@@『六章:諦めの悪さが長所だ』@@
@@『六章:諦めの悪さが長所だ』@@
降りしきる赤い豪雨。弩の放つ矢よりも速く地へと落ちてくるそれは水では無く、数多の武具の群。
剣や鑓、長柄戦斧等の刃を持つ様々な得物が上空より襲い来る。
「ハァァァァァッ!!」
武具の雨を降らす赤い雲もまた幾万の武具の集合体。そこから放たれる必殺の突きの飛来を白銀の女騎士は手に持つ巨剣を振るい薙ぎ払い、それに続く同質の飛来物を自身の聖性を衝撃波として放つ『光弾』で弾く。
「キヒャヒャヒャヒャ!!」
その傍らで『悪食』は飛来する武具を噛み砕き、魔爪で薙ぎ、魔剣で切り刻む。
魔刃の雨の中、それによって周囲の悪魔達も巻き込まれ散っていく。
その怨嗟の声を背景音に刃雨は止む気配をみせない。
空を侵し、空気を切り裂き、大地を穿ち、悪魔達を屠り、白銀色の兜を、鎧を、『悪食』の黒衣を、その下の褐色の肌を削っていく。
「ハーハッハッハッハッハッ! 我が『魔法』を喰らいまだ生き残るか! 下賎な人間と『暴食』の喰い残しにしてはやるな!!」
その中で、硝子を擦り合わせるような不快に軋んだ声で哂う悪魔が一体。
尚止まぬ武具の雨を弾き続けながら不遜に、嘲るように嗤い続けるその悪魔へと目線を向ける『悪魔憑き』と『悪食』。
「良いのか? よそ見をすれば我が刃の露と消えるぞ?」
そうクツクツと哂う悪魔。その姿は簡潔に言い表すならば真紅の全身甲冑を鎧った巨体。得物は何も持たず腕を組んで軋んだ声で笑い続ける。
その紅色の鎧の両腕の表面に、赤い幾何学模様が明滅している。腕を組んだまま精緻な幾何学模様の浮かんだその右の五指を上下に頻りに動かしている紅い鎧の悪魔。その挙動に同期して刃の雨は降り頻る。
故にこの赤い燐光を帯びた刃雨はその鎧姿の悪魔のものと考えられる。
傲岸に嗤いながら休む間もなく天よりの攻撃を繰り返す『紅鎧』。しかし、一向に致命傷を与えられないと見るや、
「ほう? それなりにしぶといな。さぁ、これは避けられるかな?」
軋んだ笑声と共に組んだ腕を解き、その紅い篭手に覆われた両手が動く。そして散る赤い燐光。
それによって何が変わったかと言えば。
紅鎧の悪魔の魔法『剣乱豪華』によって生み出された無限の武具の軌跡が変化した。上から降り注ぐだけだった単純な軌跡が腕の動きに同調し縦横無尽に飛び回る。
「ッう、ぐ。――アアアァアア!! 未だ、未だ! この程度で私を殺せると思うな!」
「キッヒヒヒヒヒヒ。しっかしこれは喰いきれねえ。――チッ。躱しきれねぇか」
兜は弾き飛ばされ、その白銀色の鎧は幾本もの刃に砕かれ罅割れている。しかしその手の巨剣の勢いは鈍ること無く持ち手の居ない武具による剣戟を払う。掠め、削られ、その髪の色と同じ鮮血を流しながら猛き咆哮と共に迫る武具を砕き斬る。
絶唱される咆哮。
破壊音の多重奏。
貫かれ灰へと崩れる悪魔達の断末魔。
その中を――
青い光によって描かれる、精緻な幾何学模様の浮かんだ汗ばんだ頬に夕陽色の髪を張り付かせ巨剣を繰る女騎士。その青い瞳には劫火の如き意思を覗かせて。
数多の武具を、周囲の悪魔を、喰い千切り噛み砕き狂ったように笑い舞う黒衣の悪魔。金と銀の瞳には蕩けるような恍惚を覗かせて。
軋んだ嗤い声を上げながら膨大な量の武具を操る紅い悪魔。兜の隙間から覗くは全てを染める暗黒。
そして幾多の悪魔達も狂ったように吠え立てて赤い光を散らしながら跋扈する。
彼女の血煙と悪魔達の灰燼が巻き上げられ続く壮絶な狂瀾。
「ハーッハッハッハッハッ! アーッハッハッハッハッハッ!!」
