ユーラヒルの嵐――『ロキ』制圧戦・四
リヒト=ヴァッサーはクルトの放った光の剣の雨をまた辛くも生き残った一人だった。
マンティコアの毒、魔導科中佐の放った大規模魔法の雷。そしてミッテルラントの最高の魔導師の放った魔法から生き残ったリヒトが、今回もまた大魔法から奇跡的に逃れられたのは、隣で精神痛で膝を突いているノイチュのおかげだった。
彼がクルトの詠唱の不穏さに手近な者を集めて防御魔法を張ったところに、リヒトは間一髪でその傘の下に入ることが出来、傷を負わずに済んだのだ。
しかし、目の前で巻き起こる地獄に、リヒトの心は無事では無かった。
グロックナーの雷よりも凄惨な光景がそこには広がっていたのだ。
硝子を割ったような音と共に降り注ぐ光の剣に突き刺され、見知った洋酒色の軍服の兵も、見知らぬ黒い軍服の兵も、皆揃って背中から血を流し倒れる。
それが二度、三度では済まず、既に事切れた死体すら入念に滅多刺しにするように、剣は金色に染まった天から現れては幾度も降り注ぎ、転車台とクルトの周囲以外の全てを貫き尽くした。
テオドールの渾身の『光輪降下』でクルトの注意が逸れ、『ブルート・ヘイロー』を引いたことで光の剣の魔法はなんとか止んだ。
ノイチュはその瞬間まで防護魔法を支えるために、自らの大杖の魔法ダイナモを連続で使い、かなり広い範囲を光の剣から防護し続けた。
そのために、雪粒が降りつもりつつある死屍累々の広場の中で、リヒトの周囲だけが辛うじて動く者が居た。
「くそったれが! 今ので何人やられたんだよ! うちの連中も中央軍の連中も、あいつの魔法でみんなやられちまってるじゃねえか!」
ホイスが目の前で広がった惨状に、悲痛な絶叫を上げる。
「お伽噺や英雄譚の大魔族じゃねえんだぞ! 畜生が!」
「……今のミュッケ中将は大魔族と大差無いよ」
ノイチュが切れ切れに息を吐きながらホイスに言葉を返した。
「……あの人の魔法の想像力と、魔素の流し方の洗練は魔族並みに並外れている。僕みたいな州軍魔導師や普通の中央軍の魔導師じゃ、真似できない」
「くそったれが……俺たちゃ魔王殺しの勇者でもねえのに、そんなヤツとやり合ってるってか」
ホイスは忌々しげにクルトに騎兵銃を向ける。一方のクルトは銃口が向いていることなど全くの問題でないとばかりに、黒血の斧槍のような刃を振りかざしながらメルセデスを追い詰めている。
クルトにとって自分たちは、獅子の前を通る蟻と同じなのだ。
ごうごうとどこかで何かの音が鳴り響いてる中で、そこに居た全員がどうすればと『ロキ』とクルトの方を向く。
「……違う」
そう口にしたのはゲルダだった。リヒトやアルマたちと同様、ノイチュに言われるがまま有線魔信機材を投げ捨てて、彼の張った防壁の中に入ってきた彼女は、神妙に口にする。
「わたしたちの任務は、あの兵器をどうにかすることだ。そのためにはミュッケ中将を倒す必要は無い」
「でも、『ロキ』の制圧が僕たちの任務だ。制圧はミュッケ中将がいる限り無理だよ」
「制圧は実際に陣地を抑えるだけじゃないよ」
ゲルダはきっ、と長い杖身をもたげている『ロキ』に目をやる。
「わたしたちであれをぶっ壊す」
「ぶっ壊すって……どうやって?」
「わかんない」
リヒトの不安げな問いに、ゲルダは言い切った。
「でも、あれをぶっ壊す以外に制圧なんてできっこない。少佐は倒れてるし、中佐だけであの化物を倒せるわけが無い」
ゲルダの言葉は尤もだった。
クルト=フォン=ミュッケを足止めしても彼はまたあの光の剣のような大規模魔法で軍勢を蹴散らすだろう。
