魔法少女は卒業しました
「先生……いや先輩、修行がしたいです!」
そう言って瞳を輝かせながら私を見上げてきたのは、私が担任をしているクラスに所属する、美少女4人組。
まだ中学2年だというのにやたらと発育したその体に、私がさやかな嫉妬を覚えていることなど知りもしない彼女たちは、私に大層ふくよかな胸を押しつけながら尊敬の眼差しビームを向けてくる。
「聞いたんです、先生が昔私達と同じだったって」
その中でも、リーダー格の少女ナナミは特に目を輝かせながら私の手を無理矢理取る。
勿論私は素知らぬ表情で何の事かしらと突っぱねてみたが、残念ながら効果はなかったようだ。
「隠しても無駄ですよ!」
そう言ってズイと差し出されたのは一枚の写真。
どこからどう見てもアニメのポストカードにしか見えないが、私にとってそれは凄まじい破壊力を持った大量破壊兵器並みに恐ろしい武器だった。
「先生が、初代魔女少女『セイントプリティ』だったのはわかってるんですから!」
差し出された写真に写ったいた物、それは葬り去ったはずの私の黒歴史だった。
魔法少女は卒業しました
セイントプリティ。
それは不思議な魔法の力を使える、美少女達の総称である。
いったい何処のアニメ主人公だと突っ込みたくなるような説明だが、そのアニメのような存在が、実はこの世界にはひっそりと存在している。
『愛と正義に魔力を重ね、素敵な魔法で悪魔を倒す! 聖なる魔女、セイントプリティー!』
という恥ずかしいことこの上ない台詞を声高々にさけび、魔法の力で人を脅かす悪魔を倒す魔法少女が、この世界には、ひっそりだが存在している。
そして最悪なことに、その恥ずかしいことこの上ない台詞を地球上で最初に叫んだのは、私だった。
きっかけは14歳の春。幼なじみのミモリと一緒に、コグマのぬいぐるみを思わせる魔法動物を拾ったことだった。
14歳と言えば、中二病という言葉があるほど現実に目を背けがちで多感な時期。
そんなときに「君には不思議な力があるクマー」とかいわれたら、子供はホイホイつられてしまう物だ。
例に漏れず、私とミモリは魔法動物に言われるがまま、妙にファンシーな容姿(にもかかわらずやることはえげつない)悪魔との戦いに巻き込まれ、その後2年ほど魔法少女として戦いの日々を送った。
正直、魔法少女としての日々はそれほど悪い物ではなかったと思う。
魔法少女であることは口外は出来ないが、それが逆にスリリングでもあったし、一般人と比べれば私の青春の1ページは戦いでも恋愛でも波瀾万丈だった。
ただし輝いていたのはあくまでも過去の話。残念ながら今の私にとって、それは黒歴史でしかない。
何せ私、緑川魔里は今年でもう29だ。
その上あれだけ必死に愛と正義を守り続けたというのに、現在の私は結婚相手を半年前に奪われ、負け組の一歩手前である。
さらにその相手を奪ったのは、あろう事かパートナーとして共に悪と戦い、永遠の友情を誓い合ったあのミモリである。
『マーくんが好きなこと、親友だから言えなかったの。でもマリちゃんは優しいから許してくれるよね?』
と30手前になってもブリッコが抜けないミモリに告白されたあげく、魔法少女時代から両思いだと確信してきた結婚相手には『正直、20過ぎたあたりからお前よりミモリの方が好きだった』とまで言われて、愛と友情を信じた青春時代を黒歴史の箱に放り込まない奴がいたら私はあってみたい。
けれどこの話をするとおおむね同情票が集まるあたり、私の判断は間違っていないはずだ。
だから例え可愛い教え子の頼みでも、黒歴史まみれの想い出の蓋を開けるなんてとんでもないことだった。
それに私達の活躍に気をよくしたのか、魔法世界では中学生を魔法少女にするブームが起きているらしく、私以外にもたくさんの魔法少女OBはいるのだ。