どれ程の時間が過ぎただろうか。
既に陽は地平線に沈み、青白い月がそれに代わり空に輝いている。赤く蠢く無数の刃に遮られながら。
かなりの数の悪魔が灰と散り、しかし未だ幾重にも蠢いている。
その死地を照らす儚い月光の下で響く『紅鎧』の呵々大笑。
軋み、歪んだ不快な声で大笑しながら幾何学模様の浮かんだ両腕を左右に広げる。それに同期し飛び交っていた武具達が宙に浮かんだまま静止する。
「ハーッハッハッハッ! 諦めろ! 下等な人間と喰い残しの『暴食』程度が!!」
絶対的な傲慢さに彩られた笑声。それを皮切りに周囲の『傲慢』達も笑い始める。
不快な雑音。
大音量の不協和音。
甲虫の羽音を束ねたかの如き騒音。
数千数百の悪魔達の笑い声の渦の中。白銀の鎧を纏った女騎士と、頭に捻れた角を生やし黒衣を纏った悪魔は自身の得物を地面へと突き刺しそれに体重を預け、荒く肩で息をしている。
その姿は満身創痍というより他が無い。
『悪魔憑き』の女騎士が鎧う甲冑は削られ穿たれ罅割れており、被っていた兜は既に弾き飛ばされ無い。顔に張り付く夕陽色の髪に伝うは赤い雫。そして、肩口に一振り、背中に二振り、白銀の鎧を貫き女騎士の身体から生えるように鑓と長剣が突き刺さっていた。
『悪食』も同様に黒衣は所々が裂かれ、貫かれ、全身を刃で貫かれている。
「……諦めろ?」
「キヒヒ……諦めろだぁ?」
ゴポリと濁った音と共に血を吐きながら女騎士が言い、ピシリと硝子が罅割れるような音をその身から響かせながら褐色の悪魔が言う。
自身の奇跡『万象強化』によって治癒力を極限まで強化しているが既に、限界に近いであろう彼女。
その肉体に隠された『核』を傷つけられ己を維持する為の魔力を失っていく彼。
「そうだッ!! 諦めろ! 貴様らがそれなりの力を持っていたことは認めようッ。しかしッ、我が力には及ばない! 見たところ人間、貴様は聖性が残り少ないだろう? 『暴食』、貴様の『核』は我が刃が貫いた。多少多く魔力を有しているようだがそれも直に枯渇する。聖性の尽きた人間など塵芥も同然! 魔力が尽きれば塵芥と化すのだッ!! 醜く足掻くよりも潔く死を選ぶがいいだろう!!!」
不遜に、傲岸に、何処までも傲慢に高らかに宣言する紅い悪魔。
しかしその言葉は『悪魔憑き』と『悪食』の状態を的確に指していた。
極限以上に身体能力を強化し悪魔を屠る彼女を常人の十万倍の聖性を有していることととしても、一体で数十から数百の人間を相手に出来る悪魔達が数千体が相手では分が悪い。事実、鎧の悪魔の言う通りその身の聖性は尽きかけていた。
幾多の刃に刺し貫かれた彼も、その肉体の内にある核である石を傷つけられその身を構成する魔力が霧散していくのを止められないでいた。魔力を水に喩えるならば、核は器になる。砕かれれば満たされた水は飛び散り元に戻らず、罅割れれば少しずつ漏れていく。補修することの出来ない器。それが傷つけられれば結果は決まっている。
しかし――
「ふふ。うふふふ、ふふ、アハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!!」
血を吐きながら笑う女騎士。
多数の刃に刺し貫かれながらも大笑する黒衣の悪魔。
「聖性が無ければ塵芥? ふふ、面白いことを言うのね」
「キヒヒヒヒヒ。まぁ魔力が無くなりゃそりゃあ塵になるが、人間が聖性だけってわけじゃねぇぜぇ? 二〇年憑いてるんだ。それだけってならとっくに食い尽くして終わってる」
