第29話「夜のオフィス」
『パパラッチ・パパラッチ』登場人物一覧
■神崎 修司
本作の主人公。
元人気俳優で、七年前のスキャンダルによって芸能界を引退。
現在は実業家として成功し、「パパラッチ・パパラッチ」という会社を立ち上げた。
芸能人を追い回す記者を逆に取材するという前代未聞のビジネスを開始し、
メディア・芸能界・スポンサー・政治の裏側にある「物語を作る構造」に戦いを挑む。
■真壁 葵
パパラッチ・パパラッチの調査責任者。
元新聞記者。
報道の裏側を知る人物で、神崎の最も信頼する右腕。
理性的で冷静だが、神崎の手法の危うさを常に理解しており、物語の中で「倫理の視点」を持つ存在。
神崎の行動に疑問を持ちながらも、彼の覚悟を理解し、共に戦う。
■佐伯 圭一
神崎の元マネージャー。
神崎が新人だった頃から担当していた人物。
しかし七年前、相良宗一から金を受け取り、神崎のスキャンダル情報を週刊誌に流したことが発覚。
神崎の人生を壊すきっかけを作った「裏切り者」。
■黒川 真也
週刊誌記者。
七年前、神崎のスキャンダル記事を書いた人物。
仕事として記事を書いただけだと語る、典型的なゴシップ記者。
神崎にとっては「直接の加害者」ではあるが、同時にメディア構造の中で動く一人の歯車でもある。
■相良 宗一
芸能界の大物プロデューサー。
テレビ・映画・音楽業界に強い影響力を持つ人物。
神崎のスキャンダルの裏側で暗躍していた可能性が高い。
■城戸 正宗
広告業界の伝説的存在。
日本最大の広告代理店の元会長で、現在は政府のメディア戦略顧問。
テレビ・広告・政治を横断する巨大な影響力を持つ。
■有里
神崎の元恋人。
七年前のスキャンダル当時、神崎の最も近くにいた人物。
現在、週刊誌で「元恋人の独占告白」として登場し、
神崎にとって最も痛い形の攻撃材料として利用される。
深夜一時。
六本木の裏通りにある雑居ビルの五階だけ、まだ灯りが消えていなかった。
パパラッチ・パパラッチのオフィスだ。
元は小さな制作会社が入っていた古い事務所らしく、壁にはところどころ昔のスタジオの名残がある。白く塗り直されたコンクリート、むき出しの配線、そして大きな窓。六本木のネオンが、夜になるとその窓から静かに差し込んでくる。
昼間は記者や関係者が出入りするこの場所も、今はスタッフ数人だけだった。
キーボードの音が、規則的に響いている。
神崎修司はソファに座り、紙コップのコーヒーをゆっくり飲んでいた。テレビはつけていない。さっきまであれだけ流れていた記者会見の映像も、もう見たくなかった。
会見は終わったが、物語は終わっていない。
むしろ、今からが本番だ。
「社長」
真壁葵の声が聞こえた。
神崎は顔を上げる。
真壁はモニターの前に立っていた。パソコン画面には大量の資料が並んでいる。週刊誌の記事のデータ、制作会議の議事録、音声ファイル。パパラッチ・パパラッチがこの数ヶ月で集めた情報の断片だった。
「出ました」
神崎はコーヒーを机に置いた。
「何が」
真壁は画面を拡大する。
「七年前の週刊誌編集部の打ち合わせメモです」
スタッフの一人がモニターを神崎の方へ向けた。
手書きの文字のスキャンだった。少し崩れた筆跡が並んでいる。
その中に、ある言葉が書かれていた。
――相良案件
神崎は少しだけ目を細めた。
真壁は続ける。
「スキャンダル記事が出る三日前の編集会議です」
神崎は黙って聞いている。
真壁は言った。
「記事の企画が出たとき、編集長がこう言っている。“これは相良案件だ”」
部屋の空気がわずかに重くなる。
神崎は小さく息を吐いた。
七年前のことを思い出す。
あの頃、神崎は主演映画の撮影を控えていた。制作の中心にいたのが相良宗一だった。テレビ局、映画会社、広告代理店。そのすべてとつながっている人物。
そして――
スキャンダルが出た。
神崎は一夜で仕事を失った。
映画の主演は、別の俳優に変わった。
真壁はキーボードを叩きながら言う。
「ただ、これだけじゃ弱い」
神崎は頷いた。
「分かってる」
メモはメモでしかない。疑いは生むが、決定的な証拠にはならない。
真壁は別のファイルを開いた。
「でも、これがある」
画面に音声データが表示される。
神崎の眉がわずかに動く。
「テレビ局の制作会議の録音です」
再生ボタンが押される。
少し古い音声だった。雑音が混じっている。
だが会話ははっきり聞き取れた。
「神崎が消えたら、この俳優でいこう」
部屋の空気が止まる。
神崎は何も言わなかった。
ただ、その音声を最後まで聞いた。
やがて再生が止まる。
神崎は静かに言った。
「つながってきたな」
真壁は画面を見つめたまま頷く。
「まだ断片ですけどね」
神崎は立ち上がり、窓の方へ歩いた。
六本木の夜景が広がっている。ネオン、車のライト、ビルの窓。昼とは違う東京の顔だった。
七年前。
神崎はこの街でスターだった。
ドラマ、映画、CM。仕事は次々に入っていた。業界の人間はみんな神崎に笑顔を向けていた。
そして、ある日突然すべてが消えた。
神崎は思った。
あのとき、自分は何も知らなかった。
芸能界の仕組みも、メディアの力も、スポンサーの動きも。
ただ仕事をしていただけだった。
「社長」
真壁が言う。
神崎が振り返る。
「これ、出しますか」
神崎は少し考えた。
そして首を振った。
「まだだ」
真壁は頷く。
「観客が足りないですか」
神崎は少し笑った。
「よく分かってる」
城戸正宗が言っていた。
観客が物語を決める。
ならば――
観客を増やすしかない。
そのときだった。
神崎のスマートフォンが震えた。
知らない番号だった。
神崎は画面を見つめたまま、少しだけ考える。
こんな時間にかけてくる人間は限られている。
神崎は通話ボタンを押した。
「神崎です」
電話の向こうで、少し間があった。
そして低い声が聞こえる。
「久しぶりだな」
神崎の目がわずかに細くなる。
その声を、神崎は覚えていた。
さっきの記者会見でも顔を見た。
だが――
この声を電話で聞くのは、ずいぶん久しぶりだった。
相良宗一。
芸能界にいた頃、神崎はこの男に何度も世話になった。仕事ももらった。食事にも連れていかれた。
そして七年前。
すべてが終わったあと、この男から連絡は一度もなかった。
神崎は静かに言った。
「相良さん」
電話の向こうで、相良が小さく笑う。
「派手なことを始めたじゃないか」
神崎は窓の外を見ながら答える。
「やっと気づいただけですよ」
相良は言った。
「気づくのが遅い」
その声には怒りも焦りもない。
むしろ少し楽しんでいるようだった。
相良は続ける。
「会おう」
神崎は黙る。
相良の声は落ち着いていた。
「七年前の話」
少し間を置く。
「直接してやる」
神崎は数秒だけ考えた。
真壁がこちらを見ている。
神崎は静かに答えた。
「いいですよ」
電話の向こうで、相良が言う。
「場所は後で送る」
通話が切れる。
オフィスの空気が少しだけ重くなる。
真壁が聞いた。
「相良ですか」
神崎は頷いた。
そして小さく笑った。
「やっと出てきた」
七年前の物語。
その中心にいた男が――
ようやく舞台に姿を現そうとしていた。




