表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒月に涙哭を  作者: 弐村 葉月
第一章 
4/88

剣掲げた者、刃翳す者。

 人は、神を望む。それは人が未来見えぬ存在であり、その知れぬという不安感を拭う為に縋る存在を欲するからだ。故に、人は自分らの手では届かぬ力を持った存在に憧れ、想像し、創りあげ、敬う。それを一心に信じる事で、自身に振りかかる未来の事、そしてその果てにある死という宿命に抗おうと。そうでもしなければ、ただただ漠然とした恐怖に刈られてしまう程に、人は脆弱であるからだ。

 しかし、その創造された筈の“神”という強大な力を持った何かが実在するとなればどうだろう。過去に居た、という作り話に留まらずその力の片鱗を今尚受け継ぐ存在が居るとすれば。

 女神、そして鍵乙女デヒューナー。それがこの世界と人々を支える二つの存在だ。はじまりは千年前。命疎い命食らう魔物、フェルと文字通り命がけの生存闘争をしていた人類の中から、一人目の、後に鍵乙女と呼ばれる者が現れた。彼女は、放浪の旅路の途中でそのフェルと戦うに留まらず、“世門ルナギオル”と“門”という二つの装置を創り、それまで世界に蔓延っていたフェルの大幅な減少を成し遂げた。鍵となる乙女が門を開く儀式を行う事で、それは成されると伝えられている。初代鍵乙女が女神となった後も、その門の儀式を行う乙女、鍵乙女は選出されていった。世界に唯一人、一説によれば女神により選定されているというその鍵乙女は代々、門の儀式を受け継ぎ世界の安寧を紡いでいく。そうして、その鍵乙女を守る為に多くの者達が集い、共にフェルと戦う為に剣を取っていった。それが、今現在世界においてもっとも強大な力を持つと言われる、アヴェンシス教会の始まりである。


 ギティア大陸の西にある、大砂漠地帯ムーゴ。一度迷い込めばその身が砂となるまで、何処へも行くことは出来ないと言われるその地に、水恵都市マイラはある。砂漠という劣悪な環境下にも関わらず、世界全体でも有数の広さを持つ都市だ。その理由は、砂漠という特殊な環境下の研究や特産物に支えられているが、やはり最も大きな要因は、アヴェンシス教会が保有する、学術教会ハコウがある為であろう。元々、この地の近くにある門の維持管理の為に設置された教会であったが、今現在は二年前のとある事件によってその門はない。しかし、物は無くとも場がなくなったわけではなく、参拝者は後を絶たないどころか増加傾向にある。二年前の事件以降フェルの出現が大幅に減少したのに加え、最重要物であった門が失われ、その場への立ち入りが緩和された為である。そして、教会が保有し各地に置いている掲剣騎士クァイターがその場への道案内を一手に引き受けている。元々、民衆をフェルから守るのを基本的な生業としてた彼らだが、前述の通りフェルの出現が極希になってしまったため、そういった事に人員を多く割いている状況である。

 戦う為の騎士を有しているという性質上、教会にはその宿舎や修練場というものがある。ここ学術教会は教会総本山自治都市アヴェンシスに有る始祖教会グロリアに次ぎ二番目の大きさを誇り、騎士の為の建物も多く存在する。それだけでなく、多数の研究者が教会の庇護の元に多種多様な研究をするのもここであり、故に学術教会と呼ばれているのだ。

 そんな教会の地下にある修練場の一つに、一人の青年が居た。30メートル前後四方程の広さを持つ、石板の貼られたドーム状の、出入り口と倉庫以外は何もない空間の真ん中。今は昼過ぎの休憩時間で、訓練をする時間ではない。青年も、特に何をするでもなく、普段は腰に差している教会のタウ十字が鞘に描かれた剣も地べたに投げ、寝転がっている。学術教会に駐屯する掲剣騎士の一人、レイク=K=D=ケルビンである。二十歳を過ぎた辺りの若い青年で、暗緑色の短髪。体格も騎士としては平均的な部類であり、外見にそれほどの特徴はない。しかして、彼の騎士としての実力はここ学術教会の中では一級品である。数年前に、始祖教会にある騎士学校を首席で卒業して依頼、訓練に際した模擬戦で敗北した事はない。そんな彼は、別に自主的な訓練を終えて修練場のど真ん中に寝転がっていたわけではない。


