13章: 女の子であることの利点
「まあ、何よりマシだね……」
そう言いながら少しご飯とベーコンを口に運んだ。
日本の食べ物が恋しい。こっちの世界の食事はジャンクフードばかり。
「ねぇ、食べすぎたら太っちゃうのかな?」
……まあ、面白い疑問だ。私は食べる必要はない。でも食べることで栄養や力を得られるのかどうかは……あぁ、もうわからない。
料理は美味しくないけど、文句は言わない。
結局ここは貨物を運ぶ船だし、たまに乗客を乗せるけど、飛行機に乗る余裕がない人たちばかり。私もその一人……ふふ、まあ、大人の世界を知り始めたばかりだからね。
食べる必要がなければ、とっくに飢え死にしているはず。
この船に乗った理由はただ安いから。行き先は知らない。聞いてみたら、一ヶ月以上の航海らしい。
……あぁ、また日本から一ヶ月離れるのか。でも、もう帰っても意味はない気がする。日本に戻れば力は戻るけど。
「はぁー、退屈だなぁ……」
少なくとも小百合の家では、いつもやることがあったのに。
「……」
もう認めざるを得ない。二人が恋しい。でも、悩みすぎても仕方ない。立ち上がって少し歩き出す。コンテナばかりで、何も面白いものはない。
端まで来て、水平線を眺めた。何も見えない。カモメも、陸も。夜は真っ暗で、月明かりの反射でやっと何かが見える程度。
元の道に戻ると、遠くに少年が立っていた。十五歳くらいだろうか。つなぎ服に手袋をしている。見た目はアジア系だが、日本人ではなさそう。だが、その目が一瞬だけ赤く光った。
「……」
「……」
言葉を交わすことなく、彼は手を上げた。
空から稲妻が私めがけて落ちてきた。
辛うじて三重の生命エネルギーの結界で防いだが、耳が割れそうな轟音で、頭の中でキーンと音が響き続ける。
「まずは、こんばんは……」
私は言った。
「少女にいきなり攻撃するなんて、とても失礼だよ……」
彼は少し驚いたようだが、今の力……間違いなく日本の妖怪の力だ。
「少女? 随分甘やかされて育ったんだろうな……」
感情のない声で彼が言った。
「まぁ、否定はしないけど……中身は十歳の女の子だし……って、なんでこんなこと説明してるの? どうして妖怪がここにいるの?」
「その質問はこっちも同じだ、悪魔……」
声には一切の感情がなかった。
この妖怪の能力と特徴は、チュウチンの記憶には存在しないものだ。
「それよりも気になることがある。どうして悪魔が呪術師の力を使えるんだ?」
いつの間にか背後に男が現れていた。彼はチュウチンが倒した術師と同じようなリボルバーを私に向けていた。
「もう……疲れた……また戦わなきゃいけないの?」
私はため息をついた。
「どうせ、この悪魔は悪だと決めつけるんでしょ? 確かに、それは私の本性かもしれない。でも“悪”は人間の本性にもあるんだよ……」
そう言って、私は刀を顕現させた。
「どういう意味だ?」
男が問う。夜の暗闇で、彼の姿はシルエットしか見えない。
「は? この時点で私は何人か殺してるはずだと思う? でも違うでしょ? もし誰か死んでいたら、すぐに気づいてるはず……」
男は黙り込んだ。
私は後ろに跳び、妖怪の攻撃を避ける。彼の手には雷の短剣が握られており、金属の床に突き刺さった。
「なぜ抑えている?」
妖怪が不快な声で問いかける。
「他の世界の存在に封印されたから……」
刀と短剣がぶつかり合う。
「それにしても、君たち二人が協力しているなんて……妖怪と術師が組むなんて変だね。だって、君たちって本来、力ある妖怪をも祓うはずでしょ?」
「俺は特別な例にすぎない……」
妖怪は横から近づき、手から小さな稲妻を放った。
私は雷より速いわけじゃない。でも本能が危険を察知し、体が勝手に回避した。
「……」
頭に衝撃を受けた。横に結界を張っていたから直撃は避けられたが、まるで石を強くぶつけられたような衝撃。
思わず頭を押さえると血が流れ出した。体は横に跳ぶべきだったが、思うように動かなかった。
「やめろ、ジェイル……」
男が言った。
妖怪は目の前に立ち、雷の刃を私の首元にあてていた。
「今はこれで許してやる……」
声が遠く聞こえる。銃弾が私の感覚を麻痺させていた。
「はは……頭がめっちゃ痛い……」
顔を上げるのもやっとだった。少年、ジェイルというらしい、彼は男のもとへ戻った。
「なぜ止めた? 悪魔を殺せる機会なんて滅多にないのに……」
時間が経つにつれ、意識が戻ってきた。
「ちくしょう……本当に痛かった……」
傷を再生しながらそう呟く。
「それがどうしても理解できないんだ……」
男が口を開く。
