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黒月に涙哭を  作者: 弐村 葉月
第三章
12/88

讃える都市

――――愛は純粋である程美しく素晴らしい。だがそれは、狂気とともに研ぎ澄まされる―――― アヴェンシス教典、閉の書より抜粋。












 教会総本山アヴェンシス。几帳面に区画化された清廉なる都市。東西南北に一本ずつある大通りが出入り口となり、街の中心部に伸びている。かつて、後に女神となった初代鍵乙女ゼヴァンサが生まれた国のあった場所に造られたと言われているこの街はまさに聖地であり、その神聖さを守る為か派手な配色や突飛な造りの建物は見えない。唯一、街の中心に天を衝く程の大きさを誇りそびえる始祖教会グロリアだけが異様な存在感を、もはや支配力といっても良いほどの圧力を見せる。

 どれもが暗い寒色で統一され全体的に灰色の街並み。厚い曇天も相まって、踏み入った者の心を引き締める空気を纏ったそんな街の北側入り口にヴィノとマロナは辿り着いていた。


「おいおいなんだよあれが始祖教会ってやつなのか? デカ過ぎだろ」


 街の端、それこそまだ入り口にもついていない状態にもかかわらず、見上げなくてはならないその教会の天辺を見ながら、マロナは零すように言った。視線を追うようにヴィノもまた少しだけ帽子のつばを上げて一瞬だけ見る。


「アヴェンシスの街は平坦だが、教会のある場所は長い階段があって高くなっているから尚更だろう」


 言いながら、ヴィノは右手側に並んで立つマロナの方へ体ごと向いた。マロナの視界の端にそれが写り、訝しげな表情でヴィノを見上げる。何か用があるからこっちを見たのだろうというマロナの思惑に外れ、ヴィノは何も言わない。といっても数秒に満たない時間だったが、せっかちな気性のマロナには十分長く、彼女は唇を尖らせた。


「なんだよ」


 つっけんどんな物言いだが、バレシアナからここまでの道中既に一月程。その態度が決して悪感情からのみで成り立っているわけではないことくらい、ヴィノにもわかる。一つ息を吐き、返答した。


「いや、本当にここまで着いてくるとは思わなかった。故郷から出た事もなかったお嬢様が頑張ったな」


 マロナにとっては思わぬ言葉だったのだろう。鳩が豆鉄砲でも食らったような顔をして呆ける事数秒、ヴィノの台詞が若干皮肉りながらも称賛している事に気付き、腕を組んでそっぽを向く。


「ふん! 当ったり前だろ! アタシはまだアンタに殺されかけた事忘れちゃ居ねぇからな!」


 ヴィノの方は見ず、声を荒げて返事をするマロナ。ヴィノは軽く息をついて肩をすくめた。道中ずっとこんな調子であった為、もはや慣れを通り越して当然の帰結にすら思えたからだ。


「何にせよ、兄の事を調べるのだろう。翳刃騎士の事なら教会の騎士団にでも聞くといい。悪いようにはならない筈だ。見えているから迷子にはならないだろうが、真っ直ぐ進めば教会に着く。街中の騎士に話しかけても良いとは思うがな」


「あ? なんだよそれ。その言い方じゃアンタは街に入んねぇみてぇじゃねぇか」


 ヴィノの語る言葉がやけにマロナ一人を指して言うのに、彼女は目敏く気付きそう言った。見上げるように睨む視線に、ヴィノは短く首肯を返す。驚きを顕にするマロナだったが、その視線を受けながらもヴィノは踵を返し、街ではなく真横に逸れるように歩きはじめた。


「おい! アンタ何処行く気だよ!」


 ヴィノもまたアヴェンシスを目指してここまで来た事はマロナも知っている。それもあったからこそ、彼女はヴィノに付きまとってここまで来たのだ。それをいきなり何を考えているのか、憤らずには居られない。そもそも、マロナはヴィノに仕返しをする為に尾行としてきたのだから、ここに来て逃げるのを許すはずがなかった。

 駆け出したマロナが伸ばす手の先はすぐに、ヴィノのコートの端に届きそうになる。指先が触れ、同時に掴む、がひらりと舞うように飛んだヴィノを逃し、五指は虚しく空を握った。上に逃げた、と一旦静止しようとマロナは前にたたらを踏みつつも何とか転けるのは踏みとどまり、斜め上を見上げた。黒いコートの傭兵は、ゆるりと振り返り彼女を見下ろす。相も変わらず無表情で、無感動な視線が癪に障り、マロナは声を張り上げた。