「……二年か」


 誰に聞かせるわけでもなく、レイクは呟いた。

 騎士としての修練は以前と変わること無く続けられている。しかし、それが活かされる事案は減っていた。以前は時折街の近辺にも出現していたフェルだったが、それはもう殆どない。マイラの周辺は砂漠地帯という事もあって、教会を趣を異にする勢力も近くにはない。もっぱら砂漠へ向かう研究者の護衛と街の警備が仕事となっていた。その時間の流れを思いながら、彼は時の流れを呟いたのだ。

 従盾騎士ブラインダーの叛乱、魔狼の叛乱。どちらとも呼ばれるが、とどのつまりはこうだ。古来より、鍵乙女には一人の騎士がその御身を守る盾としてつく。その騎士は従盾騎士ブラインダーと呼ばれ、鍵乙女本人に任命されてからどちらかが死ぬまでその任を全うする。従盾騎士は初代鍵乙女のそれが彼女の最愛の人であったとの言い伝えから、鍵乙女が選定する事になっている。無論、教会の最重要人物となる乙女の護衛となるのだから、教会の方でも吟味はするが、最終的な決定権は鍵乙女にある。だが二年前、当代鍵乙女のその従盾騎士が叛乱を起こした。その男はフェルの襲撃に滅んだ国の王子とも結託し、門を破壊して鍵乙女を誘拐。鍵乙女は教会の巫女と騎士団長により奪還された後、魔狼と呼ばれた従盾騎士は鍵乙女当人の手で討たれ、魂ごと浄化されたのだという。

 鍵乙女を攫い、隠れた魔狼を討つ為、多くの血が流れた。万を優に越える教会の軍勢をも、魔狼は全て屠ったという。学術教会からはその技術の粋を集めた巨大兵器と多くの騎士たちが、魔狼の潜伏していたと言われる孤島に向かったが、何一つ帰ってはこなかった。だが問題はそれだけではなかった。その運用された“巨大兵器”はあろうことか島ごと魔狼を消し去ろうとしたとの伝聞もあり、それはその場に居た鍵乙女の事を考慮していなかったのではないか、として学術教会の騎士団は糾弾され、今尚各方面の教会関係者からは白い目を向けられている。

 その事は、二年の前よりここ学術教会にいるレイクはよく知っている。が、特段気にはしなかった。あれは上層部が勝手にやったことであり、出陣した者達も上の命令に従った、それだけだ。彼もまた、多くの仲間がその戦闘に向かう事を見聞きしていたが、彼は向かわなかった。理由はただ一つ。彼が鍵乙女という存在に強い憧れを抱いているからである。当代鍵乙女、にではない。千年の昔から続く鍵乙女という存在を敬い、尊い、崇拝しているのだ。故に。


「従盾騎士なりてぇ」


 それが彼の口癖であった。二年前の叛乱という事件があったとはいえ、彼にとって従盾騎士とは幼い頃から夢見た場所なのだ。世界の安寧を守る鍵乙女。門を用い、魂の救済をするという美しい儀式を行う鍵乙女。その鍵乙女を護る。教会の領地である村や街に住む子供達の中には、そうなりたいと口にする者も多い。従盾騎士は言わば、実在する英雄なのだ。そうなる為に、レイクは騎士団に入り、人一倍の努力をした。元々剣の才能はあったのか、年月が浅いとはいえ騎士団で行われた模擬戦での黒星は存在しないというエリートだ。本人もそれを自負している。だからこそか、はばからず、彼は彼の昔ながらの夢を口にする。

 二年前の叛乱以降、当代鍵乙女は新たな従盾騎士を選定していない。教会上層部の方でもそれは問題視されており、一度各方面から騎士を集め、武術大会を開きその優勝者を、との話も出たらしいが、それはかつて魔狼を従盾騎士としてしまった手法でもあり、否定されている。他にも教会は様々な案や推薦を鍵乙女に投じたようだが、どれもこれも「必要ない」の一言で一蹴されてしまったとの事だ。何故、鍵乙女が従盾騎士を選ばないのかはわからないが、同時にレイクにとってこれは大きな好機である。彼の目指している場は今や空席。その上、訓練では無敗という、戦闘技術における自身もある。彼本人としては今すぐにでも教会総本山の方へ駆けて行きたいところであるが、肝心の鍵乙女はアヴェンシスには居ないと言われている上に、学術教会所属の掲剣騎士としては、ここマイラを自由に離れる事は出来ない。現学術教会掲剣騎士団長には何度か打診はしたが、二年前の事で立場の悪いここからそんな大それた事は今は出来ないと言われて追い返され続けている。

