第7章:原初の悪魔たち
「ど、どうも…」
クソッ、疲れた。旅が長すぎたし、着いたのはもう夜だった。
つまり、何度も乗り換えなきゃいけなかったし、予定以上に金を使ってしまった。
幸い、多めに持ってきていたけど…失業中で、まだ完全に回復もしてない身としては、無駄遣いしてる場合じゃないんだよな。宿代まで払ったし。
まあ、そんなこと言ってられない。
目的地にはまだ少し距離がある。例のアーティファクトが示した場所の近くにある村や町について尋ねたところ、「忍野」という答えが返ってきた。どうやら、そこが目的地らしい。
今いる富士山駅の近くから、ローカルバスに乗れば忍野に行けるみたいだ。
宿の主人が言うには、30分ごとにバスが来るとのこと。
そんなに遠くないけど、直通ルートはないから、田舎スタイルでバスに乗って、そこから少し歩くしかない。
「はぁ…まさに今必要だったのが、さらなる移動ってわけか…」
ため息が出る。バス停からは、観光名所でもある「忍野八海」あたりで降りて、そこから地図によれば、村の北東、赤い光が示す方角に15分から20分ほど歩くらしい。
「ちょっと面倒だけど、どうしても行かなきゃ…」
そう自分に言い聞かせて、少しでも元気を出す。
まだ体調が万全ではないけど、観光地から少し外れた森の中のような場所なら、行動の自由はある。
…まあ、何かあっても誰にも気づかれないかもしれないけど。
とにかく、もう寝よう。明日の朝早く行って、無事に済めば明日の夜には帰ってこれるはずだ。
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「お前、ここに何しに来たんだ?汚らわしい悪魔め、さっさと消えろ」
――ゾワッと全身に寒気が走った。な、何だ?
「なっ…何だって…?」
これは夢…いや、幻覚だ。自覚はある。これは、神聖な力によって作られた幻視のようなもの。
振り返ると、そこには奇妙な存在がいた。
白い鹿のような半人半獣の姿で、体はほとんど透明。頭には枝のような角が生え、水の滴がその角の先で浮かび続けている。背中には、どこからともなく湧き出す水のマントのようなものが、常に流れている。
目が合った瞬間、体が本能的に後ずさった。
恐怖だ。言葉では表せないほどの圧倒的な恐怖。
あの黒い瞳は、まるで湖の底のように深くて不気味だった。
「……」
その存在は何も言わなかった。
目が覚めると、声も出せないほど動揺していた。間違いない、あれは神の力…神の存在?
スマホで特徴を検索してみた。
「忍野の湧水を守る神」 続きを読む…
なるほど…説明はつく。つまり、本当に神様は存在するってことだ。
警告されたのは、俺が悪魔だからだろう。
だが、むしろこれは行くべきだという確信にもなった。
何かが起きているのは間違いない。
もう少し寝ようかと思っていた矢先、アラームが鳴った。
「くそっ…」
ため息をつきながら起き上がり、身支度を済ませて、朝食と道中の軽食を買った。
バス停へ向かい、最初のバスに乗る。
道のりは30分ほどだったが、明らかに都市からは隔離されたような場所だった。
まるで江戸時代に取り残されたような雰囲気さえある。
一部の地域は、まだ室町時代の終わりにすら見えるほどだ。
でも、湧水が綺麗で、美しい村ではある。
「……」
なぜか少し頭が痛くて、軽い吐き気もある。
バスに乗ってる時に、強い神聖エネルギーのバリアのようなものを感じたが、今は見えない。
とにかく、村の外れに向かって歩き始めたが、特に目立った異変は見つからない。
けど、村を離れるにつれ、体のだるさが引いていく。これは…?
さらに進むと、道が荒れてきた。とはいえ、まだ人が通ってる様子はある。
そのまま道をたどっていくと…20分後、小さな集落にたどり着いた。
「嘘だろ……」
何だあれは?
