最終章「その先にあるもの」
それから、しばらくの時間が流れた。
何かが劇的に変わったわけじゃない。
世界は、相変わらず同じように回っている。
朝が来て、夜が来て。
人は普通に笑って、普通に生きている。
――あの日のことが、嘘みたいに。
けれど。
確かに、変わったものもあった。
「……ねえ」
隣で、彼女が声をかけてくる。
「聞いてる?」
「ああ、聞いてる」
少しだけ笑って返す。
休日の午後。
人の多い通りを、並んで歩く。
あのときのような、隠れる必要はない。
堂々と、一緒にいられる。
それだけで、十分だった。
彼女は、以前より少しだけ穏やかになった。
無邪気な笑顔はそのままに。
けれどどこか、強さが増したようにも見える。
「ねえ」
ふと、彼女が立ち止まる。
「最近ね」
少しだけ空を見上げる。
「静かなんだ」
その言葉に、すべてを察した。
「……そうか」
短く返す。
完全に消えたわけじゃない。
それは、分かっている。
けれど。
少なくとも――
“奪われることはない”。
そんな確信があった。
「たまにね」
彼女が、小さく笑う。
「見てる感じはするけど」
冗談みたいに言う。
けれど、その奥にある意味は軽くない。
「……いいさ」
静かに言う。
「見てるだけならな」
それ以上、踏み込ませるつもりはない。
そのために――ここまで来た。
彼女が、少しだけ俺の腕に触れる。
自然な仕草で。
「ありがとう」
その一言に、すべてが詰まっていた。
「……まだ終わってないだろ」
少しだけ笑って返す。
彼女は、くすっと笑った。
「そうだね」
そのまま、歩き出す。
同じ方向へ。
並んで。
ふと、空を見上げる。
何もない、ただの空。
それでも。
どこかで、見られている気配は消えない。
完全に終わったわけじゃない。
きっと、これからも。
何かは、続いていく。
それでも。
もう、怖くはなかった。
「……なあ」
歩きながら、ふと口にする。
「もしまた、何かあったら」
彼女が、こちらを見る。
「そのときも」
一拍。
「全部、ぶっ壊すから」
少しだけ照れくさい言い方だった。
けれど。
本音だった。
彼女は、少し驚いた顔をして。
それから、優しく笑った。
「……うん」
小さく、うなずく。
その表情は、あのときよりもずっと強くて。
そして――
ずっと、綺麗だった。
夕暮れの光が、二人を照らす。
長く伸びた影が、重なる。
離れないように。
自然に。
ひとつになるように。
「……帰るか」
「うん」
短い会話。
それだけで、十分だった。
もう、奪わせない。
もう、離さない。
この先、何があっても。
――それでも、俺たちは進んでいく。