 短く、レイクは嘆息した。そうして剣を取り、起き上がろうと上半身を起こす。時計は持ち歩いていないが、感覚でそろそろ昼休憩が終わるとわかっていた。両足に力を込めて跳ね起きようとして。突然の轟音と地を揺るがす衝撃に転げた。無様に正面から地べたに倒れるがすぐに体を起こす。一瞬だけパニックになった頭を振って冷静さを保ち、何が起こったのかと思索しながら修練場の出口向けて走りだす。それに数瞬遅れ、彼の耳に声が届いた。肉声ではない、教会中に張り巡らされた伝達の呪術が伝える、音だ。


『マイラ南西にフェルの出現を確認! 繰り返す! マイラ南西にフェルの出現を確認! 第一から第三師団所属の掲剣騎士諸君は正門前に至急集合せよ! これは訓練ではない!』


 緊迫した様子を隠さずに、半ば怒鳴り声のような音が教会中に伝達され響き渡る。


「フェル……何ヶ月ぶりだ」


 少しの驚きを混ぜた呟きを零しながら、レイクは指示のあった学術教会正門に向けて足を急がせた。







 




 レイクが正門前に着いた頃には殆どの騎士たちが集まっていた。昼休憩の時という事もあり、地上の食堂に居た者が多かったのだろう。既に数十人の騎士たちは周辺の人払いをしており、レイクの所属するのは第一師団である。隊は必ず左側から数字の若い順に並ぶよう言われているので、レイクは急ぎ左端に集まっている同師団の仲間の元に行った。彼が騎士たちの集団の中に混ざるとともに、正門の正面に騎士団の方を向いて立つ一人の男が叫びはじめる。ここ学術教会の騎士団長だ。二年前の事件に関連し、前の騎士団長は戦死している。前任の団長と違い、現団長は規律に厳しく真面目な人柄で、とっつきにくいとの評価をレイクはしていたが、その分、任務実行の面は実に優秀であるとの見方をしている。所属の長として、有能に越した事はないが、おおらかで人当たりの良さは一級品であった前団長を思うと、どちらがいいとは言えないななどと彼は考えていた。


「以上の事により、第一師団は至急現場に急行! 第二は霊砲を運べ! 第三は第二の補助とする! 出撃だ。女神へ掲げた剣をとれ!!」


 団長の一声に、集合した全騎士が剣を抜き空を衝いて雄叫びを上げる。そのまま、レイク含めた第一師団は街の出口向けて走り始めた。誰しもが纏霊の準備はするが発動まではさせない。纏霊で得られる力を街中で出せば、周囲に被害が及んでしまうからだ。

 師団長を先頭に、広い通りを三隊縦列で進む。縁道や建物の中からは、騎士の出陣を称える声援が送られ、応えるように騎士達の雄叫びが大きくなるように感じる。団長より示されたフェルの出現場所はマイラ南西に数十キロの地点に居るという。区分はB級。獲物を求め動きまわるフェルとしてはもっとも高いランクである。フェルはその強大さによってランク付けがされており、さらに強いフェル程その行動は収まる傾向にある。その中で、こうして街に近づくタイプの中では最も強い分類が言い渡されているのだ。自然、騎士団員には緊張が走っていた。それ以上のあまり行動が活発ではないフェルとなると、それ専門に討伐する事を任とする翳刃騎士フューザーなる部隊があり、そこに回されるのだが、今現在その翳刃騎士なる部隊は存在していない。二年前に当時の団員全てが死に、それ以来再結成はされて居ないのだ。

 街の出口に差し掛かると共に、先頭の師団長に続いて団員が続々とただ広い砂漠の上に飛び出した。霊翔。纏霊の応用で自身を飛翔させる基本的な業である。第一師団の中では、剣を使い近接戦闘する部隊と霊術により遠隔攻撃をする部隊とに分かれた上で、空戦と陸戦の二つに分けられる。それぞれ得意な分野、適正というものがあるからだ。レイクは、高空での行動よりも地上、付近の方が身に合っている為、空には飛び立たず、地を蹴り走り始めた。

