妖相談所
妖相談所
そう書かれたビルの2階にある看板を見上げて、一人の青年がごくり、と生唾を飲み込んだ
人通りの少ない路地に佇むビルは、周囲の真新しい建物に囲まれ、ひっそりと時代に取り残された様に立っていた
「ここが…妖相談所…」
カメラを首からかけている茶髪の青年は、ぽつりと呟く
くりくりとした茶色の瞳はどこか不安げに揺れていた
首からぶら下がるカメラが、胸元でかすかに光を反射する
片手でスマホの地図アプリを開き、合っていることを確認する
(お祓いをしてくれるって口コミで聞いたんだけど…)
ちらり、と青年がビルを見る
よく言えば趣がある
悪く言えば、ボロい
そんな場所だった
2階に続く階段は建物が影になっていて、昼だと言うのに薄暗い
壁には蔦が這い、階段の手すりは所々錆びついている
それも彼の足を躊躇させていた
その時、ふいに足元で声がした
「なぉ〜ん」
視線を下に向けると、ぽっちゃりとした斑点模様の猫がいた
黄金色の細い目つきで青年を見上げている
「ぶにゃッ」
一声そう鳴くと鍵しっぽを揺らし、階段を上がり始める
数歩歩いてから、青年を振り返る
「も、もしかして…ついて来いってこと…?」
猫は鼻を鳴らし、背を向けて歩き始める
(そうだ…僕は…妹を、助けなきゃいけないんだ)
自身の頬を両手で叩く
「…よしッ!…いくぞ!!」
青年は一歩踏み出し、猫の後を追う
薄暗い階段を上がると、廊下の奥に古びた木製のドアが見えた
ついて行った先、2階の事務所の扉をノックする
「あの…すいません、誰かいますか?」
返答は無かったが、鍵が開いていた
(不用心だな…でも、入っていいってこと、か…?)
そう判断してドアノブに手を伸ばす
「し、失礼しま〜す」
ガチャリ、と開けた先
あちらこちらに、書類や本が床に散らばっていた
窓際にある鑑賞植物が開いた窓から入り込んだ風にわずかに葉を揺らしていた
室内には長テーブルと、茶色のソファがある
そのソファで黒髪の男性が眠っていた
彼の長い足が、ソファの端からはみ出している
男性の顔には開かれた本が被っていて、見れない
深く眠っているようで、青年には気づいていない様だった
「ぶなッ」
猫が跳躍し、ソファで眠る人物の腹の上に着地する
「うぐッ…!?」
猫に乗っかれてダメージが入ったらしく、その人物が身を起こした
知性的で涼しい印象を受ける切れ長の目元の男性は眠たそうにゆっくりと瞬きをし、腹の上に乗った猫に話しかける
「…おい、君な…」
「んな〜ご」
男性は室内を見渡し、ドア付近に立っていた青年に気がついた
「…ああ、こいつに案内されたってことは…客人か」
一人呟いて、彼が立ち上がる
窓の外から差し込む昼下がりの光に照らされて、室内に舞っていた埃が光を反射する
「相談に来たんだろう?どうぞ掛けてくれ」
そう言ってソファに座ることを薦める彼の仕草も口調も、様になっていた
青年は弾かれた様に慌ててお辞儀する
その拍子に、彼の大きなメガネがずり落ちそうになる
「は、初めまして…!僕…じゃない、私、こういう者です」
メガネをかけ直しながら、名刺を差し出す
「記者…?」
受け取った男性が、そう口にする
名刺を見下ろした彼の長いまつ毛の影が、頬に落ちる
「は、はい!雨夜たつる、と言います
普段はオカルトに関する記事を書いてます
と言っても、まだ新人なんですが…」
そう言ってたつるは、へにゃりと眉を下げて笑った
たつるはソファに座り、目の前の男性と向き合う
ソファのクッションが古く、少し沈む込む
「ご丁寧にどうも
俺のことは、仁と呼んでくれ。妖や霊、神…人の手には負えない連中に対する解決の依頼を引き受ける、なんでも屋をやっている」
仁が足を組み、たつるを見やる
「それで…どんな相談事なんだ?」
首を傾げて、仁が問いかける
質問にたつるが膝の上で拳を握る
「実は…」
目の前に座る仁を真っ直ぐに見て、たつるはここに来るまでの経緯を話し始めた
「僕の妹から電話がかかってきて…身の回りでおかしなことが起きる様になったって相談されたんです」
電話越しの妹の声は震えていた
「助けてお兄ちゃん…こういうの詳しいよね?私、他に相談できる人がいなくて…」
啜り泣く妹を宥め、たつるは話を聞き出した
最初の違和感は、視線を感じる様になったこと
気のせいかと思っていると、家の前に、山の幸が多く置かれ始めた
そして極め付けに…夜になると、人ならざる者達が現れる様になった
顔に布を巻いた彼らの布には、一つ目の目が描かれており、身体は異様に痩せこけ、着物を見にまとっている
一夜経つごとに、一体ずつ増えるのだと言う
そして、しゃがれた声で声を揃えて、こう言うのだ
「お迎えに参りました、花嫁様」
…と
話しを腕を組んで聞いていた仁は静かに呟く
「明らかにその彼女は良くない者に見初められているな
心当たりは?」
仁の問いかけにたつるは考え込み、はっと顔をあげた
「僕の村では年に一回、祭りが行われるんですが…妹は、巫女役として選ばれたそうなんです
それから、怪奇現象が起こる様になったと」
「それだな」
仁はため息をつく
「とりあえず対策として…山の恵みを受け取らないこと、求婚に対する肯定と受け取られる」
指を立て、仁が話す内容をたつるは慌ててメモし始める
「次にその使者達を招き入れないこと
ドアを開けず、声も出さないように
そういった類の者は許可が無い限り、入ってはこれない」
「使者、ですか…?」
仁の言葉にたつるが不思議そうに尋ねる
仁が頷く
「ああ、その者達は迎えだ
恐らく、その祭られている神の眷属だろう
それほど数がいると言うことは…よほど位が高いのだろうな」
たつるが目を見開き、声を震わせる
「そんな…じゃあ、どうしたら…」
仁がソファから立ち上がり、たつるを見下ろすと、不敵に口角を上げた
「君の目の前にいるのは、誰だと思っている?
その村に行き、依頼を解決してみせるさ」
「ひ、引き受けてくれるんですか…!?」
たつるがずり落ちたメガネを慌てて掛け直し、仁を見上げる
「ああ、その依頼…引き受けよう
この妖相談所の所長である仁がな」
そう言って仁は挑戦的に目を光らせ、笑った
斑点模様の猫が窓辺に座り、鍵しっぽを揺らしながら、二人を見守っていた
ガタン、ガタンと電車に揺られる
村に行く一本の電車にあまり人は乗っておらず、たつると仁は座って窓の外の景色を見ていた
車窓からは、都会のビル群が徐々に遠ざかっていく。やがて住宅街を抜け、視界いっぱいに田畑が広がった
「僕の村はこよぎ村と言って…地図にも載って無い様な辺鄙な村なんですよ」
そう言うたつるの声は柔らかく、彼が村を嫌っている訳ではないことが仁にも伝わった
「電車も1時間に一本しか無いんですよ
駅から少し歩くことになりますね」
電車は都心から離れて、山奥へと入っていく
仁は移り変わる景色を眺めながら問う
「祭りはいつあるんだ?」
「ああ、ちょうど三日後ですよ
ほら、これ」
そう言ってたつるが鞄から雑誌を取り出し、小さく記載された記事を指し示す
「こよぎ様に巫女が踊りを捧げるお祭りなんです
屋台も出て、結構人も集まるんですよ
都会の祭りには敵わないでしょうけど」
記事には祭りの概要と神楽殿の上で巫女衣装を来た女性が舞い踊る一枚の写真が載せられていた
「この記事、僕が書いたんですよ
まだ新人なのでこんなに小さくしか、載せられてませんけど…えへへ」
そう言ってたつるが眉を下げて笑う
彼は窓の外に視線を移した
山々が連なり合い、深い緑の中に、時折民家の屋根が見える
「…立派な記者になろうと村を飛び出したんです
その矢先に、妹から電話が掛かってきて…僕が近くにいたら、何か出来たかな…」
苦しげな表情を浮かべ、彼は外を見続ける
その先にいる家族を想って
仁が視線を向ける
「…君はもう、行動している
その行動力があれば、立派な記者になれるさ」
そう言って口角をあげた
たつるが目を見開く
「…!仁さん…」
仁は腕を組んでドヤ顔をする
「この仁に依頼したのは、正解だ
君の家族のことなら心配いらない
依頼は必ず遂行してみせるとも」
たつるは口元を緩ませる
(なんでこんなに自信満々なんだろう、この人
…でも、頼りになるな
一人じゃもっと不安で、心細かったかもしれない)
たつるは窓の外を見て、妹のことを考える
(普通なら受けてもらえない様な依頼を引き受けてもらえた
待ってろ、今助けに行くからな)
やがて列車がゆっくりと減速し、無人駅のホームに停まる
「ここが…こよぎ村か」
仁が山と畑に囲まれたのどかな村を見渡す
少し先に、集落が見えた
蛙の鳴き声が聞こえる田んぼ道を二人で並んで歩く
「…今のところ、怪しい気配は感じないな」
仁の言葉にたつるは不思議そうに瞬きをした
「仁さんは、そういうのが分かるんですか?」
「ああ、多少霊感があるからな
…そういう家の生まれだったんだよ」
そう言って仁はたつるから目を離し、遠巻きに眺める村の人達に目を向ける
子供達は大人の影から見慣れない仁の姿を好奇心に満ちた瞳で見ていた
「祭りになると、外から人は来るんですけど…狭い村ですから」
そう言ってたつるがフォローを入れる
「いや、気を悪くはしていない
よそ者だからな、大人しくしていよう」
その言葉に申し訳なさそうにしつつも、たつるは安堵した様に息をはく
「すいません、しばらくは俺の家に泊まってください」
「助かる」
そう言って軽く仁は頭を下げる
その時、たつるに気づいた一人の女性が声をかけてきた
「あっ…お兄ちゃん!」
村人達の間から、たつると同じ茶髪を揺らして駆け寄ってくる
「千里!大丈夫なのか!?」
たつるが慌てて千里、と呼ばれた彼女に駆け寄る
彼女の目の下には、化粧で誤魔化してはいるがうっすらと隈があった
「大丈夫…お兄ちゃんが助けに来てくれたんだもん
…そっちの人は…?」
仁に気づいた千里は珍しそうに仁を見る
「お兄ちゃんの友達?」
「この人は仁さんって言ってプロの妖退治の人なんだ
依頼して来てもらったんだよ」
その言葉に千里が目を丸くする
「そうだったの!?すみません、兄が無理を言って…」
そう言って千里が仁に向き合う
「私は千里と言います
正直、すごく困っていたので助かります
祭りが終わるまで、どうかよろしくお願いします」
ぺこり、と千里が頭を下げる
「ああ。もちろんだ」
千里は顔をあげ、一軒家を指差した
その先には立派な日本家屋が建っている
「あそこが私とお兄ちゃんの家です
…ここでは人目もあるので…家で話しをしませんか?」
そう言って千里は村人達に目を向ける
千里の言う通り、何人かがこちらを警戒する様な眼差しで見ていた
(…この村で信仰されているこよぎ様、とやらの話しはここでは出来ないな)
仁は判断し、頷いた
「詳しいことを知りたい
案内してもらえるか」
「粗茶ですが…良ければどうぞ」
千里がそう言ってお茶を差し出す
「ありがとう」
仁は礼を言ってから、湯気が出ている湯呑みを手に取り、口にする
「お茶菓子もありますよ」
お皿に乗った饅頭を仁に差し出して千里がにこ、と笑う
仁は室内を見渡す
日本家屋の床には畳みが敷かれ、襖には薄い桃色の梅の花の枝に鶯やメジロが止まっている花鳥画が描かれている
カコン、と庭の鹿威しが音を立てていた
仁は美しい日本庭園に目を向ける
手入れされた苔、飛び石、小さな池。池の端には石灯籠が佇んでいた
池には金色の鯉が二匹、連れ合う様に泳いでいる
「ここ、祖母の家だったんです
売り払いたくなくて私と…お兄ちゃんで住んでいたんです」
そう言って千里が俯く
「…こんな状況じゃ無ければ、お兄ちゃんが帰って来てくれて嬉しいんですけど…」
たつるが千里の顔を覗き込み、目を合わせる
「今回のことが解決したらこれからはもっと里帰りするようにする
だから、一緒に乗り越えよう」
その言葉に初めて千里の瞳が揺れた
「お兄ちゃん…」
ぎゅっとたつるが千里を抱きしめる
「ごめん、大事な時に一緒にいてやれなくて
でももう大丈夫だから
お兄ちゃんが千里を守るから」
千里の頬に涙が伝う
彼女は顔を伏せ、たつるの胸に顔を埋めた
彼女の細い肩が震えていた
(…気丈に振る舞ってはいたが…一人で恐怖を抱え込み、村の誰にも相談出来なかった
彼女の心労は、推して量るべきだろう)
仁はそっとその場を離れた
家を歩き、間取りを把握する
家の中は古い木造の匂いがした
歩くたび、古木が軋む音がする
(ここが、玄関か
夜になると人ならざる者が現れるらしいが…)
ドア付近から脇にどかされたある物達に仁は気づいた
(…木の実やきのこ、山菜などが山盛りで置かれてある
ふむ、山で祭られている神か)
仁は顎に手を当て、考え込む
(伝承などを調べてみれば、こよぎ村やこよぎ様について何か分かるかもしれない)
懐から取り出したお札を玄関の扉に貼る
仁が再び戻ると目元を赤くした千里が仁に気づいた
「…あ、すみません…お恥ずかしいところをお見せしました」
千里の頬が色づく
彼女の表情は先程までよりも少し明るくなっていた
「何か分かりました?」
