09 天女との戯れ
「…暇だな」
夏休みも半分が過ぎたある日、芥はそう呟いた。
課題も終わり、数少ない友人と遊ぶ予定もない芥にとっては、淡々と家事をこなす日々であり、退屈なのである。
「珍しいですね。貴方が暇と言うなど」
「そりゃ他人の前では言わないようにしてるからな。他人といるのに暇というのは失礼だろ」
「…今も私がいますが」
「九鬼は他の他人とは色々と違うだろ。こんな関係性だしな」
「まぁ、私は気にしないので構いませんが。獅堂さんは、趣味とかはないので?」
「これといったものは無いな。まぁ、ゲームとかは割とやり込むタイプで、昔は自室に籠ってひたすらやってたりしたが。流石に九鬼がいるのに1人でずっとやろうとは思わん」
「…そうですか」
芥の部屋にはかなりの量のゲームがある。勿論、全てクリア済みだし整理しているので紛失したり壊れたりなどはしていない。そんなゲームの中には難しい部類の物もあるし、時間を潰すという観点で言えば最適だろう。
だが、一夏がいて、彼女が団欒を望んでいるのに、それを無下にしてまで、この暇を潰そうとは思わない。
暇と言っておいてあれだが、一夏と話すことは割と楽しい。価値観が似ているからこそ共感出来る部分もあるし、意見を率直に言えるのは良いことだ。
「どうした?」
「…2人なら問題ないのでは?」
「……ん?」
真顔で言われ、一瞬脳内が混乱する。
一夏が言いたいのは、ゲームも2人でやれば問題ないだろう、ということなのだろう。
「えーと、それは…」
「私、そういったゲームとかやったことないですし、興味はあるんです」
「なる…ほど?」
「駄目、でしょうか」
「い、いや全く。少し驚いただけだ」
「何に驚くのですか。私がそういったことに一切興味が無いと思っていたのですか?」
「そこじゃない。まさかお前からそんな提案をしてくるとは思ってなかっただけだ」
一夏は自分に対して非常にストイックで、自分を甘やかしている所を、芥は見た事がない。その一夏から、ある意味遊びの提案が飛んでくるとは予想していなかった。
「貴方の中の私のイメージとは…」
「八方美人で中身は冷たい。非常にストイックで甘やかすことを知らず、他人に弱みを見せない―そんなところか」
「はっきり言いますね」
「思ったことをそのまま言っただけだ。実際そうだろ」
「まぁ、合ってますけど」
「…で、やるなら部屋から持ってくるけど」
「獅堂さんが良いなら、触ってみたいですね」
「分かった。どれが九鬼の好みに合うか分からんが、色々と持ってくるわ」
芥の持っているゲームのジャンルは様々であり、芥は割とどれも好んでやるのだが、一夏の好みに合うかは分からない。
そもそも、テレビゲームをやったことの無い一夏に好みなどあるわけもないのだが、得意不得意もあるだろうし、そういった点も考慮して色々と持っていくつもりだ。
部屋にあるタンスを開き、中からソフトの入ったパッケージをいくつか取り出す。
「これは…」
ふと目に留まったのは、とあるパズルゲームだ。
(まだ…あったのか)
芥は1つのゲームをかなりの時間遊ぶタイプで、他のゲームを買ったとしても時折やり直していたりする為、未だ数多くのゲームソフトが残っている。
だが、それでもやはり、遊ばなくなったものは捨てたり売ったりする。
それは、そのうちの一つだ。何年も前にクリアして以降一切触っていなかったため、てっきり手放したものだと思っていたのだが、まだあったようだ。
(懐かしいな…)
このゲームを最もやっていたのは小学生の時代だ。あの頃は、まだ普通だった。
「他にも沢山あるが、取っ付きやすいのはこれらかな。どれにする?」
部屋から戻り、リビングにあるテーブルに持ってきたゲームを並べる。やりたいのは一夏だし、一夏の意見を優先するのは当然だ。
「どれと言われても分からないので…」
