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黒月に涙哭を  作者: 弐村 葉月
第一章 
3/88

シュウ=ラピス=オニキオス

――世界最大の大陸、ギティア。その東部の大半を所有する大国。名を、帝国ロロハルロント。外見的立憲君主制によって、千年もの昔から繁栄を保っている、世界有数の超大国である。

 数千万の人口を有し、文化レベル、兵力共に最高水準のその国の首都ポーター・レントにある、王宮ウァルヘイヤの一室に、ロロハルロント軍総括参謀長シュウ=ラピス=オニキオスは居た。色素の薄い、肩にかかりそうなくらいの茶髪。瑠璃色の瞳を手元に向けている。歳は二十歳前後と言ったところだろう。整った容姿をしているが中性的でもはなく、仕事中故か眼光はきつい。十数畳の窓のない部屋。光源は、天井一面に施された発光の呪印。シュウは部屋の出入り口の反対側の壁に背を向けて座り、部屋の横幅の八割程はあるだろう赤茶色に漆塗りされた重量感のある長机に向かっている。彼の背後と両脇の壁は4メートル程の高さがあるというのに、その天井につくまでの高さの本棚に覆われ、彼の机も足元も書類や本の山となっている。当人曰く、「多少散らかっている方が使い勝手が良い」そうだが、それを良しとしない人物も勿論いる。今まさにそう広くはない室内を羽箒片手に歩き回っている少女が、その一人だ。


「兄さん、足元を片付けるのでどいてください」


 イラ=ラピス=オニキオス。服の裾やカチューシャにあしらわれた白のフリルの可愛らしい、青紫色のメイド服に身を包んだ、小柄な14,5歳程の少女。兄であるシュウよりも濃い茶色の頭髪はレギュラーなツインテールにまとめられ、それでも肩に届きそうな長さで、小さい体と相まって忙しなく動く様は小動物を彷彿とさせる。その彼女は今、仕事中であると見受けられる兄の座る椅子と向かう机の下を掃除したいらしく、不遜にも「どけ」とその綺麗な瑠璃色の瞳を半目にして実兄を睨んでいた。参謀長とメイドというかなり立場に差がある二人であるが、お互いにそれは気にしない。元々兄妹である上に、イラはシュウの専属の世話役だからである。兄、シュウは妹には逆らえないのか、素直に椅子ごと後ろに引いた。机の下に山積みにされた本や紙の山が顕になり、イラが小さく溜息を吐いた。


「あと少しで会議だから後でもいいんだが」


 素直にどきはしたものの、シュウはそう愚痴を零す。気にせず、イラは机の下から一つの大きな籠を取り出した。それは、人の膝の高さはある大きな蔓性のもので、小柄にイラでは抱えるのも大変そうな直径である。その中には、山のような色とりどりの宝石が乱雑に詰められている。商人か貧乏人辺りが見たら飛びつくか卒倒でもしそうなものだが、あいにくこの場に居る人間は全員宝石など見飽きてしまっている上に、その正体も知っていた。重たいその中身を覗きながら、イラは唇を尖らせる。


「やっぱりいっぱいになってる」


「そうだな」


 流すように返答しながら、シュウは一度左手を軽く握ると、その掌に籠の中と同じ大きさの青い宝石を生み出した。そして、それを籠の中へと放り込む。凝縮されてはいるが、その宝石の一つ一つからは微弱な霊気が放たれている。とはいえ、イラにはそれがわかるはずもないのだが。シュウはいつも事務仕事の傍ら、こうして自らの霊力を封じた宝石を生み出し続けている。それはもう殆ど癖になっているようで、イラがこうして折をみて籠を取り出さなければ溢れかえってしまうのだ。因みに、売るわけではない。短く溜息を吐き、重たい籠を抱え覚束ない足取りのまま、シュウの背後の方の部屋の隅にその籠を置き、その隣に積み重なっている同じ造りの籠を取り出して机の下に再び据えた。その後、机の下を腰のリボンの隙間に挿していた箒で掃く。無論、いくら小柄なイラとはいえ、机の下に潜り込むには屈まなくてはならない。手にしていた書類から眼を一瞬だけ離し、シュウが一言呟く。


「パンツ見えるぞ」


「変態」


 屈んで腕を伸ばそうとしていたのを止め、一言兄に苦言を呈してから膝を折る体勢に変えるイラ。シュウは妹の暴言に慣れてしまっているのか、特に表情を変えず書類を覗きこみ、また時折生み出した宝石を籠へ投げ込んで入る。と、そんな彼にイラではない、女性の声が投げかけられた。


「シュウ君はやっぱり変態さん何ですか?」


 ゆったりとした品のある声音から、不相応な台詞が飛び出してくるのに、シュウもさすがに書類から眼を外した。視界に映るのは、書類の山の間から身を乗り出し、頬杖をついて微笑む一人の女性。限りなく青に近い水色のポニーテール。藤色の瞳。衣装は青を基調とした、腰回りがタイトな青いゆったりとしたワンピースドレス。滑らかな質感のそれは、一目で上等な生地を使っていると見て取れる。女性の顔立ちを一言で表すなら、美女。少し眉尻の下がった瞳が非常に和らいだ表情を演出している。その女性の名は、ペルネッテ=ロロハルロント=ポーター。この国の皇女である。その彼女が参謀長の部屋に平然として居て、尚且つ参謀長当人も今現在掃除中のメイドも特段驚いた様子を見せないのは、これが普段通りの光景であるからだ。それもその筈、ここに居るシュウ

