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如何にして文章を書くべきか――執筆手段についての一考――

作者: ガイランゲル

 戦前風の堅い文章を書くことを目的にしてつくった習作です。場所によって同じ言葉を開いたり開かなかったりしているのは仕様ですので、気にしないで下さると助かります。また、文語文法と口語文法が混ざっているのも仕様です。

 私論に移る前に、読者諸君に認識して頂かねばならぬことがあるから最初に書いておく。

 この文章は、「私論」と一語目にある通り、根拠の存在しない論、言わば思い込みであり、決して統計や実験などの科学的根拠、若しくは聞き込み調査、インタビューなどに基づいたものではないということである。従って、客観的な根拠を知らねば安心できないという方にとって、この文章は無益である許りか寧ろ有害である。然し乍ら一個人の無論拠の意見を見聞きしたいという方には打って付けであろう。

 注意書きもそこそことして、では私論へ移ろう。


 蓋し質高き文章を書く時の記述手段(「筆記手段」と書かないのは、コンピューターとかタブレット端末、或いはスマート・フォンにて文章を書く場合が現代では充分想定できるためである)や環境などは、文章のための思考を妨害せざるる、身体に負担の少ないものでなければならない。

 文章を書くのに集中するには、手に余計な負荷が掛かってはならない。一々思考を中断せねば記述できないなど以ての外である。さらぬだに人間の思考とは途切れ易く続き難いのであるからして。

 では、どのような道具を使わば思考の質を最大限高めて執筆できるのか、一番目はこれについて考えていくことにしよう。


 先ず、筆記具を用いて紙その他筆記用具に文章を書いていく場合であるが、手の疲れを減らすため、接点との摩擦が少なく筆を進めるのに引っ掛かりのない道具を用いるべきである。

 であるから、手を用いて文章を書くならば、これには万年筆が最適である。毛細管現象という物理的現象を利用して筆記するので筆圧を殆んど必要としない為である(それどころか、鉛筆を使う感覚で書けば筆先を破損して了う)。特に、万年筆の中でも、世間一般で「カリカリ」と呼ばれる硬き書き味のものよりも「サラサラ」乃至(ないし)「ヌルヌル」などと呼ばれる書き味のものを選び、更にはインキも粘度の低いものを充填すれば筆記に必要な圧力はより大きく低下し、潤滑な筆記を助けてくれる。とはいえ、余りにも書き味が良すぎると紙上を先端が酷く滑るのを制禦せねばならなくなり却って筆記効率を低めて了うので、ここは個人で丁度良い点を各自探究して頂きたい。

 現代では万年筆も数万円と費やす必要はなく、安いものでは千円とか五千円程度で買えて了う。質高きを求むるとなれば、流石に一万円台の出費を余儀なくされるだろうが良質の筆を手に入れるのに二万円は要らない。高価な買い物ということで気が引ける方も多かろうが、ここは一つ、長きに渡る快適な執筆生活を実現するため、手にしてみては如何だろうか。


 注意すべき点として万年筆の取扱い方が挙げられる。万年筆とは現代広く使われているボールペンなどよりも繊細なる筆記具であり、使用の際には覚えておかねばならぬことが幾らかある。

 一つ目が乾燥である。万年筆は中央部を貫徹する細溝(スリット)からインキを流して筆記するため、蓋を閉めずに長時間放置すれば細溝乾燥しインキは凝固し、筆記できなくなる。物にも依るが凡そ三十分以上放置するのは危険である。とはいえ安心して頂きたい。現代のインキの殆んどは水溶性であるから乾燥したとしても霧吹きなどを使って細溝に水を掛けてやればインキは再び流れるようになり筆記可能となる。尚、水溶性インキでなければ、乾燥とはそれ即ち死である。

