嵐の後に――牢獄にて
「大陸戦争は起きる。それは間違いないのはわかっている。だがなぜ逸った?」
ユーラヒル、オスト区。ガウゼイ軍刑務所。
ガス灯に照らされた魔導師用の重房の前で、刑務士官に付き添われながらパウル=ベック参謀総長はその中に入っている人物に語りかけた。
「お前は生真面目で融通が効かんし、軍のための国と考える将官だと思ってはいたが……叛乱に逸るなんてしないものだと思っていた。その一線を越えたのはなんだ? クルト」
檻の中でクルト=フォン=ミュッケ元中将は嗤う。
その装束は見慣れた黒い将官服ではなく、粗末な囚人服。襟元の大青丁字勲章はもう無く、代わりに足首に封魔措置の施された足輪が嵌まっている。
そして囚人服の右腕は肩の部分からだらりと垂れ下がったまま、跳ね上げ式の寝台に腰掛けていた。
「追い詰められれば理性なんて吹き飛ぶものだ、パウル」
「それにしては随分とお前は冷静だった。クルト。戦力こそお粗末だったが、ジグムントの失策とテオドールが居なければ、『ロキ』の陣はそうそう破れなかった。普通は破れかぶれになってエリゼン離宮や帝宮へ攻勢に打って出るところを、お前は抑え続けた。列車杖叛乱には逸ったと言うのに、何故だ?」
クルトはまだ白目が血色に染まった眼を上げ、檻越しに自分を訝しむベックの顔を見上げる。
そしてふん、と鼻を鳴らして、彼の問いに答えた。
「未来のためだ」
未来、と鸚鵡返すベックに、クルトはさらに続ける。
「パウル。『ロキ』は確かに兵器としてはあまりに非効率な失敗作だ。だが私と『ロキ』は列車杖という存在を人々の記憶に刻み込み、同時にそれを忌むような攻撃を私自ら仕掛けなかった。参謀本部は一度は否定したが、絶大な威力と射程を持つ列車杖を内心では欲するだろう」
クルトの言葉にベックは眉が引きつる。
彼も内心、列車杖という諸国のパワーバランスを崩壊させ国を傾ける兵器を否定しながらも、その将来性とその優位性を頭の隅で考えていたのだ。
「血脈が繋がれば、より洗練された列車杖が生まれる。そしてメアリスやアンジーリアもその開発に臨み、大陸戦争においての列車杖は量産され、洗練される」
「そして誰かが呼びかけて人類を団結させ、出そろった大量の新しい列車杖の穂先を魔族領に向けば、かつての人間領を取り返し、魔王都ギリマをも攻略できる」
刑務士官が割って入るように言葉を続ける。
鈴の音のような涼やかでもあり、背筋に障るような冷ややかさを持つ声。それが煉瓦と混凝土造りの営倉の中に響き渡る。
ベックは戦慄した。
この刑務士官の声の音色、おそらく人間ではない。
「随分と迂遠だけど、とっても素敵な戦略ね。クルクル」
「我が帝国一国では逆立ちしても貴君たちには及ばず、また人類同盟を組むにも南部諸国は我々と貴君たちとの戦いを他人事と思っているからな。そのために列車杖を揃えた状態で人類同盟を何とかして組ませれば良い……ラエンゼ、君が来るのはわかっていた」
「ラエンゼ……魔王六将の……!」
ベックは傍らの刑務士官を振り返る。
第七次・第九次ヴァッケブルグ攻防戦にてベックが後方から、そしてクルトは最前線で、幾度となく戦った魔王直属の六将の一人、不死者の女王・血濡れのラエンゼ。
この小柄な刑務士官の正体が――ベックがそう思った矢先、刑務士官は制帽を取る。
すると士官の軍服は音も無く黒い奔流に包まれ、その奔流が止まると夜闇の色の上等な外套に包まれた簡素なドレス姿が現れる。帽子の中に収まっていた夜色の長い髪がばさりと落ち、丸い黒血色の瞳がガス灯の灯を反射して煌めく。