たつるが期待のこもった眼差しで仁を見る
「いや…とりあえず、千里さんにはお札を渡しておく
扉にも貼っておいた」
そう言って仁が千里にお札を手渡す
受け取った千里が頭を慌てて下げる
「あ、ありがとうございます…!」
「このお札は結界を張るための物だ
剥がさないよう、気をつけてくれ」
仁の言葉に千里がこくこく、と頷く
「はい…!分かりました」
仁は改めて千里に向き合い、尋ねる
「こよぎ様について知りたい
君の置かれた状況についても
…話してもらえるか?」
優しい声で仁が言うと千里は深呼吸してから答えた
「…はい。大丈夫です
話せます」
たつるが心配そうに彼女を見つめながらも、黙っていた
千里がぽつぽつと話し始める
「この村は山に囲まれていて…こよぎ様のおかげで山の恵みがもたらされると信仰されています
…山の怒りも
だから、この村では食べ物と、巫女の舞を捧げることでこよぎ様に一年の恵みを約束してもらうんです」
開けられた障子の先、風が木々の葉を揺らしていた
千里の声が震える
「私が巫女に選ばれてから…夜中にドアが大きく、不規則なリズムでノックされたんです
それで、怖くて…覗き穴を見たら…
一つ目模様にこっちを覗き込まれていたんです」
彼女は震える身体を抱きしめる
たつるが千里の肩を抱く
彼女は顔を青ざめながら言葉を続ける
「怖くて…悲鳴をあげたら、しゃがれた声で言われたんです
お迎えに参りました、花嫁様って…
何度も、一晩中」
仁は彼女の隈の原因がハッキリ分かった
「布団にくるまってやり過ごして…でも、数が増えて、日が経つごとに声が大きくなるんです
私…もう嫌…怖いの…!」
彼女が啜り泣く
仁がそんな彼女に近寄り、しゃがみ込んで目線を合わせる
「話してくれてありがとう
俺が君を助ける
君のお兄さんからの依頼だからな」
たつるが目に涙を溜めて、仁に言う
「…僕も、こよぎ村とこよぎ様について調べてみます
力になれなくても…僕も何か出来ることをしたいんです」
仁はふ、と笑った
「充分、力になるさ
何せ、調べ物が山ほどあるからな」
仁は立ち上がり、歩き出す
出て行く前、彼は振り返ってたつるに話しかけた
「俺はこよぎ様に関する書物を探してみる
君には村人達への聞き込みをお願いしたい」
たつるは大きく頷いた
「…はい!任せてください!」
扉を開け、仁が外に出ると、足元で風も無く木の葉が舞い、周囲の空気が歪む
すぐそばで懐かしい気配がして、嗅ぎ慣れた線香の匂いが鼻をくすぐった
(…ついて来ていたのか)
仁は小さくため息をついて、図書館へと向かった
背後からついてくる誰かの気配を感じながら
仁は村の小さな図書館で古びた木の棚の中から書物を厳選し、目を通す
(村の伝承について書かれてあるのは…これくらいか)
ペラ…ペラ…、とページをめくっていく
(とにかく時間が無い
何か手掛かりになるものを…)
仁はため息をつき、次の本へと手を伸ばす
すっとその本が別の手に取られた
ふわり、と線香の匂いが漂う
からかうように笑う気配が耳元でした
「…土着信仰、ねぇ…?」
低く、甘い声がジンの鼓膜を震わせる
声がした方を振り返り、仁は不愉快そうに眉を寄せた
「…勝手に出てくるな、琥珀」
冷たく言い放つ仁にその人物が愉悦に細まった目で仁を見た
「誰も僕の姿を見れないだろう?あの依頼人だって気づいていない」
そう言って片方だけ口角を上げた
彼は狐の耳と白く輝く九尾が生えていた
琥珀は本を手したまま、口元に笑みを浮かべる
「それにしても…まだ実家には帰らないのか?
あの古き陰陽師の一族…乙津来家の本家に」
仁が琥珀を鋭く睨みつける
その目には敵意が浮かんでいた
「…お前が一族に富と権力をもたらした結果、我が一族は裏で力を持ち、好き勝手に振る舞う様になった
それが嫌になってあの家とは縁を切ったんだ」
琥珀は仁に一歩近寄り、トン、と仁の胸を指でつく
「僕は力を貸してあげているだけじゃないか
…仁、お前だけにね」
仁が顔を歪め、一歩距離を取る
「…お前たちの様な者と契約すれば、代償が伴う
何故、我が一族の者たちはこんな奴を信仰しているんだ…」
ぺしり、と仁が手を払いのける
「俺に付き纏うな
…俺はお前を祓う方法を探して、犠牲になった母の…無念を晴らす」
低い声でそう言って下を向いた仁は強く拳を握りしめた
琥珀がやれやれ、と肩をすくめる
「人間とは実に愚かなものだな
人間であるお前は、僕の力で怪異に対抗出来る
それも無しに僕に敵うわけないじゃないか」
「黙れ、札を貼られたいのか」
仁が黒色のお札を取り出す
「ちっ…お前の真名さえ分かれば…
一族の掟で明かされず、本人と母親以外知らないからな…」
琥珀が舌打ちをして、不満気に九尾を揺らす
「…まぁ、いい
精々あの娘の魂が神域に召し上げられない様、頑張って」
本を仁に手渡し、にこりと笑って彼の姿は消えた
仁はしばらく琥珀が消えた方を警戒して睨んでいたが、出てこないと判断し、手渡された本を開く
「ん…?これは…」
仁があることに気づき、目を見開く
(途中から伝承と祭りの内容が変わっている…?
昔は山神の怒りを鎮める為ではなかった様だ)
仁は顎に手を当て考え込む
(山神に感謝を示して舞を捧げる祭がいつからか巫女を選別する内容に変わっている)
仁は伝承が書かれた本を閉じ、村人達の記録が分かる棚へと向かう
「過去の巫女の行方について調べる必要がありそうだ」
一方その頃
「巫女について調べてみたけど…皆、こよぎ様は素晴らしい、としか言わない…」
とぼとぼと村を歩きながらたつるが肩を落とす
メモを見返して情報を整理する
(巫女のことについて尋ねると言葉を濁す…何か隠している?)
不自然さに眉を寄せたその時、
「…巫女について知りたいの?」
鈴を転がす様な声がした
たつるが振り返るとそこにはおかっぱ頭の少女がいた
彼女は赤い着物を着ていた
その両手には鞠が収まっている
「えっ…君は…?」
「私、巫女について知ってるよ
教えてあげる、こっちよ」
手を取り、たつるを人気のない路地裏まで連れて行く
たつるは少女に向き合い、しゃがみ込んで目線を合わせて尋ねる
「君は何か知ってるの?僕の妹が巫女役に選ばれたんだ
何か知っていることがあれば教えて…!」
必死な声色で頼み込むたつるに少女は頷いた
「私の姉も、前のお祭りで巫女に選ばれたの」
たつるは目を見開く
「お姉ちゃんは別の村にお嫁さんに行くことが決まっていたの
だけど、祭りの日の夜から姿が見えなくなって…」
俯く少女にたつるが問う
「村の人達は君のお姉さんの行方を探さなかったの?」
少女が首を横に振る
「お姉ちゃんはお嫁に行ったんだって…
でも、祭りの日までお姉ちゃんは不思議なことを言っていたの」
「不思議なこと?」
少女が声を潜め、たつるに耳打ちをする
「…夜になると一つ目が描かれてある布を顔に巻いた人達がやって来て、言うんだって
お迎えに参りました、花嫁様って…」
たつるは目を大きく見開いた
「お願い、お姉ちゃんの行方を…この村の真相を暴いて」
家族を失った少女が、懇願する声色でたつるを見上げる
たつるは少女を見て瞳に覚悟の光を灯す
「…僕が必ずこの祭りの…こよぎ村の真相を暴くよ」
たつるは大きく頷いてから笑った
「なんせ、僕はジャーナリストだから」
たつるは少女と目を合わせ、尋ねる
「俺はたつるって言うんだ
君の名前は?」
少女が恥ずかしそうに下を向き、もじもじと名前を口にする
「私…沙代子」
「沙代子か、ありがとう…君のお姉さんのこと、俺が皆に教えるよ
君のたった一人のお姉さんがこの村にいたことを」
少女がたつるを見上げ、服の端を握る
「それなら…気をつけて」
耳元で少女がたつるに告げる
「この村の人達は…信用しないで」
そう言って沙代子は駆け出す
「あっ…!待って…!」
慌てて手を伸ばすも、沙代子は振り返ることなく走り去った
「この村は…一体何を隠しているんだ…?」
手を下ろし、呟いたたつるの上、夕日が空を赤く染めていた
辺りでひぐらしが鳴き始める
たつるの影が伸び、夕日の光が飲み込む様に村を赤く照らす
まるで、これから起きることを予感させる様に
千里のいる家に仁とたつるは戻り、彼女が夕食を作ってくれている間、別室で顔を合わせて情報をすり合わせる
襖の奥からはトントン、と包丁が食材を切る音や、しゅんしゅん、と湯が沸く音が聞こえる
「過去の巫女が嫁に行ったと言うが…巫女役が村を出た記録は無かった」
仁の言葉にたつるが声を震わせる
「それって…まさか…」
「ああ、巫女役だった女性は別の村に嫁入りなどしていない
つまり、村人達は嘘をついている」
重い現実にたつるの表情が険しくなる
「…村人達は隠蔽しているってことですか…?」
声を絞り出して尋ねるたつるに仁が頷く
「これでハッキリしたな
この祭りはこよぎ様に供物…巫女を捧げている」
仁が図書館から借りてきた書物を取り出し、たつるに見せる
「祭りの内容が途中から巫女を選別するものに変わっている」
資料に目を通してたつるが呆然と呟く
「どうしてこよぎ様は生贄を求める様になったんですか…?」
仁が腕を組み、考える
「神が堕ち、変質したか…別の妖に飲まれたか…
恐らく、それによって村人達は生贄を捧げる様になったんだろう」
「神様が…堕ちる
そんなことがあるんですか?」
たつるが仁の言葉に首を傾げる
「ああ、人の命を奪ったり…怒りに飲まれたりすると邪神に堕ちることがある」
そこまで言ってふと仁は気づく
(琥珀は神気があり、位も高い妖だが…あいつは何故、人の命を犠牲にしたにも関わらず、依然として堕ちていないんだ?)
仁が眉を寄せて考えていると
襖が開き、香ばしい匂いと共に千里が現れた
「お待たせしました!夕食、用意出来ましたよ」
千里が手に木製の丸お盆を持って笑顔を浮かべる
千里が座卓に品を乗せていく
混ぜご飯と豚汁、小皿にはたくあんが乗っている
深皿に入った黄金色に煮えた肉じゃがが湯気を立てていた
「おぉ〜豪勢だな!」
たつるが嬉しそうに目を輝かせる
「これは…?」
仁がホイルに包まれたものを指差し、千里に尋ねる
「あ、それはじゃがバターです
じゃがいもが余ったので作りました」
たつるが表情を明るくする
「美味しいよな、じゃがバター!
俺、これに醤油かけて食べるのが好きなんですよ〜」
たつるが仁に笑顔で話すのを聞きながら、仁は品の多さに驚いていた
(食べ物が次々に出てくる…)
千里がお茶を差し出しながら笑って言った
「デザートに最中もありますよ!近所の方にもらったんです」
仁は食べ物が次々に出てくる、田舎あるあるを体験した
「あ〜、もうお腹いっぱい」
たつるがそう言って腹をさする
食事が終わり、千里が座卓の上を片付け始めるのを見て、仁は手伝いを申し出る
「俺も手伝おう」
「えっ…!お客さんに手伝わせるわけには…!」
千里が慌てて首を横に振る
「俺は世話になっている身だ
一宿一飯の恩を返させてくれ」
仁がそう言うと千里は口籠る
「うっ…分かりました
お願いします…」
「ああ、任せてくれ」
仁は千里と台所で皿洗いをする
千里が台所から声を張り上げ、居間にいるたつるに話しかける
「お兄ちゃーん!お風呂入れて来てー!お客さんの仁さんだってお手伝いしてるんだから、お兄ちゃんも働いてよね!」
千里がそう言うとたつるは同じ様に声を張り上げ、返事をする
「言われなくても分かってるよ!」
たつるはそう言って立ち上がる
「たく…なんだよ、千里の奴…」
ぶつぶつ文句を言いながらたつるは風呂場へと向かって行った
「なんだか、悪いな
君の兄との時間を邪魔して」
「えっ…!いえ全然!」
千里はハッキリとそう言った
「お兄ちゃんとは、子供の頃からずっと一緒でしたから」
スポンジを泡立て、皿を洗いながら千里はそう言った
「…そうか」
(子供の頃からの付き合い、か…)
仁の脳裏に、かつて友人だった少年が思い浮かぶ
仁の胸に微かな痛みが走り、まるでかさぶたを剥がして血が滲むみたいに、未練が跡を引いた
仁は過去を一人、思い出しながら受け取った皿を水で洗い流した
やがて窓の外がゆっくりと紺色に染まっていく
「あっ…日が落ちて来ましたね」
風呂からあがり、たつるが暗くなってきた窓の外を見て呟くと、仁が立ち上がった
「この時間帯は人外が活発になる
来るぞ…ここからが本番だ」
たつるが息を飲み、仁を見上げる
「迎えが来るってことですか…!」
「彼女の部屋に強力な札を貼り、結界を張る
これで簡単には入ってこれないはずだ」
仁はお札を数枚取り出し、一枚をたつるに渡す
「君も持っているといい
護符代わりになる」
「は、はい…!」
たつるはお札を強く握りしめる
「…俺達は別室で待機し、対処するぞ」
夜の気配が色濃ゆくなる
長い夜が始まろうとしていた
部屋の前に立ち、仁が深い森林の様な、静かな声で千里に言い聞かせる
「千里さん、貴方は決してこの襖を開けない様に
…何が聞こえても」
仁の言葉に千里が不安げに見上げる
「またあの者達が来るってことですよね…?
