ユーラヒルの嵐――ミッテ区攻防戦・四
午後になって、ユーラヒルの雪は止むどころかより降りが強くなっていった。
午後二時を過ぎた頃にはミッテ区東部の城門を攻める再編第一師団の第一三混成旅団は護りの薄くなった東部のケルディン城門とスターレン城門を攻め落とし、ミッテ区内部へと入っていく。
西部のディッカー城門とイェーヴォ城門も東からの侵攻に後手に回って兵を割いたことで、粘り強く攻めていた第一一混成旅団の手によって落とされた。
飛行艦が危険を承知で高度を下げて堡塁の重高射砲陣地を攻撃する中、再編師団の兵はミッテ区内へと進んでいった。
それと呼応して近衛師団第一歩兵旅団の半分が帝宮から降下兵と共に内務省と首相官邸、そして参謀本部へとなだれ込むのだった。
将がその場を抜け出し、残された側近の幕僚が居ない将に気を使うように戦線を支え続けたミッテ区戦線は壊滅の一途にあった。
そしてそんなことを当の将自身がまるで他人事のように吐き捨てたのは、午後二時を十五分ほど回った頃だった。
「どうなっている! 何故だ! 何故ミッテ区の防備がここまで破られているのだ! ディッカー門とイェーヴォ門は! 重高射砲陣地は何をやっている!」
ルドルフ城壁とキッペル堡塁を望む聖ペーター教会付近の上空で、ジグムントはようやく眼下の異変に気づいて絶叫する。
彼の眼下には防備を破られた両城門と、飛行艦の肉薄射撃で瓦礫の山となった高射砲陣地や重砲陣地が映っていた。
「ほぅら、神代の英雄王の真似をして一軍の将が自ら敵を倒そうと出向いた結果がこれですわ。力で抑え込む将が抜ければ、部下は何をすればいいのかも解らず、そこに居もしない将の考えを慮って総崩れになる。それすら解らないようでは将など務まらないのですよ」
エリスは顔を赤らめるジグムントを煽るように口を止めない。すらすらと言葉は口を突いて止まらない。
それは目の前の男への怒り――目の前の、自分の浅慮で、自らを英雄視した挙句に多くの将兵を無駄な死に追いやった、この碌でもない将に――もあるのだろう。この男には本当に兄や義姉に抱いたそれに比べても、静かで深い怒りが収まらないのだ。
「殿下は士官学校で近代戦を学んでこなかったのかしら? それとも神代の英雄が如く、近代戦をもたった一人の将軍の力でひっくり返せるとお思いになっていらして?」
ああ、義姉の言ったことは当たっていたな。とエリスはいつもと違う怒りに突き動かされながら、思った。許容魔力の高さや強力な魔法が使えるかどうかなんて話で、こんなに人間は浅慮で考えなしの万能感に突き動かされてしまうのだから。
エリスが兄へ抱いた苛立ちと自らの慢心の慣れ果ての姿。それが義姉に負けてから父と連んでいたこの男へ抱いた嫌悪の元凶と解って、エリスは自分の首元の駄犬の首輪じみた勲章を引きちぎりたくもなってきた。
「もう貴方の蹶起ごっこは終わりですわ。兄上の地位を羨んで、自分ならもっと上手くやれると逸って、自らの強さを見せ付けようとした結果、自惚れに目も眩んで将の役目すら放棄した愚か者として貴方の名は歴史に刻まれるでしょう」
「エリゼン離宮と帝宮と宰相官邸さえ落とせば全て変わる! 目障りな兵務省と参謀本部の連中、それに兄上と宰相さえ排せば! 余が我が帝国の新しき皇帝となる!」
「例えエリゼン離宮が貴方に消し飛ばされても何も変わりませんわ。そうなれば首都に居ないどなたかが指揮を引き継ぎ、各州軍が貴方を殺しにやって来るだけ……それにもうここまでの失態を晒しては、貴方に付いてくる将兵などおりませんでしょうに」
「――エグラ・ノラウス! 猛き炎精王、気まぐれなる風精王よ、汝我が声に答え、我が敵に裁きの焔風を齎さん! 『火刑の暴風』!」
エリスとミッテ区の空を灼き、ジグムントを愚弄するもの全てを黙らせんとする真っ黒な炎の旋風は、城門付近の空一面に広がり、低く立ちこめた曇天に大きな穴を開け、降る雪を溶かしてゆく。
ジグムントを中心に渦を巻く焔をエリスは間一髪で『魔女の箒星』の鐙を強く押し込んで加速し躱したが、それでも焔は舐めるようにエリスに迫り、氷の鞍を溶かし、三つ編みの髪先から火を点けて、彼女の頭へと迫って行く。
