@@『三章:死地で待つ』@@
@@『三章:死地で待つ』@@
まだ日の明けきらぬ薄闇。護るべき街から馬で数時間走った先にある開けた平地。青々と草の茂る平原に、人間二人と悪魔一体は居た。
一人は白銀の甲冑を鎧う女騎士。無造作に足元に置かれた得物は馬五頭によって運ばれた、刀身だけで長さは身の丈の四倍、幅は身の丈程はある巨剣。
一人は鉄色の鎧を纏う若い騎士。手に持つ得物は緻密な意匠の施された金属製の杖。青い光をその身に纏い、世界を書き換えている最中である。
一体は平時の通りの黒衣を纏う歪んだ角を頭に生やした悪魔。女騎士『悪魔憑き』と鎖で繋がれた右手の得物は大地に突き刺した黒い刀身の湾刀。
後数刻もすれば悪魔の群勢が此処を覆い尽くすであろう。しかし今は不思議な静けさに包まれている。そよぐ風の生む音だけが静かに響く――
「きひゃはははッ。おら餓鬼。とっとと手前ぇの仕事を済ませろ。でないと喰っちまうぞ?」
――わけはなく、下品に哄笑する悪魔『悪食』の笑声と、
「五月蝿い黙れ悪魔! 灰に還してやろうかこの下種が!」
若い騎士――ジャンの怒声が響いていた。
「きっひひひひひ。面白え、面白え。やってみるか? 手前ぇの聖性もそれなりに美味そうだから美味しく頂いてやるぜ?」
続く『悪食』の言葉に更に言葉を返そうとするジャン。
「はいはい。落ち着きなさいなジャン。『悪食』も誂うのいい加減になさい」
それを『悪魔憑き』が窘める。
彼女の言葉を聞いてジャンは「すいません」とバツの悪そうに謝るのに対し、『悪食』は「きひひ。悪魔が真面目に黙って待つとかありえねえだろうが」などと底意地の悪い笑みを浮かべ尚笑う。
「はぁ。あーはいはい。じゃあそこら辺で草でも食べてなさい。牛が口元をモゴモゴ動かすように出来るだけ滑稽に。それで……大丈夫そう? 無理そうなら私も手伝うけど」
『悪食』の言葉を無視し適当にあしらってから『悪魔憑き』は作業に戻った若い騎士へと問う。
「あ、大丈夫です。俺の『奇跡』はこういうの得意なんで。『輝石』もありったけ持って来てるので聖性が足りなくなるってことも無いはずです。というか、だから俺を連れてきたんですよね?」
と返す彼が行っている作業は、悪魔達をこの場所へと来させる為の餌と街へと行かせない為の壁の作成。悪魔達を遮るように聖性による壁を作り出し、彼の『奇跡』である『誤認』によって此処へと誘き出す、というもの。
広大な領地に壁を作るなど、並の者なら一百名は必要な程の重労働を彼は唯一人で行おうとしている。
「でも、『此処に大量の人間が居る』って誤認させて誘き出して、単独で街の方へ動いてる悪魔は通り過ぎる前に壁を張って通さず、この場所に『壁は無い』って誤認させて誘き出す、というのはまぁわからなくもないんですけど、何も無いところに街より多い人間って、あからさまに怪しいですけど本当に大丈夫なんですか?」
「きひひ。『傲慢』の奴らはなぁ、罠があったら正面から突っ込んで突破したくなるような奴らなのよ。小賢しいわ! とか言ってな。だから分かりやすいくらいが丁度いいのさ。……ん、草も美味いな。その『輝石』も美味そうだ。一個くれ」
地面に座り込み辺りの雑草を毟り口に運びながら『悪食』が言う。
「悪魔には訊いていない。『輝石』もやらない。土でも喰ってろ」
地面に淡く青い燐光を発しながら転がる色とりどりの宝石類を足で『悪食』から離しつつジャンは声を低く言う。
『輝石』とは宝石に聖性を封じ込め、必要時にそれを砕くと自身の聖性を回復させるという物である。便利だが宝石自体が高価であり、使い捨てである為あまり使われることは無い。
これの補助を受けているにしても、聖性の量を五十年に一度の逸材等と称される彼だからこそ単独で行える、壁の作成と悪魔達を誘き出すと言うこの作業。