仁さんとお兄ちゃんは大丈夫なんですか?」
仁は彼女に微笑みかける
「大丈夫だ
彼も君のことも、必ず守ってみせる」
仁は表情を引き締める
「…村ぐるみでの隠蔽が行われている
千里さん、貴方を生贄には決してさせない」
仁はそう言って目を閉じる
(母の様な人を…これ以上増やすわけにはいかない)
再び目を開けた仁は千里にゆっくりと話しかける
「村で調査は行ったが…もう少しこよぎ様について調べたい
だから俺はあの使者達の後を追おうと思う」
千里が目を見開く
隣で聞いていたたつるも驚いて仁を見た
「そんな…!危険です!」
千里が息を呑み、たつるも慌てて後の言葉を紡いだ
「そうですよ…!明日、調査すれば…!」
仁は首を振る
「村人達の目もある
夜に行動するしかない」
仁の毅然とした態度にたつるは考え込む
(…確かに、山は普段は封鎖されていて入り込むことは出来ない
こよぎ様がいる神社を調べるなら夜しかない)
たつるは俯き、拳を握る
再び顔をあげたたつるは真っ直ぐに仁を見て言った
「それなら…僕も一緒に行きます」
仁が眉を寄せた
「危険だ
何があるか分からない
君は妹の千里さんといるべきだ」
千里がたつるの服の端を握る
「そうだよ、お兄ちゃん…危ないよ」
たつるの顔を見上げ、引き止める彼女をたつるは見返した
「…僕は、ジャーナリストとして真実を追いたいんだ」
彼女は瞳を揺らし、小さく息をはいた
「…お兄ちゃんの夢だもんね」
「千里…」
彼女は笑ってたつるの背を叩いた
「絶対、無事に帰って来てよね!」
「…ああ!」
たつるが頷いたのを見た仁は渋々了承した
「…俺も守るが…危険だと判断すれば、すぐに引き返すこと
これが条件だ」
「分かりました、約束します」
仁は再び千里に向き合う
「千里さん、札を貼るので部屋へ」
「は、はい…!」
襖を閉じると仁はお札を貼る
振り返り、たつるに指示を出す
「俺達も待機しよう」
「分かりました!」
奥の部屋に千里、玄関付近の部屋に仁とたつるが待機する
日が落ち、夜の帳が降りる
ふいに外から足音が聞こえて来た
仁は札を取り出し、玄関へと近づく
たつるは息を殺し、その後を追う
ドン、ドンと大きくノックされる
不規則なリズムで何度も
仁はたつるに目配せをし、たつるは頷いた
「お迎えに参りました、花嫁様」
しゃがれた声が重なる
不愉快そうに仁が顔を顰めた
隣のたつるは耳を塞いでいた
(き、来た…!こんな声量で毎晩、迎えに来られていたのか…!)
たつるの表情に恐怖だけで無く、家族が理不尽な目に遭っていたことへの怒りが滲む
「何がこよぎ様だ…!許せない…!」
呟いたたつるの声に外の音が止まる
「…?」
不思議に思っていると
一瞬の静寂の後、
「千里!いるんだろ!お兄ちゃんが迎えに来たぞ!」
外からたつるの声がした
たつるの全身に悪寒が走る
仁を見ると彼は人差し指を唇に当てた
たつるはこくこく、と何度も頷き、両手で口を塞ぐ
仁は慎重に扉に近寄り、覗き穴を見る
(話しに聞いていた通りだ…何体もいるな…)
仁が眉を顰める
(今扉を開ければ千里さんやたつるが危険に晒される可能性がある
やはり戦闘は避けるべきだ)
ドアから身を引き、仁は声を潜めてたつるに話しかける
「妹さんが巫女に選ばれ、使者達が来る様になったのは何日前だ?」
唐突な質問に戸惑いながらも、たつるが答える
「えっと…確か、97日前だったそうです
それから、来る様になったと…」
「100日通いか…」
仁が小さく呟く
「え…100日通い…?」
「ああ、これも求婚を模範している
祭りの日までの100日前から巫女役の元に通い、100日目の夜に…祭りの日の夜に花嫁として捧げられているんだ」
たつるの脳裏でこれまでの話しが繋がり合う
「そういうことか…祭りの日の前から妹の元に使者達が来ていたのはそういう意味だったんですね」
仁とたつる、そして千里は夜明け前まで、声とノック音に耐えた
やがて朝が来る前に、使者達が戻って行く
彼らが去って行ったことを確認し、仁がたつるに声をかける
「…行くぞ」
「はい…!行きましょう、こよぎ様のいる山へ…!」
たつるはカメラを持って力強く言った
(こよぎ様が何故、生贄を求める様になったのか…きっとそれを知ることが、この村の因習を断ち切る鍵になる)
たつるは真相を追い求め、仁と共に山へと入っていった
夜明け前の空が白み始めていた
二人は湿った土の匂いがする山道を歩く
じゃり、と砂粒を靴底が踏みしめる音が響いた
「怪しい気配が色濃ゆくするな…」
山に一歩入った仁が辺りを見渡し呟いた
視線を巡らせ、警戒するように周囲を確認している
辺りはまだ薄暗く、先の道に木々の影が伸びている
「確かに…少し不気味ですね…」
ぶるり、とたつるが身体を震わせる
「ここはもうすでにこよぎ様の神域だ
警戒を怠らない様に」
たつるにそう声をかけたその時、
ぼうっと青白い火が周囲に灯る
ゆらゆらと揺れ、木々の隙間を照らし出す
「…!」
狐火を自身の周りに浮遊させた琥珀が現れ、息を呑む仁に笑いかけた
「あれ…?なんか周囲が明るくなった?」
たつるが周りをキョロキョロと見渡し、首を傾げた
仁は少し距離を取り、たつるに聞こえない様、声を潜めて琥珀に話しかける
「…なんのつもりだ?」
琥珀が九尾を楽しげに揺らす
「ここでは逃げ場が無く、見つかれば戦闘は避けられない
そうなれば危険に晒されるだろう?お前も…彼も、ね」
そう言って琥珀が、ちらりと横目でたつるを見やる
仁の表情が険しくなる
「…依頼人達には手を出すな」
仁が低く、鋭い声で言った
「それは…約束か?」
琥珀が仁に問いかける
その瞳が怪しく光り、口元に笑みを浮かべている
(こういった類の者達と約束をするのは危険だ)
仁が琥珀を睨みつける
「約束じゃない、警告だ」
仁が黒色の一番強力なお札を取り出すと琥珀はつまらなそうに鼻を鳴らした
「ふん、分かっているさ」
二人と妖は不気味な山道を歩く
(奥に行くほど、怪しい気配が濃ゆくなっていく…)
頬を撫でる生温い風に仁が顔を顰める
「この先なんですけど…封鎖されていますね」
フェンスの前で立ち止まったたつるが呟く
立入禁止の看板が、朽ちかけて立っている
看板の前を仁が通り過ぎて行く
「ここからなら入れるな」
仁が低い柵を跨ぎ、中へと入って行く
その上を跳躍した琥珀が飛び越え、フェンスの向こう側へと着地する
「う、これも調査のためだ…」
たつるも続けて中へと入って行った
森を抜けるとその先には古びた神社があった
朱色の鳥居を潜り、中へ入る
「ここにこよぎ様は祀られているんです」
「となると…怪しいのはこの周囲か
何か手掛かりになる物が見つかるかもしれない
探すぞ」
たつるは頷き仁と周囲を探索する
仁は本堂へと向かう
狐火が境内を照らす
「…あれがこよぎ様のご神体か」
狐火に照らし出された神像を見て、仁が呟く
手には稲の束を抱えている
(恵みをもたらす神の様に見えるが…)
「他は何もないみたいですね」
手掛かりを見つけられ無かったことに肩を落としながらたつるがぼやく
仁は背後の森に目を向ける
「…森林の方から怪しい気配がする
そちらにも行ってみよう」
神社の裏手に回り、木々の影が落ちる暗闇へと進む
その後ろをゆっくりとした足取りで琥珀がついてくる
ゆらゆら揺れる狐火が何かを照らし出す
気づいた仁が近寄り、木の影にあったそれを見つけた
「これは…」
白く乾いた物が土の中に埋もれている
息を呑み、呟いた仁の足元をたつるが覗き込む
「ひっ…!こ、これって…!人の、骨…?」
そこには頭蓋骨が土に塗れて置いてあった
一つだけで無く、白骨が周囲に何個も散らばっている
「そんな…これを村の人達がやったんですか…?」
たつるがスマホのライトで照らし、呆然と呟く
「どうだろうな…こよぎ様とやらの仕業か、村人達か…
ここに骨を埋めたのは、間違いなく村人達だろうが」
仁は呟き、周囲に目を向ける
「巫女衣装の一部がある…間違いない、過去の生贄となった者達の骨だ…」
仁が見つけた布を持ち上げる
服は惨たらしく破かれていた
「それなら…沙代子ちゃんのお姉さんも…?」
たつるが骨達を見下ろし、青ざめる
琥珀は視線を奥へと向け、それを見つけた
「…仁、こっちだ
手掛かりになるかもしれないぞ」
手招く琥珀に仁は警戒しながらも近寄る
見つけたそれに目を見開く
「血で描かれた六芒星…?」
骨の周りには血痕で描かれた大きな六芒星があった
「なんでしょう、これ…?誰が何の為にこんな物を…?」
たつるがカメラを構え、シャッターを切る
光のフラッシュが六芒星を照らし出す
仁は呆然と地面に描かれた六芒星を見下ろしていた
(俺は…これをどこかで見たことがある…)
仁の脳裏に過去の記憶が蘇る
燃えさかる家
笑いながら叫ぶ母の声
信者達が祈りを神に捧げていた
燃えて崩れる中、それを捉えた
血で描かれた六芒星を
「…仁!」
琥珀の声が仁を現実に戻す
「…あ…」
仁が顔を上げ、琥珀を見る
目が合うと彼は揺すっていた仁の肩から手を離す
「仁さん?…どうしました?」
不安げに眉を下げてたつるが仁を見ていた
「…いや、何でもない」
汗を拭い、仁は大きく息をはく
「…手掛かりが見つかったな
一度戻ろう」
仁が六芒星から目を離す
(もしかすると…この村の真実は…俺の過去とも結びついているのかもしれない)
仁は拳を握る
「…ここで何か儀式があったことは明確だ
これについて調べたい」
仁は琥珀に視線を向ける
(…お前は何者なんだ?あの日、本当は何があったんだ?
お前を恨んでいた俺は…本当に正しかったのか?)
仁の瞳が迷いで揺れる
一つも言葉に出来ないまま、仁は顔を逸らす
(この依頼を解決することは…あの日の真相の全てを解き明かせることに繋がるかもしれない
そして俺は…知らなければならない
…真実を)
背を向けて歩き出した仁を琥珀はただ見ていた
「…真実を知ることは、本当にいいことなのだろうか…?」
ぽつりと呟いた彼の声は夜風にかき消され、誰にも届くことは無かった
翌朝、仁とたつるは家に戻り、千里と合流する
朝の光の中で、千里は家の前で二人を待っていた
二人に気づいた千里が顔を上げる
「お兄ちゃん!…無事で良かった…!」
駆け寄り、ぎゅっと千里がたつるに抱きつく
「千里…不安にさせてごめん」
たつるが抱きしめ返す
「なかなか帰って来ないから心配してたんだよ…!」
怒る彼女をたつるは宥め、問いかける
「昨晩は大丈夫だったか?」
「お兄ちゃんの声が聞こえたけど…襖は開けなかったよ」
その光景に仁は微かに口元を緩めた
だが、すぐに表情を引き締める
仁は少し視線ずらし、隣を見たが、そこに琥珀の姿はもうすでに無かった
千里が仁に向き合う
「仁さんもご無事で良かったです」
微笑んだ彼女の目の下には相変わらず隈があったが、以前よりは薄くなっていた
「良かったら、少し休んでいかれては?仁さんもお兄ちゃんも一晩頑張ってくれていたんでしょう?