エリスは咄嗟に舌を打ちながら、突撃槍に氷の刃を付け、火の点いた靡く三つ編みを切り落とす。
嫌な匂いを発しながら燃える金糸の髪は竜銀の飾りごと住宅街のスレート屋根と煉瓦の煙突の並ぶ一帯に落ちていった。
ジグムントを中心に渦巻く炎の旋風は止もうとしない。皇弟の激情と怒りと自己顕示欲の象徴であるように、昏く、しかしぎらぎらと渦を巻いて燃えさかって、ミッテ区の外縁に晴れ間の穴を作り上げる。
その炎の渦に、下の町から木箱や藁束が舞い上がって、飲み込まれて行く。それだけで済まず、屋根のスレートがかたかたと音を立てて、上空の渦へと舞い上げられそうになっている。
その様子だけでもあの炎の渦の与える力がどれほどのものなのかを物語っていた。
エリスはちっ、と舌を打ち、炎の渦から広がる奔流と火の粉を左右に避けながら飛ぶ。
「厄介極まりないですわね。考えなしの癖に力だけはある魔導師というのは。魔法の使えるだけの野獣そのものですわ」
悪態だけは無限に湧いてきたが、その実、エリスにもどうやってあの炎の渦を攻めるかを考えあぐねていた。
上空の曇天に蓄えられている雪と魔素を最大に利用しても突破は難しいだろう。自身の閾値を超えた魔素を体内に取り込めばノックバックで戦闘不能に陥りかねないし、自身の閾値ギリギリの魔法を使っても炎の渦を突破できるとは思えない。
ジグムントのレンハルス家数百年の歴史の集大成とも言える高い閾値と、それに応えられる『レーヴァテイン』と言う大杖が、あの魔法の炎の渦を生み出しているのだ。
眼下では据わりの悪かった屋根のスレートが数枚飛び始める。エリスの跨がる『魔女の帚星』もまた風に煽られ、嵐の中の小舟のように動揺を続ける。
槍を握ったままなんとか直進を保つも、炎の外周を飛び続けるのが精一杯だった。
少し前に継ぎ足した魔素管も残り二本。体内や空気中から取り込む魔素も飛び続けるのに保持しているのが精一杯なのが正直なところで、それすらエリス自身の集中力と残りの魔素管を合わせても数十分保つかどうかだった。
「ハッ! ハーハーハハハハハツ!! やはり余には勝てぬか! 所詮は魔女のまねごとをしただけの才に及ばぬ女であったな! 余の力の前には及ばぬといったところか!」
ジグムントの耳障りな絶叫にも似た高笑いがエリスの耳に障って響く。
舞い散る火の粉が黒い制服に穴を開け、燃え残った金糸の髪を焦がすのを覚えながらも、エリスは炎の奔流と火の粉を避け、槍や、『魔女の箒星』の鞍と鐙を溶かされまいと飛び続けた。
機動を複雑にする度に体内の魔素は減る。魔素の流入を絞って最低限の動きで対応しようとしてはいるが、それでも長くは保たないのは体感で解った。
肺が灼けないのか、炎の渦の中心で余裕癪癪に高笑いを続ける皇弟を忌々しげにエリスは眺めた。
しかし、その時だった。
高笑いが「がはっ」と言う絶叫とともに途切れるとともに、魔力で作られた炎の渦は密度を失って行く。
「好機、ですわね」
炎の切れ間にジグムントの姿が窺えたのを見ると、エリスは杖先をそちらに向けて、魔法ダイナモを一つ燃焼させると鐙を最大限押し込み、体内の魔素流量を最大まで開いた。
「はあああぁぁぁっっ!!」
彗星の名に違わず、エリスの乗る『魔女の箒星』は猛禽どころか飛竜よりも速く飛ぶ。火の粉と雪が入り交じって頬を叩き、風がごうごうと耳元で鳴り響く。
その速度に高揚感を感じながら、エリスは炎の奔流を避けること無く、高度の下がったジグムントに、振り下ろす形で片手に握った氷の槍を自身の前に突立てる。
どんどんと目の前に迫るのは手のひらで胸を押えて荒い呼吸を繰り返す男の姿。エリスはその無防備な胸に凍てついた穂先を突き立てる。
ジグムントの再びの空気を漏らす声に構わず、エリスは槍を、鐙を、押し込んだ。
「何をする気だ! 貴様!」
「貴方を縛り付けるのですよ」
ジグムントを槍先で貫いたままエリスは『魔女の箒星』はぐんぐんと高度を下げ、速度を上げる。
エリスの視線の先には聖ペーター教会の大鐘楼が迫っていた。
「でええいいやあああぁぁぁっっっ!!」
エリスは絶叫と共にジグムントを縛り付けた槍を、思い切り前に腕を突き出す。
がああああぁぁぁんんっっ!