「あぁ、ジェイルも驚いてたね。でも簡単なことだよ。私は元々人間だった悪魔だから。言うなれば“ハーフ”ってやつ。今は悪魔の本質そのものが封じられてるけどね……」
二人は顔を見合わせ、言葉を失っていた。
「で? いつまで突っ立ってるの? 私はもう行っていい?」
私の問いに、男は考え込む。
「待て……俺が呪術師だってわかってるな? 普通なら悪魔は真っ先に俺たちを狩るものだろう……」
「私も元は人間だったの。で、君はこう思ってるんでしょ……」
わざと声を低くして彼を真似る。
「“能力が封印されてるから逃げようとしてるんだな。うん、なるほど……”」
普段の声に戻って続けた。
「でもね、封印されてからの方が、むしろ多くの人間を殺してるんだよ……あっ」
少年が雷を放ち、私はぎりぎりで避けた。頬に軽い火傷が残る。
「なるほどね。“悪党とは、語り方次第でただの誤解された主人公だ”って言葉、今ならよく分かるよ……あはは」
「何の話だ? はっきり言え……」
男は苛立ちを見せ、ジェイルは明らかに怒り心頭で今にも襲いかかりそうだった。
「そうだね。誰を殺してきたか説明すれば、もう少しわかりやすいかな……」
少し考え込んでから答えた。
「主に食らった魂はね……殺人犯、強姦魔、テロリスト、それから私を殺そうとした奴ら。悪魔狩りや元軍人なんかだよ。」
「そうだとしても、それがお前の行いを正当化することにはならん。」
「はいはい、それはあなたが“見て見ぬふり”を正当化してるのと同じだけどね。」
「なっ……どういう意味だ!?」
「人の闇を見てきたんだよ。快楽のために命を奪う奴ら、他人の不幸を笑う奴ら。……私はそいつらと、何が違うの?」
「……」
老人は黙り込んだ。
「言葉も出ない? ふーん。」
「少しは黙れないのか?」
ジェイルが苛立って言った。
「はぁ……」
私は肩をすくめた。
「いい? 私は自分を正当化してるわけじゃない。でもこれが私の意見。母さんはいつも“正直に生きろ”と言ってた。リョウは“力を悪に使うな”と。小百合は“自分が正しいと思うことをしろ”って……。私はその言葉に従ってるだけ。」
ため息をつく。
「腐った果実を取り除くことで、社会に役立ってるつもり。でも、もしあなたが“殺人鬼を放っておけ”って言うなら……それは怠慢を推奨してるってこと。」
「師匠、聞いちゃダメです!」
ジェイルが割り込む。
「確かに一理ある……だが、それでも許されることではない。」
「私は別に許されようなんて思ってない。ただ聞きたいんだけど……あなたはこれからどうするつもり?」
「お前の目的は何だ?」
男が真剣に問いかける。
「日本に戻ること。そしてセバスチャンを殺す。異世界の存在で、私の力を封印した奴をね。」
「異世界の存在だと? 詳しく話してみろ。」
「話してもいいけど……その妖怪、いや、狂犬みたいな奴が敵意を向けるのをやめたらね。情報を吐いた後に犬みたいに放たれたら困るし。」
「……ジェイル、下がれ。」
「何ですって!? でも師匠、それは……!」
「俺はそんなに弱くない。」
男はそう答えたが、彼の生命力は人間より少し高い程度にすぎない。
まあ、それ以上は何も言わなかった。
「わかりました……」
ジェイルは不満そうに従った。
「……」
彼が去ると、二人きりになった。しばらく互いを見つめる。
「さて、どこから話せばいいかな?」
私が切り出すと、男は考え込んでいた。
「まずは自己紹介から。私はハナ。人間と悪魔のハーフ。」
「名前を教えるつもりはない。だがまず聞こう。なぜ日本に戻りたい?」
「名前にまつわる能力なんてないよ……」
ため息をつく。
「単純だよ。力を取り戻したいだけ。」
「その力で何をするつもりだ?」
「ほんと、しつこい老人だね。じゃあ、私がここに来た経緯を話そうか?」
男は顎に手を当てた。
「聞こうじゃないか。」
そして私は簡潔に語った。
子供だった頃の夢や幸せな日々。
チュウチンとの出会い、オシノの神の使いに浄化される直前に彼の魂を食らったこと。
小百合とリョウとの短い日々。
セバスチャンや悪魔狩りとの戦い――。
「つまり、日本に戻って異世界の男に復讐するわけか。」
「その通り。力さえ戻れば、もっと早く見つけ出せる。……それに、あいつは私の本当の力を理解してない。その分、私が有利なの。」
「だとしても……お前を野放しにはできん。」
「ふーん。じゃあ私も、君の友達みたいに犬扱いされちゃうわけ? 透けて見えるよ、老人。……どうせ術師に追放されて、今は戦う相手に縋って力を求めてるんでしょ? ははは、落ちぶれたね!」
「このガキが……!」
どうやら図星だったようだ。怒りで顔を歪める彼を見て、私は確信する。