クスクス、ゲラゲラ、笑いながらその身に刺さった武具を一振り、また一振りと抜く一人と一体。
「――ッ、ぐ。……人間は勤勉で忍耐強く慈悲深く、他者に謙譲に接し、欲望に負けず節制し他者に対し救恤する純潔な者達よ」
ズルリ、と刺さった最後の一振りを抜き、一点の陰りもない凛とした声を張り上げそう宣言する満身創痍の騎士。
「ああ、人間は怠惰で嫉妬深く些細なことに憤怒して、他者には傲慢に接し、欲望のまま暴食する強欲で色欲に塗れた者達だな」
ピシリ、ピシリと薄氷を割るような身体の崩壊する音を響かせながら粘ついた声で笑いを混ぜて言う死に体の悪魔。
「フハハハハハ! どちらが人間だ! そのどちらもが人間と言うならば何処まで中途半端な存在だな! 善でもなく! 悪でもない!」
正反対な彼女と彼の言葉を聞き嗤い出す『紅鎧』。
「ええ。そうね。とっても中途半端。善も悪も内包して混濁してる。でも――」
「キヒヒヒヒ。おおよ。雑味が多くて喰えたもんじゃねえ。味がハッキリしてる悪魔の方が美味え。だが――」
圧倒的な感情が消え去ったかのような冷たい声で淡々と彼女は言う。ふらつきながら、地面へと突き刺した自分の得物である巨剣を構え直す女騎士。手首に繋がる鎖がジャラリと鳴る。砕けた鎧から覗く肌に青光の幾何学模様が輝く。嗚呼しかし、その青い瞳に宿るはこれ以上無い程に猛る激情。
熱された油が溶けるように、ニタァと牙を見せ笑う金銀妖瞳の悪魔。地面に突き刺した黒い湾刀を抜き、手の中で回転させ弄ぶと、その手から赤い燐光が散った。 それに同期して手首に繋がれた鎖がのたうつ。
「――諦めの悪さは天下一品よ。それこそ善も悪も関係なく、ね。『亡霊』である私が良い証拠」
「――諦めの悪さは長所だな。あいつらの数少ない」
同時に、そう言い笑う悪魔と騎士。
「意味が分からんな。諦めない程度で何が出来る? 『諦めろ』。潔く死ね」
諦めろ。たった五音が無限に紡がれる。
軋んだ声で。
淀んだ声で。
濁った声で。
金切り声で。
沈んだ声で。
激昂した声で。
嘲り声で。
歓喜に満ちた声で。
陶酔した声で。
侮蔑の籠もった声で。
不快な声で。
しかし――
「何度でも言ってあげる。『諦めの悪さが長所だ』。そしてほら、諦めなければどういうことが出来るのか見せてあげるわ!」
全身から血を流しながら凛とした声で声高く宣言する赤毛の騎士。巨剣を肩に担ぎ、鎖の繋がった腕を横に佇む『悪食』へと突き出すように上げる。
「ギャハハハハハハ!! さぁさあ、これよりご覧にいれるのはァ! 最強の騎士にして悪魔憑き! 神代の化物の如き力をその身に宿した、自称亡霊の『聖女』の呪い!!!」
そう大笑しながら手に持った黒い湾刀を宙へと放り投げ、鎖に繋がる腕を『悪魔憑き』へと突き出す暴食の悪魔。
「うふふ。……そして、意地汚い偏食の大悪魔。『悪意喰らい』の『悪食』の祝福もお見逃しのないようにッ!!」
彼女と彼の言葉に応えるように繋ぐ鎖が発光する。その色は――
――青。血で汚れた美貌に壮絶な笑みを浮かべた『悪魔憑き』から流れ出す聖性の奔流。
――赤。金銀妖瞳が爛々と輝く罅割れた美貌の『悪食』から流れ出す魔力の奔流。
一本の鎖を通し互いの力がもう一方に流れ込む。
その結果――
――赤髪の騎士の奇跡『万象強化』によって彼の核が強化され、漏れ出る魔力の勢いが減退する。
――褐色の悪魔の魔法によって魔力は限りなく聖性に近く精製され、彼女の尽きかけていた聖性を補う。
「さあ、これでまだ戦えるわよ?」
輝きを増した幾何学模様を浮かべながら、不敵に微笑む『悪魔憑き』。
