第六章「暴かれる関係」
それは、静かな夜だった。
いつもと同じように、彼女と別れたあと。
いつもと同じように、車を走らせていた。
けれど。
胸の奥に、妙なざわつきが残っていた。
理由は分からない。
ただ――嫌な予感だけが、消えない。
信号待ちで車を止める。
街は静かで、人気も少ない。
エンジン音だけが、やけに大きく聞こえる。
そのときだった。
携帯が鳴った。
画面を見る。
――知らない番号。
一瞬、出るか迷う。
けれど。
出なければいけない気がした。
「……もしもし」
数秒の沈黙。
そのあと。
「……あなたですね」
低く、冷たい声。
一瞬で分かった。
彼女の母親だった。
空気が、変わる。
「……何の用ですか」
自然と、声が硬くなる。
「すべて、分かっています」
その一言で、心臓が強く脈打つ。
「娘と、会っていますね」
否定できなかった。
沈黙が、そのまま答えになる。
「……どうして」
母親の声が、わずかに揺れる。
「約束を、破ったのですか」
責める口調ではない。
それよりも――
“諦め”に近い響きだった。
「……会うなって言われて、会わないなんて無理だろ」
思わず、言葉が出る。
抑えきれなかった。
「俺は――」
言いかけた、そのとき。
電話の向こうで、“何か”が混じった。
ノイズじゃない。
声でもない。
けれど。
確実に、“人じゃない気配”。
背筋が、凍る。
「……もう、遅いのです」
母親の声が、わずかに震えた。
「向こうも……気づきました」
その瞬間、理解した。
これは、ただの家族の問題じゃない。
もっと、深い。
もっと、逃げられないものだ。
「娘は……」
一拍。
その沈黙が、やけに長く感じる。
「連れていかれます」
頭が、真っ白になる。
「待ってください!」
気づけば、叫んでいた。
「彼女は――」
言葉が、止まる。
“俺のものだ”なんて、言えるはずがない。
「……あなたでは、守れない」
静かに、告げられる。
その一言が、深く突き刺さる。
通話が、切れた。
次の瞬間。
――ぞわっ。
背後に、気配。
振り向けない。
分かる。
“いる”。
今、この瞬間。
すぐ後ろに。
見ている。
確実に。
呼吸が、浅くなる。
心臓が、異常な速さで打ち続ける。
それでも――
振り向くことができなかった。
“見たら終わる”。
そんな確信だけがあった。
そのまま、アクセルを踏み込む。
逃げるように、車を走らせた。
――翌日。
彼女に、何度も連絡を入れた。
電話も、メッセージも。
けれど。
繋がらない。
既読も、つかない。
胸の奥が、締めつけられる。
嫌な予感だけが、どんどん膨らんでいく。
そして、その日の夜。
ようやく、一通のメッセージが届いた。
震える手で、画面を開く。
――「ごめんね」
それだけだった。
短すぎる、その一言。
けれど。
すべてを理解するには、十分だった。
携帯を握りしめる。
力が入りすぎて、指が白くなる。
何もできなかった。
守ると言ったのに。
そばにいると言ったのに。
結局――何一つ、守れていない。
「……くそ」
小さく、吐き出す。
そのとき。
頭の中に、あの声がよぎる。
「あなたでは、守れない」
――違う。
ゆっくりと、顔を上げる。
「……守る」
低く、呟く。
どんな相手でもいい。
人間じゃなくてもいい。
先祖だろうと、何だろうと。
関係ない。
拳を、強く握る。
「……取り戻す」
それが、どれだけ無謀なことか。
分かっている。
それでも。
止まる理由にはならなかった。




