ユーラヒルの嵐――『ロキ』制圧戦・七
クルトの身体はふわりと浮かび上がると、『ラプラスの悪魔』の構造材で押しつぶされた『ロキ』の上に陣取る。
何があろうとも『ロキ』は渡さない。そんな彼の意固地がそこにあった。
「ベアル・アイズ、『轟雷』」
「そんな、ものっ!」
メルセデスに向かって次々に飛んできた雷光を躱した。
「ベアル・タルテ、我が伴侶の槍に宿れ『光明刃』」
馬上のテオドールが痛みを推して呟くと、山吹色の陽炎が槍に揺らめく。
「テオ! 魔法は控えて! もうギリギリなんでしょう!」
「そんなことを言われても、僕は君の伴侶だ。お荷物になんてなれるものか」
弾薬盒の中に残っていた最後の魔素管クリップを詰めた『アッシャー・ヘイロー』を握りしめ、テオドールは痛々しくも朗らかに笑う。
やっぱりこの人は英雄になれるだけの人だ。と、メルセデスは思った。
その胆力と諦めの悪さと優しさは、彼女の信じる英雄のそれだ。
そして、だから危うい。優しさ故に戦った末の死を受け入れることだって彼は考えている。
「私の伴侶なら、私の言うことを少しは聞いて下さい! 貴方は私の背中に乗っているだけで十分私に勇気を与えています! あとは私が言った時以外、私を信じて何もしないで下さい! 指揮官として、妻として命令します!」
その言葉を聞いて、後ろからふふ、と笑い声が漏れる。
「了解しました、中佐」
少しだけ痛々しさの和らいだ、優しい声がそう語りかける。
「宜しい!」
メルセデスはぴしゃりと返すと、再び蹄を強く踏み込んだ。
雷、炎、クルトの魔法は次々と飛んでくるが、それも全て脚で躱す。
『雀蜂』が折られて『ロキ』の喪失で心が乱れている分、クルトの攻撃は先程までに比べて激しさも精彩も欠いており、メルセデスは飛んでくる魔法の軌道を読んでは躱していった。
お互いの距離はどんどんと縮まって行く。
クルトまであと十数チャーンに迫ったところで、メルセデスはクルトに切り裂かれた『ラプラスの悪魔』の主機関を瓦礫に埋まった転車台目がけてメルセデスは飛んだ。
崖を登る鹿がそうするように、瓦礫の先に蹄をかけて、脚を撥条にして大きく跳躍する。
本来馬の蹄、しかも滑る蹄鉄を履いた状態ではできない動きだ。
だが彼女の長年の無茶とも言える鍛錬と、踏むべき箇所の瓦礫を見極める眼の良さと、地面や陣地を散々蹴り続けて削れた蹄鉄が、それを可能にした。
引っ掻き傷と引っ掻き音を残しながら瓦礫を蹴り上げ、メルセデスは勢いを付けて『ロキ』の機関部へと駆け上がる。
「本当にお父上同様しつこいお嬢さんだ。いい加減音を上げたまえ」
「その言葉、そっくりお返しします! 中将!」
「そういう所も気に食わん」
「生憎ですが父上、僕は彼女のそういう所が好きです」
ちっ、とクルトの舌打ちが飛ぶ。声色は平静を装っているようでも、心の中は強くかき乱されているのが、憎々しげに皺の寄った眉間からもよくわかった。
「ベアル・アイズ、『業炎』」
「ベアル・タルテ! 撃ち落とせ! 『氷槍』!」
クルトの至近距離からの魔法に、咄嗟にテオドールはメルセデスの命を無視して相殺魔法を唱える。
小さなうめきと共に炎弾を迎え撃って飛んだ氷柱は、瓦礫を引っ掻いて登るメルセデスの頭上で激突し、水蒸気爆発の爆発音と白煙を上げた。
「テオ、今のだけは許します!」
「ありがとう!」
テオドールは息を整えながら鞍の握り手と手綱を掴みながら、振り下ろされないように彼女の跳躍に耐える。
そして二人は瓦礫の降り注いだ『ロキ』の作業台に辿り着くと、メルセデスは瓦礫を掻き分けるように蹄を蹴り、クルトと対峙する。
残骸によってひしゃげた機関部の上に陣取るクルトは、『ブルート・ヘイロー』が変じた黒血の刃の斧槍を一度振るってから、メルセデスに向ける。
メルセデスもまた騎兵槍の穂先を振るってからクルトに向け、鞍上のテオドールも刃を失った『アッシャー・ヘイロー』を構えた。
「……そうか。どのみちその損傷では継戦も逃亡も無理であろう。降伏せよ」
クルトが雪雲の上に隠れた自身の座乗艦を眺めながら、呟く。
その言葉を受けてすぐ、再び空に蒸気機関とプロペラの轟音が響き渡った。
『ラプラスの悪魔』はぎい……ごぉ……と不気味な軋みを上げながらゆっくりとユーラヒル市街へ向けて回頭しはじめる。
「これでもう邪魔は入らんだろう。貴官らの部下も手出しをするほど無粋ではあるまい」
「ええ。ミュッケ中将」
テオドールとメルセデスは自分たちの部下――地上に降り立ったリヒトとアルマを含めて、先程何らかの方法で『ラプラスの悪魔』を撃破して列車杖『ロキ』を破壊した功労者たち――を見て、こくりと頷く。
もう手出し無用。その意志は彼らにも伝わったようだった。
「では、行くぞ」
先に仕掛けたのはクルトだった。切り結ぶように黒血の刃を振るい、メルセデスに迫る。