「――ッッ!? ……だがッ、聖性は我々にとって猛毒と同義! 貴様の奇跡で何やらしたとしてもその『暴食』の死は免れんわ!! 加え、核の割れた今魔力を他者に流し込むなど、消滅を早めるだけだろう。供給源を失えばそれによって長らえる貴様は我が刃の一振りで露と消える!!」
これも正しい。『悪食』は彼女無意識に放つ聖性を日常的に喰ってはいたが、それは彼の魔法『暴食悪事』によって空に漂うそれを呼吸と共に吸っていたにすぎない。
『暴食悪食』は口にしたものを魔力にすることは出来るが、それ以外は何も出来ない。だから、自身の崩壊を防ぐ為に彼女が奇跡を使っても、核の欠けたことによって流出する魔力は抑えることが出来るが注がれる聖性によって彼の身体を蝕み、その結果悪魔『悪食』が消滅することは変わらない。
故に聖女の呪い。
しかし、呪いとはいえ聖女のかけたもの。何も変わらないわけが無い。
「キヒヒヒヒ。いんやぁ? その人間は俺の事をそれなりに解っているらしい。溜めに溜めて喰い溜めたこの魔力。それが俺の意思に関わらず流れ出るくらいなら聖性に侵され灰になる方がマシだ」
クルクルと、回転しながら落ちてくる黒い刀身の湾刀の柄を掴み弄びながら黒衣の悪魔は続ける。
「諦めの悪さは人間の長所だ。二〇年っつう刹那にも満たない時間だったがそんな人間に憑いていた俺もその数万分の一程度にはそれが感染したらしい」
弄ぶ湾刀を構え、周囲の悪魔達へとその切っ先を順々に巡らしていく。
「目の前にこんなにも美味そうな悪意の塊が数多在る――」
最後。つぅ、と向けられる刃の先には、腕を組み佇む紅い鎧姿の大悪魔。
「――それを喰い尽くすことを俺は諦めきれ無い」
ニタリ、と凶暴な笑みを浮かべながら、『悪食』は弄んでいた湾刀をもう一度空高く投げ上げた。
クルクルと円を描く黒い刀身。
ピシリ、ビシリ、ギシリと崩壊し始めている褐色の悪魔の身体。
「さぁ、『暴食』の魔王の降臨だ。存分に抵抗して全力で咀嚼されろ」
歪んだ十字架のように左右非対称の腕を大きく広げ笑う『悪食』。
その言葉と同時、尋常ではない魔力が放出された。
周囲に蠢いていた悪魔達が後ずさる程の禍々しい魔力。
爆散とも思える程の勢いで放たれた魔力は同じ勢いで収束。真っ赤に染まる人型のシルエットへと凝縮する。
そしてその異形の人型と鎖で繋がる『悪魔憑き』の騎士にも異変。鎖より流れ込む精製された魔力の量が激増する。
「……はぁ。アンタ、魔王だったの? 最初からその姿でいなさいな。そしたらこんなにも傷だらけにならなかったでしょうに」
既に沈んだ太陽よりも真っ赤な光が収まった時、呆れを多大に孕んだ『悪魔憑き』の声がそれに向かって放られる。
「キヒャヒャヒャヒャッ! この姿は腹が減るんだ。核が傷ついていなけりゃ誰が好き好んでなるか莫迦。前の魔王と傍に居た『暴食』共を喰い尽くした時以来なってねぇ激レアだぜぃ?」
口調は全く変わらない。しかしその姿は大きく変貌していた。
元々長身ではあったが、更に一回り大きくなり褐色だった肌は漆黒に。その背には昆虫のような薄く大きな翅が四枚あり、それには髑髏のような模様が浮かんでいる。
捻れた二本の角は太く長く、額に巻かれている帯は炎。はためく黒衣の腰辺りからは獅子の尾が覗く。
口調以外に変わらないのは漆黒の大蛇のような長髪に爛々とギラつく金銀妖瞳。美術品のようなその美貌。
しかし端正なその顔に縦に大きく亀裂が走っている。ピシピシと乾いた大地のように少しずつ砕けていく。