=ラピス=オニキオスとペルネッテ=ロロハルロント=ポーターは、当人達の物心が芽生えた時には既に婚約者として定められていたのだから。しかしとはいえ、ペルネッテは皇女であり、先程の発言はそれに相応しくない。として、シュウは口を開いた。


「ペルネ。皇女がそういう言葉を使うもんじゃない」


「手厳しいですわ。イラちゃんにはあんなに甘いのに」


 毎度毎度のお小言に頬を膨らませるペルネッテの姿は、一見からは想像もつかない幼い表情。丁寧な言葉遣いともちぐはぐである。そしていつもの如く、シュウはそれ以上何も言わずに小さく息を吐き、左腕の腕時計に眼をやり、立ち上がった。書類とペンを机の上に置き、部屋の出口へ歩いて行く。


「あらもうお時間ですの?」


 机の前にある、半分が書類に埋まったソファに戻りながら、ペルネッテはそう聞いた。ああ、と短いシュウの返事。先程言っていた、会議の時間だ。出入り口の横にあるツリーハンガーから燕尾服の上着を取り出し、袖を通しながら、彼はもう一度口を開いた。


「ペルネも自分の部屋戻れよ。イラ、ペルネに着いてってやれ」


「行ってらっしゃいませ」


「……行ってらっしゃい」


 言うだけ言って扉に手をかけた彼の背中に届く、見送りの挨拶に手振りだけで返事をしながら、シュウは自分の執務室を後にした。










 

 外見的立憲君主制を採用しているロロハルロントには、王の他に政に直接係る組織が二つある。議会と、三役と呼ばれるものである。議会はその名の通り、選挙権を持つ国民からの投票によって決められる民衆の総意を代表する者達である。それと並び立つのが国防を一手に負う、軍部の三柱。戦争に際し、直接軍の指揮を取り自らも戦う軍団長。兵器の開発や様々な術式の構築を担う技術長。そして、各種情報収集や作戦の立案を行う参謀長の三人が三役と呼ばれ、日々一堂に会し、会議を行なっていた。場所は、王宮ウァルヘイヤの中層会の一室。10メートル四方の広さに高い天井、南の方角に巨大な窓がある部屋で、中央には直径4メートル程の円卓が置かれ、高い垂直の背もたれの椅子が三つ。室内には濃紺のカーペットが敷き詰められており、壁はごく薄い青色。中央には豪奢なシャンデリアが吊り下げられている。まだ誰も居ないその部屋の、窓から見て右手の椅子にシュウは座った。手には、8センチ程の厚さがある紙束を持っている。今回の会議の資料である。情報収集を一手に負っている彼のこの会議での役目の一つでもある。座りながら資料の再確認か、パラパラと見るともなしに捲って行く。そうしながら一枚、二枚と束の中なから取り出しては卓に並べている。後からくる二人に渡す分なのだろう、と。その行為が数分も続かぬうちに、部屋に至る両開きの巨大な扉が勢い良く開かれ、桃色の頭髪の少女が飛び込んできた。


「みんなのアイドルミッツァたんさんじょぉう! ウェヒヒ」


 ゆるくウェーブのかかったセミロングの頭髪と、裾や襟元など至る所に大仰なフリルのあしらわれた袖口の広がった服。やたらめったらに高いテンションとキンキン声で飛び込んできたその姿は、とても国防を担う為の会議に参加しにきたとは見えない。が、真実は奇なるものである。主任技術長ミッツァ。少女にしか見えない丸顔童顔に、少女趣味丸出しの服装だが、本人曰く女でも男でもないらしい。基本的に物静かなシュウは内心辟易しているが、既に慣れたものだ。無言で眼差しだけを送り、手元の資料に目線を戻す。その脇で、ミッツァは軽くリズムを刻むように手を降ると、シュウの左側、窓を背にした席が独りでに下がり、ミッツァの方を向いた。スキップでそこまで行き、体を投げ出すようにそこに座り込む。そうして背もたれに思い切り体重をかけて前足を浮かせ、椅子の二本足だけで器用にバランスを取るような座り方をする。


「あるぇー? 拳馬鹿はまだー?」


「あいつの遅刻はいつものことだ」


 一瞬だけ腕時計に眼を落としてから、シュウはばっさりと言い捨てる。拳馬鹿というのは無論、三役の残りの一人、軍団長の事である。因みに毎度毎度会議五分前にシュウが現れ、ミッツァが時刻丁度に現れる。その軍団長が現れるのは日によってまちまちであるが、大概は遅れて現れていた。しかし、今日は幾分か早いようだ。