だから絶対に私はやらない。もう二度とステッキを振り上げて『マジカルメイクアップ!』なんて声高らかに叫んだりはしない。
例え昔の写真を握られていても、絶対に魔法と恥辱にまみれた魔力の箱は開けないと私は思っていたのだ。
「先生、助けて下さい!!!!」
しかし親友にホイホイ結婚相手を奪われた私の運のなさは、伊達ではなかった。
この世の物とは思えない珍妙な触手に振りまわされる魔法少女姿の教え子達と、うっかり出会ってしまったのは、差し出された写真をシュレッダーで細切れにしたその翌日のことだった。
原因は、たまった仕事を片づけようと、ちょっと早めに学校へ出かけた事だった。
誰もいない早朝の校庭を横切り、その静けさに深呼吸の一つでもしようとしていたとき、私は奴らに遭遇してしまったのである。
『朝早くから仕事をするなんて、なんて仕事熱心な私!』なんてルンルン気分で家を出た20分前の私を、私は今すぐ殴り倒したい。
しかし残念ながら、今殴るべきは自分ではなく、校庭からにょきにょき生えた魔法少女に巻き付いている触手だろう。
今のところは彼女たちの体を引きちぎったり地面に叩き付けたりというグロテスクな暴れ方はしていないが、この状況を無視したらさすがに教師失格である。
「いっ良いところに来たクマー!」
だが少しだけ芽生えていたやる気は、突然降ってきた声に削がれてしまった。
声と台詞の情けなさはもちろんのこと、一番の原因は声と共に私の前に落ちてきたのが私の黒歴史の元凶、魔法動物クマ五郎だったからである。
この状況から察するに、どうやら教え子達の担当は、このクマのようだ。
「久しぶりねクマ五郎」
容姿もサイズも限りなくぬいぐるみに近いコグマに侮蔑の眼差しを向ければ、奴は脅えたようすで私を見上げてくる。
「久しぶりクマ。あとクマ五郎じゃなくて、アンドリュークマ」
クマの癖に無駄に立派な名前なんかつけやがって、とどうでも良いところでささくれ立ってしまうのは、こいつもまた、裏切り者の一人だからだ。
このクマとは魔法少女卒業後もずっと一緒に暮らしていたのだが、奴は3食ご飯を食わせてやっていた私に恩を感じるどころか、あろう事か彼氏とミモリの仲を私に黙り続けていたのである。
故に事実が発覚すると同時に、私はクマ五郎を家から放逐したのだ。
まさかこんな所で出会うとは思わなかったが、よくよく考えれば私の黒歴史の出所が奴だとすれば、あの写真の説明もつく。教え子達に私のことを教えたのもきっとこいつに違いない、そうに違いない。
「そっそんな怖い顔しないで欲しいクマー。それより助けて欲しいクマー」
「自分でやれば」
「それでも先生クマー!? あの子達がどうなってもいいクマー!?」
「つーか、魔法少女だったらあんな触手くらい、ズバズバっとやっつけなさいよ」
「現代っ子はマリとちがって繊細でひ弱なんだクマー!」
それで魔法少女がつとまるのかと呆れた私の前で、クマは魔法の力で見覚えのあるステッキを出現させる。
「だからマリが頑張るクマー! マリが魔法少女に変身して、あの子達を助けるクマー!」
「魔法少女って年じゃないんだけど」
「だいじょうぶ、マリは可愛いクマ! 腹だしルックもミニスカもまだまだいけるクマー!」
いけるわけがない。だって差し出されているステッキがもうすでに、ファンシーにピンクすぎて私には不釣り合いなのだ。
「ちょっと、倉庫に斧でもないか探してくるわ」
「変身して倒せばいいクマー!」
「無理、絶対無理」
と思わず断る声に力を込めていると、いつの間にか教え子達を掴んでいた触手の動きが激しくなり始めた。
きゃーとか、わーとか言いながらグルグル回される魔法少女達はまだまだ余裕がありそうだが、周囲に漂う闇の魔力が濃くなっているのは明白で、さすがの私もちょっとだけ焦る。