「そういや、そこの紅いの。俺が喰い残しとかのたまってやがったが不正解だ。俺以外の『暴食』はあっちに居た奴らもこっちに来てた奴らも俺が喰い尽くした。喰い残しは一匹も居ねえ」
両腕共に人のそれとなった『悪食』は回転し落ちてきた黒い魔剣を右の手で捕まえるとその刃先を『紅鎧』に向けニタリと笑う。
『傲慢』故に他者が何をしようと粉砕出来ると心の底から考えている悪魔達だが、『暴食』最強である魔王の登場に刹那たじろぐ。
しかし――
「ハーッハッハッハッハッハッハ!!!! 貴様が七王の一『ベルゼビュート』だったとしてッ、しかし死に体の貴様に何が出来る!」
次瞬には絶対の自信に裏打ちされ、決して揺るがない自尊心を備える『傲慢』達の哄笑が響き渡った。
「キヒヒ。例えば、こんな『祝福』が出来たりもする――」
「五月蝿いッ! もう飽いたわ! 魔力の枯渇するのを待たずして微塵に刻んでくれる!!!!」
紅い鎧を纏う悪魔の声を皮切りに再び魔刃の嵐が吹き荒れる。
赤い斬撃の乱撃の中、牙を剥いて笑う『悪食』。その手に繋がる鎖は彼の赤と女騎士の青が混じることなく二層に分かれお互いへと流れ込んでいる。
これの赤を先程までの大悪魔『悪食』の祝福とするならば、刹那起きたこれは何と呼ぼう。
『悪魔憑き』の彼女へと流れ込む精製された魔力は『悪食』が魔王の姿となったことで激増している。そして更に変化が。
鎖を流れる光の奔流、その色が変わる。
二層に分かれていた聖性と魔力が混ざり合い紫に。
そして、彼と彼女双方に向かっていた流れにも変化。
女騎士からの聖性の流れを押し戻すように紫の光が彼女へと流れ込む。
「――ッ!? ちょっと『悪食』! アンタは何を!?」
ここで『悪魔憑き』が異変に気が付いた。飛び交う武具の斬撃を払いながら『悪食』へと問う。
問われた悪魔の返答は――
「ギャハハハハハハハ!! どうせ流れ出る魔力だテメエにやる! 俺が今までに喰い散らかした幾億の悪魔共の果てだ、大事にしろや。テメエら人間の諦めの悪さに感染した俺だがな、諦めの良い悪魔の一匹でもあるのよ。目の前のコイツらは喰い尽くして味わいたいが、悪魔数億分の魔力を徐々に減らして腹を空かして生きたくは無い。別に、灰になるのは構わない。只々暴食したいのさ俺は」
大悪魔の祝福改め、魔王の祝福。彼の持つ魔力の大半が彼女に流れ込む。
「さあ、最期の晩餐だ。派手に喰い散らかそうや!!」
彼の赤と彼女の青が混ざり合い、どちらでも無く、どちらよりも強い紫が赤毛の女騎士へと注ぎ終わる。同時、それだけで数年は世界の書き換えを保つ、あり得ない程の膨大な魔力によって常に世界を書き換え続け存在していた彼と彼女を繋ぐ鎖が赤い燐光を散らし崩れ落ちた。
「……。……ええ。食べやすいよう切り分けてあげるわ『悪食』」
紫色の光で描かれた幾何学模様を浮かばせながら彼女は周囲の異形の群を蹂躙する。
紫光を帯びた巨剣の嵐を見据えながら漆黒の魔王はその薄い唇が裂けるように笑い、その身に残った最後の魔力で自身固有の魔法を発動させる。
大きく開けた口腔内に浮かぶ赤い幾何学模様。魔法『暴食悪食』の発動。
しかし違う。彼が口にしたモノを魔力へと変える魔法では無い。
大蛇のように大きく開いた『悪食』の口から漆黒の炎が放たれる。
「――ォォォオオオオォォォォォォォオオォオオォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
狼が兆匹纏めて吠えても足りないであろう咆哮で大気を震わせながら黒炎を吐き続ける『暴食』の魔王。