「おいおい、扉ぐらい閉めろよな。ここはこの国を護る為の最高議会の場だぜぇ?」


 視界や耳にかからないように整えられた天然パーマの金髪を指でいじりながら、三役最後の一人が場に入ってくる。エルリーン=ラインブルー。ロロハルロント帝国軍団長にして、同国に伝わる古流空拳術の免許皆伝、齢二十幾ばくにして数々の武勇を打ち出した、国の英雄である。黒いボディースーツのような上着に、腹と手、腕に青い包帯のようなものを巻きつけ、白いズボンに青色のロロハルロント軍の紋章が大きく刻まれたマントを羽織っている。肌に密着するような上着の為、その引き締まった体が外見からでもよく分かる。おおよそ、会議の場に相当するのはその大きなマントだけだが、戦闘に行くその格好こそが正装だと、彼は言って憚らない。具足をがつがつと鳴らしながら、エルリーンはどかりと残っていた椅子に腰を下ろした。と、共にマントの内側から嫌に似合わない可愛らしい黄色の花がらの小包を取り出す。


「いやぁ、ガランシェの奴がまた持ってけって言うからよぉ。皆さんにもお裾分けしてくれってさ」


 やれやれ困ったぜとでも言いたそうな表情をしながら、エルリーンはその小包を広げ始めた。ガランシェとは、エルリーンの愛妻で、先々月の末に婚姻の儀を済ませたばかりの新婚夫婦である。その以前から毎度毎度彼女がお手製のクッキーを会議の度にエルリーンに持たせる為、いつしかこの議会にはメイド達が用意する為の軽食やお茶が出されなくなり、ガランシェがやるようになっていた。誰かが不在の場合はこの会が開かれないので、必然的にメイド達が用意する必要性がなくなる、どころかあぶれてしまうのだ。


「エルリーンの施しっていうのは気に喰わないけどガッちゃんのクッキーに罪はないからねー、ありがたくもらってやるのです」


 尊大な物言いをしながら、小包の中のクッキーを、先程椅子を操ったのと同じように指先で操り、自分の口元に放り込む。咀嚼する両頬に両手をつけて微笑む様子から、随分と美味ではあるらしい。そんないつものやり取りを横目に、これまたいつものようにシュウは資料と二人に同時に投げる。三人とも回転しながら飛ぶ紙束など見てはいないが、紙束はまっすぐにそれぞれの持つべき主のところへ、受け取る二人は見るともなしに片手で掴んだ。紙を整えるぱしっという小気味いい音を合図にか、シュウが口を開いた。


「これより三役会議をはじめる。今日の議題は前回技術長から要請があった追加予算の話と、三度前の時に出てきた“鼈甲飴”の話だが……」


 会議の進行役は常にシュウである。というよりかは、彼にしか務まらないと言っていい。ミッツァはその奇抜な姿に相違ない言動をする上に、大概自分の持分である技術班の話しかしない。エルリーンはエルリーンで二言目には拳がどうの型がどうのと空拳術関連の話に脱線する脳筋の為、結果シュウが主となって進めていくしかないのだ。元々、情報収集は参謀班の管轄でもあるので、相応しいには違いないのだが。着々と話は進んでいく。国全体、殊更他国家との問題が起きなければ、三役共同で事に当たる事はそうないからだ。審議するにしても限度がある。平時はもっぱら議会から上がってきた話を周知する程度に収まる。

 と、そろそろ会議をはじめて一時間、中弛みの頃になりそうな時、ふとシュウが進めていた会話を切り上げ資料を机に置いた。一瞬、エルリーンは何かあったのかと怪訝な顔をしてシュウとミッツァを見るが、ミッツァもシュウに習って紙束を乱雑に机に放り投げており、小さく欠伸をしている始末だ。特に自分、軍部には関係のない事と話半分で聞いていたエルリーンは、休憩時間に入ったのだろうかと焦りを見せるが、実は休憩時間に入るのはこれからであった。

 ノックもなく勢い良く会議室の扉が開け放たれる。この場に居るのは国防を担う三人のトップクラスの要人である。会議中に無許可での入室は厳に禁じられている。しかし、先頭の女性は堂々と、それも満面の笑みで室内へ足を踏み入れていた。


「アップルパイ持って来ましたー! エルくーんほめてー」


 甘ったるい声で、見た目は17,8歳と思われる美少女。麦色の髪を青いリボンでツインテールにしており、出るところが出ている体型らしくそれほどタイトには見えないカラフルストライプの丈の短いニットワンピースは少々窮屈そうであり、その上にピンク色のエプロンを来ている。両手にはピンクのキッチンミトンをつけたまま20センチ強はあろうかという、湯気立つ出来立てのアップルパイを持っている。どうやって会議室の重く大きい扉を勢い良く開けたのか甚だ疑問ではあるが、誰もその事に言及する人間はいない。女性の名はガランシェ=ターネス=コランドール。ロロハルロントの北方にあるコランドール領家の一人娘であり、エルリーン=ラインブルーの新妻である。夫婦仲は、大切な会議中にも関わらず夫の出身地の特産品を使ったお菓子を差し入れに来るくらいには良好らしい。というよりは、ガランシェがエルリーンに異様に懐き、それを彼が溺愛している様子である。当人達は良かろうが、当てられる身としては苦笑ものだ。