「ここまで来て逃げんのかよアンタは! きたねェぞ!」


 罵りの言葉を吐くと共に彼女は地面を蹴って飛んだ。ヴィノは逃げる素振りを見せない。代わりに、静かに右手を動かし、マロナの顔の視線の先へかざした。何か、そうマロナが思考に至る前にその手の平を返して自分に向け、ヴィノは小さく呟いた。


「アーペナ・ティクレ」


 発光。ヴィノの姿を包み込むように球形の光が突如として生まれ、マロナの目をくらませると共に動きを押しとどめる。


「うわっ!」


 瞼の裏にも刺さるような強い光。直近でそれを見たマロナの視界はしばしの間奪われ、眉間に皺が寄る。両手でごしごしと目をこすり、ちらつきを少しでも消そうとあがきながらどうにか見上げた空に、既にヴィノの姿はなかった。












 始祖教会上層の一室。50平米程の白い大理石が敷き詰められた床の上に据えられた、金の装飾の施された大きな円卓を四人の男と一人の女性ともう一人童女が囲んでいた。男の四人の内の三人と女性は、アヴェンシス教会の大司祭の立場にある者だけが着る事を許されるという、白地に、背に金のタウ十字が描かれたローブに身を包んでいる。童女は、他の司祭らが来ているローブに似ているが、どうみてもぶかぶかのそれは背に十字は描かれて居らず、縁を取るように金糸が編み込まれ、首から手に収まらないだろう大きさのタウ十字のネックレスをぶら下げている。円卓を囲んでいる様子からも、その場に居る人間の格好からも、大司祭達の会議の場、と見れば誰もが思うだろうが、その童女とすぐ隣に座る赤髪の青年だけは異質だ。

 騎士のつける、無用な装飾など一切されていない鉄の肩当てと胸当て、膝当てだけを白いシャツと赤褐色のズボンの上につけ、左の肩当てからは分厚い銀色のマントが下げられ、彼の足元には人よりも巨大な無骨な大剣が、先端と両刃の片側の半分だけを覆い、刃元をベルトで固定するような特異な形の革製の鞘に収められて横にされている。凡そ聖職者には見えず、何より若い。周囲の、童女を除いた他の面々が顔に皺が刻まれつつある4,50代に見えるのに対し、彼はどうみても20代だ。だが、同時に、円卓に両足を組んで投げ出し、腕を組んで大あくびをするような尊大な態度を取るのも彼だけである。隣の、他の者が使っているより高い専用の椅子に座っている金髪の童女の方が、余程落ち着きがあった。


「――以上、先日のフェル襲撃の件の報告です」


「情けない事だな。その翳刃騎士の生き残りが居なければどうするつもりだった? もしや、また賛歌ヒュムノスでも建造していたか?」


「そんな事は良い。だが、翳刃騎士はやはり必要かもしれんな。今は、数を増やすよりも個々の能力を高めた方が良い」


「しかし、それではうちのノラルに対する守りが手薄に」


「あそこは王も王妃も二年前に討っている。我らが鍵乙女様がな」


 眉間に皺を寄せながら、司祭達は白熱した議論を戦わせる。本来であれば、騎士団の運用等はそれぞれの騎士団長が出張って会議をするものだろうが、教会では昔からフェルの突然の襲撃に備える為、各方面の騎士を統括する団長はその場から動かさず、代わりに意見を受けてその地の司祭がこの円卓会議の場に参集するようになっている。フェルの出現が減少している今でも、その体制は変わらない。騎士団の運用から教会の運営の大まかな方針の見直しなど、日によっては一日では終わらぬ重要な場なのだ。

 が、卓の上に足を投げ出したままの青年はそれをわかっているのか居ないのか、一応寝てはいないものの会議の様子を見るともなしに見ているだけだ。小さく欠伸を挟んでから、青年は首を隣の童女の方へ口を開く。


「メルシア、茶」


「グリム、お前はもう少し真面目に会議に参加しろ。また後でお義父様に怒られるぞ」


 童女は眉を顰めて小言を返すが、言うだけ言って左手をあげると、自分の肩越しから何かを呼ぶように振った。部屋の壁際にある棚がかたりと音を鳴らして反応し、ガラス張りの戸が開くと、中からひとりでにいくつかのものが音もなく飛び立って童女の前へとやってきた。茶葉も、水を注げば加熱してくれる呪術のし掛けられたポットも水瓶も二人分のカップもそこにある。


「冷たいのがいい」


「わかっている」


 普通では有り得ない、ティーセットが浮いていて、さらには一人でにお茶の準備をしているという情景に誰も疑問を投げかけたりはしない。実に日常的な光景であるのだ。その童女の姿をした、アヴェンシス教会の巫女のやることなのだから。