降り掛かる月光すらも飲み込む真黒の炎。否。それは魔力の残滓が赤く散り、炎の様に揺らめく闇。
魔法『真・暴食悪食『咀嚼暗影』』。
その効果は――
空間を侵すように広がる、揺らめく暗影。それに触れたモノは悪魔であろうと、無機物であろうと、植物であろうと、大地であろうと、大気であろうと、そして魔法であろうともその全てが噛み砕かれ咀嚼される。
バキ、ボリ、グシャリ。悪魔の断末魔すら咀嚼する彼の影。
それは宙を舞う幾多の武具の群も例外では無い。赤光を纏った武具の突きや斬撃は一瞬闇を切り裂くが、即座に別の闇がその空間を埋め武具を喰らう。
雄叫びと無言の断末魔の阿鼻叫喚。死体は勿論無く、灰すらも残らない。赤い燐光を散らしながら闇に喰われる悪魔達。
例外は紫の煌きを纏い巨剣を繰る女騎士。迫る咀嚼する闇を聖性でも魔力でもない力で吹き飛ばしそして出来た空間を駈ける。満身創痍だったその身体は既に完治。それどころかこの戦いに挑んだ始め以上の力をもってこの死地を蹂躙していた。
「ヒャーッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハッハハッハッハハハハハハハハハハハハッ!! 美味ぇ旨ぇ甘ぇ! やっぱりこの世の何よりも悪意は美味い!」
ピシリピシリとその身に刻まれる罅は多く深く、砂像が崩れる様に少しずつ崩壊していく漆黒の魔王。闇を吐き出し終えた彼は金銀妖瞳に蕩けた光を宿らせて狂ったように大きく笑う。
女騎士が起こす剣嵐に磨り潰され吹き飛ばされる異形達。吹き飛ぶ先は『暴食』の闇。グシャグシャと咀嚼され飲み込まれる。
真・暴食悪食『咀嚼暗影』は『暴食悪食』の効果範囲を極限まで広げただけのもの。しかし、その広大な効果範囲により口腔内のみの発動であった後者よりも喰らったモノを魔力へと還元する力は圧倒的に劣る。
還元する魔力量が発動と維持にかかる魔力を補い切れない。秒毎に膨大な魔力を消費し、身体の崩壊が加速度的に増していく。
しかし彼の大笑は止まらない。徐々に崩壊しながらも彼はその翅を震わせ、狂瀾渦巻く中を耳障りな雑音を響かせ飛び回る。
悪魔の一体と肉薄。右手に握る黒い湾刀で切り刻み、それを闇が咀嚼する。
恍惚の笑みで剣舞の如く回り笑う。その隣には紫色の激光を纏い巨剣を振るう女騎士。猛き咆哮と共に悪魔を蹂躙していく。
お互いを無視したように、周囲ごと喰ってしまおうとする悪魔と、周囲ごと潰し斬ってしまおうとする女騎士。赤い光を散らす闇と紫の光の渦巻くそこを目掛けて幾万の刃の雨が襲った。
「――ッ。ああ、まだ食べてなかったの?」
「――ッ。一番活きが良いからなアレは。直接喰いたくて残しておいたのよキヒヒヒヒヒッ」
襲い来る群刃の嵐の中、手に持つ巨剣の一振りで幾千の刃を打ち砕き問う『悪魔憑き』。
ニタニタと笑いながら答える『悪食』の周囲は、咀嚼する闇が彼を襲う全てを喰い尽くしている。
「――――!!! ――」
そんな一人と一体へと何やら叫んでいる『紅鎧』。周囲の雑音に紛れ届かぬそれが終わる前に、巨剣を肩に担いだ彼女が剣雨の僅かな空白を滑るように駆け抜ける。
「じゃあ、私が食べやすく磨り潰してあげるわ。それが手向けよ『悪食』ッ」
走り始めにそう言い残し、人ならざる速度で鎧姿の悪魔へと迫る彼女。
「ヒヒャハハハハハハ!! 最期の最後まで俺の食事を邪魔するかこの莫迦は!! 生きたまま、抉り出して喰らうのが最高なのよ。前菜ならいざしれず主菜が汁物ってのは勘弁してくれやッ!」
両腕を広げて大きく笑い、次瞬に二対の翅を震わせて彼女を追って飛ぶ『悪食』。
