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黒月に涙哭を  作者: 弐村 葉月
第二章
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会食

 ウァルヘイヤ宮内最上層部の一角。時は既に夕刻過ぎ。現第一皇女ペルネッテ=ロロハルロント=ポーターは、一つの扉の前を行ったり来たり、うろうろうろうろとしていた。落ち着かない様子で、両手を組むような、手で手を包むような撫でるような動作を胸の前で繰り返しながら、若干眉を潜めている。彼女が歩いている扉の横にはイラが、気忙しい様子のペルネッテとは対照的に、手首を掴んだ両手を下げ、顎を引いいて目を瞑って直立していた。が、見えるわけではないが音と気配のうるさいペルネッテに、イラは重い溜息を吐きそうな声音で言う。


「ペルネ様、もう少し落ち着いてください。まだ2分12秒の余裕が……2分9秒ですね」


 時計を持っているわけでもましてや目を開けていないのに、イラが何故時間を秒単位で把握しているかの疑問はあって当然の筈だが、ペルネッテがそこに気づく筈もない。扉を挟んでイラと反対側に居た彼女がつかつかとイラの前にやってきて、やや大仰にその肩を掴んだ。ゆっくりとイラの目が開き、目の前の余裕のない皇女と視線を合わせる。


「だってシュウ君遅いんですもの! いつもなら五分前行動ですもの! 並べられていく料理見て使う中濃ソース選んでますもの!」


「今日はいつも引きこもりの兄さんが珍しく外に出た日ですから、色々報告もある筈です。1分36秒です」


 その後数秒黙していた二人だったが、やがてペルネッテが手の力を抜いてそのままイラの隣に行き、脱力したように壁に背を預ける。再び、イラは目を閉じながらお小言を言った。


「ペルネ様、だらしないですよ……1分2秒」


「だって、だってですわ」


 拗ねた口調で唇を尖らせる義姉となる人物の横で、イラは心の中で溜息をつきつつ肩を下げる。周囲からしっかり者と言われる皇女の面影は何処へやら、今はただただ自分の婚約者の安否を心配する一人の女性である。イラとしても、気持ちはわからなくはない。シュウは参謀長であるが故、まず殆ど城から離れない。滅多に出ない。基本的に出歩かない。たまの外出もペルネッテの公務に関する護衛か、お忍びのお出かけの際くらいだ。例え休みで自分の用事があってもイラ辺りに一任してしまう。仕事で外部の人間と会うことがあろうとも自分からは赴かない。それには立場というものがあろうが、相手が王でもない限りは大概呼びつけるくらいだ。そのくらい引きこもり体質の彼が、今日は自発的に、それもいつもは必ず伝えていく行き先をペルネッテにもイラにも告げずに出て行った。その事事態には何も言わなかった二人、とりわけペルネッテだったが、内心では驚きと心配そして邪魔はしてはいけないという思いが渦巻いていた。

 ペルネッテは、誰かを失う事に酷く敏感だ。取り立てて、彼女が悲劇の渦中に居た事があるわけではない。彼女は皇女という肩書きで何一つ不自由なく生きてきたと、本人も自覚している。だが、これまでの人生に置いて彼女は数度、家族との別れを経験していた。彼女、ペルネッテ=ロロハルロント=ポーターは今でこそ第一皇女だが、二年前までは違っていた。彼女には一人、二つ年上の姉が居た。名を、アーノイス=ロロハルロント=ポーター。十数年前、世界に唯一の存在“鍵乙女デヒューナー”に選ばれた女性だ。その為に、彼女の身柄はアヴェンシス教会の下に置かれ、保護された。仲の良かった姉妹は世界の仕組みに引き離され、会えるのは年に一度となる。そうして姉が遠くアヴェンシスへと連れて行かれてすぐに、母が死んだ。元々王妃は体が弱く、その上二人の娘を酷く愛していた彼女は、アーノイスを奪われたショックで伏せってしまったのだ。もう一つある。それは彼女が第一皇女となった本当の理由、二年前のアーノイスの勘当である。彼女は鍵乙女ではあったが、その役割の為に教会に身を置いていただけで、名はずっとロロハルロントがついてまわっていた。だが、二年前に起きた魔狼の叛逆を終えた後、一度城に帰ってきていた際に彼女は王と衝突した上で城の一角を破壊して逃亡した。それが何故だったのか、ペルネッテは知らない。それ以来、王はアーノイスを勘当し、絶縁とした。本来ならば反逆罪にでもなるところなのかもしれないが、相手は鍵乙女であり、強硬的な手段は取れない。確かに存在しているのはわかっているのに、一目会う事も一言言葉を交わす事もできなくなってしまったのだ。大切な人間を死で失う事一度、生きたまま失う事一度。人によっては、そう不幸と思える事でもないだろう。だが、大切なのは当人の受け取り方である。ペルネッテに取って、肉親二人を失っている事は、大きな傷となっていた。


