第十三章「干渉」
静寂が、重かった。
彼女の言葉が、まだ空気に残っている。
「……観測者」
その一言で、すべてが変わった。
もう、見えてしまっている。
“あちら側”が。
「……っ……」
視界の端。
空間に、細い“裂け目”が走っている。
まるで、ガラスに入ったヒビみたいに。
でも、それは確かに“向こう”へ繋がっている。
「……これが……」
手を伸ばす。
触れるかどうかの距離。
本能が叫ぶ。
――やめろ。
でも。
「……触れる」
指先が、裂け目に触れた瞬間。
世界が、反転した。
「――っ!!」
音が消える。
重力が、消える。
視界が、裏返る。
でも、意識ははっきりしている。
“繋がった”。
「……やっぱり……できる……」
理解する。
俺は、もう。
“向こうに触れられる側”だ。
「……ねぇ」
声。
振り返る。
彼女が、そこにいた。
でも。
少しだけ、輪郭が“ブレている”。
「……やめて」
その声は、弱かった。
「それ……触っちゃダメなやつ……」
その言葉に。
裂け目が、脈打つ。
ドクン、と。
まるで生き物みたいに。
「……遅いよ」
低い声が、重なる。
彼女の声と、もう一つの声が。
「既に“接続”は成立している」
空気が、沈む。
観測者。
見えないはずの“それ”が、すぐ近くにいる。
「……黙れ」
低く、吐き捨てる。
「もう、分かってる」
拳を握る。
「触れるなら――」
視線を、彼女に向ける。
「守れるってことだろ」
その瞬間。
裂け目が、大きく開いた。
「――っ……!」
黒い手が、飛び出す。
一直線に、彼女へ。
「危ねぇ!!」
反射的に、手を伸ばす。
触れる。
今度は、“裂け目”じゃない。
“手そのもの”に。
「……止まれ」
その一言で。
黒い手が、止まった。
空間が、凍りつく。
「……は……?」
自分でも、理解できない。
でも。
確かに、止めた。
「……干渉……」
観測者の声が、わずかに揺れる。
初めての“動揺”。
「……成功したか」
次の瞬間。
頭に激痛が走る。
「――っっ!!」
膝をつく。
視界が、ブレる。
知らない記憶が、流れ込む。
無数の“奪還失敗”。
泣き叫ぶ誰か。
消えていく存在。
何度も。
何度も。
繰り返されてきた“結末”。
「……やめ……ろ……」
これが――
代償。
「……干渉には、反動が伴う」
観測者の声。
静かに。
冷たく。
「お前は、“記録”を共有することになる」
「……ふざけ……んな……」
歯を食いしばる。
痛みの中で。
それでも。
手は、離さない。
「……関係ねぇよ」
震える声。
でも。
確実に、前を向く。
「何回失敗してようが」
彼女の手を、掴む。
「今回だけは、違う」
その瞬間。
彼女の輪郭が、少しだけ“安定”する。
「……っ……」
彼女の目に、光が戻る。
「……戻ってきてる……」
でも。
完全じゃない。
影が、まだ歪んでいる。
黒い手は、消えていない。
「……まだ終わってない」
観測者の声。
「干渉は、“引き寄せる”」
空間が、さらに歪む。
裂け目が、増える。
現実が、崩れ始める。
「お前は今、“境界そのもの”になりつつある」
「……なら」
息を吐く。
痛みは消えない。
でも。
立ち上がる。
「全部まとめて、ぶっ壊してやるよ」
その言葉に。
空間が、大きく揺れた。
観測者が、初めて“明確な敵意”を見せる。
「……危険だな」
低く。
静かに。
「お前は、“修正対象”へ移行した」
その宣告と同時に。
無数の“黒い目”が、空間に浮かぶ。
見ている。
すべてを。
「……来いよ」
震える体で。
それでも笑う。
「観測者」
彼女の手を、握り直す。
「今度は、こっちが干渉してやる」
その瞬間。
世界が、完全に“戦場”へと変わった。




