第7話「火種」
会場は、これまでで一番静かだった。
ざわめきはある。シャッター音も止まってはいない。だが、そのすべてがどこか遠くで鳴っているように感じられた。人は、本当に大きな情報を目の前にしたとき、むしろ言葉を失う。
スクリーンには、まだ映像が止まっている。
居酒屋のテーブル。
封筒。
佐伯圭一。
そして相良宗一。
誰もが理解していた。これはただのゴシップではない。芸能界の構造そのものに触れる話だ。スターを作り、スターを潰し、世論を動かす。その裏側のエンジンのようなものが、今、スクリーンの上に露出している。
神崎修司は、ゆっくりと会場を見渡した。
二百人近い記者たち。テレビ局。週刊誌。ネットメディア。全員の目が、今は彼に向いている。
七年前。
この視線は、刃のようだった。
今は違う。
今は、燃料だ。
神崎はマイクを少し持ち直した。
「勘違いしてほしくないんですが」
その声は、相変わらず落ち着いていた。
「僕は、今日ここで誰かを断罪するつもりはありません」
記者たちが顔を上げる。
相良宗一は腕を組んだまま、神崎を見ている。
神崎は続けた。
「芸能界は、善と悪でできているわけじゃない」
少しだけ笑う。
「そんな単純な世界なら、僕はこんな会社を作っていません」
会場の空気が少しだけ緩む。
神崎は言った。
「芸能界も、報道も、政治も、企業も」
言葉を区切る。
「全部ビジネスです」
誰も反論しない。
神崎はスクリーンを消した。
巨大な画面が黒くなる。
その瞬間、会場の緊張がほんの少しだけほどけた。人間は、巨大な証拠を見せられ続けると、どこか息苦しくなるものだ。
神崎は言った。
「パパラッチ・パパラッチは、復讐の会社ではありません」
少し間を置く。
「これは、観測装置です」
記者席のあちこちでペンが動く。
「この国で、物語がどう作られるのか」
「誰がスイッチを押すのか」
「誰が利益を得るのか」
神崎は言った。
「それを可視化する」
そして、ゆっくり付け加えた。
「それだけです」
相良宗一が、そこで初めて声を出して笑った。
「それだけ、か」
低い声だった。
神崎は視線を向ける。
相良は、少し楽しそうだった。
「面白い会社を作ったな」
相良は言った。
「だが」
その声が少し低くなる。
「この業界は、そんなに単純じゃない」
神崎は答えなかった。
相良は続けた。
「神崎くん」
その目が少しだけ鋭くなる。
「君が見ているのは、せいぜい二層目だ」
会場が静まる。
神崎はその言葉を聞きながら、心の中で小さく笑った。
二層目。
それは、正しい。
相良宗一は、確かにこの世界の上層にいる人間だ。だが、神崎は知っていた。相良のさらに上にも、まだ層がある。
そして、そこへ触れるには――
まだ時間が必要だ。
神崎はマイクを置いた。
「今日はここまでにしましょう」
その言葉に、会場がざわめく。
記者の一人が立ち上がる。
「神崎さん、質問が――」
神崎は軽く手を上げた。
「記事を書く時間が必要でしょう」
小さな笑いが起きる。
「皆さん忙しい」
神崎は続けた。
「僕も忙しい」
そして、最後に言った。
「次のスクープは」
少しだけ微笑む。
「また近いうちに」
会場が再びざわめいた。
記者会見は、それで終わった。
ホテルの裏口は、静かだった。
ボールルームの喧騒が嘘のように、夜の空気は落ち着いていた。遠くで車の音がする。湿ったアスファルトの匂いが、都会の夜を感じさせる。
神崎修司は、ネクタイを少し緩めながら外へ出た。
背後から声がする。
「社長」
振り返ると、一人の女性が立っていた。
三十代前半。黒いスーツ。短く整えられた髪。鋭い目をしている。
神崎の会社――パパラッチ・パパラッチの調査責任者。
真壁葵。
元新聞記者だった。
神崎は言った。
「どうだった?」
真壁は、タブレットを軽く振った。
「SNSトレンド、全部取りました」
「テレビも速報出ました」
「週刊誌は今、編集会議してます」
神崎は笑った。
「いいね」
真壁は少しだけ神崎を見た。
「でも」
神崎が眉を上げる。
真壁は言った。
「相良宗一」
「思ったより焦ってません」
神崎は夜空を見上げた。
雲がゆっくり流れている。
「そりゃそうだろ」
神崎は言った。
「今日のは、ただの火種だ」
真壁は少し黙った。
それから言った。
「次は?」
神崎はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面には、一枚の写真が表示されている。
高級ホテルのラウンジ。
二人の男が話している。
一人は、相良宗一。
そして、もう一人は――
テレビ局の会長だった。
神崎は静かに言った。
「物語の脚本家は」
スマホをポケットに戻す。
「まだ他にもいる」
夜の空気は静かだった。
だが、この夜から。
日本の報道の裏側で。
小さな戦争が始まっていた。




