妖瞳の復讐姫
アヴェンシスよりヴィノとマロナが出発して数日が過ぎた。もはや、畦道を並んで歩く二人の肩越しに、あの巨大な教会は影も形もない。周囲は広い原っぱが見渡す限り続き、ただただ、人々や馬車馬に踏まれて形成された路だけが緩やかに伸びている。天気は生憎の曇天で、今にも雨が降り出しそうな重い空。見上げるだけで憂鬱になりそうなその空を仰いで、マロナは溜息を吐いた。
「あーあ。こりゃいつ一雨来てもおかしくねーなー。なあヴィノ、どっか雨宿り出来るとこ探したほうがいいんじゃねぇのか?」
空から隣を歩くヴィノの横顔を見上げ、提案するマロナ。一月程前までは地元からも出たことのない少女が、見上げた順応力である。ヴィノ自身彼女に旅について等特段教えた事はなく、一ヶ月の間に必死についてきて勝手に覚えたのだろう。たくましいというか、ある意味天才だ。
「この近くには洞窟も森もない。村があったかもしれないが、行った事もない場所だ。日暮れまで歩けば、小さな山の中に入る。それまでに降ってこない事を祈るんだな」
淡々と、結局真っ直ぐ進むしかない事をヴィノは告げ、マロナは肩を落とした。
「うへぇー……今すぐにでも降りそうだってのに……傘持ってたっけ」
背負っていた、パンパンに膨れ上がった赤紫色のリュックを肩から外し、抱えるように持ち替え、中身を漁り始める。ヴィノがアヴェンシスを出立した日、メルシアに送られて先回りしたマロナだったが、荷物はすべて教会のスティーゴの部屋に忘れてしまっていた。仕方なく取りに戻ったのだが、これから本格的に旅をはじめるのだから、と荷物を新調し買い足したのだ。多過ぎる荷物はただのおもりになると、ヴィノから忠告を受けたのだが、あれもこれもとマロナは買い揃え、今や小柄な彼女なら中に入れそうな程大きなリュックを背負う事になっていた。明らかに邪魔なのだが、そこは変質術の使い手ロックテールの出身。必要な時以外は羽のように荷物が軽くなるよう術をかけている。まあその御陰で歩くのに支障はないついでに、中に何が入っているかをついつい忘れているのだが。
右腕を半ば程突っ込みまさぐるマロナの手が、どうやら目的の物をようやく掴んだらしい。腕を突っ込んでガサゴソと出来るという事は、整頓がなっていないのだろうが、言ってはいけない。
「あったあった。へへっ」
どうだ、と言わんばかりに得意げに、マロナは掴みとった折りたたみの橙色の傘をヴィノに見せる。ちらり、とそれを一瞥し、ヴィノが珍しく自ら口を開いた。
「……赤っぽい色が好きなのか?」
「ん? ああそうかもな。アタシのイメージカラーだからな」
リュックを背負い直しながら、マロナは答える。イメージカラー、と言われてもヴィノとしては“紅”なら何処ぞの現騎士団長のイメージの方が強いが、言わない事にした。騒々しく活動的な所は似ているような気がしないでもない。
「そういうアンタは白っちいのに黒いの好きだよな。黒コートに黒い帽子。黒ずくめって、どっか怪しく見えるぜ」
言いながら、マロナはしげしげとヴィノの服装と髪と顔や首元の肌を見比べる。とても旅を続けている人には思えない程、彼女には日焼けといったものがない。老人のしらがとは違った、艶めき光るような銀白の髪も何処か浮世離れしていると、マロナは感じていた。そして、それを覆う身の丈に少々合ってない黒のロングコートに顔を隠すキャスケット。教会で見た“アーノイス”とは偉い違いだ。まあだからこそ、帽子を目深に被り髪を束ねて隠し、自分を男と偽っているのだと、今なら理解出来るが。
「このコートは……僕のじゃない。借りているだけだ」
