第5話「物語を作る者」
警察官が現れたとき、会場の空気は再び変わった。
先ほどまでの混乱とは種類が違う。今度の空気には、明確な「期待」が混ざっていた。記者たちは本能的に理解している。この瞬間は記事になる。この数分間は、あとで必ず何度も切り取られる。ニュース番組の特集にも、ネット記事の見出しにも、週刊誌の巻頭カラーにもなる。
だから彼らは動きを止めない。
カメラは警察官へ向けられ、マイクは神崎へ突き出され、スマートフォンの録画ボタンが一斉に押される。
まるで会場全体が一つの巨大なレンズになったようだった。
神崎修司はその中心に立っていた。
警察官の一人が、少し困ったような表情で周囲を見回している。ここが単なる企業会見ではないことは、彼らも理解しているようだった。テレビカメラが十台以上、報道記者が二百人近く。普通の事情聴取をするには、あまりにも舞台が大きすぎる。
「神崎さん」
警察官が静かに言った。
「違法情報収集の疑いについて、お話を――」
神崎はその言葉を途中で遮った。
「すみません」
神崎は穏やかな声で言った。
「先ほども説明した通り、そのニュースはうちのテストです」
警察官の眉がわずかに動く。
「テスト?」
「はい」
神崎はスクリーンの方を指した。
そこには先ほどのグラフがまだ表示されていた。速報が出てからの拡散速度。SNS、ニュースサイト、テレビ速報。すべてが秒単位で可視化されている。
「このニュースを出してから、ここまでで三分四十二秒」
神崎は言った。
「その間に記事を書いたメディアが十八社」
「確認の問い合わせをしてきたメディアが二社」
「何も確認せず速報を転載したメディアが九社」
会場がざわつく。
神崎は冷静に続けた。
「警察の捜査という情報を、誰も警察に確認していない」
その言葉に、会場の空気が一瞬だけ凍った。
警察官が神崎を見る。
「我々は、そんな捜査はしていません」
神崎は頷いた。
「もちろんです」
そして、記者たちの方へ視線を向ける。
「今のが、スクープの誕生です」
誰かが小さく舌打ちをした。
神崎はその音を聞きながら、少しだけ昔のことを思い出していた。
七年前。
自分のスキャンダルが出た日。
朝、一本の週刊誌の記事が出た。それだけだった。だが、その記事は昼にはテレビのワイドショーへ広がり、夕方にはニュース番組が取り上げ、夜にはSNSが炎上していた。
誰も裏取りをしていなかった。
誰も事実を確認していなかった。
ただ、物語が面白かったから広がった。
「皆さんは、ニュースを作っているつもりかもしれません」
神崎は言った。
「でも本当は違う」
会場が静まり返る。
「皆さんが作っているのは」
神崎は言葉を区切った。
「物語です」
そのときだった。
ステージの下から、ゆっくりと拍手が聞こえた。
乾いた音だった。
神崎は視線を下げる。
相良宗一が立っていた。
相良は、楽しそうに拍手していた。
「面白い」
相良はそう言った。
その声には、本当に感心しているような響きがあった。
「神崎くん」
相良は少し笑った。
「君はずいぶん賢くなった」
会場の視線が二人の間を行き来する。
神崎は何も言わない。
相良はゆっくりと続けた。
「でもね」
その声は穏やかだった。
だが、どこか底冷えするような響きがあった。
「君は一つ勘違いしている」
神崎は静かに相良を見ている。
相良は言った。
「この世界で物語を作るのは」
少し間を置く。
「記者じゃない」
神崎の眉がわずかに動く。
相良は笑った。
「我々だ」
会場がざわめく。
相良は続けた。
「記者は、書くだけだ」
「編集部は、売るだけだ」
「世論は、騒ぐだけだ」
相良は肩をすくめた。
「物語の脚本を書いているのは、別の人間だ」
その視線が、神崎に向けられる。
「例えば」
相良は言った。
「君の七年前のスキャンダル」
神崎の表情が、ほんのわずかだけ変わった。
会場の記者たちは息を呑んでいる。
相良は言った。
「最初に記事を書いたのは、週刊誌だ」
「でも」
相良は微笑んだ。
「情報を渡したのは、誰だと思う?」
神崎は何も答えない。
相良は言った。
「君のマネージャーだよ」
会場の空気が凍りついた。
神崎の目が、ゆっくり細くなる。
相良は続けた。
「正確に言うと」
「元マネージャーだ」
その瞬間、神崎の頭の中に一人の顔が浮かんだ。
佐伯圭一。
自分が新人だった頃から担当していた男。
誰よりも近くにいた男。
七年前のスキャンダルのあと、突然姿を消した男。
相良は言った。
「物語はね」
静かな声だった。
「近くにいる人間が作るんだよ」
会場は完全に静まり返っていた。
神崎の胸の奥で、何かがゆっくりと動き始めていた。
それは怒りではなかった。
もっと冷たいものだった。
神崎は、ゆっくりとマイクを握り直した。
そして言った。
「知ってます」
相良の笑顔が、ほんのわずかだけ止まった。
神崎は静かに続けた。
「だから」
スクリーンを指す。
次のスライドが表示される。
そこに映っていたのは、一枚の写真だった。
古い居酒屋。
テーブルの向こうに座る二人の男。
一人は――
佐伯圭一。
そして、その向かいに座っている男は。
相良宗一だった。