起きたら朝ご飯用意しますから!」
明るく笑顔を浮かべた彼女の心遣いをありがたく受け取ることにした
「…ああ、そうしよう
山道を歩いて汚れたから風呂も入りたいしな」
「それなら、お風呂を沸かして来ますね!」
パタパタと家の中へ入って行った彼女はひょこっと玄関から顔を出し、たつるに声をかける
「お兄ちゃ〜ん!予備の着替えってある〜?」
「俺のおさがりで良かったらありますけど…」
たつるが仁を伺う
「構わない、助かる」
ほっとした様に息をはき、たつるが家の中へと入って行く
(一刻も早く調べたい気持ちもあるが…ここは好意に甘えておこう)
仁も続けて中へ入って行った
ほかほかと湯気が立つ、米粒が艶めいて光っている白いご飯
皿の上には綺麗に巻かれた卵焼きと皮がパリパリに焼けた鮭が乗っている
小鉢にはきんぴらごぼうが、お椀には豆腐と昆布の味噌汁が入っていた
目の前に置かれた朝食に仁が手を合わせる
「「いただきます」」
たつると声を揃えてそう言うと、千里が嬉しそうに微笑んだ
「どうぞ、召し上がれ
ご飯のおかわりもありますから」
仁は箸を伸ばし、卵焼きを口にする
「うまい」
「えへへ、嬉しいです!我が家は甘い味付けの卵焼きなんですよ、祖母に料理を教わったんです」
照れた様に頬を桜色に染めて千里が喋る
「懐かしいな〜千里とばあちゃんの味」
たつるが噛み締める様にご飯を食べる
「お兄ちゃん、ちゃんと向こうで食べてる?お弁当とかで済ませてそう」
「うっ…!仕事が忙しかったんだよ、覚えることが沢山あって…」
食卓の会話を聞きながら仁は千里を見る
彼女は兄と話し、楽しそうに笑っている
(…依頼としてだけでは無く…単純に、この二人を守りたいと思う)
仁は改めてそう思う
(…その為にも…あの六芒星を調べる必要がある)
仁は覚悟の光を目に宿した
朝食を食べ終え、千里が用意した食後のお茶を飲んだ後、情報共有をする
「俺たちが山で見つけたものを千里さんにも共有しておきたい
…辛いだろうが、貴方には真実を知る権利がある」
千里が頷き、膝の上で拳を握りしめた
「大丈夫です…覚悟は出来ています」
仁が目配せし、たつるが机の上に血で描かれた六芒星が映ってある写真を置いた
「山奥で過去の巫女役である被害者達の骨と…これを見つけた」
千里が手に取り、写ってあるものを見て顔を青ざめた
「何…これ…こんなものが山に…?」
彼女の声が震える
仁が重々しく頷く
「オカルト宗教的な儀式の痕跡だ
恐らく、普段は山を封鎖しているから隠蔽するのに都合が良かったんだろう」
仁は腕を組み、そう言うと二人に今後の計画を話す
「俺はもう一度図書館に言ってこの六芒星について詳しく調べようと思う」
千里がおずおずと手をあげる
「あの…調べたいのは山々なんですけど…祭りの準備があって…」
「祭りが迫って来ているもんな
巫女役が逃げ出したとか騒がれるわけにはいかないしな」
たつるが面倒くさそうにため息をついた
「千里は祭りの準備に専念してくれ
調べるのは、俺と仁さんに任せとけ!」
たつるがそう言って胸を叩き、仁に向き合って提案を伝える
「俺はネットでこの六芒星についての情報がないか、調べてみます!」
そう言ってたつるはスマホを取り出す
「俺、結構オカルトについて詳しくて…そっちの方で探ってみようと思います!」
「そういえば、オカルトに関する記事を書いていると言っていたな
何か気付けることがあるかもしれない、頼んだ」
仁がそう言うと、たつるが笑顔で頷いた
話し終えて、仁は立ち上がり、玄関へと向かう
その背中に千里が声をかける
「あの…!」
「…ん?」
振り返り、仁が千里に向き合う
「ありがとうございます、色々調べてくれたり…私や、お兄ちゃんを守ろうとしてくれて…不安で仕方なかったけど、仁さんがいてくれて良かった」
そう言って千里が笑顔を浮かべる
仁は微かに微笑んだ
「君たちは自分達だけでなんとかしてきたんだろうが…俺のことは、頼りにしてくれていい
お兄さんだけでなく、君もな」
「仁さん…」
千里が瞳を揺らす
「私とお兄ちゃんは早くに両親を亡くして…祖母の家に、引き取られたんです
祖母が亡くなってからは、二人だけでこの村で生きて来ました」
千里の口から語られる二人の境遇に仁は静かに耳を傾ける
「二人だけの、家族なんです
だから…失いたくないんです…この日々を…」
千里が瞳に浮かんだ涙を拭う
「仁さん、どうかよろしくお願いします
お兄ちゃんのことも」
そう言って千里が頭を下げる
「ああ、もちろんだ
任せてくれ」
そう言って仁が笑った
静かな夜の様な、優しい笑顔で
その笑顔に千里の頬が赤らんだ
「じゃあ、行ってくる」
仁の言葉に千里が慌てて仁を送り出す
「すみません、引き留めちゃって…!
…いってらっしゃい」
照れた様に笑って千里が小さく手を振る
仁は軽く頭を下げ、家を出た
歩きながらぽつりと呟く
「祭りまであと二日か…」
(六芒星と儀式に関する手掛かりが見つかればいいんだが…)
仁はそう思いながら、図書館へと向かった
仁の真上で、太陽が高く登っていた
図書館の奥、古文書が並んでいる棚に目を通す
窓から差し込む光が、埃っぽい空気を照らしている
(あの宗教儀式について書かれていそうな本は…)
仁は古文書と呪術について書かれてある本を手に取る
(集まったのは、これだけか…)
数冊の中から一冊の本を手に取り、ページをめくる
特に六芒星について書かれておらず、仁はため息をついて本を閉じる
その時、バサッと本が落ちる音がした
目を向けると、本棚の向こうで本が一冊床に落ちていた
(ひとりでに本が落ちた…?まさか…)
「琥珀?いるのか?」
空間に声をかけても琥珀の姿は現れない
仁は歩み寄り、黒い本を手に取る
表紙に金色の文字で書かれたタイトルを読み上げた
「黒魔術…?」
うさんくさい内容に眉を寄せる
(どれもこれも人の血や命を触媒に使うものだ…)
ページをめくっているとある文章が目にとまる
「邪神を降ろす儀式…?」
そのページには、邪神を降臨させる方法と、六芒星が描かせていた
「…!これだ…!」
内容に目を通す
(女の命を生贄に捧げ、その血で六芒星を描くと、邪神が現れる…か)
本の内容と、昨日の夜見つけた儀式の痕跡の特徴が一致する
いわく、邪神を崇める信奉者達が過去に行ったことがある、と本には書かれていた
(…オカルト宗教団体もいるのか
邪神宗教…?)
仁は顎に手を当て、考える
(この邪神宗教団体によって祭りが巫女を選別するものに変わったのか)
思考を巡らせ、仁は気づいた
(待てよ…それなら、本来のこの山の神であるこよぎ様はどこへいった…?まさか…その依り代として利用された…?)
仁の表情に焦りが浮かぶ
(邪神を降臨させるのに、もし成功しているなら…事態は思った以上に深刻なのかもしれない
邪神は更に生贄を求め続け…この村ごと、滅びるかもしれない)
ページをめくると、一枚の古びた紙が床に落ちる
(…なんだ?新聞の切れ端…?)
そこに書いてあった内容に仁は目を見開く
そこには過去、陰陽師家の一族が行った集団自殺について書かれてあった
家を燃やし、一名の生存者を残して亡くなった、と
新聞を持つ仁の手が震える
(…どうして、これがここに…?)
仁は新聞に目を通す
(邪神を崇める信奉者が火をつけた…?
…つまり、母達は…邪神宗教の一員だったのか…)
理解した瞬間、足の力が抜けた
ガクリと膝を突き、仁はその場に崩れ落ちる
(母が命を捧げ、犠牲になったのは…邪神のせいだったのか…
琥珀を恨んでいた俺は…ずっと間違っていたのか…)
すべてを知り、仁はうずくまって頭を抱えた
「琥珀…」
仁が呼びかけると隣に琥珀が現れた
何も言わず、静かに九尾を揺らして
「どうして…俺に何も言わなかった?」
そう問いかける仁の声は微かに震えていた
「お前が俺の一族が信仰する神じゃなかったなら…お前は誰なんだ?どうして俺に黙って力を貸してくれていた?」
仁の目が涙で揺れていた
そっと琥珀が仁の涙を指で拭う
「思い出して、僕を」
「思い出す…?」
琥珀が寂しそうに笑う
「全部、思い出したら…話すから」
琥珀はそう言って仁の手からそっと本を取る
「この時の儀式は、生贄の数が足りなくて失敗した
仁…君が生き残ったから」
仁がハッ、と顔をあげる
仁の声が震える
「まさか…邪神宗教団体が、もう一度儀式を行ったのが…」
仁の言葉を琥珀が続けた
「そう…このーー…こよぎ村だ」
空は曇り、風が窓を揺らしていた
図書館の古時計が静かに時を刻む
刻一刻と
「つまり…邪神宗教の人達がこの村で儀式を行った、ということですか…?」
たつると仁、千里はちゃぶ台を囲んで情報を整理していた
仁のそばには琥珀の姿もある
「ああ、そのオカルト集団がこのこよぎ村の祭りを利用し儀式を行い、村人達は隠蔽と生贄の選別をしている」
「どうして…村の人達は協力するんです?村が危なくなるのに…」
千里が眉を寄せて疑問を呟く
「歴史資料を見る限り、元々はこよぎ様を信仰していたようだが…邪神信仰を少しずつ広げたんだろう
その名のまま…ということは、こよぎ様になり代わったということか」
仁が考える時のくせで顎に手を当てる
「本来の山神だったこよぎ様はなり代にされた…?
そんな…」
千里が悲しげに呟いた
仁は黒魔術の本と、古びた新聞の切れ端をテーブルの上に置いた
「この本はその邪神宗教団体が行った儀式について書かれている
…そしてこの挟んであった新聞は過去の事例だ」
たつるが新聞の悲惨な内容に顔を曇らせる
「こんなことが過去に、あったんですね…
この新聞を村の誰かが、参考として挟んでいたのか…」
たつるの声に怒りが滲む
「…この儀式は一度失敗した
そしてこのこよぎ村での儀式が…二度目ということだ」
たつると千里が息をのむ
「儀式は…成功しているんですか…?」
震える声で千里が尋ねる
仁の隣にいた琥珀がそれを否定する
「生贄を求めている、ということは…まだ途中である可能性が高い
彼女を取り込んだら、完全に成功するだろう」
仁にしか聞こえない妖である琥珀の証言を元に仁は二人に話す
「いや…千里さんが生贄として捧げられれば、邪神が完全体になる
そうなれば、全滅は免れない
やはり、千里さんが鍵だ」
千里が驚き、声をあげる
「わ、私の命が…村の存続に関わるってことですか…?」
「大丈夫だ、貴方を死なせはしない
必ず、俺が守る」
仁が告げると、千里が目を泳がせる
「あ…なんか…汗かいてきたかも…あ、あはは〜…」
千里が熱った顔を冷ますように手で扇ぎ、風を送る
たつるがその様子ににんまりと笑う
(ははーん、そういうことか〜)
仁がたつるに話を振る
「何か分かったことはあったか?」
「俺、ネットで調べてみたんですけど…その邪神宗教の信者を集めるスレとかありましたよ!」
たつるがスマホの画面を仁に向ける
「この六芒星の儀式を行うオカルト集団は、邪神をアラヨミ様、と呼んでいるらしいです」
「アラヨミ様…これが、こよぎ様になり代わった者の正体か」
スマホを見て仁が呟く
「真実の名前は、重要なものだ
魂を表すものだからだ」
「魂を表すもの…?」
千里が首を傾げる
「人ならざる者に真名を知られると、魂を縛られる
巫女の…千里さんの名を怪異達は知っていた」
たつるが昨晩の夜を思い出し、顔を曇らせた
「確かに…俺の声で千里って…」
千里は青ざめ、身を強張らせた
「そんな…じゃあ、私は…」
千里の肩に仁が手を置き、落ち着かせる様に静かに話す
「札を貼っている限り、入ってはこれない
安心してくれ」
こくりと千里が頷いたのを確認して仁が手を離す
「今夜、使者を倒して向こうの戦力を削る」
仁の言葉にたつるは驚いた声を出す
「倒すって…出来るんですか…?」
「ああ…今なら」
仁がちらり、と横目で琥珀を見る
「強力するさ、君も、そこの人間達のことも守る」
仁は再び二人に視線を戻し、作戦を話す
「もうじき、夜が訪れる
千里さんとたつるは部屋で結果を貼って待機していてくれ
俺は外で奴らを待つ」
「ぼ、僕も…!」
たつるの言葉に仁が被せる
「ダメだ、君は部屋で彼女と一緒にいるんだ
札は持っているだろう?彼女を守ってくれ」
仁の言葉にたつるは俯き、頷いた
「分かりました…千里と一緒に待機しています」
陽が落ちて、辺りが暗くなる
人ならざる者達の時間だ
仁は玄関の扉の前に立ち、結界の印を結び終えると琥珀に声をかける
「結界をこれで張れた
行くぞ、琥珀」
仁の言葉に琥珀が狐の耳を立てる
「ああ、行こうか…仁
狩りの時間だ」
そう言って妖しく目を細めて笑った琥珀の口からは、鋭い犬歯がのぞいていた
ザッ、ザッ、と湿った土を踏みしめる足音が聞こえて来た
月の光に照らされ、闇の中から一つ目が描かれた布を顔に巻いた八体の使者達が現れる
「お迎えに参りました、花嫁様」
幾重にも重なったしゃがれた声が、闇を裂いて響く
昨晩よりも、声量も数も増しているように感じられた
仁は目を閉じ、深く息を吐く
そして、小さく、はっきりとした声で琥珀に言った
「…力を借りるぞ」
次の瞬間、仁の全身に圧倒的な強い神気が駆け巡った。彼の周りに、琥珀が現れたときと同じ青白い狐火がぼうっと灯り、仁の姿を照らし出す
仁は手にに黒いお札を握りしめた。そのお札から、電流のようなビリビリとした霊気が発されている
(千里さんとたつるを守る為…そして、邪神宗教との…過去の因縁を断ち切る為に、戦う)
仁は使者達にお札を投げつけ、素早く印を結ぶ
使者に触れたお札から稲妻の様な光が走り、雷鳴の音が響く
「グギャアアッ…!」
使者達は断末魔をあげ、一瞬で暗い靄となって消えていく
琥珀が口からぼうっと狐火を放つ
それらは辺りを照らし、狐火に触れた使者達をあっという間に燃えさかる炎で焼き尽くす
数秒後、炎が収まると、そこには使者の姿はなかった。
残ったのは、焦げついた土の跡と腐った肉が燃えたような異臭だけだった
残った一体が仁に向かって来る
ブンッと振りかぶられあ拳を間一髪避ける
仁の頬に攻撃が掠り、赤い血が一筋流れた
「…ッ!」
仁が先程まで立っていた場所に目を向けると、地面がえぐられていた
仁が短刀を取り出すより早く、使者が再び拳を振り上げる
(まずい…次は避けられない…!)
