正論パンチャー
一
「精一杯やって、ミスしたら謝って。それだけでいいのよ。とにかく華ちゃんなりに精一杯やればいいの」
伯母の言葉は、やわらかく、温かかった。
桜が散りかけた四月の夕暮れだった。伯母の家のダイニングテーブルに向かい合って座り、私はほうじ茶の湯気を眺めながらその言葉を聞いた。伯母の助言は純粋な善意でできていて、その分、どこか地図のない旅への餞別のようでもあった。
翌週から、私の社会人としての生活が始まった。
伯母はやさしかった。ミスを恐れるなと言ってくれた。自分らしく、と言ってくれた。
ただ、一つだけ、教えてくれなかったことがある。
理不尽に、どう対処するか。
理不尽とはどんな形をしているか。理不尽はどんな顔で近づいてきて、どんな言葉で人を縛るか。それを、誰も私に教えてくれなかった。
桜はもうとっくに散っていた。私はそのことを、ずいぶん後になってから知った。
そして私は、二度も失敗した。
二
最初の会社を辞めたのは、入社三年目の秋だった。
営業事務の仕事だった。フロアの端に事務員が並び、その向こう側に営業の男たちが陣取っているような、古い体制の会社だった。お茶くみは女の仕事、コピーは女の仕事、間違いを指摘されても謝らないのが「できる男」の証明、という空気が床から染み出していた。
私は我慢できなかった。
会議で数字の誤りを発見すれば指摘した。業務フローの非効率を見れば改善案を出した。上司が「前からこうしてるから」と言うたびに、私は「でも、この方が正確ではないですか」と返した。
正しいことを言っていた。私は、確かに正しかった。
だが、あるとき、女性の先輩社員に呼び出された。給湯室で、声を潜めて彼女は言った。
「丸山さん、あなたのこと、みんな怖いって言ってるのよ」
「怖い?」
「男みたいだって。生意気だって」
私は黙った。
「中身は男だって、課長が言ってた」
中身は男。
それは褒め言葉のつもりだったのか、それとも警告だったのか。今でもわからない。ただ確かなのは、その言葉が刃のように何かを切り裂いたことだ。私の中の、柔らかい部分を。
その後、私を吊し上げるための会議が開かれた。出席者は課長と、何人かの先輩社員。議題は「丸山華の態度について」。私は呼ばれ、部屋の入口に立ち、全員の視線を一身に受けた。
嫌がらせも続いた。書類を隠された。メールを無視された。昼食のとき、席が一つだけ、微妙に離れていた。
私は正しいことを言っていた。
でも、私は一人だった。
誰かが教えてくれればよかった。正論だけでは立ち行かない場所があることを。女性は、社会の中で時に「媚び」なければ生き延びられない場面があることを。それが不当であっても、それが現実であることを。
誰も教えてくれなかった。
退職届を出した日、フロアは静かだった。誰も引き止めなかった。
それを、私は懲りずに、もう一度繰り返した。
三
二社目も、一年半で辞めた。いや、正確には、辞めたのではなく、倒れた。
業種は変わっても、空気は変わらなかった。理不尽は形を変えてそこにいた。サービス残業を「当然」と言う上司。ミスを部下になすりつける先輩。客の無理な要求を「お客様は神様」と言って飲ませる方針。
私はまた、言った。おかしいと思えば言った。黙っていることができなかった。
暴走トラック、と後に自分を評したのは、私自身だ。アクセルを踏む足が止まらない。ブレーキのかけ方を知らない。怒りがガソリンになって、どこまでも走り続ける。
気がついたら、身体が悲鳴を上げていた。
朝、通勤電車に乗った瞬間、心臓が跳ね上がった。息ができなかった。手が震えた。次の駅でドアが開くと、半ば這うようにホームに降り、冷たいベンチに座って、自分の手のひらを見つめた。
歩いている途中で、突然、足が動かなくなったこともあった。商店街のど真ん中で立ち往生して、行き交う人の波に飲まれそうになりながら、涙が出た。理由もわからなかった。
胃は常に痛かった。食事が怖かった。夜、眠れなかった。
メンタルクリニックの診察室で、若い医師は穏やかな声で言った。
「適応障害です。しばらく休みましょう」
適応障害。
つまり私は、この社会に“うまく適応できない人間”らしい。
でも本当に壊れているのはどっちだ。
ミスを押しつけ、沈黙を美徳とし、媚びを能力と呼ぶ環境のほうが、正常だと言うのか。
半年、休職した。