 纏霊した騎士は、最速で音に肉薄出来る速度を出すことが出来る。元から持つ霊力、その扱い等で最高速は各々違うが、一般的な騎士における限界が亜音速だと言われている。そこに一つの壁があるのだとか。

 そうして決して常人では出せぬ速度のまま、目標の元へ向かう騎士たちの眼にすぐ、それは見えた。一つの山のような大きさ。上半身は熊のような形態で、藍鼠色の体毛に覆わて、太い二本の腕の先には象牙色の鉤爪が四本ついている。吻の短い頭部で、閉じていない口は並びの良い牙が剥き出しで、気が立っている獣の様相。太く、厚い上半身から逆三角形に腰辺りは細く、その先は四本の脚部に繋がっている。腰の辺りからの体毛は浅緑色であり、足は腕とそう変わらない太さだが、四本ある事と、一本一本に前後四つずつの鉤爪をつけた形態で有ることが、その巨大な半身を支えているのだろうと推測される。四つの足はそれぞれで砂の大地を噛み締めるように歩を進め、真っ直ぐに騎士達の背後、マイラの方向へと向かっていた。フェルは、霊魂を求め動きまわると言われ、大きな街があればそこに近づいてくるのは必然と言えた。


「霊術隊、弓兵は高空より最大距離で狙撃せよ! 近接隊は不用意に近づかず、第一距離を維持!」


 師団長の激が飛ぶ。と共に、数百人の騎士たちが詠唱を始め、またほぼ同数が手にしていた弓を射った。無数の矢がフェルに殺到し、遅れて霊術隊の詠唱が終わる。個々の内で練られていた数百人分の霊力が開放され、大気が一瞬揺らぐ。と共に空が鳴動した。飛び交う幾つもの火の玉、唸る風の牙、音響く雷の珠、捻れる水の鏃が空を切る矢に肉薄し、フェルへ次々と着弾する。だが、フェルの歩みは止まらないどころか遅れもしない。体の前面全てに渡って矢が術が次々と命中している筈だが、毛程も気にした様子はなかった。それでも、騎士たちは怯まない。


「狙撃の手を緩めるな! 奴の顔面に攻撃を集中させろ! 近接隊は脚を崩す! 全員、突撃!」


 再び号令が轟き、レイク達近接部隊が地を蹴りフェルへ急接近する。霊術による爆発や矢の空気を突き破った音が木霊する中で、師団長の命令が届くのは、騎士たちが常に身に着けている鎧に音、この場合は師団長の声を共鳴させる呪術が仕込まれているからだ。故に、尚も隊ごとに細かな指示を与える団長の声がはっきりと彼らには伝わる。

 敵に肉薄し、レイクは改めてその大きさに少し戦慄を覚えた。彼自身、フェルと退治するのははじめての事ではない。だが、接近すると全容が全く見れない程の相手は初めてであった。それでも、臆する事無くレイクは化け物の大木の如き左前足に剣を叩き込んだ。加速してきた勢いのまま叩きつけられた刃は、見た目とは裏腹に堅牢な体毛にいとも簡単に弾き返され、レイクの腕に衝撃が返り、吹き飛ばされる。痺れる腕を堪えながら、霊翔を発動させて一旦離れるレイク。強大なフェル相手に接近し続けるのは危険だと教えこまれているからである。それもその筈であろう。一踏みで巨岩でさえいとも簡単に踏み抜きそうな足だ。一度でも蹴り飛ばされれば命はない。騎士たるもの鎧はしている上に呪術で強度を上げ、自身に纏霊もしているが、フェルは存在そのものが霊力であると言われている。掲剣騎士一人一人の攻撃など蟷螂の斧にも等しい。それ故の多数、それ故の連携。そして。


「全軍散開!」


 師団長の号令と共に、攻撃を終えた騎士もそうでないものも、狙撃班すらもが左右に分かれ撤退する。その直後、フェルの腹部に巨大な、多種多様の色を放つ光の玉が直撃した。戦闘始まって以来、初めてフェルがその動きを止めた。その巨碗で丁度抱え込める程の大きさの光の玉は、重霊砲と呼ばれる兵器からの砲撃だ。それも一砲身からではなく、幾つもの砲から放たれる霊力の塊である玉を同軌道上に打ち出し、標的を粉砕する打ち方。数メートル、フェルを後方へ押しやった所で、霊弾が爆発を起こす。七色の発光は後に粉塵を残した。