衝撃に備え、頭を腕で庇ったその時、
ふわりと仁は柔らかいものに包まれた
閉じていた目を開けると、真っ白な九尾に全身を包まれていた
仁を守るように琥珀が立っていた
その背に仁は目を見開く
ざしゅッと肉を裂くような音と血飛沫が飛び散る
仁を庇った琥珀の腕から血が流れていた
「なッ…!琥珀…!!」
仁が名を叫ぶ
「…ッ、よくもやってくれたな…」
琥珀は顔を歪めながらも、使者に向かって口から火を吹いた
瞬間、狐火に燃やされ、消える
その場にいたすべての敵を倒したことを確認し、琥珀は鼻を鳴らす
「フン、大したことなかったな」
そう呟いた琥珀の九尾の中から仁が慌てて出てきた
「琥珀…!どうして俺を庇ったりなんかしたんだ!」
仁は血相を変えて琥珀の怪我を確認する
見ると腕はざっくりと裂け、血が溢れ出ていた
「…!今止血するから、動くな…!」
仁が止血しようとするのを琥珀が止めた
「これぐらいの怪我、すぐに治るさ」
平然と口にされたその言葉通り、琥珀の腕の怪我がみるみるうちに塞がれていく
仁は息を呑み、それを呆然と見ていた
しばらくのち、怪我は完全に塞がった
琥珀は腕を動かして怪我が完全に治ったことを確認した後、彼は仁の頬に目を向けた
「仁、君…怪我をしているじゃないか
人間はすぐに怪我が治らない弱い生き物なのに」
そう言って仁の頬に手を伸ばす
手で怪我を避けて頬をなぞり、彼は眉を寄せた
「放っておいてもそのうち治る」
仁がその手を避けようとそっぽを向きながら、手で押し返そうとしているが、力は入っていない
仁は切り替える様に咳払いをする
「ゴホン…これで使者は倒せた
後は…」
そんな仁を見て、琥珀は微かに口から息を溢す様に笑った
「かたをつけよう
…仁、僕が君にあげた力を使ってね」
そう言って歯を見せ、ニヒルに笑った琥珀に仁は頷く
「…ああ、ここで彼女とこいつらの縁を切る」
仁は目を凝らし、糸を見つけた
(あれは…縁を表す糸…あれを断ち切れば、使者と彼女の縁が切れる
そうすれば、もう使者達は彼女の元へは来れない)
妖と人の縁を切る…それが、仁の陰陽師としての力だ
仁は指で印を結び、線を切る
ぷつん、と糸が切れた
千里と使者との縁を切った仁は、肩の力を抜いた
(残るは邪神との縁だけだが…対峙しないことには切れない)
ふと仁は細く光る物に気がついた
それは仁と琥珀を結ぶ糸だった
キラキラと、闇の中で光るそれは金色に輝いていた
仁はそれに触れる
「ちょっと、僕の力で僕との縁を切ることは出来ないぞ
他の神の力を使うか…僕が切ることでしか」
「別に…もうお前を祓おうとは、思っていない」
(すべて、俺の誤解だった
琥珀は母の仇では無かった
…真実を知った今なら、こいつを許せる)
仁はそっと目を伏せる
ふと、仁は気づく
「一体、倒した数が足りなくないか…?確か…八体いたよな…?」
琥珀が庭を見渡す
「仁が4体、僕が3体倒したから…7体しか倒していないことになるな…」
琥珀の言葉に仁が焦りを浮かべる
「じゃあ、あと一体はどこに…まさか」
仁が呟いたその時、家の奥から悲鳴が聞こえた
「今のは…千里さんの声…!?」
駆け出した仁の後を琥珀が追う
(どうか、間に合ってくれ…!)
祈るような気持ちで、仁は走った
悲鳴が聞こえる少し前
「仁さん、大丈夫かな…」
不安げに呟いた千里が胸の前で指を組む
「大丈夫だよ、仁さんは頼りになるし…絶対、あの使者達を倒してくれるよ」
たつるが千里を励ます
仁が戦っている間、千里とたつるが部屋で待機していると
「千里さん、終わりました
扉を開けてください」
外から仁の声がした
「あっ…仁さん!今、玄関の鍵を開けますね!」
表情を明るくした千里が駆け出す
千里が襖に手をかける
その肩に手を置き、たつるが千里を引き止める
「お兄ちゃん?どうしたの?」
振り返った千里は顔を険しくした兄の姿に目を丸くする
たつるは襖から目を離さずに静かに問いかける
「…どうして、僕の名前を呼ばす、千里の名前だけを呼んだんですか?」
一瞬の沈黙の後、変わらない調子で仁の声が再び聞こえてくる
「千里さんの安全が最優先だからだ
お兄さんも、無事ならここを開けてもらえるか?」
たつるはきっと目の前の襖を睨む
「仁さんは…そんなこと言わない
僕達兄妹を比べる様なこと…!それに、僕のことを名前で呼ぶ!」
たつるが叫び、言い放つ
「巫女の名前しか知らないんだろう!…僕の名前を知らないお前は、偽物だ!」
言い切ったたつるは肩で息をする
「お兄ちゃん…そんな、あれは使者の声ってこと…?じゃあ、本物の仁さんは…?」
千里の言葉尻が震え、小さくなる
外からは何の声も聞こえなくなる
「千里、いいか
絶対、開けちゃダメだぞ」
「お兄ちゃん…!」
たつるは守る様に千里を抱きしめる
二人で息を殺して、様子を伺っていると
バァンッ!!と、窓に何かが勢いよく張り付いた様な音が後ろからした
振り返ると、窓の向こうから一つ目模様が描かれた布を顔に巻いた使者の姿があった
模様のはずの目がギョロギョロと動き、何かを必死で探している
「ひっ…!」
千里の口から小さく悲鳴が漏れ、彼女は叫んだ
「きゃああっ!」
たつるは千里を強く抱きしめ、使者から彼女の姿を隠す
ぎゅっと目を閉じ、彼は祈る
(助けて…仁さん…!)
その瞬間、襖が蹴破られ、仁が現れた
「無事か!?」
たつるが目を開けて仁に叫ぶ
「使者が…!千里を助けてください…!」
仁が鋭く窓の外にいる使者を睨んだ
「一体、逃げていたのか…!」
仁は跳躍し、迷わず窓を蹴破る
パリン、とガラスが砕け、空中で光を反射する
仁は隠し持っていた短刀を取り出し、使者に刺す
使者の上に乗り、奥まで刺すと
「ギィッ…!ギャアアッ…!」
しゃがれた声で断末魔をあげ、靄となって消えた
「はぁ…二人とも、大丈夫か?」
振り返って仁は二人に尋ねる
「はい…!あの、その短刀って…?」
仁は短刀を二人に見せる
「これは付喪神の宿っている短刀で…妖も切れるんだ
接近戦の時はこれを使っている」
「す、すごい…!」
はしゃぐたつるに仁が笑う
「仁さん、ありがとうございます…!
…仁さんも、無事で良かった…」
千里が安堵から涙ぐみ、指で涙を拭う
脅威が去り、三人の雰囲気がいつも通りに戻った
仁は顔を引き締めて千里に話しかける
「とりあえず、これで使者に脅かされることはもう無いだろう」
二人が顔を明るくする
「良かった…!やっと…!」
千里が口に手を当て、声を震わせる
「やっぱり、仁さんは頼りになるなぁ…!」
たつるは嬉しそうに千里の肩を抱き、仁を輝く瞳で見た
「明日に備えて休みたいところだが…緊急事態だったとは言え、千里さんの部屋の窓を蹴破ってしまったからな…」
仁が足元に目を向ける
周りにはガラスの破片が散乱していた
「みんなで雑魚寝しましょうよ!布団しいて!」
たつるが明るい声で提案する
「じゃあ、広間に布団を持っていこう」
仁がそう言ってたつると一緒に布団を運ぶ
その晩、三人は並んで布団を敷いて眠った
仁のそばで琥珀が座って眠っているのを暗闇の中、目を凝らして仁は確認する
琥珀の九尾の真っ白な毛並みが闇の中で浮かび上がる
そっと目を閉じ、仁も眠った
祭り当日
村のあちこちで祭囃子の音がする
封鎖されていた山が解放され、神社にまで続く山道には屋台が立ち並んでいる
村の外からも人がやって来ており、沢山の人で溢れていた
紅を差した口を薄く開き、千里が呟く
「いよいよだよね…」
巫女衣装を着た千里が胸に手を当て、深呼吸する
その瞳は不安で揺れていた
「千里、大丈夫だ、仁さんを信じろ
お前は舞を踊ることに集中するんだ」
「うん…そうだよね
私、頑張る」
たつるの励ましに千里が頷いき、懐からお札を取り出す
ぎゅっと握りしめて、仁に笑顔を向けた
「正直、怖くて、不安で仕方なかった時もあったけど…仁さんがくれたこのお札を握ると、安心するんです」
はにかんだ笑顔で千里がそう言った
「それが君のお守りになっているなら、良かった」
仁が微笑み、千里を優しい目で見守る
(自分の命が危うくとも、彼女は自分に出来ることをやろうとしている
…芯の強い女性だ)
たつるが千里に尋ねる
「確か、舞を奉納するのは夜からだったよな?」
「うん、その後、こよぎ様のご神体がある本堂に巫女役が一人で向かう流れになってる」
それを聞いた琥珀が目を細め、呟く
「…恐らくその時、邪神…アラヨミが姿を現すだろう
…巫女を食べる為にね」
仁は千里に向き合い、真剣な表情で千里を見る
「千里さん、アラヨミが現れるのは祭りの夜、貴方が一人で本堂に向かった時だ
貴方に…囮役になってもらう必要がある」
千里が瞳に芯のある光を浮かべ、頷いた
「…分かりました
仁さんに守ってもらうばかりでしたから…私も、自分に出来ることをやります」
仁がほっとした様に息をはく
「俺が貴方を必ず守る
生贄にはさせない」
「千里、お兄ちゃんも仁さんと一緒に本堂で待機するからな!」
二人の言葉に千里が笑顔で頷いた
「たつるは邪神が現れたら千里さんを安全なところまで連れて行ってくれ」
「はい!任せてください!地形は把握してるので!」
たつるが力強く頷く
信頼する仁に任されたことに目を輝かせていた
「千里は俺が逃します!」
仁が顎を指でさする
「ふむ…ではまずは…本堂に向かい、逃亡ルートを確認するか」
仁の言葉に二人が声を揃えて答える
「「はい!」」
夜までの間に、本堂に向かうことが決まった
香ばしい匂いが湯気と共に漂ってくる
「随分、賑わっているな」
仁が辺りを見渡し、呟く
食べ物や射的など様々な屋台が出ていた
仁達の横を子供達が笑い声をあげながら、通り過ぎて行く
「村の人達の様子も、普通に見えますね…」
たつるが人々の様子を伺う
「本当に…これから起きることを感じさせないけど…」
千里が不安そうに胸に手を当る
真実を知っている三人の間に沈黙が生まれる
「あ…あそこ…」
千里が何かに気づき、遠くを指差す
その先には、朱塗りの柱と金の飾りで出来た神楽殿があった
「あそこの神楽殿で舞を奉納するんです」
かなり大きな神楽殿で、解放的な作りになっている
「おー、ここからでも舞が見れそうだな」
たつるが遠目から眺めて感嘆した声でそう言った
「人がかなり集まるみたいだから広い作りになっているらしいよ」
千里が村人達から聞いた話を聞きながら、一同は本堂へと向かった
「ここ、昼に来るとまた印象が違うな〜」
たつるが敷地内を見渡し、そう呟く
「裏手に抜け道があるな」
細い道を見つけた琥珀が呟く
獣道が裏手にある森から村へと続いている
それを聞いた仁が千里に話しかける
「千里さん、アラヨミが現れたら、ここから真っ直ぐ村に向かい、村の外に出てくれ」
「はい!分かりました」
千里が頷く横でたつるが明るい声で言った
「夜まで時間がありますし、せっかくなんで屋台を見て回りませんか
お腹も空きましたし!」
「もう、お兄ちゃん今はそんな場合じゃ…」
くきゅるる…
小さな腹の虫が聞こえ、千里が顔を赤くする
「俺も腹が空いたし…見て回ろうか」
仁が微笑んでそう言った
千里が恥ずかしそうに俯く横で、たつるがはしゃぐ
「俺、焼きそばが気になってたんですよ〜
買って来ますね!仁さんは千里とここで待っててください!」
そう言ってたつるは千里に向かってウインクする
(お、お兄ちゃんまさか気を利かせたつもり!?)