クルトの槍捌きは魔導士官のそれでは無かった。ひゅん、ひゅん、と高速で黒血の刃が振るわれ、突こうと構えたメルセデスの騎兵槍は払われる。
攻撃に転ずることもできず、クルトの高速の突きに彼女は防御に徹するしかできない。
「この槍捌き……ッ!」
「マインツだけが槍の手練と思ったか、テオドール」
クルトはふん、と鼻を鳴らす。
「奴の槍は私と撃ち合って鍛えたものだ。力では奴には適わんが、技巧なら同等だ」
高速の突きの雨と、斬撃を混ぜた攻撃がメルセデスの騎兵槍の穂先を定めさせること無く、槍の腹で防ぐのが精一杯だ。
同じ槍使いでも一撃に重きを置くメルセデスと手数で攻めるクルトでは圧倒的にクルトの方が有利だ。
その上彼の振るっているのは鋼鉄の蒸気機関のシリンダーをチーズのように切り裂く不死者の魔法の刃。
魔法剣魔法が掛かっていなければメルセデスの騎兵槍も打ち合うことすら敵わない。
――せめて僕が一撃でも加えて崩せれば。
メルセデスはああ言ったが、テオドールが白兵戦に加わればクルトを追い詰めることはできるはずだった。
だが手の中の『アッシャー・ヘイロー』は刀身が折れ、魔法ダイナモだけの姿になっている。
牽制の攻撃魔法は恐らく発動の早いクルトに相殺されるだろう。
クルトのように魔法の刀身を顕現させられれば良いのだろうが、テオドールにはそんな魔法を使う術は無い。
クルトの舞うような突きと斬撃はメルセデスを圧し、彼女を『ロキ』の作業台の端へと追いやりはじめた。
――一撃だ、一撃で良い。そうすれば
そう思ったテオドールの眼鏡の外、視界の端に煌めくものが映った。
飛行艦のエンジンと外板や砲塔の瓦礫の中でも、それだけは潰れずに雪空の中で先程と変わらず煌めきを保っていた。
――そうだ。アレだ。
テオドールは手綱を持つ手を広げ、起動文を唱える。
「ベアル・タルテ」
クルトの眉が動き、一瞬動きが固まる。何を仕掛けたかと反射的にテオドールに視線と思考を巡らせるクルト。
だが、テオドールの周囲の虚空には何も浮かばない。自身の足元にも。
それどころか衝撃光弾ですら発するはずの攻撃魔法の反応がしない。
当たり前だ。と、テオドールは口元に勝ち誇った笑みを浮かべた。
テオドールが使ったのは日常魔法でしかない、単純な引き寄せ魔法。
そしてテオドールが何をしたのかクルトが気づいた瞬間には、もう遅かった。
高速で引き寄せられた『雀蜂』の一本の刃先が、振り払われる間もなくクルトの脚に深々と突き刺さって居たのだから。
「ぐぅっ……テオドール……!」
「……父上と違って私は半端者ですから。大魔導師のような戦いなど出来ません……英雄になどなれません」
「しかし、だからこそ」
メルセデスはそう口にするとひゅん、と騎兵槍を振るって、クルトに向ける。
鋼鉄の作業台の上で蹄が蹴立てられた。
「英雄を止められるのです!」
ごう、と一陣の風を伴ったメルセデスの一撃は、しかし、『ブルート・ヘイロー』の不死者の刃に阻まれる。
音もない槍戟のやりとりだが、騎兵槍を覆っていた山吹色の陽炎が消えかけ、その穂先が徐々に黒血色に侵食されて行く。
充血した眼を細め、歯ぎしりした口元に笑みを浮かべるクルト。
テオドールもそれに勝ち誇った笑みで返す。
「父上、腕の一本は覚悟して下さい」
テオドールは『アッシャー・ヘイロー』のハンドルを三連続で引く。液体魔素管が軽い音を立てて弾き飛ばされ、硝子が鋼鉄の床の上で割れる。
皮膚の内側の身体の全ての部品が悲鳴を上げる痛みの中で、それでもはっきりと描けた魔法の想像と、その想像を形にする詠唱が紡がれる。
「ベアル・タルテ、其は掴まれた星。今一度、我が敵を討つ力となり、空へと還らん――」
「はああああっっ!!」
メルセデスはより力強く発光を始めた槍を、黒血の刃に強く押し込む。
「「『星を打ち上げる者』ッ!」」
三発分の中規模爆裂魔法が腹に響く爆発音とともに穂先から騎兵槍の錐状の形に添って指向されるように放射される。
閃光と爆圧は黒血の刃に穴を開け、より強く押し込まれることで『ブルート・ヘイロー』をへし折り、防護魔法で守られていたであろうクルトの右肩をも抉る。
光と爆圧の迸りは灰銀鋼の飛行艦のプロペラと列車杖の竜銀の杖身を削り取ったところで止まった。
折れた杖とともに右腕を吹き飛ばされ、どさりと崩れ落ちるクルト。
「……クルト=フォン=ミュッケ中将。あなたを捕縛します」
メルセデスの言葉に、地に伏したクルトはふっ、と意味深に鼻で笑ってみせた。
午後三時十八分、叛乱首謀者の一人。クルト=フォン=ミュッケ中将の捕縛。その十一分後にはミュッケ中将の乗艦『ラプラスの悪魔』の拿捕が完了。
ジグムント少将の乗艦『エクリプス』もまた午後三時三十七分に拿捕。
ヴィサンの森方面の戦闘はミッテ区同様午後四時までに終結し、ここにミッテルラント帝国軍と帝室、首都ユーラヒルを揺るがしたクーデター『列車杖事件』は幕を閉じた。