 二つ目が筆圧である。万年筆の筆先は薄き金属の板で構成されているが故、強い圧力が掛かれば忽ち尖端が広がり破損して了い、最悪の場合折れ曲がって筆記そのものができなくなる。一度破損すれば自力で直すのは非常に困難であり、専門店に修理に出さざるを得なくなる。万年筆を使う際には、筆圧はかなり弱くし、決して鉛筆やボールペンで書く時がごとき筆圧を掛けないこと。

 三つ目が長期間の放置である。万年筆は蓋を閉めた状態でも僅かにであるがインキが乾燥していく。その速さは勿論外部に曝す場合よりも遥かに遅いけれども、一ヶ月とか半年とか放置し続ければ、場合によっては筆先の細溝どころか内部までインキが丸ごと凝固して了い、単なる水洗いや漬け置きでは恢復せず、遂には金属部の腐食発生し修理が必要となることさえあるから、長期間使用せざるる時にはインキを抜いて保管すべきである。

 然し乍ら、主にこれらの注意点に留意すれば、万年筆は貴方と全生涯を共にする心強き相棒と成ってくれること間違いなしである。


 若し貴方が万年筆を持って居ないならば、ボールペンが次点に来るからこれを使おう。勿論書き味は大抵の万年筆に遅れをとるがその分安価であり、管理もかなり楽であるから怠惰の気性がある方には万年筆よりも寧ろ適しているかも知れない。

 尚、水性ではなく油性のインキが装塡されたペンが、筆記に必要な力が少なく、更には紙の上を心地よく滑ってくれるためにより適当である。ゲル・インキも良い。


 然れども人間は誤る生物であるから(羅甸語(ラテンご)にも"Errare (誤るは) Humanum(人間的) Est(なり)"という格言があるほどだ)、途中で文字を間違えたとか、後々見返せば表現が(そぐ)わないと思われたとかいうことが必ずや一度か二度は生ずる。この時には訂正が必要となる。

 だがインキは鉛筆やシャープ・ペンシルと違って消しゴムで消すことが出来ないのが普通である。熱を与えれば透明となるインキ(代表例:フリクション)は例外として、紙に浸透したインキを取り除いて再筆記を可能とするのは極めて困難である。

 それを解決する為に修正ペンや修正テープが販売されているのであるが、私はこれらを使うことを勧めない。その理由を以下で述べよう。

 修正具を使うと思考の中断が生じ易くなる。修正具を使う迄には、誤りに気付き、筆記具を手から離し、修正具を手に取って、これを用い、机上に戻してから再び筆記具を手にするという動作の連続が必要であり、故に大いに良質の思考が中断せらるるの要因たり得るのであり、更には時間の浪費にもなる。無論それは僅少なる時間なのだが、塵も積もれば山となるとはよく言うもので、幾度も修正を繰り返せば少しづつ蓄積していき、最終的には一寸した軽食くらいなら食べ切れる程の長さになって了うのである。

 即ち修正具の使用は思考の妨害と時間の浪費との原因となるということである。

 然らば如何にして誤りを訂正するのか? それは容易なことであり、単に誤った部分を二重線でも引いて消して了えば良いのである。そして二重線の上下に訂正を書けばよろしい。

 されど()うしても修正具を使用せねばならぬ時もある。訂正を書く間隙(スペース)が無い場合、後少しで締まり良く文章が書ける場合等々。斯くなる場合はもう仕方が無いので修正具を存分に使って、その上に新たなる一字を刻むがよい。


 更に思考の潤滑化に役立つのが「綺麗な字に拘らない」ということである。

 この日本という国では兎に角字の綺麗さが持て囃される。「美文字」なる端正なる文字が日本語を用いる全生命の目指すべき頂点なりと言わん許りの勢いで、綺麗な文字は世の中の憧れと見なされている(但し綺麗な文字も肯定せらるべきことを留意せよ)。我々は幼少期から汚き字これ恥なりと教えられ、止め、跳ね、払いの一つの過ちにさえ毎度々々目を付けられて赤字を食らう経験をしてきた。