「2Dアクション、レースゲーム、パズルゲーム―色々あるな。ただまぁ、パズル以外は慣れてないとちょっと大変かもしれない。パズルからやってみるか?ルールとか操作は教えるから」
「え、ええ。でも、2人でやらなくては意味無いのでは…」
「俺は退屈しのぎ出来れば良いからな。誰かがやっているのを見るのも、案外面白いぞ?」
「貴方が良いなら良いですが…」
「なら問題ないな」
やはりと言うか、本当にゲームを初めて触った一夏に教えるのは苦労した。他のゲームで例えようとも通じないし、ゲームにおける操作の常識というか、どのゲームにも通用するような操作すら出来ないのだ。
だが、それが楽しくないか―と言われれば別である。感情の起伏が小さい芥にとっては、それも極小さな楽しみだが、それでも新鮮な体験ということもあり、暇を潰すには充分過ぎるほどだった。
「楽しいか?」
「…興味があると言いつつも、別に楽しいとは思っていなかったんですよね。…でもこうやってやってみると、一部の人がハマる理由も分かります」
「なら良かった。他のゲームも好きにやっていいぞ。だいたい操作とかは説明されてるし、分からなかったら幾らでも手伝うし」
「そういう芥さんは、楽しいのですか?」
「見てるだけじゃなくて手伝ったりしてるからな。まぁ、楽しいさ」
「なら良いです。私だけ楽しんでては気が引けますので」
「気にしすぎだっての。本人が楽しんでるのが1番だろ。それに、結局―」
「自己満足、ですか?」
「…ああ」
家族との問題で家にも帰れず、苦手な異性の家で、満足とは言えない環境で過ごしているのだ。
少しでも彼女に快適に過ごしてもらおうとするのは、(芥の考えでは)当然のことであるし、普段からどこか悲しげな一夏が、ここまで楽しんでいるのなら満足だ。
「……獅堂さんは、何故ここまでしてくれるのですか?」
コントローラーをテーブルに置き、姿勢を正して、そう聞いてくる一夏。
「前にも答えただろ、それは」
「普通、赤の他人にここまでする人はいません。家に招いて泊めるだけならまだしも、それを期日も設けず、代償も求めず、更には相手を気にかけて自身のことを後回しにする人など、世界中を探しても滅多にいませんよ」
「大袈裟な」
「大袈裟なんかじゃありません。貴方が他人を思い、とても優しい性格なのは知っていますが、それでも、流石にやりすぎですよ。…別に否定している訳ではありません。私は、その理由を知りたいだけです」
「……自己満足と言うのは、本当だし根本的な理由もそれだ。あの時声をかけたのも、それが理由」
「本当に、それだけなのですか?」
「………九鬼の話を聞いて、余計に放っておけなくなった。それで、助けたいと思った。それだけさ。…な?結局は自己満足だろ?」
自己満足なのは変わりない。一夏から協力を求められた訳ではないし、誰かに相談された訳でもない。
あの時見た一夏の顔。その後に聞かされた、追い出されたという事実。それ以降も時折見せる、追い込まれた様な顔。あれを見て放っておくなど、芥には出来ない。
それは、芥の信条もあるが、それ以上に―
(俺と同じ様にはなって欲しくない)
彼女も時折言っていたが、芥と一夏は似ている部分が多い。価値観や性格が似ているからこそ、嫌な予感がした。
あのまま放っておけば、一夏は壊れていただろう。
(九鬼は、悩みを1人で抱え込むタイプだろう。どんな辛いことがあろうと、信用出来る人間がおらず、誰にも打ち明けられない。そうやって、苦痛が積もっていけば…)
どこかで、一夏が壊れる。それはかつて、芥が経験した事だ。
故に、彼女を放っておくことは出来ない。芥と一夏は他人だし、本当の意味でその苦痛を理解してやることは出来ないが、寄り添うことは出来る。
一夏は、まだ戻れる機会がある。
「…俺みたいになるなよ」
一夏にも聞こえない程度の大きさで、芥はそう呟いた。