↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
8/21

第八章「境界線」

静かすぎた。


さっきまで、確かに“何か”があった場所。

彼女が消えた、その空間。


なのに今は、ただの部屋だ。


何も変わらない、はずの。


「……いるんだろ」


誰に向けたのかも分からないまま、呟く。


返事はない。


当たり前だ。


けれど。


床に落ちた影だけが、不自然に揺れていた。


「……っ」


目を凝らす。


照明は、変わっていない。

なのに影だけが、遅れて動く。


まるで――別の何かに引っ張られているみたいに。


「……ふざけんなよ」


拳を握る。


怖い。

理解できない。


それでも。


あいつを、あのままにしておくわけにはいかない。


「……出てこい」


一歩、踏み出す。


その瞬間。


足元の影が、ぬるりと広がった。


「――は?」


影が、床から“浮いた”。


あり得ない。


現実じゃない。


分かってる。


でも、確かにそこにある。


黒い膜のようなものが、空間を裂くように広がっていく。


そして。


その“向こう側”が、見えた。


「……あれは……」


真っ黒な空間。


底のない闇。


そして――


遠くに、微かに光るもの。


「……っ……!」


心臓が、跳ねる。


分かる。


あれは。


「……あいつだ」


理屈じゃない。


でも、確信だった。


あの光は、彼女だ。


「……繋がってる……」


手を伸ばす。


触れられる距離じゃない。


それでも、伸ばさずにはいられない。


その瞬間。


背後から、声がした。


「やめておけ」


振り返る。


彼女の父親が、そこに立っていた。


さっきと同じ場所に、同じ姿で。


まるで、時間が止まっていたみたいに。


「戻れなくなるぞ」


静かな声。


けれど、その奥にあるのは“警告”じゃない。


“確信”だ。


「……関係ねぇよ」


即答だった。


自分でも驚くくらい、迷いがない。


「戻れなくてもいい」


一歩、影に近づく。


「向こうに行けるなら、それでいい」


空気が、変わる。


冷たく、重く、沈むような感覚。


「……本気か」


父親の目が、初めて揺れた。


ほんの、わずかに。


「当たり前だろ」


笑っていた。


こんな状況で、笑える自分が少し可笑しかった。


「置いて帰れるわけねぇだろ」


その言葉に。


影の向こうの光が、かすかに強く揺れた。


まるで、応えるみたいに。


「……愚かだな」


父親が呟く。


けれど、その声には、ほんの少しだけ。


ほんの少しだけ、人の感情が混じっていた。


「だが――」


次の瞬間。


空間が、大きく歪んだ。


影が、一気に広がる。


部屋の壁も、床も、天井も。


すべてが黒に飲み込まれていく。


「ならば見せてやる」


父親の背後に、あの“何か”が現れる。


あの時と同じ。


いや、さっきよりも、はっきりと。


「お前が踏み込もうとしている“世界”を」


黒い手が、無数に伸びる。


現実と異界の境界が、完全に溶ける。


「――っ……!」


足が、沈む。


引きずり込まれる。


抵抗しようとしても、意味がない。


それでも――


「離すかよ……!」


拳を握る。


視線は、あの光から逸らさない。


「絶対、連れて帰る」


その言葉と同時に。


胸の奥が、熱くなる。


“繋がり”が、強くなる。


光が、一瞬だけ強く弾けた。


闇が、揺れる。


「……面白い」


“それ”が、初めて反応した。


感情のようなものを、見せた。


「ならば――来い」


完全に、境界が崩れる。


落ちる。


現実から、あちら側へ。


「試してやろう」


最後に見えたのは――


闇の中で、確かに輝く、彼女の光だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。