ユーラヒルの嵐――ミッテ区攻防戦・三
午後になった頃にはミッテ区は混乱に包まれていた。飛行艦から降り立った降下兵たちが中枢であるエンデ街に混乱を与え、そして西部ディッカー・イェーヴォ城門の防衛に兵が回され手薄になった東部のケルディン城門とスターレン城門が、東部地区の通信設備が破壊されたのに合わせて伏せていた兵たちが急襲したことで、ミッテ区の戦闘は完全に防衛側の不利となっていた。
防衛側も現場での防戦を試みるが、通信網が破壊されたままの状況では増援を呼ぶにも早馬を飛ばすか、城門に残っていた昔ながらの腕木信号機を使って呼ぶしか無いのだ。
そして首脳部たる参謀本部も残された魔信ケーブルや骨董品の腕木信号で戦闘指揮を執るのだが、それすら尻込みしているように、もたついた指揮が続いていた。
それもそのはずだ。指揮を一手に集めていた者がその席を空け、敵地に乗り込もうとし、今混乱にあるミッテ区の上空で挑発に乗って戦っているのだから。
今空でどこかの魔導師たちが繰り広げている戦闘に注視する兵や士官はいなかった。魔導師の誰かが戦っている。それ以上のことは考える暇も無いからだ。
だが偶然にも、ケルディン城門の上で、双眼鏡を引っ張り出し参謀本部からの腕木信号を眺めていた尉官は一瞬その視界に映った影を見て、思わず双眼鏡から眼を離して、脱力する。
「何をやっているんだ、貴方は」
そこに居てはならない者の姿をその目で見てしまった尉官の失望と絶望の響きは、ユーラヒルの曇天と雪空に消えていった。
「ベアル・シュピラ! 汝氷精、我が敵を貫き通せ、『氷弩!』」
「グラウ・ノラウス! 猛き炎精王の使いよ、我が声に答え我が敵を燃やし尽くせ! 『炎帝翼撃』!」
ジグムントの白い軍服を狙った無数の氷の矢は、彼の杖先から放たれた、翼状に広がる炎の帯に飲み込まれて相殺される。そして幾たびかの曇天のユーラヒルの空を揺るがす白煙と轟音を伴う水蒸気爆発。
これまでも氷魔法と炎魔法がぶつかる度に熱波と蒸気が上空に立ちこめ、雪交じりの空気をかき乱した。
魔素の力で飛ぶエリスとジグムントの両者も並みの風魔法と差の無いその空気の乱れに巻き込まれそうになるも、互いに瞬発力で脱出するのを繰り返していた。
「ベアル・シュピラ!」
「エグラ・ノラウス!」
お互いに立ち並ぶ省庁の飛行艦係留塔や城門の腕木信号塔の隙間をすり抜けながら、お互いに魔法を打ち込む。その構図が先程から続いている。
エリスはジグムントを倒すにも決定打を与えるにも至れていないが、それでもなんとか機動性を生かして城壁を越える前に先回りし続け、彼を釘付けにして、エリゼン離宮へ向かうのを阻止することだけは今のところ出来ていた。
だが、それでも分の悪さはエリスにあった。
魔素の軌跡を描いて速度を上げて飛ぶエリスと、ほんの少しの機動で機敏に反応するジグムント。空中の機動性はエリス、運動性はジグムントが勝っている。
しかし常時供給される『レーヴァテイン』の高濃縮魔素と、通常の魔法ダイナモを燃焼した魔素を調節供給している『魔女の箒星』では、魔素の尽きる早さが異なってくる。
時折エリスは『プラチナム・ヘイロー』の引金を引いて、魔素管を燃やす。それは相手もながら強力な高位魔法を撃つ時だけ引くのと、体内の魔素を満たすために燃やすのでは消費量が桁違いだ。
魔素を節約して飛ぶ方法は研究してきたつもりながら、それでも濃縮魔素を使い自在に飛ぶジグムントとでは不利である。