自身の吐き出した闇を切り裂くように、空を疾駆するその身はボロボロと崩れていく。
周囲の闇が悪魔達を噛み砕く咀嚼音。それに彼の身体の崩れる音が微かに混じる。膝より下は既に無い。たなびく獅子の尾も先端から欠けていく。
しかしその罅割れ砕け落ちていく漆黒の美貌に悲愴は無い。浮かぶのは凶暴な笑み。その凶笑から発せられるは金眼銀眼に熱を宿した陶酔と、飢えた肉食獣よりも凶悪に開かれた口腔の渇望。
巨剣を担いだ女騎士。地面を覆い尽くす闇を紫の力で吹き飛ばし、降り注ぐ刃雨は光の衝撃波『光弾』で弾き、大地を踏み砕きながら『紅鎧』へと接近する。
それに続くは黒い湾刀を右手に握る異形。自己の一部である周囲の闇には目もくれず、それに喰われる刃の群の破砕音よりも大きくその背の翅を震わせて紅い鎧姿の悪魔へと真っ直ぐと空を駆ける。
それを正面から見据え、動じること無く待ち受ける紅い悪魔。無限の刃が絶えずその周りを舞い、その鎧姿の身を喰らおうと音無く這い寄る暴食の闇を打ち払い、喰われ続けている。
まず巨剣を引きずるように下段に構えた女騎士が肉薄。
彼女を狙い放たれる刃の群れも悉く紫色の衝撃波によって弾かれその動きを微かにでも止めることは叶わない。
「ハァァァァアアアアアアアッ!!」
万雷の如き咆哮と共に巨剣の重さを微塵も感じさせない神速の剣閃が振るわれる。
刹那。『紅鎧』が周囲に展開していた武具達の一つを掴む。それは肉厚の刀身をもつ長剣。
「――ッォオオオオオオ!! 未だ、未だあぁ、遅い! 非力!!」
闇と僅かな灰と咀嚼音の入り混じる大気を斬り潰しながら閃く巨剣。
それを真っ向から、受け流すこと無く長剣の刃で受け止める鎧姿の異形。
その余波に周囲の武具の群れと闇が吹き飛んだ。
人の限界をとうに超えた膂力で放たれた超重量の一撃。それを避けることなく受け止めたのは『傲慢』故か。
しかしそれでも無傷とは言い難く、巨剣を受け止めた長剣は欠け、その鎧の身体の全身に蜘蛛の巣状に罅割れが。
「ハーハッハッハッハッハッハッハ!! その程度か人間ッ!!」
だが『傲慢』故にそれを気にする事は無い。拮抗する鍔迫り合い。その最中、高らかに嗤いながら刃の毀れた長剣を持つ手の片方を離す悪魔。そして空いた手に武具を生成。赤い光を散らしながら罅割れた左手の中に作り出されるそれは無骨な戦斧。
それが巨剣を受け止められ動きの取れない女騎士のがら空きの胴へと振るわれた。
「――ッグ、ふッ」
損壊は激しいが辛うじて胴を覆っていた白銀の鎧によって両断されることは無かったが、濁った呼気と共に飛ばされる女騎士。
「キヒャヒャヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
巨剣を手放し、紫光の帯を引いて地面を転がる彼女。
刹那遅れ漆黒の悪魔が狂ったように笑いながら紅い悪魔へと肉薄。背の薄翅を震わせながら右手の黒い湾刀で斬りかかる。
それを受け止めようと戦斧を振るう『紅鎧』。
「――ッ!?」
しかし戦斧に打ち据えられる筈だった湾刀の軌道が変化。蛇のように絡めとり、戦斧を握る罅割れた篭手を切り飛ばした。
同時、その衝撃に耐えられず『悪食』の右手が崩れ去る。
口の中の牙を覗かせながら壮絶に凶悪な笑みを浮かべ、『暴食』の魔王たる漆黒の悪魔は残った左手を開き振りかぶる。
対する『傲慢』の大悪魔である紅い鎧姿の悪魔は残った右手の長剣を離し、その内にもう一度武具を生成。
一瞬の静止。恍惚に歪んだ金銀妖眼と兜から覗く漆黒の視線が交錯したのは錯覚か。
