第6話「裏切りの値段」
スクリーンに映し出された写真は、決して派手なものではなかった。
高級レストランでもなければ、密会の証拠として分かりやすい構図でもない。都内のどこにでもありそうな古い居酒屋。木目のテーブル。少し黄ばんだ照明。壁には色あせた短冊メニューが貼られている。写真の解像度も特別高いわけではなく、スマートフォンで撮ったもののように見えた。
だが、その写真に写っている二人の男の顔は、会場にいる人間のほぼ全員が知っていた。
一人は相良宗一。
そしてもう一人は――佐伯圭一。
七年前、神崎修司のマネージャーだった男。
会場の空気が、静かに張り詰めていく。
記者たちは、今度は誰も軽々しく声を上げなかった。先ほどまでとは明らかに違う。今この場で何が起きているのかを、誰もが理解し始めていたからだ。これは単なる記者会見ではない。芸能界の裏側の構造そのものが、目の前で解体され始めている。
神崎はマイクを持ったまま、スクリーンの写真を見上げていた。
七年前のことを思い出していた。
当時、神崎はまだ俳優として絶頂にいた。映画もドラマもヒットしていたし、CM契約も十本以上あった。業界では「十年に一人のスター候補」と言われていた。本人はそんな言葉を真剣に信じていたわけではないが、それでも自分の未来はこのまま上昇していくのだろうという、ぼんやりとした確信はあった。
その隣に、いつも佐伯圭一がいた。
佐伯は五十歳近いベテランマネージャーだった。神崎がまだ新人だった頃から担当していた。口数は少ないが、業界の裏側をよく知っている男で、若かった神崎にとっては頼れる存在だった。
スキャンダルが出たとき、神崎は真っ先に佐伯へ電話をした。
「これ、どういうことですか」
そのときの佐伯の声は、今でも覚えている。
「落ち着け。すぐ対応する」
その一言だけだった。
だが、その数日後、佐伯は姿を消した。
事務所も、連絡先も、すべて消えていた。
神崎はしばらくその理由を理解できなかった。いや、理解しようとしなかったのかもしれない。人は、信じていた人間に裏切られた可能性を、すぐには受け入れられないものだからだ。
会場のざわめきの中で、神崎はゆっくりと口を開いた。
「七年前」
その声は落ち着いていた。
「僕のスキャンダル記事は、ある週刊誌から始まりました」
記者たちがメモを取る。
「記事を書いた記者は、黒川真也」
会場の後方に座っている黒川の顔が一瞬だけ強張る。
「でも」
神崎は言った。
「黒川さんが最初に情報を手に入れたわけではありません」
神崎はスクリーンを指した。
「情報を渡したのは、この人です」
佐伯圭一。
その名前がスクリーンの下に表示される。
会場がざわめく。
記者の一人が小さく呟いた。「マネージャーがリークしたってことか……」
神崎は頷いた。
「そうです」
そして、視線を相良へ向ける。
「そして、その情報を買ったのが」
神崎はゆっくり言った。
「相良宗一さん、あなたです」
会場が大きくざわめいた。
だが、相良宗一は動かなかった。むしろ、ほんの少しだけ笑っていた。まるで、ここまでの展開をすべて予想していたかのようだった。
相良は静かに言った。
「証拠は?」
その声には焦りがなかった。
神崎はリモコンを押した。
スクリーンが切り替わる。
今度は動画だった。
居酒屋の店内。
佐伯圭一がグラスを持っている。向かいに相良が座っている。会話ははっきり聞こえないが、テーブルの上に封筒が置かれる瞬間だけは、はっきり映っていた。
その封筒を、佐伯がゆっくりと自分のカバンに入れる。
動画が止まる。
会場の誰もが理解した。
金だった。
相良は、その映像を見ても表情を変えなかった。
「それが何か?」
相良は肩をすくめた。
「ただの会食だ」
神崎は笑った。
「そうですね」
そして、もう一度リモコンを押す。
今度は音声だった。
『三千万だ』
佐伯の声。
『その代わり、完全に潰す。二度と戻れないようにする』
数秒の沈黙。
そして相良の声。
『それでいい。あいつは邪魔なんだ』
会場の空気が凍りついた。
今度は、相良の笑顔がほんのわずかだけ消えた。
神崎は静かに言った。
「裏切りには、値段があります」
記者たちは息を呑んでいる。
神崎は続けた。
「佐伯さんの値段は、三千万でした」
そして、ゆっくりと視線を相良へ向ける。
「あなたの値段は」
神崎は少しだけ微笑んだ。
「いくらですか」
その瞬間、相良宗一の目が初めて鋭くなった。
会場の誰もが、その変化に気づいた。
神崎修司は思った。
ようやく、この男の仮面が。
少しだけ、ひび割れた。