 やがてお湯が湧き、中身が二つのベージュ色のティーカップに注がれる。その最中にメルシアは水瓶を傾け、一滴自分の人差し指に水をつけると、その水滴で手早く円卓に小さな呪印を描く。一秒とかからず書き上げたその上にカップを、水に直接触れるか触れないかの距離で浮かせる。と、それまで立ち上っていた湯気が不意に消えた。冷却の呪印だったのだろう。ティーカップが既に微かに汗をかいている。そこまでの行程を終えてから、メルシアはようやくカップに触れ、グリムと呼んだ騎士へ差し出した。


「ほら、出来たぞ」


「サンキュー」


 無垢な子供を思わせるような笑みを浮かべ、グリムはそれを受け取り喉へ流し込む。先程まで呆れ顔であったメルシアも、それを見て童女には似合わない慈愛の感情を思わせる笑みを浮かべた。

 と、そんな和やかなのはその二人の空間だけである。議論は白熱し、二人の向かい合った席に座る司祭が立ち上がり額を突き合わせている。余程聖職者の行動には見えないが、熱心さの現れとも言えるか。


「口を開けばノラルがノラルがと! この二年何か表立った動きがあったのか? ありもしない襲撃に恐れて金を食い潰しているのはお前らのところではないのか!」


「たった二年で何か大きく変わるものか! それに動きならある! つい先日、ノラルの姫が幻獣部隊の隊長に任命されたとあった。奴らは着々と立て直しを図っているのだよ!」


 メルシアはその様子を真剣に、グリムはただ視線を投げかけるように見て、二人同時にカップの中のお茶を飲み干した。そこから二人は口を閉ざす事数秒、不意にメルシアが目配せするようにグリムを見た。彼は目を閉じて、それに応えるように卓の上から足をどけ、おもむろに立ち上がる。傍に置いていた大剣も共に担ぐと、舌戦を繰り広げていた二人の司祭も、それをなだめようとあたふたとしていた女司祭も、ただ一人腕を組んで黙考していた大司祭もグリムの方を見て一旦議論を中止した。その様子を見回してから、彼は口端を吊り上げて言った。


「熱心なところ悪いけどな司祭サマ方? 今日の会議はこれで終いにしようぜ」


 突然の中断宣言に、司祭の内の一人が眉間の皺を深めてすかさず反論する。


「ティレド騎士団長。お言葉だが、貴殿は今回の場で何か発言したか? 話を聞いていたようにも思えん。やる気がないのなら、別に出席していただかなくても結構だ。お父上も居る事だしな。事後報告で構わんのだろう? 後は私達で話を進めておく」


 ティレド、とはグリムの姓であり、またこの場には彼の実父アバン=ティレド大司祭も居る。グリムの右手側の席に座る、腕を組んだ屈強な壮年の男がそうだ。燃えるような紅い髪のグリムとは違い、白髪混じりの金髪だが、眼は彼と同じルビーの色。もう一点似ているとすれば、司祭としては不釣り合いな程に鍛え上げられた体格が、そこそこ厚い筈の司祭服の上からでも見て取れる辺りだろうか。

 だが、グリムはそんな引き合いに出された父の事など見もせずに、真っ直ぐに声を発した司祭の方を見て鼻で笑う。


「これだから俺は昔から司祭って連中が大ッ嫌いなんだよ。人が折角いい知らせを教えてやろうってのによ。ま、いいか。親父は気づいてんだろ?」


 グリムの問いかけにアバンが微かに頷く。見返すグリムと同じ色の眼は、「茶化すな」とでも言いたげなお叱りの色が見て取れ、グリムは肩をすくめた。


「今から、ここ始祖教会に居る全掲剣騎士に第三体制への移行を命令する――――鍵乙女サマの、お帰りだ」











「いらっしゃいませー!」


 アヴェンシスの街中、入り口を北側から入り教会に至るまでの一本道を中程まで進んだところにある、飯屋にマロナは足を運んでいた。


「お一人様ですか?」


「……ああ」


 店員の問いかけにマロナは力なく応える。ヴィノに逃げられ、一度はカッとなり怒り狂ったものの、誰もいない場所ではそれもすぐに薄れ、意気消沈した彼女はこうしてアヴェンシスの街中へとやってきていた。別にヴィノが居らずとも、去り際に彼女が言っていた通りにすれば、マロナの目的としては問題はない。それは彼女も一応理解はしているのだが。