 はっと、レイクが一瞬振り返る。人間の視覚では地平線にしか見えない場所に、霊砲を運んできた第二、第三師団が見える。第二師団は霊砲を操りその砲弾の源たる霊力を注ぐ部隊。第三師団はその砲手達を護る為の部隊だ。これまでに、その重霊砲の一撃に耐えられたフェルを、レイクは見たことが無かった。だが。再度戻した視界に、それは変わらず健在していた。

 粉塵の隙間から、フェル特有の、白い孔のような眼が鋭くなるのを、レイクは確認した。同時、獣の咆哮が煙を吹き飛ばし地を震わせた。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 大音量の叫びに霊力の圧力が乗っている。音圧に、近接部隊として居た騎士たちが吹き飛ばされる。最も近い距離に居たものは、衝撃で体が砕け散ったか、鼓膜から突き破られて頭を割られたか。わからないが、たった一声で百近くの命が消え去った。

 フェルの動きは留まらない。それまで踏みしめるように歩んでいただけの大地を、蹴る。先程の大声に既に体の自由が聞かない騎士たちは、揺れる地面にさらに動きを阻害され、中には運悪く足に踏みつけられてしまう者も居る。走りはじめたフェルに危機感を覚えたのか、遠くに居て被害に合わなかった第二師団から重霊砲の各個砲撃が行われた。次々と、何色もの色を混ぜこぜにした光放つ弾がフェルに着弾する。が、四つの足は走りづらい筈の地面を苦もなく蹴り進む。第三師団から足止めを狙ってか騎士たちが飛び立ち群がりはじめた。だが、先程までただ歩いていただけの標的に斬りかかろうと集中砲火しようと意にも介さなかったのだ。それが今更、暴走する巨体に何の意味があろう。腕の一振りが、幾人もの騎士を薙ぎ払い、また駈ける脚部が足蹴にしていた。


「第一師団! 第三連隊以外は即刻支援に迎え! 動ける者だけでいい! 第三連隊は負傷者の救護を!」


 師団長が焦りをその声に滲ませながらも、なんとか命令を下す。行き合ったりばったりな、と運良く踏み潰される事を逃れたレイクは、まだ揺れの残る視界に一度頭を振って、全速力でフェルの背を追いかけた。












――同時刻。同ムーゴ砂漠内、マイラより数キロの地点。

 二つの人影が、その全身を厚いボロ布のようなローブに包んで歩いていた。歩いていたとはいっても、実際に砂の上に足運んでいるのはただ一人。もう一つの影は恐らく子供なのだろう。小さく、歩く一人が引いている木製の橇の上に座っている。子供が、この大砂漠を歩くなど自殺行為でしかなく、移動するならするで人が橇で引くというのは些か非常識ではあったが、特に子供は堪えていないようで、両足を伸ばして暇そうにバタつかせている。恐らくは橇に呪術でも仕込んであるのだろう。でなければ、いくら運ばれているとはいえ、この炎天下で子供が平然としていられる筈はない。


「暑くはないかい、ニィネ」


 前を行っていた人物が、フードを取りながら振り返り、優しい声音で橇の上の子供に声をかけた。歳は二十歳前と行ったところだろう、渋めの茶色で短めの少し癖のある頭髪。瞳の色は向日葵色。顔立ちは整っている部類だろうが特にこれといった特徴は見えず、ただ柔和な人柄に一滴の影を落としたような笑顔だ。

 ニィネと呼ばれた橇の上の子供も、習ってフードを取り、青年を赤紫色の双眸で見上げた。橇の上に居たのは、歳はも行かぬ、児童という枠に収まった少女。こくり、と青年の問いかけに頷きを返すものの、薄い唇は真一文字に結ばれたままで開こうとしない。怯えているというには瞳に動揺の類は見えず、ただ無口なのだろう。真っ直ぐな薄紅梅の髪は、カントリースタイルのツインテールで房は三つ編みにされている。

