第14話「七年前の夜」
神崎修司は、その夜ほとんど眠れなかった。
スポンサーが一社降りたというニュースは、想像以上の速度で広がっていた。テレビ局は「広告主の判断」と説明し、企業は「ブランドイメージを総合的に判断」とコメントを出した。だが実際には、その背景に何があるのかを、ほとんどの人間が薄々理解していた。
SNSは盛り上がっている。
「神崎すごい」
「テレビざまあ」
「スポンサー強い」
だが、神崎の胸の中は、少しも軽くなかった。
オフィスの窓から夜景を見ていると、東京という街が巨大な機械のように見えてくることがある。ビルの灯り、道路の車の流れ、深夜でも動き続ける人の気配。すべてが何かの歯車のように動いている。
そして神崎は、その歯車を一つ壊そうとしている。
それがどれほど危険なことかは、本人が一番分かっていた。
真壁葵は、会議室のドアの前で少しだけ立ち止まった。
中には神崎がいる。
電気はついている。
だが物音がしない。
真壁はノックした。
「社長」
中から声がする。
「どうぞ」
真壁が入ると、神崎は窓際に立っていた。
ネクタイは外している。シャツの袖もまくっている。机の上にはコーヒーカップがいくつも並んでいた。
「寝てないでしょ」
真壁が言った。
神崎は少し笑った。
「記者会見のあとってさ」
椅子に座る。
「眠れないんだよ」
真壁は神崎を見た。
「七年前も?」
神崎は少し黙った。
それから言った。
「七年前は」
窓の外を見る。
「三日眠れなかった」
七年前。
あの夜のことは、今でも夢に出る。
週刊誌の記事が出たのは、金曜日の朝だった。
最初は小さな記事だった。芸能ニュースの一つ。だが昼になるとテレビのワイドショーが取り上げ、夕方にはニュース番組が流し、夜にはSNSが炎上していた。
電話が鳴り続けた。
マネージャー。
事務所。
テレビ局。
スポンサー。
神崎は一日中説明していた。
「事実じゃない」
何度も言った。
誰も信じなかった。
夜。
マンションの前に記者がいた。
フラッシュが光る。
質問が飛ぶ。
「未成年との関係は?」
「薬物疑惑は?」
「コメントを!」
神崎はその光の中に立っていた。
まるで舞台のライトのようだった。
でも。
あれは舞台じゃない。
真壁は神崎の話を黙って聞いていた。
神崎は言った。
「その夜さ」
少し笑う。
「一番きつかったの」
真壁が聞く。
「何」
神崎は言った。
「母親」
真壁は黙る。
神崎は続けた。
「電話が来た」
「ニュース見たって」
神崎は目を閉じた。
「母親」
「泣いてた」
真壁は何も言わない。
神崎は言った。
「そのとき」
少し間を置く。
「初めて思った」
真壁が静かに聞く。
神崎は言った。
「誰か」
窓の外を見る。
「責任取れよ」
真壁は息を吐いた。
神崎は言った。
「でも」
少し笑う。
「誰も取らない」
真壁は聞いた。
「だから」
神崎は言った。
「構造」
会議室が静かになる。
神崎は言った。
「でもさ」
少しだけ声が低くなる。
「分かってる」
真壁が見る。
神崎は言った。
「俺」
笑う。
「同じことやってる」
真壁は黙った。
神崎は続けた。
「炎上作る」
「スポンサー動かす」
「世論使う」
神崎は自嘲気味に笑った。
「記者と同じ」
真壁は静かに言った。
「違う」
神崎が見る。
真壁は言った。
「記者は」
「構造を守る」
神崎は黙る。
真壁は言った。
「あなたは」
少し間を置く。
「壊してる」
神崎は少し笑った。
「壊したあと」
真壁が聞く。
「どうするんですか」
神崎は答えなかった。
窓の外の東京を見ていた。
そのときだった。
真壁のスマートフォンが震えた。
画面を見る。
そして顔色が変わる。
「社長」
神崎が振り向く。
真壁は言った。
「来ました」
神崎が聞く。
「何が」
真壁は言った。
「反撃」
神崎は少し笑った。
「相良?」
真壁は首を振った。
「違う」
神崎の目が細くなる。
真壁は画面を見せた。
そこには。
ニュース速報。
「神崎修司の元恋人、独占告白」
神崎の表情が。
ほんの一瞬だけ。
止まった。