マロナから顔を逸しつつ、ヴィノは小さな声でそう言った。マロナの頭に疑問符が浮かぶ。物を借りるのは知り合いからだろう。ヴィノの知り合い、というと、マロナがはじめて鍵乙女の彼女と相対した部屋にいた、紅い髪の騎士と金髪の巫女くらいのものだろう。それ以外は、知人と呼べそうな雰囲気ではなかった。が、その二人が今ヴィノの来ているコートの元の持ち主とは到底思えない。
「借りてるって……一体」
誰からだ? そう続けようとした言葉は不意に途切れた。それまで、真横を歩いていたヴィノの姿がない。驚き、慌てて辺りを見回すマロナ。しかし、その姿はすぐに見つかった。何故か、マロナの数歩後ろでヴィノは立ち止まり、厚い雲に覆われた真上の空を見上げていた。
突然黙ってそうしたヴィノの元に、マロナは唇を固く尖らせて大股で向かっていく。
「おい。いきなり止まってなんだってんだよ。早く行かないと降ってくるんじゃないのかよ」
腰に手を付き、不満をぶつけるも、それに対する反応は無かった。ヴィノは、首が痛くなりそうな角度で空を睨んだまま、小さく呟く。
「………………来る」
何の事かとマロナもまた釣られて上を見上げる。
そこには鳥が居た。1羽の鳥が、雲の向こうから影を落としていた。それは、空を覆う雲の端から端にまで及ぶ程の、巨大な鳥の影だった。
鮮烈な陽光の降り注ぐ高空を飛ぶ怪鳥の嘴の上に、少女は立っていた。氷点下の風が小麦色の髪を悪戯に遊ぶ。くすんだ白色のドレスの上に、唐草模様があしらわれた胸、肩当て。指先の出ている篭手や足先までもを覆う具足を身につけたその姿、秘めた決意に満ちた暁と萌黄の二つの色をした視線は、彼女が一人の戦士である事を否応なしに知らしめる。少女の小さな手には、身の丈を超えあまりに大きすぎる大太刀が強く握られていた。
「キャンラ様」
彼女の背後、怪鳥の首元より、全身を甲冑に包んだ男が膝をつきながら声をかける。
「うん」
振り向きもせず、少女はまだあどけなさに満ちた、だが歳相応の無邪気さといったものを全て捨てた、物悲しい程にしっかりとした声で答えた。
「……ご武運を」
甲冑が、頭を垂れる。少女は、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「…………ノラル=ドゥ=キャンラ。推して参ります」
鉄の靴を履いた少女の足が空を踏み抜く。片方が、怪鳥の嘴の下を軽く蹴り、眼下の雲海へと落ちていく。妖瞳は、その先の白い仇敵を見据えていた。
「おいおいなんだよあれ。あれもフェルだってのか?」
雲に写る巨大な鳥の影を指さしながら、マロナはそう声を上げた。だが、側に立つヴィノからは何の返答もない。短気な彼女はむっとして視線をヴィノの仏頂面へ向けようとしたが、不意に彼女視界は数十センチ持ち上がった。
「な、なにすん――」
「離れてろ。できるだけ遠くにな」
マロナの抗議を遮り、ヴィノは手短にそう告げると共に、瞬時にその身に霊力を纏うと同時に彼女を思い切り投げ飛ばした。
「だあああああぁぁぁぁあ」
叫び声を上げながら、宙空へと勢い良く投げ出されるマロナ。およそ人力で投げられたとは思えない速度で、彼女の視界の中のヴィノが遠ざかっていく。その、急速に動く景色の中に、マロナは見た。何かに撃ちぬかれたように、ぽっかりと孔を開けた雲。その直下、ヴィノの元に殺到する流星の如き一つの人影のようなものを。
ヴィノと人影が接触、共に、強烈な衝撃波が大地と大気を吹き飛ばした。爆圧がマロナの体を襲い、宙に居た彼女を更におし上げ吹き飛ばす。
「ひ、主神甲っ!」