だが私以上に焦っているのはクマ五郎の方だった。宙を浮いていた奴は勢いよく地面におりると、触手に向けて突進していく。
だが奴は所詮クマである。それも限りなくぬいぐるみである。
振りまわされた触手にあっけなく打ち落とされ、それでも10回ほど果敢な突進を繰り返したが、結局最後は私の足下でぼろ雑巾のように倒れた。
さすがに、コレはとても切ない。
「ガッツは認めるけど無理だって……」
「同情するなら魔法少女になって欲しいクマ!」
そういわれてもと悩んでいるうちに、クマ五郎はフラフラになりながらも更なるガッツを重ねていく。
ここまでの男気があるならミモリと彼氏との仲を私に話すくらい造作もなかったろうにと思いつつも、さすがにこのまま傍観するには私と奴との付き合いは長すぎる。
「さすがにあんたじゃ無理だよ」
「わかってるクマ、でもあの子達は本当にダメっこ何だクマ! このままじゃ触手プレイの餌食クマ!」
「今プレイって言った?」
「マリはもっと違うところを気にするべきクマ!」
教師として今の発言は無視できないよと内心で突っ込んでから、私はクマ五郎の頭を掴む。
「もうそこら辺にしときなよ。さすがに死なれたら寝覚めが悪いし」
「じゃあ!」
「1回だけ。1回だけだから」
途端に、クマ五郎が私の足に抱きついた。
「やっぱり持つべき物は友達クマ!」
「それには激しく同意できないけどね。つーか、あんたのことを許したわけじゃないから」
と睨めば、クマ五郎がはっとした顔で私の前にはいつくばる。
足と手が短すぎて様になっていないが、多分土下座のつもりなのだろう。
「俺が悪かったクマ。あのときの償いはちゃんとするクマ」
「クマに償われても」
「俺はこう見えて出来る男クマ! マリのお願いならどんな物でも叶えるクマ!」
全く期待できない台詞だが、そのあまりの必死さにはこちらが折れざるおえない。
「わかったから、とにかくほら、ステッキよこしなさい!」
「久しぶりのマリのミニスカクマ!」
若干期待の方向がずれている気がしたが、ここで家に帰ったらさすがに人として大事な物を失いそうだ。
だからしかたなく。本当に仕方なく、ついに私は折れた。
「何度も言うけど、一回だけだからね!」
いいながらクマ五郎の腕からスティックを取り上げれば、クマ五郎は泣かんばかりの勢いで喜んでいる。
それを視界の外に蹴り飛ばしながら、私はさっさと事を終わらせるべく、さっそく内なる魔力を高めた。
久しぶりの変身だが、意外とコツは忘れていないようだ。
変身に必要な魔力はあっという間にたまり、その恥ずかしい瞬間は訪れた。
「マ、マジカルメイクアップ!」
恥ずかしい、あまりに恥ずかしいがなんとか最初の難関を乗り越えると、魔法はあっけなく発動した。
ユニクロで固めたシンプルなデニムとTシャツは光の粒子となって消え失せ、代わりに黒を基調としたフリフリでロリロリなコスチュームが姿を現す。
とはいえさすがの魔法も空気を読んだのか、若干だがデザインが大人向けになっている気がする。とはいえ明くまでも若干なので痛々しいことにかわりはないが。
「マリ、そこで決めポーズクマー」
「ええっそれも?!」
「ほら、みんなも期待してるクマ!」
いつの間にか、悲鳴も忘れてこちらを凝視しているのは我が教え子達である。
キャーキャー拍手する余裕があるなら自分で抜け出せと言いたいが、ちゃんと変身できたことに、ちょっとだけいい気になっていたのは否めない。
だからついついステッキを振り上げ、私はかつての決めポーズをとってしまう。
「愛と正義に魔力を重ね、素敵な魔法で悪魔を倒す! 聖なる魔女、セイントプリティーブラック!」
ここに見参、と余計な一言まで突けてポーズを決めれば、わき起こるのは教え子達からの歓声と拍手だ。
その喜びようにはたと我に返ったが、恥ずかしがっている余裕はなかった。