 少女の頷きは大丈夫、という返答だとわかったのだろう。青年は小さく微笑み、しゃがんで少女のフードを被し直す。


「まだ街は遠いから。これは取ったらダメだよ?」


 優しく諭す言い方に、素直に頷く少女へ満足そうに笑いかけながら、青年は今一度進行方向へ向き直り、前へ進もうとして足を止めた。

 てっきり進み始めるものだと思っていた少女が、怪訝そうに青年を見上げる。柔和な笑みを浮かべていた青年の姿は何処へか。彼は両目を細め、何処か遠くを見つめていた。厳しい視線で。視界に広がるは無限に思える程の砂地だけ。だが、青年は霊覚によって感じ取る。遠くにあるその存在を。


「フェル……近い。少し大きいな……」


 誰に言うでもなく小さく呟いた後、青年は再び振り返って力なくニィネに笑いかける。


「ごめんね。ちょっと街で休む前に、行かなきゃならないや」


 また、少女は頷きだけを返す。ごめんねともう一度小さく声をかけてから、青年は歩む方向を切り替えた。











 レイクは絶望していた。

 足元の砂地に広がる、仲間たちの残骸。壊された霊砲の破片。眼前にそびえ立つ、巨大な影。フェル。重霊砲による攻撃ももろともせず、総数二倍近くに増えた騎士たちの攻勢を受けようとも、一度たりとも仰け反る仕草を見せなかった、化物。既に戦える騎士は最初の半数だ。といっても、先程の暴走の時に半分近く減らされたのみで、それ以降はフェルの注意を逸らす為の攻撃くらいでとどめている為に、犠牲は少なく済んでいる。今は激情も成を潜めているのか、唸り声を上げて周囲を飛び交う騎士たちを牽制している。フェルにとってみれば、まるで羽虫のように飛び交うそれが少々鬱陶しくなったのだろう。完全に無視を決め込まれていないだけ事態は良好といえるのだろう。なんせ、フェルはもう既に、マイラの街が視覚で捉えられる場所まで近づいてしまったのだから。

 荒い呼吸を整え切れぬまま、レイクは剣を構え直した。こんなところでは死ねない。人々を護るため、従盾騎士になるために生きてきたのだ。心の内で、レイクは己を奮い立たせる。自分は負けなしの男なのだと。人一倍、訓練は欠かした事はない。その成果は、出ているのだと。

 霊力は、魂から生み出される命の力だ。それは霊魂を奮い立たせる事で、引き出される力。喜び怒り哀しみ楽しみ。なんでもいい。それによって心が震えるのならば。レイクの呼吸が落ち着きを取り戻した。

 騎士たちは、戦う。己一人ではびくともしない相手でも、少しでも街から距離を取らせる為に。既に数人の伝達役が学術教会の方へ戻っている。そこから援軍が、事態が重く見られればアヴェンシスの本部から支援が来るだろう。自分たちが時間稼ぎの存在にしかならないことは、この場に居る全員が理解していた。それでも、彼らは戦う姿勢を崩さず、どうにかフェルへ攻撃を加えていく。狙うは顔面のみ。そこならば、如何な通用しない攻撃であったとしても、意識を向けざるを得ない。先程までと違って、一度激昂しているのだから。だが、何度も狙い続ければフェルとて学習する。時折振り払われ、時に噛み砕かれ、騎士は徐々にその数を減らしていった。

 その間も、レイクは己の内の霊力を高め続けていた。端から見ただけならば、剣だけを構えて怖気づいているようにしか見えないだろう。今のこの状況で、それを責める人間はいない。だが、事実はそうではない。彼を注視している騎士が誰か居たのなら、その霊力量に驚いたであろう。今、彼が全身に巡らせている、纏霊している霊力は、普通の騎士の、およそ三倍。それが彼の持つ力、模擬戦無敗を記録している彼の強さだった。

 レイクの眼が、見開かれる。足が力強く地を踏み、砂が舞い上がる。飛ぶ。音を超えた先の速度で、その体は吸い込まれるようにフェルの腹部へと向かっていく。

 彼にはたった一つ、ただ一人で温めている業があった。詠唱を組むわけではない。ただ言霊に乗せて、常人よりも強い霊力を引き出す。それは、彼が従盾騎士となった時の為にとずっと一人で磨いてきた業。