気味の悪い、紫色の粘液状の化け物たち。
よだれを垂らし、強い悪魔の気配を放っている。
人間の気配は、ひとつも感じられない。つまり、ここはもう全滅したということだ。
シャベルや鍬、散弾銃まで地面に散らばっている。
住民たちは、必死に抵抗した形跡があるが…結果は見ての通りだ。
思い出す。あの大学で俺を殺そうとした男の言葉――
「弱い者が作る武器は、結局弱い。矛盾してるだろう?」
…確かに、今なら分かる気がする。
人類の日常に「悪魔との戦い」が存在しない限り、想定外に対処する手段が弱すぎる。
あの男でさえ、銃はただの補助道具に過ぎなかった。
――この光景が、ひとつの答えをくれた。
俺は遅すぎたんだ。
悔しさに、拳を強く握る。
…遅かった。本当に、間に合わなかった。
その時、また本能が叫んだ。俺は反射的に横へ飛び退いた。
さっきまで気づかなかったが、背後に1体…いた。
奴らは動きが遅いくせに、気配がまるで感じ取れない。
空腹そうにじっと見ている――
「……必ず、根絶してやる」
あの化け物たちは、まだ人間の魂を喰っている最中だった。
…間に合わなかった。けどせめて――
「これ以上、犠牲が出ないように…俺がこの化け物どもをすべて葬ってやる」
もう一体の化け物が、酸のような液体を吐きかけてきた。ギリギリで避ける。
俺は生命エネルギーの刀を具現化し、三体目のヤツの触手を一刀両断した。
だが…やはりな、すぐに再生してやがる。
後ろに下がった瞬間、何かにぶつかった。足元を見ると…
「…!」
大きな骸骨が、小さな骸骨を抱きしめていた。
一瞬、母親が我が子を必死に守ろうとしていた姿が脳裏に浮かんだ。まるで食われる直前の、最後の光景のように――。
クソッ…怒りで血が煮えたぎる。絶対に、こんな連中を野放しにはできない。
マリーは、こんな現場に何度も立ち会っていたのか…
彼女は、間に合っていたんだろうか。
いや、今は考えても仕方ない。もっと早く動けるようにならなきゃ…。
二度目の酸の攻撃を避け、再び触手を切り捨てる。
動きは遅いが、再生力がとにかく厄介だ。
それにしても…どうしてこの刀の技が効かない?
あいつら、どう見ても「悪」そのものの存在だ。生命エネルギーの技が効かないなんて、おかしい。
「……」
いや、違う。気づいた――
俺が今使っているのは、生命エネルギーじゃなくて…悪魔の力だ。
火に火をぶつけているようなものだ。
つまり、理論上ではこの技、人間相手には極めて効果的ってことだ。
適当に斬っても無駄だ。そのうち体力が尽きて、食われるだけだ。
何か、コアのような、心臓のような「核」があるはずだ。
だが、見つからない。
人間なら、心臓のあたりに光の源があるが、あいつらは全身から均等に邪気を放っている。
距離を取って、追ってこなくなるところまで下がった。
数えてみると、7体、いや10体近くいる。
遠くから見ると、あの邪気が周囲の空間を歪ませている。
まるで重力場みたいだが、それは多分錯覚。オーラによる視覚効果のようなものだ。
何の手がかりにもならなかったが――
突然、一体の化け物がポータルのようなものを開き、残りの連中もそこへと消えていった。
その瞬間、理解した。
あれは「群れ」だ。リーダー格の個体がいたに違いない。
今度あいつらに遭遇したら、まずはそいつを狙うべきだ。
…まあ、今さらだけどな。次は、この仮説を試すことにしよう。
「…二度と現れなければいいが…」
ため息をつきながらつぶやく。
奴らの邪気は完全に消えた。
だが、俺には…何もできなかった。
「ごめん…必ず、君たちの死は無駄にしない」
そう言いながら、母と子と思われる二つの遺骨を埋葬した。
即席の墓を作って、手を合わせる。
それ以外に、遺体は見当たらなかった。
「……ん?」
人の光…いや、微かにだが、まだ残っている。
壊れた窓から家の中に入り、光が漏れているクローゼットの方へ向かう。
間違いない、誰かがいる。扉を少し開けてみた――
「っ!!」
本能で、またも身を引いた。
「ちくしょう…」
まさか、子供が銃を持っているとは――
アメリカの話かと思ってたが、現実だった。
少女はショットガンを撃った直後、力尽きたように倒れた。
痩せこけていて、顔色も悪い。脱水症状もある。
…いったいどれくらい、ここに閉じ込められていたんだ?