「今日も美味そうだなぁ、会議の時はこれだけが楽しみだよ」


 エルリーンに擦り寄るようにして彼の前に置いたアップルパイを切り分け始めるガランシェの後ろから、二人のメイドがそれぞれシュウとミッツァの元へティーセットを持って近づいていく。シュウの方には、無論世話役のイラがやって来ていた。


「今日はどちらで?」


 他人が少ないとはいえ、イラの言葉は普段よりも固く丁寧だ。公式の場故である。


「コーヒー。ブラックでも砂糖吐きそうだ」


 イラの短い質問の意味は、手にしたお盆の上の二つのティーポットと一つだけのカップ故だ。前述の通り、毎度ガランシェがクッキーを持たせるだけでは飽き足らず、エルリーンに会いたいが為に得意の菓子作りをして差し入れに来るので、イラともう一人の、ミッツァの方に向かったメイド仲間はこうして二人に飲み物を提供しにやってくる。ミッツァの方がどうだかは知らないが、シュウは基本的にその日の気分でどちらかを選ぶ。今日は無糖のコーヒーを所望した。かしこまりました、と他人行儀な定型句を述べてイラは慣れた手つきでシュウの前に置いたカップにコーヒーを注いだ。丁寧な所作故か、イラの上半身は少しだけ斜めに倒れ、シュウの顔との距離が自然と近くなる。と、同時、一瞬だけイラがシュウと視線を交わし、短く小さく言葉を紡いだ。


「ケイゼン様が及びです。火急の用だとか」


 言い切って、すぐにイラは離れ、お盆を持ち直すと一礼してすぐに部屋を退室した。程よい温度と濃さのコーヒーをすすりながら、シュウは他の二組を見やる。ミッツァは、いつ何処から持ってきたのかわからない椅子にメイドを座らせ、すっかり談笑している。そのメイドは、髪の色が薄紫な以外はミッツァとほぼ同じ容姿をしているが、どうやら双子でもなんでもないらしく他人の空似らしい。街で見つけて驚いたミッツァがノリで連れてきた少女で、名はカリナという。エルリーンとガランシェはべったべたで、あーん、などとお互いにやっている始末。ガランシェが乱入してきた時点で会議は中断、休憩時間となる上に今回は急務の議題はない。折角妹が淹れたコーヒーだからとシュウは少し早いペースでそれを飲みながら、開いた片手で捲っていた会議資料の残りをパラパラと流し見する。次回に持ち越していかの確認だ。

 ケイゼンとは、参謀長であるシュウの直属の配下の名だ。休憩時間の間に、先程のイラの言っていた用事が終われば良いが、と少し考え事をする間に、コーヒーは空になった。取り敢えず、シュウは立ち上がる。イラを使ってわざわざ伝言を寄越したのだ。つまらない用でない事だけは確かである。その辺のけじめはしっかりつけさせている自負があった。


「済まないが、少し私用で退席する。三十分経って戻らなければ解散して構わない。残りの議題は次回に持ち越させてもらう」


「あらシュウがそんなこと言うなんて珍しいング。なんかあったん? 手伝おっか?」


「おいおい、物騒な話になるならここではやめてくれよ? ガランシェが居るんだからな」


 言い切る形で既に出口の扉に手をかけていたシュウだったが、かけられる二人からの声に一旦立ち止まざるを得なくなる。少々煩わしく思ったが、それはこちらの都合だなと飲み込み、口早に返した。


「ミッツァ、気持ちはありがたいが協力が必要なら正式に要請する。エルリーン、お前と違って俺は機密には厳しい方だ。安心しろ。じゃあな」


 扉を閉める過程で了承の返事と抗議の戯言が聞こえたが、無視して急ぎシュウは自分の執務室へと歩を早めた。











「ケイゼン、詳細を」


 押し入るように執務室に戻るや否や、シュウは上着を脱ぎ、扉のすぐ横に立っていたイラに渡しながらそう告げた。少し急ぎ気味で椅子へと腰掛ける。部屋にはイラの他に二人の男と一人の女が居た。男は長机の両端、部屋の隅に立っている。一人は橙色の髪を編み込んだ黒い肌の男。身長は190くらいで180あるシュウよりも大柄だ。着ているのはかなり傷んだ青いジーンズと、迷彩柄だが緑黄色オレンジと嫌に派手な半袖のシャツをはだけている。インナーは着ていないので、肥大化はしていないが引き締まり鍛えあげられたと見える筋肉が直に見て取れる。その表情は性急に入ってきたシュウの仏頂面と違って、何が楽しいのかはわからないが口元を歪ませている。反対側に立つ男は、黒人とは正反対で青白いと見える程に白い長身痩躯の男だった。長身とは言っても、シュウよりも幾分か低いが。栗色の髪は中央で分かれ耳が隠れる程度の長さで乱れのまったくないストレート。口元は真一文字に結ばれ、眉間には皺がより、黒縁の四角い眼鏡がそれをさらに強調する。歳はシュウとそう変わらないか、少し上だろう。皺の一つも見当たらない真っ白な詰襟の服が、その堅物さを醸し出す。最後の一人は執務室の半分が資料に埋まった応接セットに足を組んで座っていた。二十代の半ば、女盛りと見える美女で、立てば背中は隠れるだろう青みがかりウェーブする長髪。先程のガランシェを上回るプロポーションで、身を包むのは胸元から臍下にまで大きく開けたボディースーツだ。脚の左右には網目状で素肌がさらに覗いている。随分と風通しの良さそうな服装である。ジョージ、ケイゼンそしてリーゼロッテ。シュウ総括参謀長の直属の幹部達である。