圧にもみくちゃにされる中、空から地べたへと叩きつけられる直前で、マロナはどうにか術を紡いだ。風と空気が彼女の体を包み、桃色の甲冑へと姿を変え、少女の体を守る。鉄の叩きつけられる音を何度か鳴らしながら、数度バウンドしてマロナの体はようやく止まった。術の御陰で怪我と死は免れたが、痛みまでは防ぎきれない。呻き声を上げながら、何とか四つん這いになった彼女は、ハッとして顔を上げた。
そこには、すでに平坦な草原など無く、巨大なクレーターと無数の罅が刻まれた荒野が広がっていた。
左五指から伸び右の指先て掴まれる五本の光る糸と、両手に握られた波刃の美しい大太刀の刃とが、火花を散らしながら押し合う。藤色の双眸と、暁と萌黄1つずつの瞳が、交差した五と一線を挟んで睨み合っていた。
「三月ぶりですね。鍵乙女」
「そうね。怪我は良いの? もう来ないかと思っていたけれど」
戦意に満ちた声音で、キャンラが口を開く。アーノイスの口調で、ヴィノは淡々と答えた。あまりに平坦な声が、まるで小馬鹿にされているように思え、キャンラは奥歯を噛み締めて、ギリと音を鳴らす。
「異なことを……!」
少女のオッドアイが見開かれ、二人は弾けるように競り合いを脱した。その勢いに乗り、大きく後ろへと距離を取らんとするヴィノへ、一拍遅れて、キャンラは地面を踏み砕き飛び込む。
白刃と五閃が踊る。縦横無尽、四方八方から襲いかかる極細の光の糸を、キャンラは刀で一つ一つ確実に受けながら、その見た目からは想像も付かない威力を流すように線の軌道方向へと地を蹴った。刀から腕、腕から体、足そして地面へと衝撃を逃がす。その度に激しく土片が舞い、彼女の体は左右へ大きく動かされる。一つ、二つ、三つ。それまでされるがままであったキャンラの動きが変わった。二色の眼光が見据えるは、自在な軌道をとる糸ではなく、その起点、ヴィノの左手の五本の指先。残るは、小指と親指。来る進路は、左右。一際強く、足を踏み込み、キャンラの体が飛び上がる。その下を右から通り過ぎる、四本目。即座に左へ迫る五本目に目もくれず、キャンラは空を蹴り、ヴィノの真正面へと飛び込んだ。間髪おかず、白刃の横一閃がヴィノを足元を刹那の合間に通り抜ける。だが、まるでそれを予見していたかのようにヴィノは飛びのくとそのまま、地面を舐める程体勢を落としていた少女の頭上を越え、数メートル先へと降り立った。
両者は、まるで何事もなかったかのようにゆっくりと立ち上がり、同じタイミングでお互いを向いた。
「私は、何度でも貴方を追いかけます。この王刀ノラルの刃が、貴方を貫くその時まで」
キャンラが太刀を構える。少女の細腕では重そうなそれを軽々と顔の前まで持ち上げ、刃をヴィノへと向けて左手をその峰に添える。
「それが、王家に生まれいでた私の責務。父と母の仇、今日こそ討たせていただきます!」
裂帛の気合が、それに伴い迸る霊気の圧が、気流を乱し、彼女の足元の土石を舞い上げた。
「……そう」
冷たいヴィノの返答に、キャンラは軽い一呼吸で返答する。迸る激情を、仇敵を貫く目線にのみ乗せて。
「翼の太刀。天駆の型」
宣言のようなその言葉が途切れると共に、舞い上げた土片を置き去りにキャンラの姿が没する。
ヴィノが上方を向いた。その先に、彼女は居た。雲に近い、遥か高空にて構える。顔の横まで上げた、刀を掴む右手を体ごと捻るように引き、鍔と右手を抑えるように左手に被せる構え。
「雨」
キャンラがそう呟いた、その瞬間。ヴィノは右方向へと跳ねた。ほぼ同時、ヴィノの立っていた場所で地面が穿たれ垂直に粉塵が舞う。よく見れば、その地面には刀に貫かれた痕がくっきりと残っていた。だが、キャンラの姿は影すらもそこにない。確かに、彼女はその場に突撃した筈なのに、だ。彼女は、先ほどとはまた別の場所の空に浮いていた。そして、再び姿を消す。大地が穿たれ斬り飛ばされる。繰り返す。執拗に、何度でも。それはまるで降りしきる“雨”の如く。絶え間なく大地ごと、敵を抉る、雨。