そして刹那のうちに動き出す二体の異形。
同時に放たれる『悪食』の徒手での突きと『紅鎧』の槌鉾の一撃。
しかし到達する速度は『傲慢』の悪魔によるものの方が早い。暴力的な風切り音で魔王の罅割れた顔面を叩き潰しに迫る。
普段ならば、頭を砕かれる程度で悪魔は死なないが、その身の魔力が枯渇し身体の崩れ始めている『悪食』のこの状態で肉体を破壊されればそのまま灰となって崩れ去るだろう。
響く紅い悪魔の哄笑。軋んだ嗤い声と共にその手の鎚矛が牙を剥いた『暴食』の悪魔の頭を砕――
「――ッグ、ガッ?! 貴様――ッ」
――かない。唐突に鎚鉾を振るう腕が動きを止める。驚愕と怒りを混じえて『紅鎧』が振り返り叫ぶ。
「ふふふ。ああ、やっぱり魔法って憎々しい位に便利ね」
紅い悪魔の向いた視線の先には、影の蠢く地面に上体のみを起こして、紫の光を放ちながら水平に右腕を伸ばしている女騎士。
クスクスと笑う彼女の伸ばされた右手から生まれ伸びているのは青色の鎖。
それが『紅鎧』に絡みつき緊縛。結果、彼はあと数寸の処で漆黒の悪魔を屠ることにしくじった。
「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! そうだ動かすな!! 捌くのは俺だ!!!」
狂った笑声。突き出される漆黒の貫手。
「グ、オオオオオオオオオオオオッ! 人間と『暴食』程度がこの私を――」
狙いに僅かの狂いは無く、紅い鎧を突き破り抜かれた手の内には煌めく石が。
ボロボロと崩れ始める『紅鎧』。
薄翅を震わせその場に浮かぶ『悪食』。ニタリ、と笑い、つい先程抜き取ったその『核』に齧り付く。
「キヒヒヒヒ。あぁ、最後の晩餐には足りねえが、まぁ美――」
バリバリボリボリと悪魔の命を咀嚼し呟いた彼を数振りの刀剣が貫いた。
「我が黄泉路の共を許すぞ『暴食――」
そう最後の最期に刃を放った『紅鎧』は、軋んだ嗤い声と共に完全に崩れ落ち灰と化した。
「キヒ、ヒ。食事の邪魔するんじゃねえよ。……だが、まあ限界か」
最期の『剣乱豪華』によって身体の大半が崩れ落ちた『悪食』は、ゴクリと口内の物を飲み込むとそう呟き既に起き上がっている『悪魔憑き』の女騎士へと辛うじて宙に留まれる程度に残った翅を動かし身体を向ける。
「よう。どうも俺はここまでみたいだが?」
「あら、そう? 私を喰い尽くす、とか言われた気がするのだけれど、これは記憶違いね」
崩れ続ける彼の言葉に薄く笑い小首を傾げ返す彼女。
「キヒヒヒッ。安心しろお前の為に最高の祝福を遺してやるから」
「あら素敵。最低の呪いをどうもありがとう。嬉しすぎて涙が出るわよ?」
影が蠢く異界と化したその中で一体の悪魔と一人の女はニタリ、と笑いあう。
「さぁ、受け取れ。そしてその頭が蕩けハラワタが爛れるくらいに素敵に美味そうな悪意を撒き散らせ。そんで永遠に己が暴力を振るって擦り切れろ」
「ありがとう、さようなら。地獄に落ちて永久に苦しみなさいな」
ゲラゲラ、クスクス。笑い声が響く。
彼と彼女以外は咀嚼の闇の範囲外で倒れ伏す一人の騎士と繋がれた数頭の馬しか生きた者の居ないこの地で更に命が散る。
その間際、広大な大地を舐め尽くすように蠢いていた彼の闇が全て一点に向け動いた。
それらが向かう先にはボロボロの鎧を纏う女騎士。
彼女を飲み込むのではなく、彼女に飲み込まれるようにその細い身体に膨大な闇が収められていく。
どれ程の時が経ったか。平原を覆い尽くし、数千の悪魔を喰らい尽くした『暴食』の魔王固有の魔法は一人の女の身に全て収まった。