 シュウを呼び出したケイゼンが、命に従い説明を始めた。


「以前より鼈甲飴の流通の拠点と思われていたメゲゼ村で暴動が発生しました」


 一見して堅物なケイゼンの声音は堅く、事務的に聞こえ、外見通りのお堅く簡潔な説明である。

 小さく、シュウは舌打ちした。先程の会議でも言われていた“鼈甲飴”とは麻薬の俗称だ。どんな巨大な国だろうと、いや巨大だからこそ闇はある。鼈甲飴はその一つで、近年ロロハルロント中に蔓延しつつあった麻薬であった。その分布はまだ首都周辺にはあまり根付いていないものの、国境付近や辺境の街や村では大分流通ルートが確保されていると参謀部は掴んでいた。

 考えこむシュウに、ケイゼンはさらに報告を続けた。


「原因は、言うまでもありませんが麻薬によるものと推察されます。現地に潜入していた者の報告によれば、昼の時報を告げる村の鐘が鳴ると共に、村民の多く、それも弱齢から壮年までの男たちを中心に暴動がはじまったそうです」


 報告を聞きながら、シュウはメゲゼの状況をシミュレートする。メゲゼには三人の参謀部員を置いていた。村の総人口は1000人程。だが、メゲゼは山間に位置していて林業が盛んな場所である。力仕事であるが故に、働き盛りの男たちがかなり居ることだろう。その相当数が薬によって暴徒となっているなら、惨劇は免れない。鼈甲飴は、ただの麻薬ではない。見た目はその名の通り黄色っぽい飴玉だが、服用すれば精神高揚、幻覚症状といった基本的なものの強烈さもさることながら、問題は霊力の発現である。通常、霊力の行使にはそれ専門の修行を要するが、鼈甲飴はそれをなさずとも服用とともに強制的に霊力が発現される。本人の意志とは関係なく、だ。例えば物を掴む動作をする。通常であれば普通に行えるその動作も、霊力が発現し纏霊しているとなれば話は別になる。扱いに慣れているのならば何も問題はないが、そうでない場合は、掴んだものをいとも簡単に壊す力がその手には備わっている事になるのだ。結果、掴んだものを壊す。それが物であれ人であれ関係はない。さらに正午を知らせる鐘に反応して、というところがシュウとしては気にかかった。霊力を強制発現させる辺りから霊呪術が関連しているのは間違いないと思っていたが、そんな機能まであるとは思っていなかった。

 しかし、シュウは薄く笑った。


「ケイゼン、軍団長に通達と要請を」


「お言葉ですが、メゲゼ村はコランドール領内です。領主も不在ではありませんし、最近戦闘をした様子もありません。情報を公開して任せた方が良いのでは。本部から人員を出す程の話ではないと思いますが」


 判例に習い、ケイゼンは教科書に書いてあるような、基本に忠実な進言をした。彼の言っている事は実に的を射ている。本部の方が捜査している麻薬に関連する事件とはいえ、国全体から見れば大規模などとは呼べない、一小村の事だ。領主にも功績を上げさせる機会が無くては不貞腐れてしまう可能性もある。最近全く戦闘行為を行なっていないとなれば、兵の指揮も下るだろう。そういった意味で見れば、ケイゼンの言った事は正しい。いつだろうと彼はそうだ。規範とされている事を忠実に護り実行する。故に、シュウは彼を手元に置いていた。そういう人間も組織には必要だからだ。突飛な思考ばかりではいけない。基本という盤石な足場があるからこそ、奇抜さは立てるのだ。だがしかし、今回はシュウは自分の奇抜な策の方を採用する考えであった。薄い笑みを消さずに、シュウはケイゼンに向き直って口を開く。


「コランドール領には通達するさ。軍団長が先走って向かってしまったからサポートを頼む、とな。理由は、コランドールが軍団長婦人の実家だからだ。愛する妻の故郷の事変に居ても立っても居られず、出陣。実に情熱的だろう? 英雄にはそう言ったエピソードは必要だ」


 言って、シュウは立ち上がる。まだ会議の場を抜けだして十分も過ぎていない。まだ会議室には軍団長も技術長も居る事だろう。彼はエルリーンを熟知していた。実力的にも、単身であっても暴徒村民程度の勢力ならば安々と鎮圧してくれる事だろう。それに、日々自分の愛について語っている節がある。それは妻が対象であり、自分が対象であり、また国や民が対象であった。伝えれば自ら動く。その確信があった。