その斬撃と刺突の雨の中を、ヴィノは舞った。決して大仰な動きはしない。舞踏の足運びで、軽やかに豪雨の中を雨粒に触れぬように、時にくるりと回り、流麗な動きでその全てを紙一重で避けていく。
上空への瞬間的な移動と急降下の反復に対し、踊るような回避行動。綻びはじめたのは、雨の方だった。僅か、ほんの僅か、キャンラの動きが鈍った。降り注ぐ雨粒の一つが光る。それまで、降下の影ですら見せていなかったが、その一瞬、白刃が光を反射したのだ。察知したヴィノの動きが変わる。鈍った、落ちる刃に背を向けて避けるに留まらず、そのまま回転し、左手が、再び空へ昇ろうとする雨を叩き落とした。降雨が舞い上げたのとは別段の一撃が空高く土煙を舞い上げる。
「……乱れたな」
煙が風に攫われていく最中、ヴィノはそう呟いた。単調に思える連撃の中でも、超高速での昇降を繰り返しながら的を正確に狙うのは、負担が大きくて当然だった。晴れていく煙が、地べたに叩きつけられたキャンラの姿を顕にしていく。
彼女は、膝立ちのまま、既に太刀を振り上げていた。
「爪の太刀。猛襲の型」
左の五指から光糸を伸ばしながら、ヴィノが後方の上空へと逃れる。見据えて、キャンラは太刀握る両の手に力を込めた。
「薙!」
大きく袈裟に振るわれる刃。幾ら大太刀といえど、既に空へ逃げたヴィノに届く筈がない。だが、切っ先が地面へと触れたその瞬間。キャンラの前方の空間が大きく“薙”がれた。
五糸の細い線の防御では、空間そのものが襲いかかるようなそれを完全には防げない。地を砕き大気を揺るがす轟音と共に、ヴィノが大きく吹き飛ぶ。霊翔で体勢を整え、左手の光糸を伸ばし地面へと突き立て、それをとっかかりに降りて足で土を抉りながらブレーキをかける。
「痛み分け、とはいきませんか」
立ち上がり、額から流れる血を無造作に篭手で拭いながら、キャンラは鋭い眼光でヴィノを見た。確かにヴィノも攻撃は受けたものの、外傷はない。しかしキャンラの表情に落胆の色など欠片もなく、大太刀を両手で持ったまま、切っ先を後ろに向けるように構え直した。
「化けモンが二匹も居やがる……」
ヴィノとキャンラの戦いから離れた場所で、マロナはそう呟く。キャンラの空襲とそれを受けたヴィノによる衝撃波に酷く吹き飛ばされた彼女は、とにかく元いた方へ戻ろうと走っていたのだが、クレーターを舞台にした、とても人同士のものとは思えぬ戦いにその足を止めていたのだった。ヴィノに突然投げられた事への怒りなど霞のように消え、今はただただ遠い前方で繰り広げられるたった二人の戦争を眺める。動きが速すぎて戦いがどうなっているのか、彼女にはよくわからない。ただ、突然連続して地面が爆発し、最後に一際大きなものが起こったかと思えば、その舞い上がった粉塵ごと地面が吹き飛んでいった。ヴィノと戦っているのは、遠目でもマロナにはわかる。自身の故郷の姫なのだから。今や唯一王家にその名を連ねる、ノラル=ドゥ=キャンラ姫だ。常々、ノラルの王は万の軍勢をも屠る力を持つと聞いてはいたが、彼女は決して信じていなかった。大方、王の権威を知らしめる為の与太話だろうと。だが、あながちそれは眉唾でも何でもないのかもしれない。そう彼女は思いながら、激しさを増していく二匹の化物の殺し合いを、呆然と見つめていた。
