第1話「逆光のフラッシュ」
シャンデリアの光は、まるで巨大なフラッシュのようだった。
東京・丸の内の五つ星ホテル。
天井の高いボールルームには、柔らかなクラシック音楽が流れている。
壁一面に並ぶテレビカメラ。
長机の上にはマイクの列。
そしてその中心に、男がいた。
神崎修司、三十八歳。
かつては日本で最も顔が知られた俳優のひとり。
今は、日本で最も成功した若手実業家のひとり。
白いシャツにネイビーのスーツ。
胸元のポケットチーフは控えめな灰色。
派手さはないが、妙に目を引く男だった。
「神崎さん、少しお時間いいですか!」
「芸能界を引退されてから七年ですが、今の心境は?」
「今回の新規事業、かなり大きなプロジェクトだと聞いていますが!」
囲み取材の輪がじりじりと狭まる。
カメラのレンズが、虫の複眼のようにこちらを向いている。
神崎は軽く笑った。
「いやあ……そんなに大したものじゃないですよ」
声は穏やかだった。
「僕はただ、芸能界を辞めて、普通の仕事を始めただけです」
記者の一人が言う。
「普通の仕事で、年商三百億ですか?」
笑いが起きた。
神崎も笑った。
「それは結果ですね」
そう言いながら、グラスの水を一口飲む。
喉の奥が、ほんの少しだけ乾いていた。
七年前。
あの日も、こんな光だった。
フラッシュ。
フラッシュ。
フラッシュ。
「神崎さん!!」
「未成年女性との関係は事実ですか!!」
「薬物疑惑については!!」
質問というより、叫び声だった。
事実は、ほとんどなかった。
けれど、それはどうでもよかった。
世間は、
“神崎修司が堕ちる物語”
を欲しがっていた。
週刊誌はそれを与えた。
テレビはそれを拡声した。
SNSはそれを娯楽にした。
そして三ヶ月後。
神崎修司は、芸能界から消えた。
「神崎さん?」
記者の声に現実へ引き戻される。
「今回の事業は、どんな世界を目指すものなんですか?」
神崎は一度、会場を見渡した。
二百人以上の記者。
テレビ局。
週刊誌。
ネットメディア。
かつて自分を追い回した、同じ種類の人間たち。
「世界観、ですか」
少し考えるふりをして、神崎は言った。
「まあ、簡単に言うと」
少しだけ、口元が歪む。
「“公平”ですね」
記者たちが顔を見合わせる。
「公平?」
「どういう意味ですか?」
そのとき、司会がマイクを握った。
「皆様、まもなく記者会見を開始いたします。お席へご移動ください」
ざわざわと人が動き始める。
神崎は舞台袖へ歩いた。
スタッフが言う。
「緊張してます?」
神崎は笑った。
「してないですよ」
嘘だった。
怒りは、もうない。
七年前の自分なら、きっと怒っていた。
けれど今は違う。
神崎の中にあるのは、もっと静かなものだった。
理解。
あのとき、初めて知った。
報道という生き物は、
正義では動かない。
善悪でも動かない。
ただ一つ。
“需要”
それだけで動く。
だったら。
供給を変えればいい。
会場の照明が落ちた。
ステージのスポットライトが灯る。
神崎修司が壇上へ歩く。
拍手。
カメラのフラッシュ。
また光だ。
「本日はお集まりいただき、ありがとうございます」
マイクに声が乗る。
会場が静かになる。
神崎は、ゆっくり話し始めた。
「僕は七年前、芸能界を引退しました」
記者たちは静かにメモを取る。
「理由は、皆さんの方がよく知っていると思います」
小さな笑い。
「当時、週刊誌に書かれた内容のほとんどは事実ではありませんでした」
空気が少しだけ張りつめる。
「でも、それは問題じゃないんです」
神崎は言った。
「なぜなら」
少し間を置く。
「世の中は、真実より“面白い話”を求めるからです」
ざわ、と会場が揺れた。
神崎は続ける。
「僕はそのとき、初めて理解しました」
“スクープ”とは何か。
それは事実じゃない。
「商品です」
マイクが小さくハウリングした。
神崎は気にせず続ける。
「週刊誌は言います」
世の中が求めている。
「だから書く」
事実を書いているだけ。
「どう感じるかは世間が決める」
神崎は笑った。
「素晴らしい理屈ですよね」
誰も責任を取らなくていい。
「だったら」
神崎は言った。
「僕も同じことをしようと思いました」
会場が静まり返る。
「今回、私が発表する新規事業の名前は」
神崎は、ゆっくり言った。
「パパラッチ・パパラッチ」
記者たちのペンが止まる。
「私たちは」
「記者を取材する会社です」
ざわっ、と会場が揺れた。
「芸能人を追い回す記者」
「違法まがいの取材」
「個人情報の売買」
「家族への突撃」
神崎は静かに言う。
「全部、知っています」
「なぜなら」
「僕が全部やられたからです」
空気が凍る。
神崎の声は、淡々としていた。
「だから、僕たちは取材します」
「パパラッチを」
記者の一人が思わず声を上げた。
「それは……脅迫では?」
神崎は即答した。
「違います」
「報道です」
沈黙。
神崎は続ける。
「皆さんがよく言う言葉がありますよね」
世の中が求めている。
「私たちは事実を書いているだけ」
神崎は笑った。
「どう感じるかは、世間が決める」
ざわめき。
「つまり」
「皆さんの人生も」
「商品になるということです」
その瞬間だった。
会場後方のスクリーンが点灯した。
写真。
ある週刊誌記者が、政治家から金を受け取る映像。
別の写真。
人気ゴシップ記者が、芸能事務所から情報を買うメール。
そして、もう一枚。
神崎の七年前のスキャンダル。
それを最初に書いた記者。
その背後に立つ男。
芸能界の大物プロデューサー。
会場が凍りついた。
神崎は静かに言った。
「ちなみに」
「これは、まだ序章です」
記者の顔が青くなる。
神崎の笑顔は、優しかった。
けれど、その目だけは。
七年前のフラッシュのように。
冷たく光っていた。
そして、この瞬間。
日本の報道史に。
新しいジャンルが生まれた。
パパラッチを追う、パパラッチ。
その最初の犠牲者が。
この会場の中にいることを。
まだ誰も知らなかった。