新しい敵を察知してか、地中からラフレシアのような植物怪獣が派手に現れたからである。
そのあまりのでかさに悲鳴を取り戻す教え子達。だが私にとっては造作もない相手だ。
現役時代は富士山に憑依した悪魔と戦ったこともある私である。こんな奴は小物かそれ以下だ。
むしろ問題があるとすれば、派手にめくれ上がった校庭を誰が元に戻すのかと言うことくらいである。昔はそんなことも考えず派手に暴れ回った物だが、大人になると後始末をさせられる方々の苦労ばかりが気になってしまう。
だがそうはいっても、地味に叩いて倒せる敵でないのも事実。ここは技の一つでも繰り出さねばなるまい。
「クマ五郎、マジカルストーンは?」
「もちろん持ってるクマー」
と言いつつクマ五郎が私に投げてよこしたのは、赤い輝きを放つ掌サイズの宝石。
それをステッキに装着することで、叩くしか能のないステッキを破壊力抜群の武器に変化させるのが魔法少女セイントプリティの必殺技である。
まあコレにもまた掛け声が必要なので、色々と恥ずかしいのだが。
「煌めけ愛の力! 悪を貫く矢となりて、闇の心を光の心へ!」
中学時代に何百回と唱えた呪文と共に、私はステッキの形状を弓へと変える。
「セイントプリティーアローーーー!」
再び恥じらいが戻る前にと、私は引き絞った弓から一気に矢を放った。
放たれた矢は炎帯びた竜へと代わり、その体当たりをもろに喰らったラフレシアはあっけなく焼き尽くされていく。
同時に捕まっていた教え子達は魔法少女らしい可愛らしい跳躍で触手から逃れた。
さすがに逃げ足はちゃんと速い。勿論褒められた物ではないが。
「先生が来てくれるって信じてました!」
焼き死んでいくラフレシアをバックに、私へと抱きつく教え子達。
ちょっとした感動シーンに、ついつい恥じらいより誇らしい気持ちが高まってしまうのが悔しい。
ありがとうありがとうと飛び跳ねる彼女達の喜びに嘘偽りはないようだし、少し離れたところでクマ五郎が喜んでいるのを見ると、少し嬉しいとまで思ってしまう。
とはいえここで甘やかすと自分のためにならないので、私は教え子達の頭を順番にこづいていく。
「あんな雑魚相手に苦戦してんじゃないわよ」
「言われなくてもわかってますよぉ」
と拗ねたのはリーダーのナナミだ。
「私達も悔しいんです。今年選ばれた魔法少女の中でも、最弱チームとか呼ばれてるし」
4人もいてあの体たらくでは、馬鹿にされてもおかしくない。
「だからこそ、先生に修行をつけて貰おうと思ってたんです!」
「むしろチームに入って頂きたいですわ!」
「5人だと丁度良いよねー!」
「先生と、一緒に戦いたい」
となにやら勝手に騒ぎ出す教え子達。
もちろんその提案は却下だ。
「絶対嫌」
「でもノリノリでステッキ振ってたクマー」
「それは昔の癖が出ちゃっただけ!」
「いや、前以上にノリノリだったクマー」
というクマ五郎を足で踏みつければ、奴はようやく黙る。だがそれが、何故だか教え子達に大受けだった。
「アンドリューとの息もぴったりだし、ぜひ一緒にやりましょうよ! っていうかこの子、先生に追い出されてからスゴイ傷心してたんですよ」
妙に興奮しながらそう言うナナミと、それに頷くクマ五郎に、勿論私は呆れた。
「自業自得でしょ」
「いやいや、むしろ私達が弱いのってその所為もあるんですよ! アンドリューのやる気が落ちて強い魔石が出せなくなったから、必然的に私達もパワーダウンで」
「でもさっき出したじゃない」
「先生だからですよ! っていうかむしろ先生のせいで最弱になってるんですから、協力してくれるべきです!」
いつの間にかお願いが脅迫に変わり、ナナミは私の腕をガシッと掴む。
「コーチでも良いんです! とにかく私達に協力してください!」
「コーチって……」
