第一話 宝箱からこんにちは
気が付いたら、暗くて狭い場所に居た。
都会の夜のような目を開けていればそのうち慣れてくるような暗さではなく、全く光の差さない完全な闇だ。しかも俺の周囲を壁のようなものが隙間なく囲んでいて、気をつけの姿勢になっている身体は自由が利かない状態だ。
「なんだこりゃ?」
トイレの個室にでも閉じ込められたのか?
それにしてもこれは狭すぎるだろう。押し入れだってもうちょっと広い。俺が入っている何かは、たぶん大きめの冷蔵庫ぐらいのサイズだろう。
まさか、棺桶?
そう思った途端、俺の背筋が凍った。このままじゃ生きたまま火葬されちまうかも知れん。葬式に出された人間が生きてたとか、よくあるジョークみたいな状況だが当の本人としてはたまったもんじゃない。
下から上へ思いっきり拳を振り上げる。すると、天井が大きく揺れた。よかった、あんまり重い蓋ではない。俺は手を顔の前へ寄せると、蓋をよっこらしょと持ち上げる。
蓋が開いたので外へ出てみると、そこはどこかの倉庫のような場所だった。天井や壁は全て木造で、床には大量の樽や木箱が山と転がっている。部屋全体が少しひんやりとしていて、漂う空気はたっぷりと湿気を含んでいた。
後ろを振り向いてみると、俺が入っていたのはやけにごつい宝箱のような箱だった。金の鋲や縁取りで豪勢な装飾が施されていて、黒いかまぼこ型の蓋にはなにやらよくわからない紋様が描かれている。金銀財宝というよりも、古代の超兵器とかそんな感じの物が入っていそうな怪しい感じの宝箱だ。
一体俺になにが起きたんだろうか。
俺は自身の行動を思い起こしてみる。確かスマホでよくわからんゲームの登録をして、いざ始めようというところで意識が遠のいて、そのまま横になったはずだ。
それがいつの間にか宝箱の中に居た。わけがわからない。
酒は飲んでいないし、もちろん記憶が飛ぶような危ないお薬なんてのも飲んでいない。だから俺はいつも通り、狭苦しいワンルームのアパートで目覚めなければいけないはず。それなのに、なんでこんなところに居るんだ?
テンプレート的に頬をつねってみたが、痛いだけだった。既に眼はしっかりと覚めている。夢落ちということはなさそうだ。とりあえず目の前で起きていることを現実と認識することにしよう。俺はそう考えると、宝箱の蓋を閉じて部屋の奥の扉へと向かう。
扉の方へ向かうと、何やら人の声が聞こえてきた。とっさに俺は近くにあった樽の陰へと身を隠す。すると部屋に男が二人と少女が一人、入ってくる。
「えッ――」
思わず声が出かかった。
部屋に入ってきた人間たちの上に、何故か『魔賊』やら『魔賊見習い(仮)』などと表示されていたのだ。人の頭の上にぴったりとくっつくようにして表示されているそれは、さながらゲームのネーム表示である。
いったいこれはなんなんだ、まさかゲームの世界か?
わけがわからなさすぎて、頭が真っ白になってくる。すると、何かが切り替わったような感じがして人の頭の上に合った表示が消えた。
何が何だか分からないが、俺はとりあえず息を殺した。
表示があってるのかあってないのかはわからないが、字面的にまっとうな稼業の人々ではなさそうだ。しかも魔賊と表示されていた男二人は、懐にそれぞれ杖を帯びている。まさかとは思うが、警戒しておくに越したことはない。
「いいか、きっちり掃除しとけよ! 手を抜いたら飯抜きだからな」
「わかってるよ! お頭は怖いし」
「じゃ、夕飯までにやっとけ」
男たちは魔賊見習い(仮)と表示されていた少女に、モップやバケツを押しつけると部屋を出て行った。少女はその背中に向かってあかんべをすると、俺のいる部屋の奥の方を見渡す。
「こんな部屋が夕飯までに綺麗になるわけないじゃない! たくあいつら、人を好き勝手使って……」
愚痴を言いながらも、せっせと掃除をし始める少女。彼女はやがて、俺の隠れている樽の方までやってきてしまった。
まずい、見つかる。そう思った俺はさらに奥の樽を目指して移動した。が、その途中で空き瓶につまづいてしまう。キンッと澄んだ金属質の音が、静かな倉庫の中によく響いた。たちまち少女の肩がびくっと動く。
「誰!?」
少女は掃除用具を片づけると、俺のいる方へと迫ってきた。慌てた俺は隠れ場所を求めてあたりを見回すが、めぼしいところが見つからない。そうしている間にも少女は迫ってきて、やがて彼のすぐ目の前へとたどり着いた。
「あ、あ――」
叫び声が上がる寸前、俺の手が少女の口元を抑えつけた。
ハエ叩きで鍛えた熟練の超早業である。
まさか、ハエが発生するボロアパートに住んでいたことがこんなところで幸いするとは。人間万事塞翁が馬というのは本当である。昔の人は実に良いことわざを遺しておいてくれたものだ。
「静かに、手を離しても叫ぶなよ。静かに、絶対に静かに!」
口元に人差し指を当てながら、バタバタと手足を振って騒ぐ少女を相手にこんこんと言い聞かせる。