「着いて来いケイゼン。メゲゼにはお前も行ってもらう。一応事が事だ。“眼”が必要になるかもしれんからな。ジョージ、リーゼは待機だ」


 本当はケイゼンに通達と出動要請をしてもらうつもりだったが、シュウは気が変わった。恐らく会議室にはコランドール領主の娘、ガランシェも居る事だろう。二人同時に伝えたほうが、エルリーンの正義感はさらに動かしやすくなる、そういう算段だった。


「了解致しました」


「あいよー」


「はいはい」


 堅苦しいケイゼンの敬礼に、ジョージとリーゼの間の抜けた返事が聞こえる。しかし、シュウは特段気にはしなかった。上着は先程預かったイラが埃を落としてハンガーにかけ直してくれていたので、一言すまない、と言って手に取る。そうして、シュウはケイゼンを連れて再度会議室に歩を進めた。











――ロロハルロント国内コランドール領南方、メゲゼ村。


「やめて! やめてくれよおじさん!」


 少年の悲痛な叫び声が、荒れた家の中で響き渡る。部屋の隅に立ち尽くす彼の傍らには、隅っこのさらに奥に逃げようと体を縮こませる少女の姿。幼い二人の4つの眼に映るのは、一人の男。おじさん、とつい数十分前まではその二人の子供達に慕われていた筈の男だった。

 男の足元には、赤黒い何かが飛び散り、こびり付いている。血。肉。今まさにこの場で動物の解体があったと思わせる程に。それは正しい。ただ、解体されたのが食用の動物などではなく、また後に食い物になるとは思えぬ程に損壊され、微塵に砕けた骨がちぎれ飛んだ肉に混ざり、体液の海には髪の毛さえ浮かんでいた。男の体の前面は血に塗れ、口元からは髪の束が一つ、歯に挟まっているのか垂れていて、そこから涎と血が滴っている。眼は血走っているがうつろで、何処を見ているのかわからない。男の背後の木の壁には大穴が開いていて、そこからやってきたのだと思わせる。


「はーっ、はーっ」


 男はその半開きになった口から体の内の熱を吐き出すように、呼吸する。異様に大きなその呼吸音も、全ての様相が狂気でしかなかった。

 少年は、思う。どうしてこんなことになっているのか、どうすればここから逃げ出せるのか。手は、いつの間にか背後に居た少女と繋がれていた。お互いに、誰か正常な存在を求めていた。男は、少年にとって尊敬に足る親類であった。大きくたくましい体を持ち、見た目に負けず劣らずの力持ちで、がっしりとした包容力を持っていた男だった。それが、何故。恐る恐る、少年の眼が男の足元の血溜まり肉塊溜に向けられる。それは、変わり果てた、母の姿。目の前で裂かれ潰され砕けて散った、愛する母の。普通であれば少年もそして少女も気を失っても良いほど凄惨な惨劇が、つい先程まで眼前で起こっていた。だが、あまりの恐怖、あまりの非現実感に少年と少女は縛り付けられ、今尚動けずにいる。

 だがその時も、動く。一人の狂人の所作一つで。


「ひっ!」


 声を上げたのはどちらだったか。大仰かつ急な動きで、男の首は少年たちの方へ向いた。空虚に狂気だけを映した眼が、二人の姿を捉えてその体躯をゆっくりと動かし始める。

 ぺちゃり、ぺちゃり、べちゃり、ぺた、ぺた、ぺた。血肉が着いた足は、一歩距離を詰めると共に粘ついた水音を鳴らす。少年も少女ももうとっくの昔に動けはしなかった。目の前に、狂気と恐怖の塊が迫る。その脇を通り抜けるなんて思考はもはや彼方。ただただ声にならない叫びでその存在を拒否するだけだ。届くことのなき拒否を。赤く染まった大きな手が、少年の眼前にやってきた。

 幼い瞳は閉じない。そんな動作すら忘れてしまった。視界が赤に染まっていく。それは徐々に暗く、暗くなり、そして、晴れた。

 突如巻き起こった突風と轟音に、少年は忘れていた瞼を閉じる動作をし、小さな体を嬲る突風に思わず両腕で顔辺りを守る。再度開けた視界に、既に鮮血に塗れた手は迫っていなかった。代わりに見えたのは、まだ残る風にたなびく青い帯と、その帯を拳固め伸ばした腕に巻きつけている一人の男だった。


「安心しな、坊主、嬢ちゃん。もう大丈夫だ。俺様が来たからな」


 狂人に拳を打ち込んだままの構えを解き、エルリーン=ラインブルーは自身に満ちた声でそう告げた。そうして、男を突き飛ばした方向に出来た家の大穴の方へ歩いて行く。


「タウロス! その子達を村の外まで護衛しろ。他の逃げ遅れている村民も助けてだ!」


 歩みは止めずに彼は叫び命令を飛ばす。共に、男が最初に入ってきた孔からまた一人青年が現れた。エルリーンと同じ色をした金髪を逆立てているが根本が茶色い。男性にしては小柄な身長だが黒のボディースーツに浮かび上がる肉体は筋肉の盛り上がりを如実に見せ、エルリーンと同じように両腕に帯を巻いている。こちらは青ではなく朱色で、足に具足は付けず、代わりにか足袋を履き、ゆったりとした造りの青いカーゴパンツの先を足首の上で締めている。彼こそはエルリーン軍団長の腹心と名高き、副団長タウロス。エルリーンと同じく古流空拳術の使い手で、その一番弟子だ。


