第二話 現れた嫁
俺の目の前に立つ巨漢の男。
体重はゆうに百キロを超えていそうだが、デブというよりは鍛えたプロレスラーのような感じだ。モヤシ大学生の俺なんて、五人ぐらい束になってもぶっ飛ばされてしまいそうである。その迫力に俺はたまらず腰砕けになってしまう。
「なんでこんなところに居るんだ? 何者だ! ああん!」
「いや、その……」
とっさに声が出てこない。そもそも、なんて説明すればいいんだろうか。
俺はあの、そのなどと眼を泳がせながら言うことしかできない。するとたちまち男は業を煮やして、俺の胸ぐらをつかみ上げた。
「シェリー、お前こいつについて何か知ってるか?」
男がそう尋ねると、俺は少し期待を込めた眼でシェリーを見た。何か、上手い事ごまかしてくれ……!
俺は心の中で祈ったが、彼女はバツが悪そうな顔をした。彼女は小さく口を開くと、申し訳なさそうに言う。
「知らないわ。たぶん、荷物の中にまぎれて忍び込んだんでしょ」
「ふん……そうか」
男はつまらなさそうにそういうと、胸ぐらを掴んでいた手を下ろし、代わりに腕をがっしりと握ってきた。そして強引に俺の身体を引っ張り、倉庫から引きずり出そうとする。
「そいつどうするの?」
「お頭の指示があるまで牢にぶち込んでおく。ま、どうせ空魚の餌にするんだろうがよ」
男はガハハと豪快な笑いを上げた。
笑えない、ちっとも笑えない。
顔から血の気が引いて、背中から汗が溢れてくる。運動したわけでもないのに、恐怖で心臓の鼓動が破裂しそうなほどに加速していく。
このままじゃ殺されちまう!
何か、何か手はないのか!?
俺は前世紀のPCレベルのしょっぱい脳細胞をフル稼働させ、現状の打開策を探ろうとする。するとまた、何かのスイッチが入ったような感覚があって、頭の中に文字列が浮かんでくる。
補助魔法レベル一、魔力強化レベル一、経験値アップレベル一、アイテム生成レベル一、鑑定レベル一……頭の中に浮かんできた文字列は、ちょうどゲームで選択したスキルと同じだった。俺は藁をもすがる思いで、使えるスキルはないかと補助魔法レベル一に意識を集中させる。するとすぐにレベル一で使えるスキルの名と効果が脳内に浮かんできた。
「使えねえ!」
思わず声が出た。
頭の中に表示されたスキルの名は『ブースト』。効果は対象者一人の筋力を約三分間、一・五倍に高めることだ。
俺のステータスは表示されないのでよくわからないが、一・五倍にパワーアップしたところで目の前の男に勝てるとは思えない。武器のことを考えると、少なく見積もって三倍、できれば五倍ぐらいは必要だ。どう考えても役に立たない。
「うるさい、何叫んでるんだ」
「うッ!」
無駄口をたたくな、とばかりに男に蹴飛ばされてしまった。
俺はしぶしぶ、男に連れられて船の中を移動していく。そうして船特有の狭い通路を抜けて行き、階段を下りると座敷牢のようなものがあった。親指ほどの太さがある鉄格子の向こうには誰もおらず、破れの目立つ毛布だけが置かれている。
「入れ!」
男はそういうと、俺を牢に放り込んで扉を閉めた。ガチャっと音がして、扉に鍵がかかる。俺は扉にしがみついてどうにか動かそうとしたものの、錆の浮いた鍵は意外に頑丈でびくともしなかった。
◇ ◇ ◇
「クソッ!」
牢に閉じ込められて数時間が過ぎ、時刻はすっかり夜となった。廊下の壁に穿たれた小さな窓からは満天の星空が見える。
魔法空賊などというだけあって、この船は飛行船なのだろうか。冷え込みがやたら激しく、木の床は金属でできているかのようにすっかり冷え切ってしまっていた。俺は牢の中に唯一あったボロボロの毛布を抱え込み、必死に寒さを堪える。
「ん?」
腕に毛布を抱えて寒さを堪えていると、ジャージの胸ポケットに何か入っていることに気付いた。
何か入れっぱなしになってたっけ……?
俺はすぐさまポケットに手を入れると、中にある硬い物を取り出す。するとそれは小さな人形だった。翡翠のような材質でできたそれは、フィギュアか何かというよりは呪術具のような感じだ。少なくとも、見覚えはない。
気味が悪かったので、鑑定スキルを発動する。が、すぐにレベル不足と表示されてしまった。どうやらかなり貴重なアイテムのようだ。俺はどうすることもできないので、気持ち悪いがひとまずそれをポケットへと戻す。
それから十分ほどすると、どこからか足音が聞こえてきた。コツ、コツと何かを確かめるようにそれはゆっくりゆっくりと俺のいる牢へと近づいてくる。やがて、廊下の突き当たりに人影が見えた。驚いたことに、それはシェリーだ!