「すみません、只今大変混雑しておりまして、相席となりますがよろしいでしょうか?」


 続いて投げかけられる店員の声に、マロナははじめて少し手狭な店内を見回した。外からは曇りガラスでよくわからなかったが、ビリジアンを基調とした室内には所狭しと並べられたテーブルと椅子に、半ばひしめき合うように客が座っている。カウンターを正面に見て左手側に少々細長く広がる店内では、奥の方に行くのは中々大変そうだが、数人の店員は器用に客の座る椅子と椅子との間を縫うように配膳と下げ膳を繰り返している。一見座れるような場所があるようには見えないが、店員が相席でもあるというならあるのだろう。マロナは首肯で了承の意を示した。

 「ではご案内します」と店員が頭を下げ、マロナをまた席の合間を縫って連れて行く。小柄なマロナでもひょいひょいと滑るように進む店員の後を着いて行くのがやっとである。既に昼時は過ぎて下がりに差し掛かっているというのにこの混雑具合なら、料理の味の方は信用出来そうだ、とマロナはほんの僅かに気分が上がった。一旦店員が止まり、マロナではない方に何か話している。恐らく、先の客に断りを入れているのだろう。すぐに、がやがやとした店内に凛と響く若い男の返答が返った。


「ああ構わんさ。そちらの少女が良ければ、だが」


 突然話を振られマロナが慌てて顔を上げる。席についていたのは二人の男女。どちらも二十代半ば過ぎといったところだろうか。男の方は若草のような緑色のショートで、フロックコートを着ており、丁寧そうな物腰を感じさせるが、目元から鼻を隠すような、鳥を模したようなブロンドの凝った衣装の仮面をつけている。隣に座る菖蒲色の長いポニーテールの、黒に近い紫色のエプロンドレスを着た女性は、切れ長の眼と作り物のような硬い表情も相まって、まるで彫刻のような美女。唯一、左目に黒い眼帯をしているのが珠に瑕といったところだろうか。こちらの返答を待つ男の仮面の奥の眼と、ただ様子を伺っているのか見ているのかの区別もつきづらい女性の隻眼に見られ、少しマロナは萎縮したが、一つ咳払いをしていつもの尊大な態度を取るように胸を張って答えた。


「仕方ねぇな。店も混んでるし、座れるだけありがたいよ」


 店員はそんなマロナの台詞に驚いたようだが、女性は表情を変えずただ目を閉じ男は喉の奥で笑いながらマロナに声をかける。


「それは嬉しいなお嬢さん。まあ座ってくれ」


「言われなくても。それと、お嬢さんじゃねぇ。マロナだ」


 あくまで大きな態度を取るマロナが余程楽しいのか、男は笑みを一層深めた。


「それは失礼した、マロナ嬢」


 言いながら、男は自分の傍にスタンドから革製の冊子になっているメニュー表を取り出し、マロナへと手渡す。礼も言わずに受け取り、中を開く彼女に男は続いて言葉を述べる。


「我はウィム。こちらはキュリだ。特に予定があるわけでもないので、我々はしばしの間席でくつろいでいるつもりだが構わんか?」


「あんたらが先座ってたんだ。別に文句は言わねーよ」


 メニュー表から顔は上げず、マロナはそう返事した。しばらくマロナはメニュー表を行ったり来たりしながら吟味する事数分、やがて手と声を上げて店員を呼び、注文を済ませる。後は待つばかり、とメニュー表を閉じ一息ついて不意に上げた視線が男と交差した。ずっと見られてたのか、と思い、唇を尖らせる。


「あんだよ。何かついてんのか?」


「いいや。見たところ随分と若く見えるが、一人でここへ来たのか? その派手な服装、アヴェンシスの住民ではあるまい」


 そう指摘するウィムの言葉に、マロナは自分の服装と周囲を見回した。お気に入りの赤と黒のストライプシャツにデニムのショートパンツという出で立ちの自分に対し、周囲の客は大半が灰色ないし抑え目の色彩の服を来ている。そう再認識すれば、自分の服装は少々浮いているのかもしれないと思ったが、彼女はふんと鼻を鳴らした。


「どんな格好したってアタシの勝手だろ。別に派手とは思わねぇし。まあでもここの住民じゃないってのは合ってるよ……来たのは一人じゃないけど、今は一人だ。見りゃわかんだろ」


 一人で有ることを指摘されたのが気に障ったのか、マロナはあからさまに不機嫌な表情をする。最初から仏頂面だと言えばそれまでだが、態度の刺々しさは増していた。


「そうか、それは大変だな」


「ふん……すいませーん!」


 一旦話を切ろうという魂胆か、手を上げ少し声を張り上げてマロナは店員を呼んだ。店内が混雑しているにも関わらず、思いの外素早く店員はやってきた。マロナが注文するのに付け加えるように、クオンが二人分の紅茶のおかわりを要求した。最初から空だったのか、先程の会話の合間に空になっていたのかはわからないが、どちらにせよ調子の良い人物なのだな、とマロナは頭の中で前に座る二人を評した。