「はっ! ははははっ! どうした! 飛んでいるだけで魔素が尽きるか! 余を捕らえると大口を叩きながら情けないものだ!」
愉快そうに耳障りなほど大きな声を張り上げるジグムントに、エリスは舌を打つ。
心を乱されてはいけないと思いつつも、この男の高く無駄に響き渡る大声はキンキンと耳に響き渡るので余計に癇に障る。
だからこそ、黙れ。という言葉を魔素に乗せて、練り上げて詠唱を口にする。
「ベアル・シュピラ。汝氷精の王。其は我が槍、我が敵、我が帝国の反逆者を貫き通せ。『星輝の氷槍』」
握った右手に周囲の雪を巻き込んで形作られた氷の槍の重みを感じながら、エリスは杖を握る左手と鐙に添えた脚に重心を移し、ジグムントに迫る。
遠距離から魔法を撃ち合ってもぼんぼんと水蒸気爆発を発生させるのが関の山なのは先程までの戦いでわかった。ジグムントを挑発して隙を狙った一射を与えるはずだったが、それで鈍ることのない彼の魔素の関知能力と本能的な反射神経とを甘く見過ぎていたのだ。
正直自信に欠けるが、状況を打破するには魔法による射撃戦でなく接近戦に持ち込むしかない。
「それが、その槍が貴様の切札か! 随分貧相な切札であるな! ベックの雌犬め!」
「ええ。所詮魔法を撃ち合っても雑で単調な花火にしかならないですもの。エリス=フォン=ミュッケの一世一代の曲芸にてジグムント殿下を討ち取らせて頂きますわ」
「抜かしおってからに! そのような粗野な魔法で余が討ち取れるだと!」
ジグムントは挑むように急降下し、降下と上昇を繰り返しながら内務省の二本の飛行艦係留塔の間を縫って飛ぶ。それをエリスは追いすがり、飛んでゆく。
「エグラ・ノラウス! 気まぐれなる風精の王よ、我が杖に宿りし力にて踊れ! 『風王乱舞!』」
係留塔のちょうど中間にエリスが差し掛かったとき、待っていたとばかりにジグムントは急上昇し、『レーヴァテイン』の引金を引く。液体魔素の爆ぜる音が響くと同時に、魔法により生じた巨大な竜巻が係留塔の間に現れた。
内務省の屋根に葺かれた銅板とスレートが剥がれて吹き飛び、竜巻の外縁に差し掛かったエリスを襲わんとする。
「小賢、しいっ!」
エリスはかつて自分を倒した人馬がそうしたように、ぶぅん、と氷槍を振るって、銅板を裂き、スレートを砕いて、叩き落とした。氷の槍はスレートを砕いた程度では傷一つ付かず、その姿を保っている。
「こんな魔法で勝ち誇った気におなりになっているのかしら。本当に前線に出ることなく軍人魔導師との決闘でしかその強さを発揮できなかったとお見受けしますわね。少しでも前線に出ていれば……或いは破天荒な誰かと戦っていれば、その高すぎる自己評価を改める切っ掛けにもなったでしょうに」
「貴様ァ! 何様のつもりだ! 余に対してそのようなことを!」
遠くに見えるジグムントは顔を赤くして――比喩ではなく本当に顔中を赤らめて、憎々しげに「エグラ・ノラウス!」と叫びながらエリスに向けて炎弾を飛ばしてくる。
エリスはそれを余裕綽々に避けてゆく。
怒りのあまりか段々と射撃精度が甘くなってきているが、『レーヴァテイン』の液体魔素管は恐らくまだ十分に残っており、彼の飛翔を助けている濃縮魔素もまだまだ残っているはずだ。高位魔法に巻き込まれればひとたまりも無いのは確かだろう。
『プラチナム・ヘイロー』に残った魔素管も少ない。
決着を付けるには、早い方がいい。
エリスはそう思いながらジグムントへ向けて鐙をぐっと押し込み、全速力で迫るのだった。