大鐘楼の巨大な青銅の鐘が高速で殴りつけられたことで、ミッテ区一帯に割れた音を響かせる。
「ベアル・シュピラ。凍てつきし茨よ、我が敵の縛めとなれ『氷薔薇』」
エリスの詠唱と共に、ジグムントの身体はぱきぱきと音を立てて槍から伸びる氷の茨で、鐘に縛り付けられる。彼女は槍から手を離すと、たん、と鐘楼の床に足を付け、『プラチナム・ヘイロー』にかけられた『魔女の箒星』を解いた。
鐘はがぁん、がぁん、と大袈裟な音を立てながら、縛り付けられた赤ら顔のジグムントごと音を立てて揺れ始める。
「何故だ、何故余があの程度の魔法でノックバックなど……」
がんがんと揺れる鐘の音に交じってジグムントの譫言のような言葉が聞こえる。
その言葉に対してエリスは、起こっても当たり前のノックバックだったと思った。
この男は自身の身体の負担を何一つ勘案に入れてなかったのだ。
何度も急上昇と急降下を繰り返し、大魔法を次から次へと繰り出せば内蔵や脳が司る精神に負担が行くのは当然のことだ。それが原因で一時的に閾が下がってしまうことも十分あり得る。普通の――慧性の魔導師ならノックバックの兆候が現れたら戦法を変えて戦うところだが、天才にはその兆候の経験など何一つ無かったのだ。
この男は結局、自分のことすらも何一つわかっていなかったのだろう。
「ええい……こんな茨、我が『レーヴァテイン』で焼き払ってくれる……」
そう口にした途端だった。
それが起こったのは。
『レーヴァテイン』の白く塗られた杖身は氷の茨に触れたそこから黒く変色し、ひび割れながらぼろぼろと剥がれ落ちて行く。
腐り落ちるように崩壊する『レーヴァテイン』の中から圧縮魔素の供給管とおぼしきものも露出するが、それすらも氷の茨に触れた途端に崩れて行く。
その様を目の当たりにして、ジグムントは狼狽えるばかりだった。
「何故だ! 何故! 『レーヴァテイン』が!」
「たかが竜銀ペストくらいで狼狽えないでくださる?」
エリスはつくづくあきれ果てたと言う様子で鐘に縛り付けられたジグムントを見上げ、ふん、と鼻を鳴らす。
「炎の渦の中心にあった金属が氷点を下回る氷に触れて、ひび割れない方がおかしいでしょう? ましてや竜銀は急激な温度変化に弱い。中に濃縮魔素の供給機構が仕込んである分、魔素伝導率を上げるために純度の高い竜銀で外側を作ったような杖なんて、温度変化に耐えられず竜銀ペストを起こすのも当然ですわ」
「おのれ、おのれぇぇっっ!」
子供の悪態のように縛り付けられたまま恨み言を口にするジグムントを見上げながら、ふう、とエリスは一息を吐くと、「ベアル・シュピラ」と起動文を呟いて、信号弾の魔法を上げる。
雪空の中、ぱあん、と聖ペーター教会の上に花開いた赤と青の信号弾は、年越しの花火にも見えた。
「靭性を伴わない強さなど所詮は脆いもの。殿下のお身体や『レーヴァテイン』のように、ただ強いだけの器は少しの罅からぼろぼろと崩れていくものです」
「……その言い草は、自分は真に強きものであるとでも言いたげであるな」
「まさか」
エリスは首を横に振る。
「貴方よりはマシと自負しておりますが、私もまだまだですわ。真に強き人は……そうですね。今はヴィサンの森あたりで戦っておられるはずです」
エリスは鐘楼からヴィサンの森の方を望む。森の方角から遠雷のように響き渡る音は、まだあの場所が戦いの最中にあることを意味していた。
午後二時三十五分。叛乱首謀者の一人である皇弟ジグムント=ルーハンス=フォン=レンハルスの捕縛。それから二十分ほど遅れて参謀本部の叛乱首脳部が降伏。
これをもってこの日の午後四時までにミッテ区での全ての戦闘は停戦した。