しばらくすると彼女は大人しくなり、うんうんと頷いた。本当に叫ばないかどうかはわからないが、このままというわけにもいかないので手を放す。
「ハア、ハア……。あんた誰、侵入者?」
「違う、気が付いたらここに居たんだ」
「何それ、どういうこと」
「俺の方が聞きたいよ」
俺は大きく肩を落とした。そして宝箱の前へ戻ると、閉じていた蓋を開けて見せる。すると、たちまち少女の目が丸くなった。
「嘘、どうして開いてるの? 私の鍵開けでも駄目だったのに!」
「いつの間にかこの中に入ってたんだよ。そんで、内側から開けて出てきたんだ」
「内側……なるほど、そういう仕掛けになってたのね」
少女はそういうと、宝箱の前にしゃがみこんで箱をつぶさに観察し始めた。彼女は懐から小さなルーペのようなものを取り出すと、宝箱の蓋、特に中央の金具のあたりを念入りに観察する。彼女はすでに自分の世界へ入ってしまったようで、俺のことなどもう気にしてはいなかった。
「ちょっ、俺のことを忘れないでくれ」
「ああ、ごめん! でもあんた、ほんとにこの中に入ってたの? この宝箱、開かないから一年ぐらいずっとほったらかしだったのよ?」
「ほんとにほんと、気が付いたらこの中に居たんだ」
俺がそう力説すると、少女は紫がかった黒い大きな瞳でじっと睨みつけてきた。身長差のせいで少し上目遣いになっているが、かなりの迫力だ。眼から火花でも出せそうである。俺は思わずたじろぎそうになるが、それをグッとこらえて彼女の眼鼻立ちのはっきりとした可愛らしい顔を睨み返す。
そうしてしばらくすると、俺の態度に根負けしたのか少女は大きくため息をついた。彼女はやれやれとばかりに手を上げる。
「わかった、ひとまずそういうことにしといてあげるわ。私はシェリーン。シェリーって呼んで」
「俺は西東鷹氏。タカウジって呼んでくれ」
「よろしく、タカウジ。はあ、しかしあんたも私も厄介なことになったわね……」
「えっと、どういうことだ?」
「あんたほんとに知らないのね。この船は魔賊の船よ。あんたなんて、他の奴に見つかったら即これよ。ヘタすると私も連座だわ」
シェリーは手刀を首に押し当てた。オッサンとかがよくやる「クビ」の仕草だ。しかし、この場合はクビはクビでも文字通り首をはねられることを意味しているようである。俺はたちまち背筋が凍りついた。さっきもし、とっさに隠れていなかったら……考えるだけでも恐ろしい。
「魔賊ってそんなにヤバいの?」
「もちろん! あんた、もしかして魔賊知らないの?」
「ああ……」
そんな連中、聞いたことがない。知っててせいぜい海賊だ。海賊といっても最近は小型ボートで移動して自動小銃で敵に襲いかかるテロリストまがいの連中がほとんどだそうだが。とにかく、魔賊なんて見たことも聞いたこともない。
というか、これは……俺の頭の中を異世界トリップという単語がよぎった。さっきのネーム表示といい、そう考えれば何とか理解できなくもない。しかし、俺はそれをひとまず否定する。決定的な言葉を聞くまでは認めたくない。
シェリーはそんな無知な俺にまたも呆れたような顔をすると、肩を落とした。彼女は少し怒ったように口をとがらせる。
「いい、魔賊って言うのは魔法空賊の略称よ。魔遺物を求めて世界中を荒らしまわってるヤバい連中だわ。略奪、殺し、強姦……何でもやる悪党の代名詞なんだから!」
拳を振り上げ、選挙前の政治家ばりに力説するシェリー。しかし俺はそんな彼女の様子よりも、魔遺物という単語が引っ掛かった。間違いなく聞き覚えがある単語だ。具体的には、意識が飛ぶ寸前に登録作業をしていたゲームの用語である。
――予想外に早かった。
いきなり飛び出してきた決定的な単語に、俺の意識がホワイトアウトしそうになる。ゲームの世界にトリップとか、ありえないだろ。ニ十一世紀の日本人を舐めるな、俺なんて神様すら信じてなかったんだぞ。それがいきなり異世界とか、もっとそういうことを本気で信じてる人とかをさせてやれよ……。
精神が混乱して、頭の中でとめどなく愚痴やら文句が溢れ出てくる。俺は気持ちを落ちつけるべく、大きく息を吸った。すると最悪なことに、このタイミングでドアの向こうから声が聞こえた。
「おい、シェリー! 酒を出してくれ!」
「は、はい!」
シェリーは俺に眼で隠れるようにと合図を出してきた。俺はそれに従い、すぐに樽の陰へと隠れる。シェリーは近くに置かれていた木箱を開くと、中に入っていた酒瓶を手に扉の方へとすっ飛んで行った。
「こんなんじゃ足りねえよ。樽ごと持ってこい!」
「樽はちょっと重くて……」
「仕方ねえな、俺が持ってくよ」
「あ、ちょっと!」
男はシェリーの制止を振り切って、ずかずかと倉庫の中へと入ってきた。しかもまっすぐ俺の居る方へと向かってくる。
ヤバい! もっと奥へ!
そう思ってみたものの、男にばれずに移動できる樽や木箱の山が近くになかった。額に嫌な汗が浮かび、感覚が凍りついていく。そして――!
「てめえ、誰だ!?」
次回はいよいよ嫁が颯爽登場!……の予定です。
ぜひご期待下さい。