「……5秒。来ました」


 イラの呟きにハッとペルネッテは顔を上げた。カツカツ、と廊下の向こう側から聞こえてくる耳慣れた足音に、彼女は破顔する。


「すまない。遅れたか」


「いいえ。お疲れ様ですシュウ君」


「2秒前です。セーフとしましょう」


 半ば駆け寄るようにしてペルネッテはシュウの腕をとり、イラが先んじて扉を開け、三人はようやく会食会場へと入っていった。

 

 会場には既に他の面々が席についていた。場所はシュウらが今朝の食事をしていたペルネッテの持ち部屋で、中央に朝使っていたそれを二つくっつけたような大きさの楕円形のテーブルが置かれ、その上にペルネッテとイラとガランシェとカリナ合作の料理が所狭しと並べられている。出席者は、料理を担当した四人に三役を足した人数だ。


「おいおい遅刻なんて珍しいじゃねぇか参謀、らしくねぇな」


「拳馬鹿と違って働いてるからねー。お疲れー」


 既に席に座っていたエルリーンとミッツァがグラスを上げながら挨拶する。エルリーンはほぼ空、ミッツァも五割くらいの中身になっていることから、前からはじめていたらしい。マナーも何もあったものではないが、この会食は別段そういう事にうるさい場ではないので誰も気にしない。ああ、と生返事だけ返して、シュウとペルネッテは席についた。


「お疲れ様です参謀さん」


「お疲れ様ですシュウさん」


 続いて、エルリーンの隣に座るガランシェと、ミッツァの後ろに立っているカリナからも挨拶を受け、会釈だけ返す。と、ペルネッテとシュウの座る席の間にイラが瓶を手に現れ、それぞれのグラスに黄金色の透明な液体を注いでいった。


「りんごの果実酒です」


「あら、では軍団長のご実家の?」


「はい! エルくんが持ってきてくれたんですよ!」


「俺は料理は出来ねぇからよ、せめてものお礼に、な?」


「エルリーンは味盲だけどこれはおいしーよー。ねぇカリナ」


「い、いえ、私が口にしていいものじゃないですぅ!」


 飛び火するように話題が膨らんでいく中に身を置きつつ眺めながら、シュウはイラに注いでもらった件の果実酒を飲む。立場が立場だけにそこそこの舌は持っているが、こと酒に関してはそこまでの興味はない。彼に至っては酔えもしないザル体質なので、自ら進んで飲む事は滅多にないのだ。それでも、その果実酒の質の良さ程度はわかる。一口吟味し、少しだけ関心したように鼻を鳴らす。


「見栄っ張りは家柄か。大したもんだ」


 貶しているのか褒めているのかわからない言葉を送りながら、シュウはペルネッテに目配せする。各々はじめているような雰囲気ではあるが、一応食事の場のマナーくらいは守らなくてはならないだろう。静かにペルネッテが立ち上がると、全員が口を閉じ彼女に注目した。


「今更、という気はしますけれど無事皆さんお集まりいただきましたので、乾杯でもいたしましょう」


 言って、ペルネッテがグラスを手に取るのに習い、席についていた皆が立ち上がる。一同の目を、乾杯には参加しないメイドのイラとカリナにも目を配ってから、ペルネッテは再度口を開いた。


「今日という日の安寧に捧げて。乾杯」


 乾杯、と全員が唱和しグラスが静かにぶつかり小気味の良い音が響き渡り、ようやっと会食は始まった。











 大概、この席で騒がしいのは三人だ。他人が聞けば何が面白いのかわからないエルリーンの話を、心底楽しそうに聞き寄り添うガランシェ。それをからかうミッツァ。頻繁に話を振られておどおどするのが、ミッツァの付き人のカリナ。それらの様子を眺めつつ、料理に舌鼓を打つのがシュウとペルネッテのいつものスタイルであった。二人の傍らには常にイラが立っていて、酒を継ぎ足したり二人からは遠い場所に置かれた料理を持ってくる。朝食の席はペルネッテの我儘でイラも席を共にしているが、それは兄であるシュウとペルネッテ以外の視線がないからである。