「了解っすエルリーンさんっ!」


 快活な返事と共に、タウロスは笑顔でまだ固まったままの少年達を誘導しはじめた。その行動を背後に感じながら、外に出たエルリーンは村内を見回す。

 村の至るところから火の手が上がり、建物の損壊跡が見受けられ、さらには地べたにも血痕が残ったりしている。血と煙の匂いが充満し、聞こえるのは悲鳴か狂気かわからない叫び声。しかし、既にここにあるのは絶望だけではなかった。逃げ惑う村民を守るように、白や茶色の鉢巻をした男たちが付き、また暴れ狂う村民と戦っている。だがその誰もがその手に剣や槍といった類の武器は持っていない。篭手や具足といった装備はあれど、刃物鈍器といった所謂“得物”は誰一人として装備していない。それもそのはずである。彼らは皆エルリーン率いる、古流空拳術部隊。全てが彼の門下生で構成された、特殊部隊である。その数五十名。だが、その全てが空拳術の手練である。シュウよりこのメゲゼ村の暴動が伝えられた時、エルリーンは迷わず彼らを率いる事を決めた。理由は唯一つ。この戦いが相手を傷つける事が目的ではない、言わば守りの為の戦いだからである。故に、先程の狂人もエルリーンは意識、体の自由を刈り取るに抑えた。部隊全員に、それは周知してある。

 エルリーンの霊覚が、荒れ狂った霊力とそうでないもの、さらに部下たち皆の霊気を捉える。その範囲は村全域に渡り、如実にその状況を掴む。自分がここに来た以上、やることは一つ。その拳で、全ての民を守る事。そう決意新たに、エルリーンは部下より遠い狂った霊力放つ者も元へ、地を踏み砕き飛んでいく。矢のごとく、音よりも速く。


 混乱と狂乱に満ちた村の上空で、一つの人影がその全ての様子を伺っていた。眼鏡の奥に光る眼光は鋭い。参謀部ケイゼンその人であった。左手には、青白い大弓が握られている。しかし彼はそれを持っているだけで射ることは愚か構えてすらいない。ただ静かに、戦場の様子をつぶさに静観し、眼鏡の左のレンズだけを怪しく光らせていた。












 同時刻、王宮内参謀長執務室。

 椅子に座り足を組んだ体勢で、シュウは机の上に展開されている“窓”を見ていた。長机の横幅と同等に、高さは天井ギリギリまである四角形の半透明な映像。四隅は先程シュウが生み出した宝石で、その中心から光の線が生まれて4つをつなぎ、その中に今まさに起きているメゲゼ村の状況を映し出していた。背後には、ジョージとリーゼロッテ、二人から離れた部屋の隅に、箒を握りしめたイラの姿がある。

 イラに淹れなおしてもらったコーヒーを一口のみ、口を潤わせてから、彼は呟いた。


「優勢、といったところか」


「優勢どころじゃないヨー。あの団長にヤる気があったらただの虐殺だヨ? コレ」


 何処か楽しげにそう言うのはジョージだ。ところどころ変なイントネーションの入る喋り方をする男である。慣れもあり、喋り方には触れずシュウは薄ら笑みを浮かべた。


「そうでなくては困る。ヤる気が有られても困る。でなくてはこの国の英雄足り得ない」


酷薄な、乾いた笑顔だが、シュウは決して窓の向こうに映る村の光景からは眼を離さない。それは、ケイゼンの眼鏡を通して映し出している光景だ。シュウの思惑通り、エルリーンは催促他提案などしなくとも、コランドール領内で暴動と聞いただけで「俺が行く」と即決しすぐに部隊を集めた。現地への移動はミッツァにその場で要請をした。技術部には、各領主の館の場所へ即座に転移出来る装置がある。その起動キーとなる術式はミッツァと国王だけが知っており、協力が必要なのだ。まだまだ調整が曖昧なものらしく、今でも緊急時にしか使用はされないが、エルリーンとその部下は迷う事なくその装置を使ってコランドール領主邸を経由、即座に現地へと赴いた。そのミッツァにシュウは内密に頼み込んで、後からケイゼンを監視役として送り込んだのである。内密に頼んだのは、参謀部から誰かをつけてば毎度毎度エルリーンが、陰謀家の小間使いだの粗探しだのと難癖をつける為である。

 戦闘に際し、有効な作戦を立てるのも参謀部の大役の一つだが、事村民の暴動程度では特段立てようもない。敵の目的はなく、統制も何もない烏合の衆が相手である為だ。それでもシュウは念の為こうして戦場の様子を伺っているのだった。