「チッ。まぁいい。手前ぇの妹とやらの銀皿に免じて許してやらあ。これが終わったら手前ぇん家の銀食器食い尽くしてやるから買い足しとけ。……ああ、此処の土も中々イケる」
「あ、私もあのお菓子沢山頂こうかしら」
「ちょ貴女まで……ああもうアイツめ余計な事をッ……」
彼の言う余計なこと、それは街を発つ際に前日の夕刻彼女達に林檎を差し出した少女――ジャンの妹が現れ、今度は『悪魔憑き』には貝殻の形の焼き菓子を、『悪食』には一枚の銀製の皿を差し出し、兄であるジャンには「お兄ちゃん。足を引っ張ってはダメよ?」というとても愛に満ちた激励を送ってきたことである。
今回は「きひゃは。これは美味そうだ」と受け取った『悪食』。礼を言いながら受け取る『悪魔憑き』。何と言えば良いか分からず固まるジャンを放って少女が語る内容は、「帰って来たらもっと沢山用意しておくので絶対に帰ってきて」というもの。
それに対して『悪魔憑き』は「ええ。絶対」と笑みと共に返し、『悪食』は「きひひ。食後のデザートがあるなら帰って来ないとなぁ。足りなかったらその餓鬼の鎧も喰っちまうか。キヒヒヒヒヒヒヒヒ」と笑った。
それを思い出し、しかしその約束を果たすことが出来るのかと考えてしまう若い騎士。
「きひひ。さぁ、そろそろ朝食の時間だ。餓鬼、壁は出来たかよ?」
「あら、予想より早い。ジャン、大丈夫?」
だが深く思考が沈む前、遥か彼方に見える地平線の先へと視線を向けた『悪食』が言い、ジャンへと顔を向けた『悪魔憑き』が問うてくる。
「ええ。大丈夫です。魔王が七体全員来ても通しません」
地が小さく揺れる。風が狂ったように吹き荒ぶ。清涼な空気が淀んだ瘴気にすり替わっていく。
それを鎧を着込んだ下の肌で感じ取りながら若い騎士は大きく頷き答える。
それを聞いた一人と一体はそれぞれ笑った。
「ふふ、それは頼もしい。じゃあ、後ろは任せたから」
「きひひ。やっぱり美味そうだ。後ろには俺が何時か喰う街だ。任せたぞ? そしてその時は一番に喰ってやるから楽しみにしてろ」
そう言い残し、その一人と一体は得物を手に、死地へと駆け出した。
青と赤の燐光を散らしながら、乗ってきた馬よりも速く女騎士と悪魔は疾駆する。『悪魔憑き』は異常な重量の装備であることを微塵も感じさせない体で、『悪食』は黒衣をはためかせ彼方、まだ見えぬ群勢に向かい進撃。
それを見て彼は思う。
「ああ、でもやはり、……格好良い」
否。思うだけでなく呟いていた。
軽薄で苛立たしい言動ばかりとる悪魔だが、しかしその力はそこらの雑魚とは格が違う。そして多分、自身も襤褸を引き千切るよりも簡単に喰われてしまうだろう。認めたくはないが。
そしてその大悪魔と言って過言でないそれと共に、あくまでも対等に肩を並べて雄々しく、勇ましく、世界を蹂躙する悪魔達を蹂躙していく女騎士のなんと格好良いことか。
力及ばず、その後方を護る己。しかし自身が巡らす聖性の壁こそが最後の砦。
――足を引っ張ってはダメよ?
妹の言葉が蘇る。
「――ああ。一緒に戦えないのならせめて、任された事は果たさないとな」
薄く笑いながら呟き、両手で握る金属製の杖に力を込める。次瞬、その精緻な細工から爆ぜるように青光が。そして眩い光を発しながら出現したのは光の壁。身の丈を遥かに超える巨大なそれ。切れ間なく、彼の居る場とと悪魔の迫る死地とを分かつ境界線が作り出された。
更に、自身固有の奇跡『認識誤認』を発動。この場に数多の人の気配を作り出す。そしてこの周囲以外の壁に触れた者に此処に壁はない、という誤った認識をさせる細工を仕込む。
自分の作り出した壁の青い光越しに迫り来る異形の群れへと斬り込む、一人と一体の散らす二本の帯状をした軌跡を眺める。本当は、彼処に居たかった。だが、もういい。憧憬すら抱く人と、憎悪すら抱く悪魔に「任せた」と言われたのだ。
防御と攻撃。性質こそ違うがその行為の絶対値は等しいはず。彼もまた、果ての見えぬ戦いへと挑むのだから。