彼女は「失礼」と高く甘い、しかし聞いているだけで凍り付くような声でベックの袖を払って牢の方へと進む。
ラエンゼが触れた袖が、そこから凍り付いたような冷たさをベックは覚えていた。
「クルクルは随分とロマンチストだったのね。人をそんなに信じるなんて、考えてもなかったわ」
「人を信ずると言うより、人と未来に賭けたのだ。強い統治者がいなければ纏まらない君ら魔族と違って、人間は目の前の脅威や希望に対しては恩讐もなく手を取り合うからな」
「強さを得た自由な存在と言って欲しいわ。弱さ故に群れる生き物と私たちは違うの」
目の前で捕らえられているかつて殺し合いを演じた敵将を、『クルクル』と幼馴染みのような可愛らしい愛称で呼ぶ彼女に、ベックは戦慄するとともに、それと古い友人のように普通に話し合うクルトにも違和感を覚えていた。
「しかし、君と戦うための魔法を悉く息子に破られたのは惜しかった。私はやはりまだ未熟なようだ」
「……相性が悪かっただけだよ」
ベックがやっと口を開いて、二人の会話に入り込む。
「クルト、俺には魔法はよくわからない。だがお前の魔法はラエンゼと不死軍の軍勢と戦うには十分だったと俺は思う。テオドールとあの人馬のお嬢さん。それにトプカプ州軍相手だったから破られたんだ」
「随分クルクルや人間の肩を持つのね、貴方は。あの雪の街で戦ったときも、いつもクルクルを私にぶつけて突破口を開こうとする作戦ばかりだったわ」
「参謀本部の人族の魔は、君たち本物の魔族と違って手段を選ばず、そして誰かに自らの策と命を賭ける心がある。俺もクルトもだ」
ベックはラエンゼに、無理矢理作った引きつった笑みを向けた。
それが虚勢であることはラエンゼ自身も、そして檻の向こうのクルトもわかっているだろうが、それでもベックは笑みを崩さない。
「この戦いで我が帝国の英雄はいなくなると言った士官がいるが、英雄はいなくならんよ。いくら列車杖や兵器が洗練されようと、君たち大魔族を退けられるのは唯一、戦いの場で君たちに適う強さを持った人間だけだ。彼らを英雄と呼ばずして何と呼ぶ」
檻の向こうでクルトが頭を上げて、ふん、と鼻を鳴らす。
自分は承服しかねるが、納得はできる。この男のそんな時の態度だ。
「じゃあ次に英雄とぶつかるとき、私はどうなるのかな」
ラエンゼはふふ、といたずらっぽい笑みを浮かべる。
「クルクルと次に戦うこともだったけど、人間の『未来が楽しみ』って言うのはこんな感じなのね。胸がきゅってなるわ」
「ならば首を洗って待っていろ。私の腕を奪った夫婦は、心の強さでは私を凌駕するぞ」
クルトの吐き捨てた言葉に、ふふっ、とラエンゼは微笑の残響を残して夜色の奔流に再び身を包み、その場から消える。
ベックははあぁ、と大きな溜息をつき、改めてクルトの方を見やった。
「俺の言ったことは本心だ。お前の企んだ列車杖の血脈も、強き人無くしては何の意味も持たん。お前だけが逸ったところで『ロキ』のように無様に潰されるのがオチだ」
「……だから後はお前たちに任せろと?」
「ああ。お前の望むとおりとはいかんだろうが、列車杖も大陸戦争も人魔大戦も、エンデ街と参謀本部の魔が引き受けさせてもらう」
ベックは再びクルトに笑ってみせる。
その笑みは先程捕食者を前にした時の引きつったものではなく、企みを隠し持った者の笑みだった。
それを見て、クルトもまた示し合わせたように口元を吊り上げる。
参謀本部の魔物たちは死んではいないのだ。