世界が止まったような半年だった。昼間から布団の中にいることへの罪悪感。カーテン越しに見える青空が、やけに遠かった。伯母が時々、差し入れを持ってきてくれた。「ゆっくりしていいのよ」と言ってくれたが、私にはゆっくりの仕方がわからなかった。
復帰した。
何も変わっていなかった。
理不尽は、何食わぬ顔でそこにいた。まるで私の不在など、知らなかったかのように。
「若いんだからさ、多少は我慢しなよ」
上司は笑って言った。
その笑顔が、私の胸を踏みつけた。
私はまた、反抗した。
また、同じことになった。
四
二度目の休職に入った夜、私はアパートのユニットバスの床に座って天井を見上げた。
我ながら、呆れた。
何度失敗すれば気が済むのだろう。学習能力がないのか。それとも、これは失敗と呼ぶべきことなのか。
わからなかった。
わかっていることは一つだった。私は間違っていない。間違っているのは、理不尽を「普通」と呼ぶこの社会だ。間違っていることを間違っていると言って、何が悪いのか。理不尽なことに黙っていることが、なぜ美徳なのか。
職場の同僚たちのことを考えた。彼女たちは、なぜ平気なのだろう。日々の理不尽を、笑顔で受け流している。上司の理不尽な言葉に、「そうですよね」と頷いている。それが処世術なのか、それとも、もう感覚が麻痺してしまっているのか。
「みんなそうしているよ」
その言葉が一番嫌いだ。
みんなが間違っていたら、間違いは正解になるのか。
どちらにしても、私には受け入れられなかった。
この社会は、理不尽に耐えられる人間だけを「まとも」と呼ぶ。
間違っていると声を上げる人間を、扱いづらいと排除する。
ならばまともでなくていい。
私は壊れていない。
壊れているのは、理不尽を“普通”と呼ぶ仕組みのほうだ。
本気でそう思った。破壊衝動は暗い部屋の中で、ぼうっと燃えていた。
でも私は、伯母の言葉通りにやっていた。精一杯やった。ミスをしたら謝った。それだけは、ずっとやってきた。ただ、私は反抗的だった。それだけが、余分だったのかもしれない。
余分。
正しいことを言うことが、余分。
バスタブの縁に手をかけて、立ち上がった。鏡の中に、くたびれた顔の女がいた。
五
今の私は、まだ休職中だ。
今期で契約が終わることが、遠回しに告げられた。要するに、クビだ。次にどこへ行くか、何をするか、まだ何も決まっていない。ハローワークのサイトを開いては閉じ、求人票を眺めては遠い目になる。履歴書の職歴欄が、白紙のまま机の上にある。
ある日曜日、父が家に来た。
駅前の定食屋で昼ごはんを食べながら、父は言った。
「華、女の子は、多少は媚びなきゃ生きていけない。『私が正しい』ってお高く止まってたら、生き延びられないぞ」
父は、一つの会社に定年まで勤め上げた人だ。真面目で、誠実で、会社の歯車として四十年間、きっちり回り続けた人だ。その言葉には、実感がある。経験がある。嘘ではない。
私は箸を置いた。
「でも」と言った。
「でも、そういう人間に、私はなりたくない」
父は何も言わなかった。味噌汁を飲んだ。窓の外を、見知らぬ人たちが通り過ぎた。
「女の子は多少は媚びなきゃ生きていけない」
それは助言ではない。
それは、この社会が女性に配ってきた生存マニュアルだ。
答えは、まだ出ない。
帰り道、一人で歩きながら考えた。正しいことを正しいと言える社会に、なぜ私たちは生きていないのだろう。なぜ「媚び」ることが生存戦略になるのだろう。なぜ声を上げた人間が、追い詰められなければならないのだろう。
わからない。
わからないまま、私は歩き続ける。足が動く限り、転んでも、また立ち上がって。暴走トラックのように、ではなく、今度こそ、自分のペースで。
だから私は、黙らない。
壊れているのは、私じゃない。
壊れているのは、理不尽を「普通」と呼ぶこの仕組みだ。
そして私たちは、それを「まとも」と呼ばされている。
それが正義の顔をして立ちはだかるなら、私はその顔を殴り続ける。
「みんなそうしているよ」と言う声が、いつの間にか、仕組みを守っている。
傷つきたくないという気持ちも、いつの間にか、この仕組みを静かに支えている。
私は、そちら側には行かない。
一緒に殴るか。
それとも、そちら側に立つか。
選べ。
桜は、とっくに散っている。
でも私は、まだ立っている。
──完──