外にあんな化け物がいたんじゃ、子供が動けなくなるのも当然だ。
「……」
熱がひどい。体力もギリギリ。
生命の光もかすれていて、このままではいつ死んでもおかしくない。
でも…せめて、一人でも救えたら、俺の存在にも意味がある。
少女をこの家のベッドに寝かせ、水道の蛇口から水を汲んで飲ませた。
ちゃんと飲んでくれた。
濡れたタオルを額に乗せたけど…それでも、彼女の光はどんどん弱くなっていく。
……やっぱり、間に合わなかったのか。
「……」
このままだと、どうあがいても死は避けられない。
医者に診てもらえば助かるかもしれないが、ここはあまりにも人里離れた場所だ。
――俺には、もう何もできないのか?
……いや、待て。
彼女が弱っている原因…エネルギーが吸われてる?
そうだ、ほんの微かだが、彼女の生命エネルギーが何かに吸われてるような痕跡がある。
そのせいで、呼吸すら整えられず、どんどん弱っていく。
俺は右手を彼女の上にかざし、生命エネルギーを少しずつ注ぎ込んだ。
これは…魂の回復。
あの術師たちが、命の源の漏れを癒やし、浄化するために使う術――
「っっっ!!!」
――くそっ、思い出した。
“浄化”は俺が得意とするものじゃない。あの化け物どもに効かなかったのに、なんで今回は効くと思ったんだ?
そう思って、慌ててエネルギーの流れを遮断した。
「……」
ミスだったか…?
いや、彼女のエネルギーの漏れは止まった。でも、光は強くもならないし、弱くもなっていない。
――少なくとも、安定はしたみたいだ。
俺は安堵のため息をついた。
その後、しばらくの間は彼女の看病をしていた。
熱を測ったり、濡れタオルを替えたり、水を飲ませたり。
……でも、これだけじゃ足りない。
悪化はしていないが、良くもなっていない。――栄養が足りてないのかもしれない。
持ってきたスナック菓子なんて、栄養価なんてないようなもんだ。
ポテチ、飴、缶詰少々。スポーツドリンク以外、何の役にも立たない。
とりあえず飲ませたけど、それだけじゃどうにもならない。
台所の棚や冷蔵庫も調べた。
当然、全部腐ってた。電気が止まって久しいんだろう。
それにしても…この子、5日以上はここに閉じ込められていたんじゃないか?
さっきのクローゼットに戻ると、空のペットボトルが2本転がっていた。
なるほど、これでなんとか生き延びていたわけか。
村の他の家も確認して回ったが、どこも同じだった。
食材は腐りきってて、保存食も一切残っていなかった。
「……」
また彼女の顔を見つめた。
今俺にできるのは、医者を探して助けを求めること。
それと、食料や薬も調達しなければ。
でも…またあいつらが現れたら?
ここを離れたくない。でも、このままいても何も変わらない。
――行くしかない。できるだけ早く、大至急で。
俺は決意し、さっき通ってきた山道を全速力で駆け戻った。
「……」
気づけばもう昼を過ぎていた。
あの戦い、少女の看病――色々ありすぎて、時間の感覚が飛んでいた。
「…あ、飯食ってなかった」
まあ、空腹はまだいい。
でもこの頭痛と目まいはまた厄介だ。
忍野に近づくにつれて、どんどん酷くなってきている。
あの結界が俺を“浄化”しようとしている…そんな気がする。
「……ったく、白山様、それ差別だろ…」
思わず愚痴が出る。
でも、結界に例外がないというのは、むしろ良いことなのかもしれない。
悪魔だけじゃなく、妖怪や悪霊の侵入も防いでいるんだろう。
そう考えると、そもそもそんな存在がいても驚かない。
そんなことを考えながら――
ようやく、忍野の町にたどり着いた。