@@『一章:『悪魔憑き』と『悪食』』@@
@@『一章:『悪魔憑き』と『悪食』』@@
「あ……」
「見ちゃだめよ。悪魔に憑かれてしまうんだから」
「『悪魔憑き』め。なぜ騎士団はあれを騎士などに――」
「きゃッ! 眼が合っちゃった! 誰か。誰か聖水を――」
「――汚らわしい」
「そんなことより、悪魔達の群勢がこの街に近付いているらしいぞ」
「らしいな。しかし充分に対抗しうる増援が向かっているらしいし、大丈夫じゃないか?」
「だ、だよな?」
などという雑踏のざわめきの中を白に金糸の刺繍を施した外套を纏った長身の女が歩いていく。今まさに空を彩る夕陽のように赤い髪は肩ほど長さで、サラリと揺れる前髪から覗く瞳は深い湖の水面のように鮮やかな青。背筋を伸ばし毅然と歩くその美女は周囲の声に反応一つ見せず進んでいく。
彼女が歩を進める度にその左手首に嵌められた鉄輪から伸びた鎖がじゃらり、と音を立てる。
纏う外套を彩る獅子を模した豪奢な紋様の刺繍が意味するのはこの街を守護する騎士団、その一員だということ。
その使命は多々あるが、最も重要と考えられるものは『悪魔』と呼ばれる異界の者共からの蹂躙から街を、住民を護ることである。それ故に驕る者共も少なからず存在するが、しかしこの街の騎士達は名君といえる領主の騎士団に相応しい者達が揃っている。
故に住民達に慕われている彼ら。
では何故騎士である彼女が侮蔑の感情と共に見られるのか。
その理由は――
「きひひ。相も変わらず嫌われてるねぇ。ええ? 『悪魔憑き』よ」
――廃油のように粘つく笑い声を上げながら彼女の隣を歩く男にある。
「ええ、『悪食』。おかげさまでね」
無感情に鋭利な視線だけを向け返すその先には、ニタニタと笑みを浮かべる異形の男。
まず目につくのは頭に生える捻じれた二本の角。頭髪は闇よりも黒く、長い前髪から覗く瞳は右は金で左は銀。刃物のように鋭い歯を覗かせ。肌は褐色。引き締まった体躯を覆うのはゆったりとした黒い衣。鎖の繋がった鉄輪を嵌めた右腕は人のよう、しかし左腕にはどんな獣のものよりも鋭い爪が剣のように伸びている。
彫刻のように整ったその美貌だが、まさに『悪魔』と呼ぶに相応しい異形の男。
「きひひひひ。お前と繋がって二〇年ほど経つがやはりわからない。護る相手に嫌われると解っていながら何故に俺と繋がった?」
『悪食』と呼ばれる男の右腕と『悪魔憑き』の女の左腕に嵌められた無骨な鉄輪は鎖で繋がれている。ジャラリ、と不快に響くそれは、彼女と彼の利が一致した故に、互いを決して違わぬという誓いの呪い。長いそれに重さは無く、互いの行動を阻害はしないが、しかし一定以上の距離を離れることを許さない。
「あんたなんかに言っても理解できない。だから言わない」
「ああ、わからない。お前の数百倍は生きた俺でも理解できない。だから訊いているんだ」
周囲でざわめく人々などは意に介さずに、更には話しかけてくる『悪食』の言葉にも反応を見せなくなる『悪魔憑き』の女。
どれだけ無視しようとも、それでも口を閉じない『悪食』と共に目的地である騎士団の詰所へと足早に向かっていく。
「……あの」
その途中。彼女達を避けるように人が避け道が出来ていく中で小さな声に呼び止められた。
振り向くが、しかしそれらしき者は居ない。
「あ、こっち……です」
もう一度、下方から声。下を向く二人。目線の先には一人の少女が居た。亜麻色の髪を長く伸ばし、簡素ではあるが上等な拵えの服を着た歳は十程の可愛らしい少女。無闇矢鱈に着飾った悪趣味な金持ちとは違う、育ちの良さそうな空気を纏う姿は当に深窓の令嬢か。
「どうしたの?」
「きひひひ。俺に喰われたいってか?」
「……ッ」
ベロりと長い舌を出しながら二人を呼び止めた少女へと顔を近づけ笑う『悪食』。涙を浮かべて息を飲む少女を見かねて『悪魔憑き』の女騎士がその拳で殴りつける。
ぐぎゃ、という悲鳴を上げて悶絶する『悪食』。それを冷ややかな目で見ていた彼女は視線を小さく震える少女へと移し優しく語りかける。
「大丈夫? あの下種は後で痛めつけておくから安心してね。――それで、何か御用?」
周囲の嫌悪の視線から少女を遮るように女が屈みこむ。
屈んだ彼女と目線の合った少女は真っ直ぐと見つめ返す。しかし一度二度、逡巡するように瞳を泳がした後にようやく意を決したように口を開いた。
「あの……これ」
小さく、か細い声と共に差し出された小さな両手に乗っていたのは二つの林檎。紅く艶やかなそれを彼女と、あろうことか悪魔である『悪食』に。
「これを、くれるの?」
彼女の問いに少女は小さくコクリと頷く。