 然れども殊思考のために文章を書くというのならば、綺麗な文字こそ良かれ、なる観念はもはや野菜の切り屑や部屋に溜まった(ほこり)諸共ゴミ袋に棄て放り込まねばならぬ。そうして袋の口を固く縛った後に漸く快もて考える境地に至ることができるものである。

 綺麗な文字で書かねばならないという考えは途絶し易い人間の思考回路を更に寸断させ易くする――この字、麗しからずと頭を(よぎ)ったその瞬間である。我々は健全なる思考の為、ものを書く間くらいはこの害毒を永久に脳内から根絶しなければならぬ。

 その為には普通程度又は汚い文字、場合によっては蚯蚓(みみず)のごとき悪筆でさえ許容する心の幅が必要不可欠である。走り書き、殴り書き、略字略号大いに歓迎、途中で(ぎょう)()がれども紙破れども憂慮するは無し。

 この心持ちで考えていけば、「書く」という行為が思考を妨害すること大いに減ぜらるるは間違いなしであろう。



 次は機械を用いて文章を書いていく場合を考えよう。機械といってもタイプ・ライターといった現在では歴史上の遺産と化して了った物品は除外するので御諒承頂きたい。

 機械を用いるならば何と言ってもコンピューターを用いるのが良かろう。近頃はタブレットや|スマート・フォンが主流となっては居るけれども、文章を書く(打つ)となればコンピューターが良い。

 勿論後者の機械類でも文字を打つことは可能であり、熟練者のフリック入力に於ける記述速度はキーボードを使った打鍵にも劣らない。しかしタブレットやスマート・フォン、とりわけスマート・フォンには或る缺点が存在する――画面の小ささである。

 中国語で手機(ショウジー)(簡体中国語では手机と書く)と書く通り、スマート・フォンは人間の手の大きさに収まるように設計せられており、従ってその大きさは手のそれに応じて決定せられ、画面は相応に小さくなって了うのだ。小さな画面を見て文章を書いていくのは最初の内は構わないにしても、時間が経過するにつれ目が疲れてきて、健全なる思考は難しくなって了う。従って、スマート・フォンは目が疲弊しない程度の比較的短時間に行われる思考記述に使うのが良いのかも知れない。


 ではここからはコンピューターでの記述に的を絞って、キーボードについて考察していこう。


 残念乍ら、キーボードは如何なるものが良いかという問は決定的な答えが存在しない。取り敢えず入力方式を検討しよう。

 まず一つがメンブレン式である。当方式はキーボードにある接触板がキーを押した際に反応することで入力を認識する方式であり、護謨の反撥でキーを本来の位置へ戻すという単純なる仕組みが採用されているから安価である。又液体や粉末被害に対してある程度の耐性を発揮するのも隠れたる長所である。一方この方式では(しっか)りキーを押し込まねば反応しないので、ずっと作業していると徐々に手が疲れてきて了う。無理を押して作業を続行すれば手首が腱鞘炎になること請合いだ。そのうえ打鍵音が五月蠅いという短所も御供してくれる。

 次がパンタグラフ式である。この方式は反応原理こそメンブレン式とさして変わりないけれども、パンタグラフなる菱形ばね構造を内部に採用しているからメンブレンよりキーが薄いし反応範囲も広い。然も大して値段が高くない。だが彼にも短所があり、それは耐久性に劣るということである。キーボードを机にバンバン打ち付けた暁にはすっかりうんともすんとも言わなくなって了うだろう。

 三つめがメカニカル式である。この方式は各キーに設けられたるスイッチとその下に固定されたばねの接触で入力を認識する。上二つと比べてキーが浮いて見えており、そこから色々の光を光らせる装飾を実装している製品もある。ばねは金属製であり故にばね定数が大きく、よくキーが戻ってくれるし耐久性にも優れている。然し価格がやや上がるのは玉に瑕。遊戯目的のキーボードに多い方式である。