地を蹴り空を蹴り、二人は一歩も譲らぬ攻防を繰り広げる。二人が争うのは、まずその距離だ。キャンラの得物は、己の背丈を大きく越えた巨大な太刀。普通の刀剣類よりは間合いも広いが、対するヴィノの操る光の糸はそれ以上だ。正確な攻撃範囲はわからない。純粋に霊力と術により生み出されている物が故に、大きさは自在なのだ。よって戦況は、間合いを詰めるべく攻めこむキャンラと、それを近づかせぬ為に打ち払っていくヴィノという図式。一見して己の間合いで戦えているヴィノが有利に見えるが、キャンラもまた戦いの初期の方で見せた重心移動による衝撃の緩和を上手く使い、果敢に攻めている。自身の距離ではないという事をしっかりと理解しているが故か、防御に隙もない。しかしそれでも、ジリ貧には違いなかった。
ヴィノの指先の動きがそれまでの、相手を打ち据えて弾き飛ばす為の内から外への動かし方から変化するのを、キャンラは察知する。宙を飛ぶキャンラの周囲を、五閃が包囲した。霊覚で感じる糸の先は、キャンラよりも後方。彼女に向けて翳されたヴィノの左手の五指、その全てが握られた。中央のキャンラという点に収束するように、五つの閃光がしなる。咄嗟に、キャンラは後ろへと飛び退いた。逃れなくては、叩き潰される。しかし、糸先にはまだ遠い。迫る光糸。キャンラは、太刀を器用に一回転させる事でその全部を受け、来る衝撃を身で受けて範囲から逃れた。代償に、衝撃の緩和を出来ず、斜めに落ちる。その最中で体を捻り、刀を地面へと突き立て足を踏ん張り、数メートル滑ってようやく止まった。
ゆっくりと体勢を立て直すも、刀は下げたまま、ヴィノを見据えるキャンラ。
「いいのかしら。その距離で」
「ええ。気遣いは無用です」
これまでの一連の戦闘の中で、初めて構えを解いたキャンラを訝しみ、ヴィノが問いは投げかける。両者の距離は十メートル以上。キャンラにして見れば好まざる状態だろう。が、返答は実に冷静で、彼女がまだ戦意を失ったわけでは無いことを暗に示していた。
キャンラの右手の太刀がゆっくりとした動作で持ち上げられる。その切っ先はヴィノとは水平に、真横を向いていた。そして、僅かにキャンラの唇が動き音を発する。
「ブラスト」
それは、これまでの刀術の型を口にしたのとは違う。霊術ないし霊呪術を行使する為の詠唱だった。霊力の塊が、王刀ノラルの鍔元へ出現する。人の頭部より二回り程大きな、暁の塊。
「この暁の霊力は、ノラルの王となる者に代々受け継がれる力です。私が貴女に見せるのは、はじめてでしたね」
緩やかながら重々しさを放つ動きで、キャンラが体勢を変える。ヴィノに対し半身逸らして、太刀を掴んだ右腕を大きく後方へと一直線に伸ばす。軽く開いた左手を額の前に、その下から、妖瞳でヴィノを睨んだ。
「如何なる夜をも払う、ノラルの暁。ご覧に入れましょう!」
言葉と共に、キャンラの霊気が膨れ上がる。鍔元の暁弾が大太刀の倍の直径に成長し、同時、彼女の踏み出した一歩に地面が爆ぜた。刻まれる罅がヴィノの足元に届くより速く、空気の壁を吹き飛ばし、ノラルの姫騎士は彼女の眼前に躍り出ていた。人一人は優に飲み込む暁の玉が叩きつけられる。咄嗟に上空へ飛翔したヴィノに避けられ、それは大地へと沈む。塵の一つも巻き上げず、暁光はその形の通りに土も岩も石も消し飛ばしていた。轟音と共に、再びキャンラが動く。一瞬で、彼女はヴィノよりもさらに上方の空に跳び上がっていた。ついさっきまでとは、動きの速度そのものがまるで違う。並みの霊覚では、いや、熟練の兵士だとしても瞬間移動か何かにしか思えないだろう。
暁玉を盾にするかのように、己の前方へと向けて突撃してくるそれに、即座に振り向いたヴィノの五閃の光糸が投げつけられるようにぶち当たった。だが、浅い。糸は玉を囲むような形で投げつけられたが為に、その勢いを殺せない。ばかりか、光糸が放つ圧力に乗って、キャンラは突き進んだ。