「退屈な戦場ねぇ……ジョージちょっと乱入してくればぁ? 殺さない程度に」


 間延びしているが艶めいた響きを持つ女声が。シュウの背後でそんな物騒な事を言い始めた。リーゼロッテである。大凡、映像とはいえ目の前で戦闘を見ている者の発言とは思えない。しかし、話しかけられたジョージは相変わらずの妙なハイテンションで答える。


「どっちを? って決まってるよネー! 団長サマでしょお? まああんだけ頭数だけ居れば多少は愉しめるカナぁ」


 不謹慎な部下二人の物言いだが、いつもの事である。しかしこの場にはいつもはそれを諌めるケイゼンは居ない。仕方なく、シュウは椅子を回転させ後ろに控えていた二人を見、ジョージを睨んだ。元々目つきが悪いだけあって、睨むという動作が加われば尚恐ろしい。


「そんなに戦いたいのなら、後で相手をしてやるぞジョージ」


 そんな視線だけで殺せそうな眼に捉えられたジョージの額に冷や汗が一筋流れた。慌てて、彼は中腰になりお断りと言うように両腕を伸ばす。


「え、エンリョしとくヨー……ジョージまだ死にたくナイヨー。それにイクのはリーゼちゃんのムネの中って決めてるカラネー!」


 少しは大人しくなったと思った矢先、結局はふざけた事を言い出すジョージに、シュウはやれやれと息を吐き、窓へと向き直った。


「あらジョージ、そんな事言われたら興奮しちゃうわ」


「うひょーい! エロエロだネェ! エロエロだネェ!!」


 尚も調子よく騒ぐ二人に嘆息しながら、シュウは目線を後ろ、では無く隅で固まっているイラの方へ向ける。彼女は手に持った箒を抱きしめるような形で俯いていた。視線を窓に戻しながら、シュウはまた口を開く。


「イラ、部屋に戻っていてもいいぞ。後ろの二人の会話はお前の情操教育に悪すぎる」


 その発言は兄故に妹の心配をしたものだったが、彼女は黙って首を横に振った。そう言うのであれば仕方ない、再び窓を見やるシュウ。

 その後一時間と経たずにメゲゼの暴動は収まっていた。鼈甲飴に狂わされた人々は皆、村のあちこちに倒れている。正常な村人の姿は無く、恐らくはエルリーンの部下が村の外へ逃したのだろう。村の中央にはエルリーンとタウロスに他の幹部達と部隊員が続々と集まっているところだ。どうやら、部隊の方に死傷者は見られない。周りには多くの男達に加えその半分程度の数の女も倒れている。それもその筈だ。首都に在する国の最高戦力の頂点に居る人間たちが、ドーピングされているとはいえ一般人に遅れを取るようでは話にならない。

 だが。作戦が終了し、彼らが無事に帰還するまでが任務である。エルリーンはどうであるか知らないが、参謀長であるシュウがそれを怠る筈はなく、そしてまるで予定調和の用に、イレギュラーは起こった。いや、現れた。エルリーン達空拳術部隊が集っているその数百メートル離れた、半壊した家屋の影から彼らを伺う存在。野暮ったく伸ばした髪に安っぽく汚れた服装の男。片田舎の村には良く居そうな風体であるが、この状況下で隠れて軍の者の様子を伺うなど怪しすぎる。静かに、シュウは片手を伸ばした。その手は、親指と人差し指だけが伸ばされ、銃を象っているようだ。窓の向こうのその怪しい男へ向けられている。


「バン」


 口で、その発砲音を真似する。と、同時シュウから放たれたわけもない一撃がその男の足を射抜いた。窓の左端に、白い弓が見える。ケイゼンの一撃であった。シュウはすかさず、窓をつないでいるケイゼンに支持を出す。


「そいつを連れてこいケイゼン。後の事は現地の奴らに任せろ」


『了解しました。映像を切ります』


 指示に了承の意を告げると共に、ケイゼンの宣言通り、窓は暗転し、四隅を支えていた宝石が砕け空気に溶けるように消失した。

 大きく深呼吸し、シュウは椅子から立ち上がる。ずっと座りっぱなしで合ったために、少し伸びをしてから、彼はイラの方を向いた。


「ペルネのところに行こうか、イラ。さっきアップルパイ食い損ねたからな……」


 先程の会議の際に乱入してきたガランシェが持っていたアップルパイであるが、彼女の菓子作りの技術は実はペルネッテが師匠である。だいたい会議の差し入れを作る時はペルネッテと共に作っており、シュウはそれを会議が終わってからいただく事にしていた。好みの味、というものがあるのだ。

 シュウの誘いに小さく頷いたイラを連れ、部屋の出口まで行ったところでシュウは振り返り、残りの部下二人に告げる。


「さっきの奴を地下にぶち込んだら一先ず解散だ。再集合は……二時間後地下室でな。ケイゼンにも伝えておいてくれ」


「らじゃー」


 最後まで気の抜ける返事を苦笑して受けながら、シュウはイラと共にペルネッテの元へ向かっていった。

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