しかも光の剣を破ったテオドールはフランツ=フォン=シュリーフの背で精神痛で動けない状態だ。今後方で控えている第二陣が突撃しても、元も子もない。
ならばクルトが止められない手段でゲルダの言う通りに、『ロキ』を壊す以外に制圧の方法は無いだろう。
ただし、それを可能に出来る方法があればの話だが。
ジャイム一家の野戦砲とゲルダの通信の連携で列車砲の転車台こそ壊せたが、あの『ロキ』の竜銀の杖身や頑丈な車体を破壊するのはいくら何でも数発では無理だろうし、それを可能にした砲陣地に通じる有線魔信の機材はもう光の剣に滅多刺しにされて粉々だ。
そのうえ、何発も砲撃を加えていればクルトがジャイムを狙いに来る可能性も捨てきれない。
「どうしろってんだよ……このままじゃあの化物中将のインチキに全部止められちまう――」
ホイスが諦めの言葉を吐きかけたその瞬間、轟音と共に彼の顔に暗い影が落ちた。
いや、彼の顔だけでは無い。この広場全体に、雪空の中から陽光を遮る影が突如現れたのだった。
そしてそれが先程から鳴り響く轟音の主であることを、全員は思い知った。
「飛行……艦?」
リヒトがそれの正体を口にする。
雲の中からでも舵の付いた紡錘型の影とプロペラの発する轟音はすぐに飛行艦のそれだとわかった。
ただトプカプ州軍の持つ哨戒飛行艦とは明らかにその影の大きさも、プロペラの立てる轟音も桁外れだ。
彼らがトプカプから乗ってきたあの巨大な貨物飛行艦と比べてやっと飛行艦だとわかるほどにそいつは大きく、音も貨物飛行艦の比では無いほどだった。
突然の轟音と陽を遮る影の出現に、メルセデスと切り結んでいたクルトの手が止まる。 メルセデスもその正体がすぐに飛行艦――四つの異なる音調のエンジン音から大型の四発エンジン級空中戦艦だと気づき、焦りの余り表情を曇らせたが、切り結んでいるクルトの表情はメルセデスよりも苦々しげだった。
先程テオドールと自分、そして突撃部隊の兵たちに追い詰められたときよりも明らかに焦りの色が濃い。
クルトは「ベアル・アイズ」と憎々しげに起動文を口にすると、詰問するような口調で空に向けて叫んだ。
「『ラプラスの悪魔』! 誰の指示あって舫いを解いた!」
眉根に皺を寄せたまま、まるでメルセデスなど視界にないような様子でクルトは天を睨む。
その隙にメルセデスはフランツの元へ走った。
「何があったんだ、メル」
フランツの背からなんとか力を振り絞ってメルセデスの鞍上に再び腰を下ろしたテオドールが、痛みと怠さの中で声を絞り出す。クルトの剣幕を目にして、メルセデスに訊ねたようだが、メルセデスは首を振る。
「少なくともミュッケ中将もわかってないと思います。気づいたら自分の座乗艦が頭上に居た。という感じでしょう」
「……おそらく中将の援護でしょう」
口を開いたのはフランツだった。
「ヴィサンの森陣地の苦戦報を受けて援護のためこのヴィサンの森の上空に来たはずです。今有効な重高射砲のない我々が艦砲射撃を受ければ――」
「痴れ者どもめが!」
飛行艦のエンジン音に混じったクルトの一際大音声の絶叫がフランツの推測を遮る。
「貴官らはミッテルラント飛行艦隊の誇りをどこに捨てた! それ程の大艦を預けられながら、たかが座乗将軍にホテルの用聞きのようにわざわざ命を訊きにやって来るなど!」
クルトの剣幕から吐かれる言葉は頭上の艦の立てる轟音により三人の耳に入らなかったが、どうやらフランツの推測とは大きく違うと言うことを明白にしていた。