千里が心の中で叫ぶ
たつるはこっそりと千里に親指を立て、神社から出て行った
二人…正解には琥珀も含めた三人が取り残される
「行ってしまったな」
「あ、あはは…兄がすみません…」
(お兄ちゃん…よ、余計なことを〜…)
千里は笑顔を浮かべながらも、内心でたつるをなじった
千里の脳裏に兄の「やりきった」という様な清々しい笑顔が浮かぶ
「君たちは、祭りに参加したことがあるのか?」
「あ、はい…兄と子供の頃、祭りに参加したことがあります」
千里は懐かしそうに目を細める
「だけど…この祭りが、生贄を捧げる為のものだったとは巫女役に選ばれるまで知りませんでした」
千里は目を伏せ、そう呟いた千里の声は沈んでいた
だけど、すぐに切り替える様に笑顔を浮かべ、仁に質問をする
「仁さんは子供の頃、どんな風に過ごしていたんですか?」
「俺か?俺はそうだな…」
仁が過去を思い出す様に視線を空に向ける
よく晴れた青空が広がっていた
「子供の頃は…家の敷地内にある祠のそばで友人とよく遊んでいた」
仁の言葉に、琥珀の耳がピン、と立つ
「だが…あることをきっかけにその友人とは仲違いしてしまったんだ
と言っても…俺が一方的に責めて、遠ざけていただけなんだが」
仁と千里が階段に並んで座っている間を風が吹き抜けていく
そのそばでは琥珀が静かに佇んでいた
耳だけを仁の方に向けて
仁は手を組み、下を向く
「だけど…そいつはずっと俺のそばにいてくれていた」
千里が眉を下げて尋ねる
「その友達とは…仲直り出来たんですか?」
千里の言葉に仁が微かに笑った
「ああ。…俺の勘違いだったからな」
仁が琥珀に目を向ける
「その友人はずっと俺を守ってくれていた…そう言う話しだったんだ」
琥珀は何も言わずに、ふわりと九尾を揺らしていた
その横顔はどこか嬉しそうに口元に緩く弧を描いていた
「仲直り、出来て良かったですね」
千里が優しく微笑んだ
「…ああ」
その言葉に仁が柔らかく微笑み、頷いた
「お待たせしましたー!焼きそば、買って来ましたよ!」
戻って来たたつるが明るく報告する
「色々あったんで、他にも買って来ました!焼き鳥とか!」
そう言ってたつるが手に持っていた串を掲げる
その腕にパックの入ったビニール袋を引っ提げて
「もう、お兄ちゃん遅いと思ったら…」
「はは、ごめんごめん」
たつるが笑顔で千里に何かを差し出す
「これ、懐かしくないか?お祭りの時は二人でよく飲んでただろ」
「ラムネ…!懐かしいね
あの頃はビー玉を取ろうとしてたよね」
千里がくすくすと笑う
「懐かしくてつい買ったんだよ」
楽しそうに会話する兄妹を少し離れたところから、仁は微笑ましそうに見守っていた
「…もうすぐだな」
琥珀が夕焼けに染まる空を見上げて呟く
仁は静かに頷いた
「ああ。夜になれば、なり代にしているこよぎ様のご神体がある本堂にアラヨミは現れるだろう」
兄妹に聞こえない様、仁は声を顰めて話す
「その時、邪神と千里さんの縁を切る
一か八かだが…」
仁が拳を握り、空を睨む
少し離れた場所に立っている仁に気づいたたつるが明るい声で呼ぶ
「仁さーん!一緒に食べましょう!」
たつるが仁を手招きする
「ああ、今行く」
仁は笑って二人の元へと向かう
琥珀と一緒に
皆で輪になり、焼きそばを食べて話しをした
日が暮れるまで
空がやがて紫色に塗り替えられていく
もうじき、夜が訪れようとしていた
「うう…緊張して来た…」
千里が胸に手を当て、深呼吸する
すっかり暗くなり、屋台が立ち並ぶ道には、提灯の明かりが灯り始める
空には一番星が輝いていた
「千里、準備はいいか?」
「うん…頑張る」
たつるの言葉に頷いてから、千里は仁に言った
「仁さん、どうか見ていてくださいね」
とても綺麗な笑顔で
「ああ…君をいつも、見守っている」
千里は嬉しそうに笑って神楽殿へと向かった
神楽殿に現れた巫女に人々が歓声をあげる
やがて歓声がおさまった頃、
静寂を切り裂く様に千里が神楽鈴を鳴らす
しゃらん
皆が息を呑み、巫女に目が釘付けになる
千里が目を伏せ、ゆっくりと腕を動かすと白い袖が舞う
何処からか笛の音が聞こえ始める
それは夜空に高く響きわたる
地を震わせる様な和太鼓の音がそれに続き、巫女の舞に合わせる様に音を奏でる
調べの中で千里が舞い踊る
それを仁はたつると一緒に見ていた
(綺麗だ…)
仁は神楽殿の上にいる千里を見上げながら、そう思った
(…彼女は、父親がいない
だから俺の中に、それを見出しているんだろう)
千里の心の中にあるものを仁は察していた
(…彼女の気持ちは、嘘では無い
だが…)
舞を奉納する巫女はとても美しい女性だった
(安心感や信頼を彼女は…恋愛感情だと勘違いしている
…命の危機に、俺が現れたから)
しゃらん、と鈴の音が響く
それを最後に、音が止まる
巫女の舞が終わった
「…ここからだ」
琥珀が隣で呟き、仁は表情を引き締めた
「ああ…行こう」
たつるが先導し、仁達は人々の合間をぬって本堂へと先回りする
いまだ余韻の残る祭りの熱と騒ぎから離れ、たつる達は森を抜け、石畳を走って行く
道端には点々と灯りが灯って続いている
階段を上がり、鳥居を潜ると二人と妖は本堂へと真っ直ぐに向かった
「いよいよだ…」
本堂へと向かう巫女を見上げ、村人達がざわめく
村人達の間から、一人の老人が現れる
「時は来た…」
村長である白髪の老人はにやりと笑う
「生贄を捧げ、邪神アラヨミ様を現世にご降臨させるのだ…!」
千里の背は暗闇へと飲み込れ、見えなくなった
本堂に到着したたつると仁は息を潜め、建物の柱に身を隠す
琥珀が耳が、足音を拾う
「…来たぞ」
琥珀の視線を辿るとその先に千里がいた
「…!」
たつるが漏れそうになった声を抑える
(千里を守るために冷静になれ、俺…!ここで失敗したら、取り返しのつかないことになる…!)
踏み出しかけた足を元に戻す
たつる達が見守る中、千里が本堂の奥へと入って行く
目配せをし合い、仁達もご神体のある奥へと向かう
千里がご神体の前に正座し、手を揃え、深く頭を下げる
「この度、巫女に選ばれた千里でございます
この村の繁栄の為、何卒お力を…」
決められた台詞を口にし、許しがあるまで千里は頭を下げ続けた
「…?」
ふいに空間に身震いするほどの冷気が立ち込める
千里の身体に悪寒が走る
(何…?何かが、近づいてくる…)
ご神体の影が歪み、そこから黒いインクの様な闇がゆらりと現れた
「きゃっ…!」
それは触手の様に伸び、千里の身体を捉えた
(なんなの…これ…!)
顔をあげ、千里はそれを捉えた
「あ…」
千里の目が見開かれる
漆黒の肌、ギョロギョロと動く飛び出た瞳
口は裂け、頭には二本の角がある
恐ろしい形相をした鬼がそこにいた
「ひっ…!」
千里が小さく悲鳴をあげ、後ずさる
鬼が腕を伸ばすと、その身から闇が溢れ出る
闇は意志を持っているかの様に動き、千里に向かって来る
「いやッ…!来ないで!」
千里は咄嗟に懐に入れていたお札を取り出し、闇の前に掲げる
するとお札は白い光を放ち、闇を跳ね除けた
瞬間、お札は燃えて消える
「…千里!!」
本堂にたつるの声が響く
「お兄ちゃん…!」
たつるが転がる様に部屋へと入って来る
「千里さん、たつると一緒に逃げるんだ!」
仁が守る様に二人の前に立ち、声を張る
「千里、逃げよう…!」
たつるが千里の手を取る
「…うん!」
千里はその手を握り返し、駆け出す
部屋から出て行く二人に闇が迫る
「させるか…!」
仁がお札を投げ、印を結ぶ
すると稲妻が走り、闇を切り裂く
ぼうっと炎がそれに続く
青白い狐火が琥珀の周りを漂い、その姿を照らし出す
稲妻と青白い火は混ざり合いながら、闇を切り裂き、その先にいる鬼へと向かっていく
「グオオォッ…!!」
大地が震える様な低く、恐ろしい声が空間に響く
闇が繭の様に鬼を覆う
次の瞬間、
闇が一気に噴出する
「なっ…!」
闇が真っ直ぐに仁へと向かい、
その胸を貫いた
「…かはッ…!」
仁の口から血が出る
床に赤い鮮血が散った
「…仁ッ…!!」
琥珀が悲鳴の様な声で仁の名を呼ぶ
ゆっくりと倒れていく仁に琥珀が手を伸ばす
床に倒れる寸前、琥珀が仁を抱き止めた
「仁!…仁!しっかりしろ!」
琥珀が必死に呼びかける
「こ…はく…」
「喋るなッ!今、お前の魂を現世に繋ぎ留めるからッ…!!」
琥珀が今にも途切れそうな仁と琥珀を繋ぐ金色の糸を必死に繋ぐ
仁は口から血を溢れ出せながら、暗くなる視界の中で琥珀に途切れ途切れに言葉を紡ぐ
「俺の…命を、捧げるから…皆を…助けて、くれ…」
「いやだ!お前の命なんかいるもんか!
死ぬなッ!僕を置いていくな…!!」
琥珀が目に涙を浮かべながら叫ぶ
(琥珀…泣くなよ…)
言葉にならないまま、それを最後に、仁の意思は糸が途切れる様に闇に沈んだ
鬼から溢れ出た闇は壁や柱を薙ぎ倒して外へと出て行く
その中心で、鬼がその身を大きくしていく
やがてついには屋根を突き破る
鬼が咆哮する
「グオオォ!!」
ビリビリと空気を震わせる
空へと向かった闇が、空を覆い尽くし、村を闇が包み込む
闇の中から、使者達が現れ、人々を襲い始めた
人々の悲鳴が、あちこちからあがる
千里の手を引き、逃亡ルートを辿って村へと辿り着いたたつる達は目の前の光景に息を呑む
「空を…闇が覆って…」
たつるが空を見上げ、呆然と呟く
「お、お兄ちゃん…仁さんは…無事だよね?大丈夫だよね?」
最悪の予感に、千里の声が震える
(仁さんは…邪神を止められなかった…?)
たつるは最悪の予測を首を振って振り払う
「仁さんが負けるなんて…そんなことあるはずないだろ!きっと大丈夫だ!」
たつるが千里にそう言った
まるで、自身に言い聞かせている様に
「とにかく、外に…」
祭り会場から逃げ惑う人々と共に、たつるが千里を連れて外へと向かう途中、村人達の姿が目に入った
村人達は地面に頭を擦りつけていた
中には両手を組み、空に掲げる者もいた
「ああ…アラヨミ様が現れてくださった!儀式は成功したんだ!」
「我々はアラヨミ様の一部となるのだ!」
おぞましいその光景にたつるは言葉を失う
「そんな…沢山の人達が犠牲になっているのに…」
千里が青ざめ、口に手を当てる
その目には理解出来ないものへの恐怖と拒絶が浮かんでいた
「きゃああっ!」
その時、少女の悲鳴が聞こえた
「あ…あの子は…!」
たつるが目を見開いたその視線の先、
沙代子が、闇から現れた使者に手首を捕まれ、襲われていた
「いやッ…!離して…!誰か…助けて!」
その言葉を聞いた瞬間、たつるは駆け出していた
「あっ…!?お兄ちゃん…!?」
繋いでいた手を離し、走り出した兄に千里が慌てて声をかける
それを背に、たつるは使者の方へ真っ直ぐに走る
一つ目模様の布を巻いた頭がたつるの方を向く
使者が近づいて来たたつるに気づき、標的を変える
(やっぱり…怖い…だけど…!)