「うん、……じゃない。はい。あの、お姉さん達がお祖父ちゃ――お祖父様の村を護ってくれた、ってお兄ちゃんに聞いたから……」
「……。どうかしら。女で騎士っていうのも結構居るし、他の騎士かもしれないけれど。それと、私もこんな話し方しか出来ないから楽な話し方でいいわよ?」
「あ、ありがとうございます。でも『強欲』の悪魔達が村を襲った時に『悪魔使い』の騎士さんが先頭に立って戦ってくれたって――」
「『強欲』のってぇいうと最近だと……ああ、あの時の村か。きひひ。『悪魔使い』なんて呼ぶ奴ぁあの餓鬼しか居ねぇなぁ? あいつの知り合いか?」
「うん。私のお兄ちゃん」
『悪食』の言葉に素直に答える少女。それを聞き、「ああ」と納得する二人、否。一人と一体の異形。その脳裏には彼女を聖女の如く崇拝し彼を蛇蝎の如くに忌み嫌う、若い男の姿が浮かんでいるに違いない。
「お兄ちゃんはお姉さんのことはとっても褒めるけど、その悪魔さんのことは殆んど話さないの。でも、お姉さんと鎖で繋がってるってことは悪魔さんも村の為に戦ってくれたってことでしょ? だからコレ、お礼、です」
そう言って、もう一度両手の林檎を差し出す少女。
それを『悪魔憑き』は、
「……じゃあ、ありがとう。頂くわ」
と軽く微笑しながら言い、少女から林檎を一つ受け取った。
一方、『悪食』は裂けたように引き伸ばされた口から醜悪な笑声を上げながら、
「きっひひひ。俺は人間共の為に何かしたこたねぇから要らねぇわ。その不味そうな林檎はそいつにくれてやれ。俺にはこっちの方が美味そうに思える」
そう言い終わった刹那、ナイフの刃よりも鋭い牙を剥き出しに林檎を差し出している少女へとその端正なしかし飢えた獣のようにぎらついた異形の顔を近づける。
「――ッ」
いきなりの事に身を竦ませる少女。目を瞑る暇すらない。
長い黒髪が蛇のようにのたうつ。漆黒の大蛇が如く大きく開かれる『悪食』の顎。次の瞬間バキン、と勢い良く閉じられる。その口内でぐしゃり、という破砕音。
「……あ、れ?」
それが噛み砕いたのは少女では無かった。呆然としながら、何かを食べている褐色の悪魔を見上げる少女。
バリボリと乾いた何かを噛み砕きながら『悪食』は――
「誰がお前みたいな不味そうな人間を喰うか。俺は『悪食』。柔らかそうなお前の肉よりも、人混みからお前を狙って投げられたこの石の方が好みだ」
美味そうにニンマリと笑いながら吐き捨てるように言い放つ。その間もその口内の石を咀嚼し続ける。
「ああ――」
ごくり、と喉を鳴らした後にその黒衣を翻し振り返る『悪食』。
「それと、この石コロを投げつけるような人間も好物だな」
美貌を歪めニタリと笑いながら若干首を傾け、誰に向かっての言葉か宣言するかのような声量で言を紡ぐ。
そのすぐ後、「ひッ」という引き攣った声が。その直後に忙しなく走り去る人影。
「まぁ、絶対にそれはさせないけどね」
『悪魔憑き』の呟き。それを聞き更に笑いを深くする悪魔。
その笑いを無視し手の林檎へと齧り付いた赤髪の『悪魔憑き』は、
「美味しい林檎をありがとう。でも、私達と話していると今みたいな事になるからもう行った方がいいわよ」
シャクシャクと咀嚼しながら少女へ優しく語りかけ、返答を待たず振り返りもう一つの林檎を持ったまま手を振る彼女。
そのまま歩き出した『悪魔憑き』と『悪食』の背に――
「あ、えっと、その……ありがとうございましたッ!」
――という少女の声が届く。
「きっひひ。人間に礼を言われた悪魔なんざ俺だけだろうなぁ?」
「『暴食』の悪魔の中でも人間によって不味そうなとか、美味そうな、とか言ってるのもあんただけでしょ。他の『暴食』達は何でもかんでも食い散らかすじゃない。尤も、最近は『暴食』は聞く限り現界してきてないから、もしかしたらあんた以外にもそういうのは居るのかもしれないけど。……というか、アンタが現界したあの年辺りから力の強い『暴食』は現れて無いとか聞いたけど、何か知ってる?」
「きひゃひゃッ。いんやぁ? 全く以てそんな奴は居なかった。味なんざ気にせず喰い散らかしたい奴らばかりだったな。あと『暴食』は魔王がその他を殆んど喰らい尽くしたから絶滅危惧種だぞ」
「ふぅん。じゃあアンタは食べ残しの残飯か。お似合いね」
「きっひひひひひひ。言うねえ」
少女に向かい肩越しに手を振りながら『悪食』と『悪魔憑き』の女の会話は続く。雑踏を彼女らが進む度、海を割るかのように人が引いていく。
そして突き刺さる侮蔑の視線を物ともせず一人の女騎士と一体の異形の男は歩いていく。
目的地まではもう少しだ。