 最後が静電容量無接点方式なる長大な名称の方式である。この方式は面白い。何しろ部品の直接接触による入力認識をせず、静電気の流れでこれを認めるのである。耐久性が高く打鍵音もそれなりに静かでキーボード側のミスによる入力間違いが少ない。ここ迄見れば申し分ないが、「月に叢雲、花に風」なる格言の言う通り、この方式を採用したキーボードは高価である。


 一見すれば静電容量無接点方式が最高と思えるけれども、この方式の値段たるや驚愕の域で、安価なる物でも二万円に達し、上を見ればなんと五万円を超える。流石にキーボードごときには万札を二枚も三枚も消費できぬという方も多かろう。その場合にはメカニカル式やパンタグラフ式、メンブレン式の選択をすることとなる。

 正直言って、どの種類のキーボードが最良かという議論に決断を下すのは極めて困難である。価格、大きさ、キー・ピッチ、キー・ストローク、打鍵音、耐久性、液体耐性等々、様々な好みが十人十色で統一した見解が存在しないのである。従って、ここからは私見を全開にして一参考意見を書きおく。

 

 私はメンブレン式キーボードとパンタグラフ式キーボードを愛用しているが、どちらも遜色なく良質である。前者が遊戯用コンピューターに附属のキーボードで、後者が勉学用に購入したノート・パソコンに備え付けのキーボードである。

 前者の打鍵音は擬音に起こすならばガチャガチャといった風で五月蠅いが作業実感が湧いて文章が進む。後者のそれは比較的静かであり思考の邪魔をしない。打ち心地は前者が確りと沈む深い種別、後者が浅い種別だが取り立てて騒ぐ程の違いは無いように思われる。即ち、どちらも甲乙つけ難いのである。

 以上の経験からして、拘りなき場合はメンブレン式又はパンタグラフ式のキーボードで問題なしというのが我が意見である。大きさは百パーセント・サイズでも問題なかろうが、げに大なりと感ぜらるる場合は八十パーセント・サイズや六十パーセント・サイズを検討すべし。

 尚、現在使用中の現役のキーボードを捨てて、態々高額のキーボードを新たに購入し直す必要は必ずしもないと思われる。勿論キーボードを使うのが初めてならば十分検討するがよいが、今使っている種別に不満なき場合はかくなる検討は不要であろう。

 

 ここから周辺機器に話を広げて色々論じたいのは山々であるが、それを実行すれば字数が恐ろしいことになって了うので泣く泣く割愛させて頂き、最後に打鍵について述べようと思う。


 蓋し打鍵速度は文章を書く上でこの上なく重要である――何故ならば打鍵速度は文章を書く速さに直結するからである。

 打鍵速度が遅すぎると思考速度に記述が追いつかなくなって、折角思い浮かんだ考えが水泡に帰する憂き目に遭って了う。打鍵速度が速くて困ることはないのだから、何はともあれ毎日十分、出来れば三十分程度の纏まった時間をとって日々練習に励まねばならない。打鍵練習の方法についてはここで詳しく述べることはしないが、インターネットで検索すれば直ぐ調べられるから、それらを十分読み通して、後はひたすら反復練習あるのみである。五分間で千文字が打てれば御の字であろう。

 因みに、高速なる打鍵を会得するのみでは不十分で、誤打鍵や誤変換を減らすのも肝要である。一度打鍵や変換を誤ると、それを訂正する時間が余分に掛かって了い、蓄積すればいづれは大なる損失に繫がる。日本語ワープロ検定試験の2級以上では、一回の誤打鍵につき三文字を減ずるという規則がある。誤打鍵の損失性がよく分かる規則である。

 以上の課題を解決して、速い打鍵を身に付けた暁には、読者諸君に甘美なる執筆・思考の世界が待っていることであろう。皆様の健闘を祈願する。


 本文は以上である。この文章が少しでも読者諸君の人生に助力出来れば幸いである。

 お読みくださいましてありがとうございました。

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