っている頭で自覚する。ふわふわするのを立て直して朝倉がそろそろバーを後にしようとした時、店主が「そう言えば」と言って朝倉を引き止めた。
「明日ニューフェイス来るらしいぜ」
ニューフェイス?新人傭兵か‥‥‥
「ふん、何故こんな所に来たがるのか俺には全く理解出来ない。」
「そういうお前もここに来た理由教えてくれねぇじゃん?」
「‥‥‥」
朝倉はチップも含む料金をカウンターに置きながら店主に何か言おうとする。しかし、自分の「守り」の領域が人に犯されるのを人一倍嫌う朝倉は、自身の事を一番良く知る店主にもプライベートな事は話したくなかった。
この基地に傭兵として雇われている理由。その事を考えるだけで今までのいい気分は全て台無しになってしまう程、それは朝倉に取って精神的負担になる問題であった。
「今度、教える」
バーの古びたドアを開けるとカランとカウベルがなる音がする。
深海に沈みきった船のような心持ちで朝倉は基地内のバーを後にした。
(あと二年か‥)
部屋に戻っても誰も迎えてくれない個室はただ寂しさを助長するだけである。
エリア106は朝倉を始めとする傭兵部隊が所属する作戦基地名であり、除隊するには契約満了期間まで生き延びるのみの過酷な戦場である。
パイロットには敵機撃墜や地上物撃破、または作戦目標の破壊に成功すると、そのスコア歩合で法外な報酬が支払われる。除隊と同時にその額が支払われる為、金儲けの為にこの部隊に入部する兵士も大勢いたが、生き残って満期契約を終えた者は未だにいなかった。
傭兵にとっては天国にも地獄にもなる場所。それがエリア106であった。
私物という私物は殆ど無いガランとした寂しい部屋。テレビも無ければ、ラジオも無い。過去に浸る暇も無いので、家族の写真も無い。ただ寝る為にあるような部屋。
窓を開けるとオレンジ色の美しい太陽が夜明けを告げている。滑走路を照らす朝の太陽はいつでも自分に生きる元気をくれる。日本は今何時であろうか。
今日は晴れそうだ、と朝倉は思った。