『シェイト・クローセ』
ヴィノの心唱が響き渡る。声として発して術を構成する詠唱と違い、魂で術を唱えるのが心唱だ。術と唱える言葉を真に理解した者のみに許されるそれは、霊気に乗り霊覚にのみ捉えられる。声では、“音”では遅すぎる超常の戦いの為の業。光糸が消え、共にヴィノの姿も消失する。現出した場所は、地上へ向かうキャンラの背後。掌底がその背を打ち据えた。さらに加速を付けて地表へと落ちる、その最中、地際ギリギリで、キャンラは強引に身を翻した。暁玉が、大太刀から射出されるかの如くヴィノに向けて放たれる。強大な破壊力で迫るそれは、空気を吹き飛ばしもせず消失させて突き進んでくる。迫り来る暴力の塊へ、ヴィノは右手を向けた。五本の指それぞれの先から伸びる光の糸。
地に沈むその直前で、キャンラの口元が笑みを象った。
六つに裂ける暁がヴィノを過ぎ、雲を貫く。キャンラの落ちた衝撃に天高く土砂が舞い、ヴィノすらをも土煙に隠した。
空中と地上それぞれで同時に、煙が吹き飛ばされる。ヴィノとキャンラの放出した霊気の仕業。無感動な瞳で見下ろすヴィノを捉えながら、キャンラは笑っていた。自身の攻撃はこれまで全て不発。反撃に大きなダメージは負ってない様子とはいえ、土汚れに塗れている者がする表情ではないというのに。
「ようやく……ようやく使いましたね。烙印術、そして、その右手」
満足気に、彼女はそう言う。烙印術。それが、代々鍵乙女となる者が手にする力だと彼女は知っていた。
「この世の法則を乱す霊術、呪術。その如何なる術を持ってしても届かぬのが、烙印術。あらゆる現象を開き、閉じる力。始終を司る力。万物を、一説には未知なるものだろうとも意のままにするという、あまりに法外な力」
語りながら、キャンラは足元に、大太刀の切っ先で器用に一つの印を刻む。
「貴女の左手から伸びる光の糸が閉じる鍵。右手のそれが、開く鍵。行使には壮絶な代償を負うそれを極細にし、さらには複雑にならぬよう左右に分けて使うのが、貴女の業」
印の直上へ、左の掌が向けられる。呼応するように仄かな暁光を灯すそれから、一振りの鞘がせり出し、キャンラの手に収まった。すう、と深く一呼吸置き、自然体になって刀も鞘も下ろして、キャンラは笑みを消す。一際険しくなった眼光が、ヴィノを睨んだ。それに、ただただ黙って無感情な瞳を投げ返すヴィノ。自身の手の内を網羅されている。さらには、それを引き摺りだされたというのに、表情に片鱗も出さないのは、流石と言うべきなのか。だが、先程の烙印術の反動か、小さな汗が一筋、彼女の頬をつたっていった。
「ブラスト」
そしてキャンラは呟く、二度目の詠唱を。刀の元に再び輝く暁球。ゆっくりと彼女の両腕が持ち上がり、切っ先を鯉口へと入れ、重々しく刀身を滑らせていく。途端、キャンラの周囲が爆ぜた。半径数メートルに渡り地面も空気も吹き飛ばし、彼女は宙に浮いていた。太刀が、今生み出した暁光ごと、鞘に納められた。顎を引いて、瞼を閉ざす。
「……能鷹の太刀」
納刀した太刀を己の左腰の辺りに持ち、右手を柄本の上に軽く開いて置く。左脚を引いて右足を前に出し、半身左へ向けた体勢。素人が見てもわかる。居合の構えだ。静かにキャンラのオッドアイが開き、上空に立つヴィノを凝望した。
「全力で参ります。どうか、油断なされぬよう」
「優しいのね……わざわざ忠告だなんて」
ヴィノもまた、開いた右手を開いて腕を伸ばし、その肘の上辺りを左手で触れるようにして構え、応える。
戦いの、第二幕が上がった。