ぎゅっとたつるは仁からもらったお札を握りしめた
「やめろ!その手を…離せ!」
使者にお札を投げつけると、光が走り、使者に直撃する
「ギャアアァッ…!」
断末魔をあげ、黒い靄となって消えた
たつるは急いで沙代子に駆け寄る
「君…!大丈夫…!?」
「あの時のお兄さん…!?」
たつるを見て、沙代子が驚いた声をあげる
たつるは沙代子の手を取った
「急いで安全なところまで逃げよう…!」
沙代子は頷く
「うん…!」
沙代子の手を引いて、たつるは千里の元へと向かい、合流する
たつるを見つけた千里が駆け寄る
「お兄ちゃん…!無事!?…その子は…?」
たつるに手を引かれた沙代子を見て、千里が尋ねる
「千里、この子を連れて、村の外まで逃げるんだ」
その言葉に、千里がたつるを見る
「お兄ちゃんは…!?」
「俺は、本堂に向かう」
千里が目を見開く
「そんな…!危ないよ!今、仁さんが邪神と戦っているんだよ!?」
たつるが千里をしっかりと見て頷いた
妹の姿を、目に焼き付ける様に
「うん、分かってる
でもごめん、行かせて
…ここで行かなきゃ、俺きっと後悔する」
「お兄ちゃん!?待って…!」
千里の制止を振り切り、たつるが走り去る
「…お兄ちゃんッ!」
千里が手を伸ばすも、外へと逃げる人の波に飲まれ、届かないまま、その姿は遠くなっていく
「お姉ちゃん…」
沙代子が繋いだ手を握り、不安そうな顔で千里を見上る
「…!」
千里の瞳が、揺れる
「…大丈夫だよ。お姉ちゃんと一緒に、村の外に助けを求めに行こう」
千里の瞳には揺るがない光が宿っていた
「うん…!」
沙代子が頷くと、千里は沙代子を連れて、村の外へと向かった
空は漆黒の闇に覆われて渦巻いていた
一番星はもう、どこにも見えない
生温い風が吹き、提灯の明かりがすべて途絶える
(きっと…あれが鍵になるはずだ…!)
たつるは一人、人の波を逆走して本堂にまで続く道をひたすらに走った
ゆめと、うつつの狭間で、過去の情景が思い浮かぶ
カアカア、とカラスの鳴き声がする
仁の家の敷地内にある小さな祠の近くで、黒い翼で羽ばたくカラス達が白いものを突いていた
雨上がりの地面には水たまりが残り、水面に青空を映し出していた
少年の頃の仁が駆け寄る
水たまりを踏み、足元で水の粒がぱしゃん、と音を立てて跳ねた
「やめろ!」
カラス達は一斉に鳴き声をあげながら飛び立って行く
黒い羽根が地面に落ちた
そこにいたのは、真っ白な毛並みの小狐だった
身体中に血が滲んでいたが、微かに上下する腹が、生きていることを示していた
仁は手を伸ばす
小狐は傷ついた身体を引きずって懸命に逃げようとする
「…大丈夫、怖くないから
手当するだけだ…な?」
怖がらせない様に優しく声をかける
小狐が大きく丸い瞳で仁を見上げた
そっと小さな身体を抱き上げる
今度は抵抗せず、腕の中で大人しくしていた
仁を見上げる小狐の瞳はうるみ、煌めいていた
家に戻り、自身の部屋の柔らかいクッションの上に小狐をそっと降ろす
「ちょっと待ってろ、救急箱を取ってくるから」
仁は声をかけてから棚に駆け寄る
その背を小狐はじっと見ていた
背伸びして上にある救急箱を取り、両手で抱えて戻ると、小狐のそばに膝をつく
「じっとしてろよ、今包帯を巻いてやるから」
近くに救急箱を置いて、蓋を開ける
白い包帯を取り出し、小狐の足に巻いていく
小さな手で包帯を巻く仁を小狐はただ眺めていた
やがて怪我をしていた箇所にすべて包帯を巻けた仁は満足げに笑う
「よしよし、いい子だ。頑張ったな」
仁は抱き上げ、小狐を撫でた
小狐が気持ち良さそうに目を細める
「キュウ…キュウ…」
甘えた声で鳴き、仁の頬を舐める
くすぐったそうに仁が笑い声をあげる
「腹が空いただろ、牛乳飲むか?」
そう言って仁は牛乳を皿に注ぎ、小狐に差し出す
小狐は牛乳を舐め、皿に注がれた牛乳はあっという間に空になった
「元気になるまで、ここにいていいからな」
仁が小狐の頭を撫でる
小狐は仁を見上げ、一声鳴いた
仁が懸命に治療したことで白い毛並みの小狐は、すぐに回復した
一人と一匹は仲良くなった
かけっこをしたり、一緒に食事をしたり
眠る時も一緒だった
窓の外、星が瞬きもせずに輝いている
夜空をベッドの上で仁と小狐は一緒に眺めていた
仁は枕元で丸まる小狐の白い毛並みを撫でながら囁いた
「ずっと一緒にいような、約束だ」
「コン!」
だけど、朝目覚めて隣で眠っていた小狐の方に目を向けると、そこに小狐の姿はなかった
開いた窓から入って来た風がカーテンを揺らしていた
「どこに行ったんだろ…自分の居場所に帰ったのかな」
そうぼやきながら仁は家の敷地内にある祠に向かって歩く
あの白い小狐と出会った場所に仁は毎日通っていた
小狐が居なくなった後も
仁がいつもの様に祠に行くと、そこに一人の少年がいた
九尾の白い尻尾の少年は目が合うと、仁ににこっと笑いかける
「君は…神さま?」
仁が尋ねると、少年は頷いた
「うん、そうだよ
神様の使いとしてずっと修行してたんだけど…ようやく、一人前になれたんだ
僕は琥珀、君は?」
(もしかして…一族が信仰している神様って琥珀なのか?)
問いかけに、仁は答える
「俺は仁。…本当は、違う名前なんだけど…母さま以外には、教えちゃいけない決まりなんだ」
仁はそう言ってから、琥珀に手を差し出す
「なあ、俺と一緒に遊ぼう
周りの大人達が、本家の者が分家の者と遊んじゃいけませんってうるさいんだ」
仁が不満そうに言った
「だから、大人達には内緒で遊ぼう」
仁が笑って言うと琥珀が嬉しそうに頷いた
「うん!」
琥珀は仁の手を取り、一緒に駆け出す
青空に笑い声が響き、木漏れ日が尾を照らす
それが、仁の初めての友達との出会いだった
幸せな光景が、一瞬にして移り変わる
パチパチ、と火が燃える音がする
呼吸をするたびに、煙が肺の中へと入って来る
「母さまッ…!やめて…!俺の友達を、痛めつけないで…!」
赤い血で書かれた六芒星
その中心に、ぐったりと力なく横たわる琥珀がいた
琥珀の身体には、しめ縄が巻かれ、身体中にお札が貼られていた
琥珀の白い九尾はボサボサで、身体のあちこちに痛々しい生傷があった
まだ乾いていない血が滲んでいる
火が仁のすぐ近くまで迫り、周りは火に囲まれていた
その中で、仁は母親に骨が軋む程強く抱きしめられていた
「大丈夫、怖くないわ…私達は、神様の力の一部となるの
これはとても、名誉あることなのよ」
母親が仁の頬を撫でる
「貴方を置いてはいかないわ、大丈夫…母さまも一緒よ」
(神様の、一部になる…?琥珀の…?)
腕の中で、仁の瞳が揺れる
肌が、熱い
家の柱が燃えて、崩れ落ちていく
母親が狂った様に笑いながら叫ぶ
「この命を、我々が信仰する神に捧げます!!」
仁の目の前が、暗くなっていく
(…琥珀…どうして…)
仁の身体が崩れ落ちる
母親の狂った笑い声がその場に響く
周りの信者達は、祈りを捧げていた
「さあ…そこの九尾の神をなり代とし、邪神アラヨミ様を降臨させるのよ!」
琥珀が力無く訴える
「嫌だ…やめてくれ…なり代になんか、なりたくない…!」
琥珀は母親の腕の中にいる仁に目を向ける
(仁…!このままじゃ、彼が死んでしまう…!)
琥珀はぼろぼろになった身体を引きずり、仁に手を伸ばす
(神としての力が、削られている
…せめて、彼だけでも…!)
金色の光が、辺りに満ちた
仁が目覚めると、視界に入ったのは知らない天井だった
「ああ、目が覚めたんですね」
医者が仁に声をかける
「貴方は救急車に運ばれて来たんですよ、覚えていますか?」
仁は真っ白なベッドから身を起こす
「…母さまは…?」
仁の問いかけに医者は眉を下げた
「残念ながら…」
静かに首を振った医者に仁は言葉を無くした
病院から退院した仁は、すぐにその足で祠へと向かった
その祠には、アラヨミの名が刻まれている
仁はその横を通り過ぎて行き、琥珀の元へと走った
「…琥珀ッ!」
息を切らしながらも仁は名を叫んだ
琥珀が振り返る
仁は立ち止まり、肩で大きく息をする
「…なぁ、一族が繁栄するには、命を捧げなければならないって本当か…?」
仁の言葉に、琥珀は答えられなかった
(…仁の一族が…母親が、邪神を信仰していると知ったら、きっと彼は傷つく)
琥珀は黙って静かに九尾をふる
「なんで…何も答えないんだ…嘘だって、言ってくれよ…!そしたら、信じるから…!」
仁が祈る様に目に涙を溜めて、琥珀を見る
「…」
沈黙する琥珀を仁はきっと睨んだ
「ずっと友達だと思っていたのに…!
母さまが死んじゃったのは、お前のせいだったのかよ!」
行き場の無い怒りと悲しみを目の前の琥珀に幼い仁はぶつける様に叫んだ
「うっ…うっ…母さま…!」
仁がそう言って涙を流す
琥珀が仁の背を摩る
パシンッと乾いた音が響く
「触るなッ!お前なんか大っ嫌いだッ!
あっちいけ!!」
目に涙を湛え、仁がその手を振り払っても、彼は仁のそばに居続けた
(俺は…母さまも、友達もいなくなってしまった…本当に、一人ぼっちだ…)
仁はただ、声を堪えて泣いていた
仁の脳裏に、母親との思い出が蘇る
「貴方の本当の名前は、母である私と…伴侶となる人にしか、教えちゃダメよ」
母親の言葉に小さな頃の仁が首を傾げる
「はんりょって?」
母親がくすりと笑う
「大切な人ってことよ」
「ふうん」
いまいちピンと来ていない仁の様子に母親がくすくすと笑う
「いつか、貴方にも分かる日が来るわ
この人になら、自分のすべてを捧げてもいいと思える様な人にきっと出会える」
「すべてをささげる?」
仁の頭を撫でながら、母親が言葉を紡ぐ
「ずっと一緒にいたいってことよ」
「ささげることが、いっしょになる?よくわかんない」
仁が首を傾げる
「貴方を愛してくれて、貴方もその人を愛している人が、貴方の本当の名前を知るのよ」
仁は頷いた
「…ふふ、仁、貴方の本当の名前はね
…黎よ」
「…全部…、思い出した…」
仁が、目を開ける
仁の視界に涙を流している琥珀の姿が映る
仁が掠れた声で言った
「…あの時の…白い小狐は…君だったんだな…」
琥珀が目を見開く
その瞳から、涙が溢れ落ちる
「そうだよ…あの日、僕は君に助けられた
ずっと君に…感謝していたんだ」
琥珀が仁に顔を寄せる
互いの吐息が触れ合う距離で、囁く
「…僕は、君のための神様だ」
その言葉に、仁が目を丸くした
琥珀が互いを繋ぐ金色の糸を手繰り寄せる
すぐ近くで、仁に言った
「…真名を、僕に教えて」
仁が横たわったまま、戸惑う様に琥珀を見上げる
世界が闇に覆われている中、金色の糸だけが輝きを放っていた
「僕の神気を君に流し、君を僕の伴侶とする
そうすれば、君の命が助かる」
琥珀が苦しげな表情で仁を見下ろす
「…命を捧げるくらいなら、僕に…君のすべてをくれ」
琥珀が目に涙を浮かべ、叫んだ
「死なないでくれ…!