「助けにきたわよ」
「おおっ!!」
「静かに、鍵を開けるわ」
シェリーは指を口に当てて興奮する俺を制すると、鍵に手を押しあてた。するとカメラのフラッシュよろしく光が走り、ガチガチっと金属音がする。試しに俺がおっかなびっくり扉を押すと、錆びた扉は鈍い音を立てながらもスムーズに開いた。きっと、スキルか何かだろう。
「ありがと!」
「礼は良いわ。見張りが来る前に、早く」
シェリーに促されるまま牢を出ると、俺は音をたてないように注意しながらも通路を走り始めた。すると最初の突き当たりで、シェリーが居ないことに気づく。振り向くと、シェリーは俺が居た牢の前で立っていた。
「来ないのか?」
「ええ、私はここに残る」
「どうして? 俺を出したことがばれたら、シェリーだってただじゃ済まないだろ。一緒に行こう!」
俺は駆けもどると、シェリーの方に手を差し出した。しかしそれを、彼女は振り払う。
「駄目! いけないの」
「なんでなのさ。シェリーは魔賊で居たいのか?」
「そうじゃない、魔賊なんて大嫌いよ! だけど……」
シェリーは着ていた服の袖をまくった。すると、彼女の白い腕に紅い星型の痣が浮かんでいる。怪しげな光を放つそれは、何かの刻印のようだった。
「契約印よ。お頭が持ってる契約書を破らない限り、私は自由になれないの」
「そんな……」
何も言葉が出てこなかった。
だからシェリーは魔賊が嫌いなのに、こんな場所にいなければならないのか。俺はあまり人がいい人間ではないが、さすがにこれには不憫さを覚えずにはいられない。俺の心の中がカッと熱くなり、炎がたぎった。同時に何もしてやれないもどかしさで、胸が苦しくなる。
「早く! 私のことは気にしなくていいわ、お頭には私のスキルが必要だから。最悪でも、殺されはしない」
「だけど……!」
ためらいが生まれ、その場からなかなか走り出せない俺。すると俺たちの耳に、足音が響いてきた。とっさに俺は牢の中へと戻ろうとするが、時すでに遅し。間に合わない。
「お、お頭……!」
「やばいぞ……!」
通路の角から現れたのは、細身で長髪の男だった。金髪を背中に流し、肩から幅広の青龍刀のようなものを背負っている。顔は貴公子風の二枚目半といったところだが、眼つきがいやに鋭い。さらに額に古傷のようなものがあり、凄味を増していた。
念じてみると、頭の上に『魔賊頭領:ウルフ』という文字が浮かんだ。名前があるということはネームドということか。この世界がゲーム基準だとすると、確実にこいつは強いだろう。とても、今の俺たちでは倒せそうにない。
「脱獄したのか。明日になれば出してやったというのに、せっかちな奴め」
「ウルフ様、これは私が――」
「シェリーは黙っていろ。お前への処分は後だ。さあて、我が船に忍び込んだ不届き者。お前、名は何と言う?」
「タ、タカウジだ」
「そうか、タカウジか。ではお前を、少し早いが天国の旅へ連れて行ってやろう。この大魔賊ウルフ様の手にかかって死ねることを、光栄に思え――ッ!」
すらりと抜き放たれた青龍刀。
その刀身は濡れたように青白く輝いていた。鉄でも何でも、真っ二つにしてしまいそうだ。すでに隣に立っているシェリーは顔を真っ青にしていて、口をぱくぱくと動かしている。
クソッ、どうすれば……!
俺は胸元に手をやると、ギュッと心臓のあたりを握りしめた。するとそのあたりが何故か、燃えるように熱かった。視線を下げると、ポケットの中の人形が緑光を放っていて、それが透けて見える。俺はすぐさま人形を取り出すと、顔の前に掲げた。
ウルフが足を踏み込む。
刃が風を切り、横滑りするように近づいてきた。走馬灯のようなものだろうか、俺にはそれがやけにゆっくりに見える。この加速した時間の中で、俺は唯一の頼りであるレアアイテムらしき人形を力いっぱい握りしめると、力の叫んだ。
「頼む、助けてくれーーッ!!!!」
刹那、青白い光が駆け抜けた。
視界が白に染め上げられて何も見えなくなる。太陽を直接見たようなそのまばゆい光に、俺は思わず目を閉じてしまった。
響き渡った金属音。
青龍刀を誰かが防いだのか?
俺はチカチカする眼を恐る恐る開いてみる。すると――
「遅れてすまない! さあ主様、存分に命令を!」
燃え立つような紅の髪に、透き通るが如き白い肌。
さらに後ろからでもその存在をはっきり確認できるほどの、見事な膨らみ。
俺がクリエイトした従者が、いつの間にか目の前に立っていた。
やっと嫁登場!
ここからがいよいよ本番です。