「刹那!」


 顔面へと注意が逸れていたフェルの懐に、レイクが潜り込む。この場に居た誰もが、その速度に眼を剥いた。彼ら一般兵には出せぬ速さの壁を越えていた。

 縦に回転するような斬撃と蹴撃がフェルに腹部に叩き込まれる。霊力を扱う陣の基本は“円”。故に、その攻撃の型は、霊力を乗せる一撃と相性が良い。重霊砲ですらバラバラでは一ミリも押しとどめる事の出来なかったフェルのその巨体を、レイクの一撃は数メートルもの高さに浮かせた。

 浮いたフェルの左胸目掛け、レイクはその場に霊翔したまま動かず、一瞬の溜めを置き、柄を片手で突き上げる。届く筈のない上方への突き上げ。意味のない行為に見えるそれは、続く一撃への、布石。


「天撃!」


 レイクの霊力が、迸る。それは魂から体に、腕に、握る柄にそして刀身へと奔り、放たれた。剣よりも二回り程太い縹色の光線が、フェルを衝く。それは、術式を通さぬ、普通では視認できる程密には出来ぬ霊力の剣。霊光の巨刃が巨体を押し上げていく。空へ、空へと。振りかざされた剣に、空いていた片手が加わった。


「霊王剣!!」


 巨大な光刃を、雄叫びと共に振り下ろす。霊力の放出はもはや限界、だが、獣の咆哮にも負けぬ絶叫が、それに奮い起こされる魂が、彼に力を貸した。


「落ちろおおおおおおおおおおおお!!!」


 広大なる空から、フェルの巨体が振り回されて引きずり落とされる。数十メートル先で、爆発の如き砂塵が舞い、衝撃が地を揺るがした。

 霊翔していたレイクが、使い果たした力に崩れ落ちる。もはや、一片の力もなかった。落ちる彼の体を、呆然から立ち直った仲間の一人が抱え、静かに地べたに横たわらせる。

 同時、歓声が巻き起こった。騒々しい雄叫びににた、彼を讃える歓声。満足げに、浮かぶ笑み。疲れた目線が、天まで舞い上がった遠くの砂煙を追った。まさに、神業、いや奇跡と呼べるには違いない。重霊砲の集合弾でようやく押しとどめられたぐらいのものを、吹き飛ばした。騎士たちの士気が多いに上がる。士気、つまり個々の精神の高揚は、彼らの力に大きくプラスの作用を齎す。だが。それはほんの一瞬の希望に過ぎなかった。


「ヴォガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」


 絶叫。千を優に越える騎士の叫びすらかき消す、憤怒に塗れた魔獣の猛り。砂塵が吹き飛び、中からそれは翔び立った。獲物に襲い来る肉食獣の如く、獰猛に、残忍に、それは跳びかかる。己に傷をつけた、敵へと向かって。

 誰もが、歓喜も恐怖も忘れた。残るはただの呆然。迫りくる山のような体躯は、ただの災厄にしか見えぬ。いや、見てもいない。視界に写っても理解を拒む程の自失が、彼らを襲っていた。

 そう、それゆえに、誰もが気づかない。飛び上がり頂点に達したその巨獣が、己達を殺しに向かう直前の、その本の僅かな制止の間に、彼の胴に突如として出現した黄色がかった光輪に。

 いつの間にか、レイクの前に一人の青年が居た。到底騎士とは思えぬ、古びたコートに身を包んだ青年。背後しか見えぬその存在が起こしたのは、僅かな動作一つ。開いていた右手を、軽く、握り閉じる。共に、フェルを囲んだ光輪が収縮し消えた。その軌道の後に、何一つ残さず。そう、フェルの体さえも。

 二つに断裂された獣の半身が墜落する。四足の下半と、両腕の上半。この世全ての色を混ぜ込んだような黒色の血で砂地を汚しながら、二つずつの轟音と衝撃を撒き散らしながら、フェルは落ちた。

 風切り音が二つ、青年の元へやってくる。水平に伸ばした両手に、吸い込まれるように掴まれるは、二本の手斧。真っ二つにされながらも、腕だけで体を起こし、まだ唸り眼の光を失わぬフェルと、たったひとり対峙しながら、青年は背後の二人の掲剣騎士に向けて言った。


「よく持ち堪えた。後は俺に、翳刃騎士フューザーに任せろ」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