春、オヴェリフルにて・上
雪と緊張と慌ただしさに包まれた冬が過ぎ、ミッテルラントは北では雪解けの、そして南では春の麦捲きの季節が訪れる。
麦蒔きの真っ最中の畑を横切り、イヴァミーズ西駅発の急行列車は朝の終わり頃にオヴェリフルの駅に着いた。
荷物車のすぐ後に繋がれた一等車から、一目見ただけで高価とわかる旅着姿の一団が降り立つ。
「テオ兄様、元気かな?」
先頭を歩く少女が後の少年にそう言う。少し長めに伸ばしてくるくるとカールさせた黒色の髪と、フリルをあしらった旅着が、彼女を実年齢より幼く、それでいておしゃまに見せている。
「元気だよ。ノックバックの後遺症ももう治ったって手紙に書いてあっただろ」
続いて歩くもう少しで青年に手が届く年格好の少年が、平坦な口調で妹と思しき少女に答えた。
灰がかった金色の髪と樹脂縁の眼鏡、そして少し高いよく通る声が利発そうな印象を与える彼は、旅行鞄と別に少し大きな鞄を肩にかけ、列車を降りてはしゃぐ少女に少し不満げだ。
「そう言う意味じゃないのよ、カール兄様」
むう、と不機嫌そうに頬を膨らませる少女に、カールと呼ばれた少年ははいはいと生返事で返す。
その二人のやり取りを見るように、彼女達の姉と母・エリスとアリシアはしずしずとオヴェリフル駅の構内を歩いてゆく。
くるくる、ぱたぱた。そんな擬音が頭で聞こえるように、一団の先頭を忙しなくあちこちふらふらと歩き回る末妹ベアトリスを見て、ふう、とエリスは息をつく。
「全く、ベアトの落ち着きの無さは困ったもの――そう思ったのでしょう? エリス」
アリシアがエリスの後方から口を開く。
落ち着いた柔らかな声が、しかしエリスに強く釘を刺すように言った。
「あの子が落ち着くなんてことはそれこそミュッケ伯家の損失ですよ。エリス。イヴァミーズ伯を継ぐ者としてもっと大きく構えないといけません」
「……別に私はイヴァミーズ伯を継ぎたいなど思ってもいませんでしたのに」
「その割には随分方々でテオにはその資格が無い、継ぐなら自分だと言っていたようですが?」
「それはお兄様のあの煮え切らない態度が気に食わなかっただけです。順当ならお兄様が時期を見て継ぐもののはずなのに……何故今私が継ぐことになったのですか」
エリス――現イヴァミーズ伯爵・エリス=フォン=ミュッケが言葉に詰まりながらも母に――ついでに自分の役目を放棄していった兄とその原因を作った父に抗議するように口にする。
それを見てアリシアは意味ありげな柔らかい笑みを浮かべているのだった。
「エリスお姉様、お母様! 早く早く!」
「わかっています。ベアトもぶつかるから真っ直ぐ歩きなさい」
はぁーい。とエリスの言葉にベアトリスはぱたぱた歩きをやめて、しずしずと駅の中を歩いて行く。
駅前には高級そうな黒塗りの馬車が止まっており、ミュッケ伯家一行を見つけると身なりの良い馭者が声をかけてくる。
エリスも手はず通りにその馭者のもとへと向かった。
「それではエンツェンヴィル城へとお連れ致します」
後でふんふんと機嫌良く鼻歌を歌うベアトリスと、早速車中で読むためにと鞄から本を出すカールに少し呆れながら、エリスは頷き、馬車のドアをくぐる。
車内で馭者が鞭を振るう音を聞き、馬車が動き出したのを感じてから、そういえばすんなりと馬車に乗るのも慣れてきたものだ。とエリスは思った。
前ならば馬車に乗るときは大杖を器用に入れて乗っていたのに、最近は自分の大杖を持ち歩くことも減った。
父に代わってイヴァミーズ伯となり、ユーラヒルの軍籍をしばし離れてイヴァミーズに滞在することが多くなったのも原因だが、その最大の要因を作ったのはエリス自身でもあった。
魔導師の大型杖所持規則の大幅改訂。
列車杖叛乱の後、魔導師の大杖や騎杖の所持の制限法案が冬のうちに帝国議会を速効で通過した。
そしてこの春から魔導師は職場――軍や研究機関で杖を使うとき以外の屋外への持ち出しを禁じられ、特に魔法ダイナモを搭載する戦闘杖は魔素管の装着にも大きな制限が課せられた。
軍の一部では『ダガー』と呼ばれる攻撃魔法を使える長短杖が流行っているようだが、エリスはそれを持つ気にはなれず、『プラチナム・ヘイロー』もイヴァミーズ城の自室の杖掛けに管倉の無い姿で最近は待ちぼうけを食らっているのだ。
結果的に自分で幕を引いてしまったとは言え、大魔導師の証である大杖を見せびらかす時代が終わったのは少し寂しさを感じた。
「ねえ姉様姉様」
感傷に浸っているエリスの耳に、ベアトリスの自分を呼ぶ声が入ってくる。眼に星をちりばめながら頭をずいっと前に出してくる妹にエリスはまたか、と顔を顰めた。
「メルセデスお義姉様ってどんな方なの?」
「汽車の中で何度も話したでしょうに。私の知るのは今までに語った以上でも以下でもないわ」
「でも気になるんですもん。あのテオ兄様のぐちぐちやエリス姉様のぷりぷりを変えた人なんて、凄い人よ」
「そうね、凄い人ね」
アリシアがベアトリスの援護射撃をしてくる。
本当にこの母親は。
そう思って、熟し切っていない葡萄を噛んだような表情になりながら、エリスはベアトリスに答える。
「ええ、凄い人ね。私はあんなに真っ直ぐな人を他に見たことは無いですもの……」
ふんふんと真剣に頷くベアトリスを見ているうちに、馬鹿らしさも吹っ飛んで、いつの間にかエリスも饒舌にメルセデスのことを語っていた。
列車杖叛乱の時、エリゼン離宮で見たときのこと。つい最近再び帝宮で出会ったときのこと。
お互いに背負った肩書きを変えて顔を合わせてみたら、あの小さな体躯と真っ直ぐさを保ったまま領主の風格を携えていたのだから、思わず笑ってしまいそうになったこと。
カールは興味なさげに本を読んでいるようだったが、エリスはそのページの進みが遅いのを見逃さなかった。
カールは真面目なテオドールや素直そのものなベアトリスよりも、エリス同様性格が素直では無い。
この性格は確実に性悪な母の遺伝だと思っている。
そうしているうちに馬車はエンツェンヴィル城へと着いてしまった。




