ユーラヒルの嵐――『ロキ』制圧戦・五
『しかし中将。先程参謀本部より、本艦はミュッケ中将の命により動けと指揮され――』
『だから来たと! 大方指揮に困って投げ出されたと何故気づかん! それならば最初から私の座乗艦とジグムント少将の命に抗命せよ!』
リヒトが奥歯の竜銀の詰め物を合わせる度に、クルトと上空の飛行艦の無線魔信の大音声の応酬が聞こえてくる。
クルトは無防備のように見えて戦いの構えを解いていないために、迂闊に攻めれば魔法が飛んでくるだろう。だが、今彼の意識はわざわざこの森まで飛んできた座乗艦『ラプラスの悪魔』に向いているようだった。
「リヒト、どうしたの」
アルマが渋い顔をするリヒトに声を掛ける。
「船と中将の無線魔信。全部聞こえてるんだよ」
「そういやリヒト、無線魔信拾いやすい体質だったね。何て言ってるの」
ゲルダの問いにリヒトは答える。
「ジグムント殿下の命令で出港して、ミッテ区が落ちそうになったらミュッケ中将に命令を受けろって丸投げして、ここに来たって……話聞いてたら大体全部ジグムント殿下が悪いみたい」
リヒトの語る頭上の飛行艦の現れた余りにも締まらない理由に、全員が先程までのひりついた空気を忘れ、呆れそうになっていた。
だが一人、ざくざくと土をならして森から現れた者は、口角を吊り上げて空を見上げながら言った。
「お前ら、列車杖を潰すならあいつをぶつければいい」
そう言うのは有線魔信機材を持った、小柄な鉱山鬼の親玉――インギー=ジャイム准尉その人だった。
「あいつ……って、あの飛行艦?」
「そうだ。あの飛行艦が墜落すれば、列車杖もろともこの広場はぶっ壊せる」
物騒で突拍子も無いことを口走るジャイムに、全員が目を丸くする。
「でもどうやって、あんなものを。重高射砲なんか使ってミュッケ中将が勘づいたらまた光の剣で――」
「あいつを一撃でぶっ潰せる砲が一門、こっちを向いてる。で、今ならやれるってそいつの指揮官が俺に持ちかけてきたんだ」
ジャイムの言葉が飲み込めずに居るリヒトを始めとした生き残ったトプカプ派遣軍の面々に、ジャイムはいつも通りぶっきらぼうに答える。
「列車砲だよ」
どん、とジャイムは有線魔信機材を地面に置いた。
「クレイマー大佐の奴、重圧に弱い森人の癖に変なとこで思い切りだけはありやがる。飛行艦を叩き落とせば列車杖もぶっ壊れるなんて思いついてもやりゃあしねえよ」
ジャイムは森の向こうのユーラヒル市街地の方を向く。
「六〇口径三〇サンチャーン列車砲だ。近距離なら飛行戦艦の装甲だって撃ち抜ける。ただ撃ち抜くにはこの雲が邪魔で眼がねェって言い出した。そこでお前さんらの出番だ」
「俺たち……?」
ホイスが自分を指を差す。
「ノイチュ大尉、空飛んで視覚共有魔法を使ってくれねェか? 魔導士官に雲の中からあの艦を見て、それをユーラヒルの操車場の砲術科の魔導師に送ってくれって言われてな」
「無理です」
ジャイムの言葉にノイチュは力なく首を横に振る。
「魔法ダイナモ全部使って、それでもミュッケ中将の魔法を防ぐのに精一杯で……もう息してるだけでも痛いし、頭の中もぼやぼやで……視覚共有魔法はともかく飛行魔法なんて……」
「ねえリヒト」
アルマがぱさりと翼を向けて、未だにジャイムの口にした突拍子も無い作戦を飲み込めずに居るにリヒトに訊ねた。
「リヒトって魔法使えたはずだけど、空って飛べる?」
「飛べないよ。飛行魔法は士官学校で習うぐらい高度な魔法だし……覗き見魔法なら使えなくもないけど」
「覗き見魔法?」
アルマが聞き慣れない言葉に唇を尖らせ、リヒトがそれに答える。
「ジャイム准尉の言った視覚共有魔法のオモチャみたいな奴。本当にちょっと離れた人の視覚を覗き見するだけで、軍用の視覚共有魔法とは共有できる距離も違うし……」
「……リヒト、お前覗き見魔法が使えるのか?」
ノイチュの意外そうな声色がそうリヒトに聞き返す。
「は、はい。ミュッケ少佐に借りた本で……」
「――ならやれる」
ノイチュは歯を噛みしめた口端を上げた。
「リヒト、俺がお前の覗き見魔法を列車砲まで伝達する。頭がぼやぼやでもそのくらいは出来る」
「でも僕は空を飛べない……」
「お前さんは飛べなくても、前にお前さんを掴んで飛んだ奴がそこに居るだろが」
ジャイムはアルマをに視線を向ける。
突如白羽の矢が立てられたアルマは「え?」と今度はジャイムから自分に振られた役割に困惑していた。
「リヒト、アルマ。良いからやるんだ。中佐たちが立て直して、中将を止めている間に。そうしないと全員死ぬ」
ノイチュの言葉に、アルマは眼を細めて渋い顔をしながら、こくりと首を縦に振る。
リヒトも彼女のその様子を見て、こくりと唾を呑んで、腹を括った。
思えば今回生き残ったのも、今まで生き残ったのも、この時のためだったのかもしれない。
リヒトはそう思いながら、アルマに向かって頷いた。
「やろう、アルマ」
うん。とアルマが力強く頷く。
「リヒト、これ」
アルマが翼に先の爪を使って、豊かな胸元の内側にあるポケットから何かを取り出す。
真鍮製の懐中時計に似た引っ掻き傷だらけのそれは、リヒトの手のひらには少し大きい代物だった。
針は今はゼロを少し回ったところを示し、百刻みの文字盤の下にチャーンを示す記号が書き込まれている。
「観測高度計。たぶん役に立つ」
「わかった」
リヒトは高度計を握りしめた。
「私の命が必要ならば、ヴィサン陣地を取り囲む兵と陣地を今すぐ撃て! 飛行艦の目的を果たせ!」
クルトは大きく舌を打って、苛立った様子でテオドールの方を向く。
騎杖が折れ、精神痛で動くのもやっとであろう身体で、メルセデスの鞍上に戻ってまだ立ち向かう気で居る自らの長子の諦めの悪さに、クルトは可笑しそうに息を漏らす。
――あれの諦めの悪さは自分譲りか。
クルトが自嘲の笑みを口端に浮かべ、自らが執着するもの――『ロキ』を背に、黒血の刃を翻す。
『雀蜂』を失ったが、この刃だけはまだ残っている。
そして頭上の『ラプラスの悪魔』も。
クルトがそう思いながら長子に杖先を向けた瞬間、人鳥の少女兵が一人の少年兵を抱えて曇天の空へと飛び上がったことに彼は気づかなかった。
彼女の一際力強い翼撃も、『ラプラスの悪魔』の蒸気エンジンの音にかき消されたのだから。




