@@『終章:終わりの始まり』@@
@@『終章:終わりの始まり』@@
パチパチと、音を立てながら火の粉が散る。黒く粘つく夜の闇を橙色に染め上げて、眼前の炎は狂ったように揺れていた。
「キヒヒヒヒ。これでいいのか? えぇ? 餓鬼」
その劫火が群がり喰らい尽くす様を眺めながら、凶悪な牙を覗かせた美貌を足元に向け、廃油のように粘ついた声で悪魔は問いかける。
「うん。本当はお墓に入れてあげたいけれど、殆んど残ってなかったから。どうせ、最後の審判も無いんだろうし」
それに応えるのは幼い少女。その髪は目の前で燃え盛る焔よりも赤く、瞳は火炎に染められることなく青く澄んでいる。
世界の終わりの際に救世主が再臨し、あらゆる死者を蘇らせて永遠の命を与えるか地獄へ落とすか決めるという。それ故に蘇る死体を焼いてしまう事は禁忌である。
しかし彼女は焼いた。悪魔に喰い散らかされた家族の肉片と家を丸ごと全て。
尚且つ教義すら否定する。神の救いは非ざると、心に定めてしまっている。一〇にも満たない幼い少女が。
「ギャハハハッ。過食で暴食の俺らに襲われて、食べ残しがあることは奇跡なんだがな。餓鬼、お前が生きていることも」
「何を言ってるの?」
肩を震わせ大笑する彼に向かって、何処までも冷たく、驚くほどに硬質な声色で少女は言った。彼女が『暴食』の悪魔に咀嚼され嚥下されなかったのは、この美貌の『暴食』がそれを食べてしまったからだ。加えて彼女を喰らい尽くすと宣言までしている。
そしてそれに彼女は微笑みで返したのだ。「いいよ」と。そして、それに続いた言葉。
だから、それ故に――
少女が左手首に右手を当てる。そこにある物が擦れ、小さく金属音が響いた。
――少女の左腕と、悪魔の右腕は、赤い鎖によって繋がれていた。
「いんやぁ、別に? まさか『私が逃げないように貴方と鎖で繋ぎなさい』なんざ言い出す人間が居るのか、なんて考えていただけさ。キヒヒヒ。お望み通り、絶対に逃げられない。死ぬまでお前の聖性を喰らい尽くしてやるよ」
そう言って少女の正面へと移動し、裂けたかのように口を大きく歪めながら悪魔は笑う。
「あは、うふふ、ふふふふふふふ」
それに続いて少女も笑いだす。
それは何よりも無垢で。
それは何よりも純粋で。
それは何よりも純真で。
それは何よりも透明で。
それは何よりも真白で。
そして何よりも狂気を孕んだ笑い声。
「だから何を言っているの? 私は既に死んでるの。お父さんやお母さんやお姉ちゃんみたいに悪魔に食べられて。私はその残骸。私は死してこの世に留まる亡霊なの。だから『死ぬまで』なんて無い。お前は私とずっと一緒。私が目的を果たすまで」
クスクスと鈴の音よりも澄んだ笑声と共に彼女は言う。
「……ほう? じゃあ亡霊、お前がこの世界に留まる未練は何だ? 俺と鎖で繋がる事すら選ばせる執着は何だ? お前の全てを賭けさせるその目的は何だ」
金銀妖瞳を細めた獰猛な笑みをもって少女の言葉を受け止め、そして返す黒衣の悪魔。
「決まってる。全ての悪魔を根絶やしに」
そしてそれに彼女はそう答え、笑った。壮絶なまでの憎悪に彩られた毒々しく妖しいその笑みは、とても悲しそうに歪んでいる。
そして、
「キヒャハッ! ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
彼女の悲願を聞いた悪魔は天を仰ぎ、身体が仰け反る程に高笑う。
「嗚呼、良いな。その、悲しみすら憎悪の一部に変えるお前の悪意。嗚呼、だからそれほどの聖性か」
一頻り笑った後で彼はそう呟いた。その金銀妖眼から頬を滂沱の如く涙が伝う。そしてその泣き顔は、好物を目の前にした子供の如く嬉しそうに歪んでいた。
「嗚呼。嗚呼、なんて美味そうな悪意の塊だ。嗚呼、だから、お前のその悪意が枯渇するまで食い尽くそう。さあ、何をする何処へ行く? 思う存分悪意を振り撒け。何処までも、何時までも俺はそれに付いて行き付き添って喰い続けてやる」
奇跡は世界を書き換える。
聖性とは精神力である。その精神力の源は『悪魔』という悪意の塊の侵攻を素通しした世界に対して憎悪。
世界に対する悪意でもって奇跡は行使される。
故に、聖性とは悪意である。誰も救うことのなかった世界に対する悪意なのだ。
「キヒヒヒヒ。俺は『悪食』。『悪意喰らい』だ。お前は何だ亡霊」
「……『悪魔憑き』。悪魔に憑いて悪魔を殺す亡霊」
劫火に侵された家屋の崩れる音を背景音に、クスクス、ゲラゲラ、二色の笑いが宵闇に響く。
「さぁ、まずは手始めに何をするんだ? 『悪魔憑き』?」
未だ焔に喰われ続ける残骸を背に、左右非対称な両腕を広げ彼は問う。
「まずは悪魔の殺し方を教えなさいな。『悪食』?」
長身の悪魔を見上げ、幼い少女はそれに答える。その透き通る様に白い肌は炎に照らされ朱く染まっている。
「キッヒヒヒヒ。ああ良いぜ。魔王すら葬れるようにしてやろう。その悪意に見合う力をくれてやる。そして最後は俺の腹に収まれ」
「ありがとう。嬉しいわ。貴方を含めて悪魔を根絶させられた後なら喜んで食べられてあげる」
ニタリ、と彼は笑い。
ニコリ、と彼女は笑う。
そして歩き出す。
数刻も経たないうちに異形と幼い少女の姿は何処かへ消えていた。
彼女――シャルロット=ダルクはこの日死んだ。
強大な悪意をもって悪意を滅する彼女の死後はこれより始まったのだ。
fin
読んでくださった方がいらっしゃいましたらここまで読んで下さりありがとうございました。
暴食~はこれにて完結でございます。