君を、愛しているんだッ…!」
その叫びに、過去の母親の言葉を思い出す
「貴方を愛してくれて、貴方もその人を愛している人が、貴方の本当の名前を知るのよ」
仁は目を閉じ、微かに笑った
(ああ…母さま、そういうことか…今、分かった)
肩の力をふっ、と抜いた仁は頷いた
「…教える。俺の魂を表す名を」
琥珀の耳元で、仁が打ち明ける
「俺の名前は…黎だ」
呟いた瞬間、
辺りに、輝く金色の糸が溢れ出る
それは琥珀から出て来ていた
光の糸を紡ぎ、繭の様に二人を包み込む
糸が優しく、傷を避けて黎の頬や、身体のあちこちに触れる
触れた光は、あたたかい
(ああ…そうか…これは、琥珀の神気か)
黎は受け入れ、身を委ねる
キラキラと周りに優しく、温かい光が満ちる
琥珀が朗々と言葉を紡ぐ
「神獣、琥珀の名の元に、零を我が伴侶とする」
一層、強く光り輝く
(あ…)
ふいに、黎は思い出す
(火の中から、助けてくれたあの光は…これだったのか)
朦朧とする意識の中、黎は琥珀と、金色の光を見た
琥珀が目を伏せ、黎の頬に手をそえる
黎は目を閉じた
唇に、柔らかいものが触れる
そこから、溢れる程の神気が流れ込んで来る
「ん…」
黎の身体にあった傷が、みるみるうちに、回復していく
傷が完全に塞がった頃、琥珀が唇を離した
金色の光を身に纏ったまま、琥珀が立ち上がる
手のひらを見下ろして、琥珀が呟く
「神としての力が…回復している…」
差し出された手を取り、黎も立ち上がる
「生贄を捧げる以外でも力を得るのか?」
黎が不思議そうに尋ねる
「僕達は、捧げられると力を得る
命でも…魂でも」
「なるほど
…本当に俺は、琥珀のものになったんだな」
呟いた黎の言葉に、琥珀が顔を赤める
すぐに切り替える様に、咳払いをする
「…ごほん。…とにかく、今は邪神を倒すのが先だ」
「ああ、そうだな」
黎は空を睨む
邪神が村へと向かって行っているのが目に入る
「…邪神と、現世との繋がりを断つ」
琥珀がその言葉に目を見開く
「…それはつまり…縁を断ち切る、と言うことか」
黎が頷く
「もう二度と、現世に降臨出来ない様にし、すべての因縁に決着をつける」
(母さま…邪神宗教団体…そして、このこよぎ村…根源を断つことで終わらせることが出来る)
黎は拳を握り、目を閉じる
その身体は金色の光を纏い、宙に浮く
二人は上昇していき、邪神の目の高さまで上がる
敷地内で、たつるは空を見上げ、黎を見つけた
(あれは…仁さん!?)
驚き、目を見開く
(宙に浮いている!?…金色の光を身に纏ってる!?なんで!?あれが仁さんの力って…こと!?)
たつるは黎を見上げ、叫んだ
「仁さーん!」
黎が地面を見下ろし、たつるに気づいた
「たつる…!?どうしてここに…!?」
たつるが声を張り上げる
「こよぎ様のご神体が、あの邪神のなり代ということは…こよぎ様のご神体が、あいつの核です!!」
その言葉に、黎が呆然と呟く
「そうか…あいつは今、こよぎ様のご神体をなり代として、現世に姿を表している…ご神体を破壊する必要があるのか…!」
たつるが地上から言った
「僕が、邪神の弱点であるご神体を破壊します!
だから、邪神への攻撃をお願いします!」
黎の隣で、琥珀が笑って言う
「なら、邪神本体への攻撃は、僕が勤めよう
…黎、君が縁を断ち切ってくれ」
「…決まったな」
黎が頷き、たつるに声をかける
「分かった!…頼んだぞ!たつる!」
たつるは笑顔で親指を立て、走って行く
ご神体のある、奥の部屋まで
たどり着いたたつるは、ご神体を探す
「…部屋がめちゃくちゃになってる…!ご神体は…あった!」
ご神体を見つけ、たつるは持ち上げる
「お、重い…!」
(小さいのに…重すぎる…!)
たつるは目に力強い火を灯し、歯を食いしばる
「…けど…僕も、自分に出来ることをやるんだッ…!」
持ち上げ、たつるは壊れた壁の向こう、庭に投げる
ゴツン、と音を立てて落ちる
「割れてない…」
たつるが呟く
(ど、どうしよう…どうやって破壊すればいいんだ…!?)
そこでたつるは思い出す
(そういえばこれ…仁さんからもらったお札がある)
たつるは懐から使者に使ったお札を取り出す
「あの邪神は、このご神体に取り憑いてるってことだよな…?なら、効果があるかもしれない」
呟いて、たつるはお札をご神体に投げつけた
光が走り、音が響く
ご神体に、亀裂が入る
たつるが呆然と見守る中、ご神体が、割れた
それを最後に、お札は燃え、完全に消えた
「や、やった…!…やったあ〜ッ!」
たつるが両腕を上にあげ、はしゃいだ声を出す
たつるが壊したと同時に、邪神の動きが止まる
金色の糸で縛られてアラヨミは村までは行けていない
「…動きが止まった…!」
たつるが庭から黎を見上げ、叫んだ
「仁さん、今ですッ!」
零が琥珀を見ると、彼は金色の糸を一つにまとめ、炎の柱を作り出す
金色の火に照らされた琥珀の九尾の白い毛並みが輝いていた
「…いけ!」
金色の炎は竜が身をくねらせ、動く様にしてアラヨミへと一直線に向かう
燃え盛る輝く金色の炎が口を開く
そして、噛み付く様にして、アラヨミの身体を貫いた
アラヨミの巨大な体が、ゆっくりと倒れていく
アラヨミが倒れ、地面が揺れる
「黎、アラヨミと現世との繋がりを断ち切るんだ!」
琥珀の言葉に、黎が頷き、懐から短刀を取り出す
(付喪神の宿っているこの短刀なら…妖も…縁も切ることが出来る
アラヨミと、現世との繋がりの糸は…)
黎は目を凝らし、糸を探す
そして、現れたそれを見つけた
(…あった!ご神体と本体に攻撃を受けた今なら、断ち切れる…!)
糸は細くなっていたが、それでも途絶えてはいない
黎は短刀を構え、振り落とす
「はあああーーッ!!」
ザン、と短刀が、糸を断ち切った
アラヨミの身体が崩れていく
闇が引いていき、使者達も靄となって消えていく
漆黒の闇が渦巻いていた空は、少しずつ姿を現す
朝焼けが、広がっていた
星がまだ細く輝きを放ち、三日月がうっすらと見える
朝と、夜が混ざり合った紫色がグラデーションを描き、空を染めていた
地平線に、金色の光が上り始める
(…ああ、金色は…朝の色だったのか)
黎は互いを繋ぐ、糸を見た
琥珀と目が合う
朝焼けの中で、彼は綺麗に笑った
空は白み始め、夜の名残りが尾を引きながらゆっくりと遠ざかっていく
パトカーのサイレン音がする中、村長を初めとした信者達は殺害、死体放棄の容疑者として連行されて言った
「これで過去の被害者達の魂も報われるだろう」
その光景を眺めていた黎が呟く
朝の風が彼の黒髪を揺らした
「邪神信仰団体の黒幕…零、君の一族も罪に問われるだろうね」
琥珀が横目で黎を見る
「一族は罪を償うべきだ
…本当に、すべての因縁に決着がついたんだな」
黎はそう言って琥珀に向き合う
「誤解だったとは言え、君を疑い、憎んだことをどうか許して欲しい
…本当に、すまなかった」
黎が琥珀に頭を下げ、琥珀は目を見開いた
頭を下げたまま、黎は言葉を続ける
「俺は母の教えで…愛とは自己犠牲だと、捧げることなのだとずっとそう思っていた」
琥珀は静かに聞いていた
黎が顔を上げ、琥珀を見る
「…だけど、愛とは共にあることなのだと、ずっと俺のそばにいてくれていた君が教えてくれた」
そう言って黎が微笑んだ
「…改めて、俺と縁を繋ぎ直してくれ」
その言葉を聞いた琥珀が、ガバッと勢いよく、黎を抱きしめた
懐かしい線香の香りに包まれる
ぎゅっとお互いの間にずっとあった溝を埋める様に強く抱きしめられた
「…君は僕の姿を見たく無かっただろうから…姿を消して、ずっと君のそばにいた」
琥珀の声は微かに震えていた
「ずっと君と一緒にいたくて…僕は神様になったんだ
君を愛している
これまでも、これからもずっと」
黎はその背に手を回し、目を閉じた
(…子供の頃の約束を、白い子狐だった琥珀は、神様となって叶えてくれたんだな)
夜、ベッドの上で星空を一緒に眺めながら交わした約束を思い出す
ずっと一緒にいような
コン!
あの約束を、琥珀は叶えてくれた
黎のための神様となって
触れ合う体温が、互いの間に横たわっていたわだかまりを溶かしていく
ゆっくりと、雪が溶けるみたいに
救急車と救助のヘリが、病院へと怪我人を運んでいく
「…これで事件の全貌が、ようやく明らかになる…」
たつるが呟いたその時、沙代子と共に千里が駆け寄って来る
「お兄ちゃん!無事だったんだ…!良かった…!」
「千里!」
兄妹が互いの無事を喜び、抱きしめ合う
身体を離し、たつるが千里に言う
「千里が外に助けを呼んでくれたんだな」
「うん。女の子と一緒に」
たつるのそばに沙代子が寄って、頭を下げる
「お兄さん、助けてくれてありがとう」
たつるは身を屈め、沙代子と目を合わせてる
「…君が俺に前任の巫女の話をしてくれたから、真実が分かったんだ
俺はこのことを記事に書いて、すべてを白日の元に晒すよ」
たつるが沙代子に微笑む
「君のお姉さんのことも記事に書くよ」
沙代子の瞳が涙で濡れる
「…ありがとう、お兄さん
お姉ちゃんのこと、みんなに伝えてね」
「もちろん」
たつるは頷き、少し離れた場所に立っているその背中を見る
「ちゃんと記事に書くよ
…この村を救った英雄のことも」
黎の背中をカメラのフレーズに収める
シャッター音が朝の空に響いた
柔らかな朝の光がこよぎ村の連なる山々を包む
「仁さん、本当にありがとうございました」
千里が丁寧に頭を下げる
家の前でたつると黎は千里に見送られていた
「また、このこよぎに来てくださいね
いつでも、待っていますから」
千里が黎にそう言った
事件の前より、少し成長した笑顔で
「ああ、また来るよ
次は依頼としてでは無く、遊びに」
黎が頷くと、千里はたつるに目を向ける
「お兄ちゃんも、たまには帰って来てよね!」
「分かってるって!もー、電車が来る時間だから、駅に行かないと」
兄妹のいつも通りのやり取りに黎は微かに笑う
(本当に、この光景を守れて良かった)
琥珀と目が合い、黎はこっそりと拳を向けた
それに琥珀が拳を合わせる
コツン、と合わさった拳が、任務完了を告げた
たつるは黎に笑顔を向けた
「帰りましょうか!仁さん」
「ああ、そうだな」
黎は頷き、たつると琥珀と共に駅へと向かう
千里は家の前で二人の姿が見えなくなるまで手を振っていた
妖相談所
斑点模様の猫が、あくびをする
ピコピコ、と動く鍵しっぽは二股に分かれていた
猫又は伸びをし、ゆっくりと歩き始める
相談所を後にして、縄張りのパトロールへと向かって行った
「仁さん!改めて、妹を助けてくださって本当に…ありがとうございました!」
たつるがそう言って勢いよく頭を下げる
事件の数日後、たつるは黎の事務所へと来ていた
「これ、依頼料です」
封筒を黎に手渡す
受け取ったそれはずっしりと重かった
「…多くないか?」
「いや、命懸けで救ってくださった方には少ないくらいですよ!とにかく、受け取ってください!」
たつるが黎にグイグイ、と封筒を押し付ける
「彼の感謝の気持ちだろう
受け取っておくといい」
そのそばで琥珀が黎に言う
「…分かった、受け取ろう」
黎が頷き、封筒を受け取る
「…はい!」
たつるは嬉しそうな笑顔を浮かべた
「…それにしても君、こんなに払って大丈夫なのか?
君はまだ、新人記者なのに」
黎がそう言うとたつるが誇らしげに胸を張る
「あの後、書いた記事が売れたことで上司に評価されて僕も仕事を貰えたんですよ!」
たつるはそう言って黎に雑誌を見せる
記事にはあの夜のことと、朝焼けの中で立っている黎の後ろ姿の写真が載っていた
「この妖相談所の連載が決まったんです!これから、依頼に僕も連れて行ってください!」
「…はぁ!?」
黎が驚き、目を見開く
「絶対、邪魔はしませんから!記事にさせてください!お願いします!」
そう言ってたつるは勢い良く頭を下げる
「…君には行動力と機転がある
君の活躍があったから、事件を解決出来た」
黎の言葉にたつるが顔を上げる
「…それって…」
「…ああ、君を依頼に連れて行ってもいい」
黎が笑って頷く
「や、やったあ〜!ありがとうございます!」
たつるは嬉しそうに再び黎に頭を下げた
「また君はそんな安請け合いをして…やれやれ、お人好しだな」
琥珀は肩をすくめた後、黎に言った
「…まぁ、君のことも、その人の子のことも僕が守るさ」
黎はその言葉に微かに微笑んだ
「じゃ、焼肉行きましょうよ!焼肉!祝いとして!」
たつるがはしゃいで提案する
「ああ、君の新しい仕事も貰えたことだし…今回は、俺が奢ろう」
そう言って零は分厚い封筒を掲げる
「丁度、給料も入ったことだしな」
黎はちゃめっ気たっぷりに笑った
「パーッと祝いましょ!いい焼肉屋さん知ってるんですよ!」
たつるが先導し、黎は琥珀と共に事務所を出る
パタン、と扉が閉まる
事務所に穏やかな午後の柔らかい日差しが差し込んでいた