 そこからしばらく三人の間に会話はなかった。相席でたまたま一緒になった自分など放っておいて二人で話せばいいものを、とマロナは注文したオムライスを頬張りながら思ったりする。しかし、ウィムの方はまだしもキュリと紹介された眼帯メイドの方はまだ一言も発していない。隻眼の眼帯でない方も滅多に開かず物静かに口と共に閉ざしている。あまりに静かなので、もしや人形か口が聞けないのかとマロナが考え始めた頃、一つの瞳が彼女を射るように見た。


「……ロックテール家。ここより北西の方角にあるノラル領内商業都市バレシアナを統治する大商人の一族。そのご息女が一人でこんなところに来るとは、一体どういったご了見でしょうか」


 続いて酷薄そうに見える薄い唇から、透き通るようなのだが淡々とした声がマロナへそう問いかけた。驚きにスプーンに乗せていたオムライスがポロリと落ちる。彼女は名前は名乗ったが姓までは明かしていない。持ち物にロックテール家の紋がされたものなど持っていない。別段隠しているわけではないが、バレシアナ内ならまだしも遠く離れたここアヴェンシスの地で家がバレるような事になるとは思っていなかった。が、知られてしまったものは仕方ない。ごまかすような必要性もないのだからいいのだ。


「あんたらさ、翳刃騎士って知ってるか?」


 マロナは食事をしながら、二人に自分がここまできた理由、翳刃騎士だった兄、マロリ=ラル=ロックテールの事を調べにきたのだと語った。見ず知らずの他人に、いや他人だからかもしれない。ここまできて突然一人投げ出された彼女からすれば、不安の気持ちが根底にあって、そこから彼女の口を軽くさせているのかもしれない。また、バレシアナでは教会の事を下手に口に出すだけで白い目で見る者も居るが、ここはその教会の膝下である。母国の長年の敵国である事は彼女自身理解はしているが、交易の許されているバレシアナ出身で有ること、兄が教会側の人間であった事もあり、特別な感情はマロナにはない。

 そういった感情の元、話を聴き終わったウィムは腕を組み、考え事をするようにしばし唇を結んだ。やがて、彼はおもむろに右手を上げると、その人差し指の先をマロナの鼻先に突きつけた。


「始祖教会に行ったら、正門の所に立っている兵に翳刃騎士の一人、スティーゴ=トゥルーガに合わせて欲しいと言うといい。今行けば奴はいないかもしれんが、その名を出せば恐らく巫女か騎士団長、もしくは大司祭が出てくる筈だ。巫女と現騎士団長は貴公の兄が戦死したアングァスト会戦に参戦していた」


「スティーゴ=トゥルーガ……?」


 聞いたことのない名前だ。いや、翳刃騎士の一人だというならマロナが知るはずもない。兄であるマロリが翳刃騎士だったというのも、風の噂に聞いた程度の認識だ。


「あんた、詳しいんだな」


 だが、疑問も残る。翳刃騎士は二年前に魔狼の叛乱に際し全員が戦死したと言われている。教会の方でそう認識されているとしたら、兵に言っても通らないのではないか。


「もしかして、あんたら教会の人間なのか……?」


 アヴェンシスに住む住民の殆どは、信者か教会関係者またその家族という話をどこかで聞いた事があった。もしかすれば、目の前の二人は教会の関係者、特に男の方は、そこそこ内部の者にも顔の効く男なのかもしれない。だとすれば仮面をしている理由にも納得が行く。そう勝手に自己完結して納得するマロナだったが、ふと気づけばウィムは口元を抑えて喉の奥で笑いを押し殺していた。


「いいや、違うな。全く関係がないわけではないが、恐らくマロナ嬢の考えているような立場の人間ではない」


 笑った笑った、とでも言うように一つ大きく息をつき、ウィムはおもむろに立ち上がった。隣のキュリも合わせて立ち上がる。


「楽しい一時をありがとう、マロナ嬢。邪魔をして済まなかったな」


「お邪魔させていただきました」


 ウィムは会釈をするように片手を上げただけだが、キュリは礼儀正しくスカートの裾を持ち上げ深々と礼をした。何故か、反射的に立ち上がるマロナ。


「お、おう。アタシも、良い事聞けてよかったよ。助かった」


 かしこまった所作はわからないが、マロナは自然と笑ってそう返す。去り際、キュリは再度一礼し、ウィムは背を向けたまま片手を上げて去っていった。

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