「でもまあ、勇気は認めるよ。私はただ、一刻も早く日本に戻りたいだけ。」
「そうか……」
男は不気味に微笑んだ。
「どうやら、お前はこの船の行き先を知らずに乗り込んだようだな。」
……なるほど。彼の切り札か。
確かに私は、この船がどこへ向かうのか一度も確認していなかった。
「うっわ!」
事実を隠さず、素直に声を上げた。
「貨物ばかりで、乗客は少ない。長旅になるのは当然だが……まさか本当に別の国へ向かっているとは思わなかっただろう。」
――ニューヨークを南へ出発したこの航路……どう考えてもカナダじゃない。
「やっぱり私、まだ子供みたいに考えてたんだな……」
そう、つい独り言のように漏らした。
「提案がある。今はメキシコに向かっているが、その前にやるべき仕事がある。妖怪に似た存在――封印が解けかけた異形どもを処理する。それに付き合ってくれるなら、日本へ連れて行ってやろう。ただし――誰一人、殺すな。」
「そんな無茶な!」
物陰から声がした。振り向けば、ジェイルが耳を赤くして立っていた。
「そいつは汚らわしい悪魔だ! もしかしたらサキュバスかもしれないんだぞ!」
思わず腹を抱えて笑った。
「ぷっ……あははは! そんなふうに言われたの初めてだよ。残念だけど、私の経験なんて……オタク平均以下だってば、あははは!」
「なに? 妬いてるのかな? ぷっ、くくく……」
「だ、黙れ、このアマ!」
「ちょ、待って、ほんとに? ぷははっ、図星だった?」
顔を真っ赤にしたジェイルを見て、思わず目を細める。
「おやおや、これはBL展開? ふふ、正直ちょっと興味あるな。どうなるのか見届けたい気がする。」
「……」
横の男は呆然としていた。
「ジ、ジェイル……?」
「くそっ、やっぱりサキュバスだ!」
叫んだジェイルは顔を覆い、走り去った。
「二人とも応援してるから!」
思わず親指を立てて声をかけると、男は頭を抱えて絶望のため息を吐いた。
「くだらねえこと言ってんじゃねぇ!」
――だがその狼狽ぶりは、否定すればするほど図星に聞こえる。
まあいい。からかい甲斐がある。どう転んでも退屈しない旅になりそうだ。
***
翌日。甲板の端で海を見つめるジェイルを見つけた。
「やっと見つけた。……師匠が探してるんじゃない?」
「……」
返事はない。ただ無表情のまま、じっと海を見つめていた。
「逃げなくてもいいんだよ。誰だって難しい相手に惹かれるものさ。まあ、君の場合は特別みたいだけど。」
「黙れ……何を言ってるか分からん。」
――ツンデレ、ってやつかな。いや、きっとプライドが高いだけだ。
「ふふ、そう? なら私は聖女テレサ様ってことになるね。」
隣に腰を下ろすと、彼はさっと身を引いた。
「まあでも、手助けできるよ? 私、経験豊富だから。」
「経験? 人を苛立たせることにか?」
「はは、確かにそれも得意だけど、人の気持ちを読むのも得意でね。」
「……」
「いい? 師匠みたいなタイプは、静かな忠誠心を好む。でも時には違う刺激も必要なんだ。ただの駒じゃなく、存在を意識させるために。」
わずかに表情が揺れた。
「今日の夕暮れにでも、熱いお茶を差し入れて、真剣な目でこう言うんだ――」
声を低くし、ジェイルの真似をする。
『師匠、もしあなたが危険に晒されるなら、僕は命を懸けます……でも本当は、生きて、毎日あなたの目を見つめていたい。』
「なっ……そ、そんなこと言えるかぁぁ!!」
顔を真っ赤にして叫んだ。
「ぷははは! やっぱ面白いなぁ。どうするかは君次第だよ。」
私は肩をすくめ、立ち去った。
***
「ハナァァ! ジェイルに何吹き込んだ!?」
その夜、師匠が顔を真っ赤にして飛び込んできた。
「え? 何のこと?」
腕を組み、きょとんとした顔を作る。
「アイツ! 花びらを散らした盆に茶を乗せて持ってきたんだぞ! しかも『師匠の存在こそ僕の最強の護符です』って……何だその茶番はぁぁ!!」
「ぷっ……あははは! か、可愛すぎる……!」
腹を抱えて転げ回る。
「ちょっとアドバイスしただけだよ。信頼関係って大事でしょ? あとは未解決の恋愛フラグってやつ?」
「ふざけんな! あのガキ、前にうっかり抱きしめただけで口も利かなかったのに! 今じゃ運命の相手みたいな目で見てくるんだぞ!」
「きっとドラマチックで甘い視線だったんだろうなぁ……」
片目をウインクする。
「いい加減にしろぉぉ!」
怒鳴りながら背を向けた彼は、しかし足をもつれさせて派手に転んだ。
「ぎゃははは! これは韓国ドラマ以上だよ!」
私は笑い転げる。その背後で、ジェイルは真っ赤になりながら立ち尽くしていた。