 とはいえ、そもそもイラは使用人という仕事をしていい家柄の人間ではない。ウァルヘイヤ宮内に幾人居るとも知れない数多くのメイドの内の一人と殆どの人間が認識し、彼女自信も基本的にはそのように振舞っているが、彼女は代々王家に仕えてきたオニキオス家の一員、貴族である。生まれだけで言えば、この場でも領主の娘であるガランシェよりも階級としては上に位置する。だが、彼女は自分自身で今の立ち位置を望んだのだ。シュウ参謀長専属のメイド及びペルネッテの侍女の一人としての立ち位置を。よって、シュウとペルネッテと王や貴族の一部の人間以外に、彼女の姓ラピス=オニキオスもシュウの妹という事も知られておらず、ただのイラとしてメイド達の中に紛れ込んでいるようなものだ。事情を知るペルネッテとしては食事を共にしていいのでは、と思っているがイラ=ラピス=オニキオスを"知らない"者も同席している為、このような形になっている。

 ふと、ペルネッテは立ち上がった。何か、とシュウは彼女を見上げるがイラとカリナを除いた他三人がそれに気づく様子はない。卓上の自分の果実酒が入ったグラスを持ち上げると、ペルネッテは自分の後ろに立っていたイラに何事か耳打ちすると、そのまま席を立って、バルコニーがある大きな窓の方へ歩いて行った。


「何だ?」


 シュウが何事かとイラに訪ねる。イラは何故かペルネッテの皿に適当な料理を盛りつけつつ答えた。


「えと……その、ご厚意です」


 珍しく言い淀みつつも表情にはどうにか出さないよう頑張っている妹を見て、シュウは事を察し、ふんと軽く息を鳴らしてグラス片手に立ち上がる。今度はイラがどうしたのかと彼を見ると、ぶっきらぼうな声が返ってきた。


「パーティの最中にパートナーを放っておくわけにもいくまい」


 言って、彼はペルネッテの後を追う。イラもまた、料理の盛り付けを倍くらいに増やして、器用に片手でバランスを取りながらその背についていった。

 深蒼のカーテンが閉められたバルコニーへの出口となる窓の前に、微笑みをたたえて立っているペルネッテの横にシュウは行き、カーテンを退けて窓を静かに開ける。


「ふふ、よく気付きましたねシュウ君」


「当然だ。この会食も何度目だと思ってる」


 ペルネッテ、シュウの順に夜空の下のバルコニーに出、少し遅れてイラがシュウが抑えている腕をくぐって出てきた。


「いつもすみません。ペルネ様」


「気にしなくていいのよ。いつも一人だけ何にも食べていないんだから」


 会食の際、毎度はじまって小一時間も立つとペルネッテはこうしてバルコニーにイラを伴って出て行く。それは、料理にレセプタントにと忙しくするイラが食事を摂る暇がないからだ。「外の風に当たりたいから」と理由をつけて食事と飲み物をイラに運ばせるのがいつも使っている手である。同じメイドの立場にあるカリナはミッツァに食わされ飲まされ半ば玩具とされているため、連れ出す必要もないというか出来ないと言おうか。


「あ、お水忘れてしまいました……」


 と、バルコニーの手すりに皿を置いたイラがそう言った。窓に寄りかかるようにして立っているシュウがハアと溜息を吐く。


「食欲に負けて慌てるからそうなるんだ」


 嫌味たらしくそう笑うシュウの言葉に、イラは恥ずかしさに真っ赤になった。


「そういうわけじゃありません! 全く兄さんはデリカシーというか配慮というものが――」


 憤慨に満ちた反論は彼女の視界に投げ込まれた何かに遮られる。突然の事にびっくりしながらも半ば反射的にそれをイラは抱きとめるように受け取った。それは20センチくらいの瓶だった。黒く見えるが、月明かりの下の事なので正しくはわからない。わからないが、それが飲み物である事くらいはすぐにわかった。


「あ、ありがと……」


 先程のやり取りからぶっきらぼうな渡し方もあるか、はたまた元からの性格故か、素直にではなく何処か搾り出すように礼を言うイラ。シュウはそれを満足そうに見やって、手すりの上にある皿からラスクを取る。かじるとそれは小気味の良い音がした。


「ああ、これがミッツァさんの言っていたツンデレというものですね!」


 ぱん、と手を叩き何か良い物でも見つけた少女のように笑うペルネッテの発言に、シュウは咀嚼していたラスクを誤って気道に入れそうになりむせ返る。


「ごほっ、ごほっ……あのキチガイ野郎、変な事を教えやがって……」


「あら、大丈夫ですか?」


「ああ……お陰様でな」


 ニコニコとした表情から一変、少し心配の色をのぞかせるペルネッテと渋面のシュウを見やりながら、クスクスとイラは笑った。

 ガラスの向こうからはミッツァらのけたたましい笑い声も漏れてくる。雲のない空には星と半分の月。彼らの居るバルコニーは、喧しさと静けさが同居していた。

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