「あと、アンドリューにご飯も食べさせてあげてください! この子、ホームレスと一緒に炊き出しの列に並んでるんですよ!」
そんな切ない話は聞きたくなかったが、たしかに言われてみるとクマ五郎の体は前よりかなり薄汚れた気がする。
「ってか、魔法生物であることは一般人に秘密なんじゃないの?」
「背に腹は代えられないクマー」
とかいいつつ、私の足の裏からはい出たクマ五郎は、もう一度土下座のポーズをとる。
いけ好かない奴だが、無駄に可愛らしい容姿でそんなことをされるとやっぱり無下にしずらい。
それにちょっとだけ。本当にちょっとだけだが、コーチという響きに私の心が揺れたのは事実だ。
「……変身はもうしない、って条件なら」
直後、教え子とクマ五郎が勢いよく私に抱きついてきた。
「先生大好きです!」
「俺もマリが大好きクマー!」
きゃははうふふと大騒ぎする一同に呆れつつ、やっぱり安請け合いしすぎたなと私は既に後悔し始めていた。
結局、黒歴史の蓋を半ば強引に開けられてしまった私は、その夜クマ五郎を家に連れて帰るハメになった。
「やっぱり、マリの味噌汁が一番うまいクマー」
そのうえ夕食はコンビニ弁当で手を打ちたいところ、こいつにどうしても手料理が食べたいと頭を下げられ、こうして味噌汁と生姜焼きまで作らされている。
「炊き出しより?」
「勿論クマー」
と言いつつ生姜焼きを頬張るクマを眺めながら、何となく切なくなったのは奴が使っているのが恋人のマモルが使っていった茶碗と箸だからだ。
クマ五郎の使っていた茶碗は捨てられたが、彼の持ち物は未だに捨てられずにいた。だから今、奴が使っている食器は全て彼の物で、それがなんだか心に痛かった。
「マリ、なんか辛いクマー?」
お前の茶碗の所為だと言ってやっても良かったが、こいつに当たったところで私の気は多分晴れないだろう。
だから何でもないと誤魔化して、私は自分の生姜焼きをつついた。
「なあ、なんかあったクマー?」
しかしクマ五郎はいつにもましてしつこい。
「何でもないわよ」
「でも辛そうクマー」
しかたなく、独り身のつらさをかみしめてるだけだというと、クマ五郎が不自然なタイミングで箸を置く。
「どうしたの?」
「言ったクマ、マリのお願いなら何でも聞くって」
「なに、まさか魔法で恋人でも出してくれるわけ?」
冗談を口にして、クマの男気を笑い飛ばそうとしたとき、奴は突然立ち上がった。
「俺が、責任とるクマ」
途端に、私は飲んでいた味噌汁をクマ五郎の顔面向けて拭きだしてしまった。
だって小さなコグマが、それも限りなくぬいぐるみに近い容姿のクマが責任取るとか言っているのである。
「冗談はいいから」
「冗談じゃないクマ」
「ってか取られる方の事も考えなさいよ。クマのぬいぐるみと結婚とか、これ以上痛い女になりたくないわ」
「実は俺、人間にもなれるクマ」
だからちょっと待つクマ、顔洗ってくるクマ、と洗面所に向かうクマ五郎。
それをぼんやり眺めていたとき、不意に以前知り合った魔法少女仲間との会話を私は思い出した。
「最近の魔法動物って人間になれるらしいわよ! それもみんな凄いイケメンで、その所為で友情が破綻しちゃう魔法少女のチームが多いんだって!!」
と笑いながら、コレがそうだと見せられた写真には、確かに凄まじいイケメンが写っており、ウチのクマもこうだったらとうっかり思った事があったのだ。
「でも、まさかそんな……」
クマ五郎に限ってそんなと思いつつ、妙にそわそわしてしまう自分が憎い。
もしもクマ五郎があの写真のような人間だったら、前の彼氏なんて遠く及ばない相手だ。
そう言えばあれでも魔法世界のプリンスだとか言ってたし、むしろ玉の輿である。
気がつけば、私はイケメンクマ五郎で様々な妄想をしてしまった。今朝までは魔法少女に関する全てにウンザリしていたのに、正直それも忘れる勢いだった。
