第二章「近づくほど、遠ざかるもの」
ここから、二人の距離は一気に縮まっていきます。
出会って間もないはずなのに、
不思議なほど心が重なっていく。
けれど同時に――
“見えない何か”も、確実に近づいていました。
恋と違和感が交差していく中で、
少しずつ、普通ではいられなくなっていきます。
どうか、このまま見届けてください。
あの日から、俺たちは頻繁に会うようになった。
最初に感じていたぎこちなさは、もうどこにもなかった。
会えば自然と笑い合い、何を話しても楽しかった。
――こんなにも、合うものなのか。
そう思うほどに、すべてが噛み合っていた。
価値観も、感覚も、間の取り方も。
まるで、最初から知っていたかのように。
だからこそ。
“違和感”も、はっきりと感じるようになっていった。
「ねえ」
ある日の帰り道。
助手席に座る彼女が、ふいに口を開いた。
「……後ろ、気にしないでね」
「え?」
思わずバックミラーを見る。
そこには、何も映っていない。
街灯に照らされた、ただの夜道。
後続車もいない。
「……誰もいないけど」
そう言うと、彼女は少しだけ笑った。
「うん、見えないならいいの」
その言い方が、妙に引っかかった。
見えない“なら”いい。
つまり――見えている、ということだ。
「いるのか?」
聞くと、彼女は少しだけ間を置いた。
「……うん」
軽い返事だった。
けれど、その声には、わずかな緊張が混じっていた。
「でも、大丈夫だよ。悪いものじゃないから」
“今は”。
そんな言葉が、聞こえた気がした。
俺は、それ以上聞かなかった。
聞いたところで、どうにもならない。
それに――怖がらせたくなかった。
いや。
正直に言えば。
俺自身が、怖かったのかもしれない。
――それでも。
会いたいと思った。
次の日も、その次の日も。
理由なんていらない。
ただ、一緒にいたかった。
ある日、彼女がぽつりと呟いた。
「ねえ、私たち……ちょっと変だよね」
「何が?」
「だって、まだそんなに時間経ってないのに」
そう言って、少しだけ照れたように笑う。
「こんなに好きになるなんて」
胸の奥が、わずかに熱くなる。
「……そうだな」
それしか言えなかった。
言葉にすると、壊れてしまいそうで。
「でもね」
彼女の声が、少しだけ弱くなる。
「怖いの」
「何が?」
問いかけると、彼女は視線を落とした。
「……近づきすぎると、ダメな気がする」
その言葉に、心臓がわずかに跳ねた。
「どういう意味だよ」
「わからない。でも……」
彼女は、ゆっくりと顔を上げる。
その目は、いつもより少しだけ真剣だった。
「“向こう”が、嫌がってる気がするの」
空気が、冷えた気がした。
「向こうって……」
言いかけて、やめた。
聞かなくても分かる。
“見えないもの”のことだ。
「……気にするなよ」
強がりだった。
自分でも分かっている。
けれど、そう言うしかなかった。
「俺は、お前といたい」
その一言で、彼女の表情が揺れた。
嬉しそうで、でもどこか苦しそうで。
「……うん」
小さく、うなずく。
その仕草が、たまらなく愛しかった。
だから――
俺たちは、止まらなかった。
どれだけ不安があっても。
どれだけ違和感があっても。
会うたびに、距離は近づいていく。
触れれば、確かにそこにいる。
温もりも、鼓動も、全部本物だった。
――だから、信じたかった。
この関係が、間違いじゃないと。
その夜。
彼女を家の近くまで送った帰り道。
車を走らせながら、ふと違和感に気づいた。
――静かすぎる。
エンジン音だけが、やけに響く。
ラジオはつけていない。
窓も閉まっている。
それなのに。
“何か”が、混じっている気がした。
視線。
そう、視線だ。
見られている。
確実に。
バックミラーを見る。
――誰もいない。
それでも。
“いる”。
はっきりと分かった。
その瞬間。
ぞわっ、と背筋に寒気が走る。
次の信号で、車を止めた。
赤信号。
誰もいない交差点。
静まり返った夜。
――そのとき。
ふと、窓ガラスに映った。
自分の後ろ。
助手席の、さらにその奥。
そこに――
“誰か”が立っていた。
顔は見えない。
ただ、輪郭だけがぼんやりと浮かんでいる。
人の形をしているのに、明らかに“人じゃない”。
心臓が、強く打つ。
音が聞こえるほどに。
――見た。
俺は、確かに見てしまった。
信号が青に変わる。
その瞬間、思わずアクセルを踏み込んだ。
バックミラーを、もう一度見る。
――いない。
消えている。
けれど。
あれは、幻じゃない。
確信だけが、残っていた。
――関わってはいけないものに、関わってしまった。
そして同時に。
――もう、引き返せない。
そんな予感が、胸の奥に沈んでいた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
二人の距離は縮まりましたが、
同時に“見えない何か”も、確実に近づいてきています。
この恋は、ただの恋では終わりません。
少しずつ、違和感は形を持ち始め、
やがて――はっきりとした現実として現れます。
この先、二人は何を選び、何を失うのか。
次の章も、見届けていただけたら嬉しいです。