「ありかも」
うん、ありだ。むしろ大ありだ。性格も、尻に敷くには申し分ないし、ご飯も美味しいって食べてくれるし。
「マリ?」
何て考えていると、聞き覚えのない低い声が私の名前を呼んだ。
正直、いい年して胸まで高鳴ってしまった。クマ五郎の時の妙に甲高い声とは違い、耳に心地良いその声は妙に色気がある。
「クマ五郎?」
「アンドリュー」
と言う男に視線を向けて、そして私は、息をのんだ。
「チェンジで」
「酷いクマー!」
と私に詰め寄るその男は、正直、全然タイプじゃなかった。
妄想の中のイケメンと、これっぽっちも似ていなかった。
「何がクマーよ、むっさい顔して!」
「むさいとは酷いクマー!」
と言うクマ五郎は、まさしくクマ五郎。コグマと言うより大熊だ。
どうやら私は、夢と希望をことごとく打ち砕かれる運命にあるらしい。
「魔法動物って言ったら、普通もっと若くてピチピチしてキラキラした美青年に変身するもんでしょ!」
「髭を剃ったら結構イケメンクマ。それに出会った当初はピチピチだったクマ! ただほら、あれから15年クマ? 俺もいい年クマ」
「いくつ?」
「40クマ」
「チェンジで」
「さっき、ありかもとか言ってたクマ!」
「だって、クマーとか喋る40のおっさんが出てくるとは思わなかったんだもん!」
「酷いクマ! それにこの口調は、これから頑張って直すクマ!」
酷いのはそっちである。むしろ無駄に期待させた事をこいつには謝罪して欲しい。
「あーあ、なんか黒歴史がもう一個増えた気分」
「……そんなに嫌クマ?」
けれど私の悲しみにも気付かず、むしろ私以上にクマ五郎は凹んでいる。
図体はデカイが、悲しげに背中を丸めるその仕草はぬいぐるみの時と一緒だ。
そして意外と、その凹み方はこっちの胸を詰まらせる。
「だって、マモルよりいい男と結婚したいんだもん」
「俺は、いい男じゃないクマ?」
「いや、よく見れば確かに……とは思うけど」
ちょっとクマすぎる。
「それにあんただって、自分を罵る女なんて嫌でしょ?」
「……そんな事無いクマ。俺はずっと、マリのこと好きクマ」
ご冗談をと笑うつもりだったのに、向けられたいじましい視線に言葉が出なくなった。
「ロリコンとでも変態とでも好きなだけ罵るがいいクマ。でも俺は、それでも好きクマ」
ずっと好きだったクマと繰り返しながら、味噌汁を啜るクマ五郎。
もしそれが本当なら、魔石が出なくなるのも理解できてしまう。
確かあれは愛の力を具現化した石だ。だから私に捨てられて、傷心しきった奴はゴミ魔石しか生み出せなくなったのだろう。
「ここで断ったらまたあの子達に怒られそうな気がする」
「じゃあ!」
「気が早い」
「俺、いい旦那さんになるクマ!」
「旦那なんてあり得ないわよ。まあ、次の彼氏が出来るまでなら付き合ってあげても良いけど」
「中継ぎなんて嫌クマ! マリと結婚したいクマ!」
「ってかあんた、ホント私のどこが良いのよ」
「誰かを助けるためなら、どんな嫌なことでも頑張るところクマ」
だから今日のマリは可愛かったクマと微笑まれて、物凄く胸が詰まった。
「それはあんたの幻想よ。私はあんたとは結婚しないし、魔法少女にももう二度と変身しないから」
「幻想じゃないって、俺が証明するクマ」
と言うなり、突然私の頬にキスしてきたクマ五郎を、マジカルステッキで殴り飛ばしたのは言うまでもない。
ステッキは人を殴る物じゃないと騒がれたが、私の今までの苦労を思えばむしろこれが正しい使い方である。
「そんなんじゃ魔法少女失格クマ!」
「失格も何も、とっくの昔に卒業したの!」
だからコレで良いのだと開き直って、私はステッキをきつく握りしめた。
魔法少女は卒業しました【END】
※4/18誤字修正しました(ご指摘的ありがとうございました)