ユーラヒルの嵐――ミッテ区攻防戦・一
十一月十八日。折からの曇天はちらちらと初雪を、鉄と煉瓦造りの街・ユーラヒルへと降らせていた。
都市環状線《Sバーン》の高架線を外側に、ルドルフ城壁とキッペル堡塁を内側にと二重の壁に囲まれたユーラヒル市街地の上を、雲上を飛ぶ飛行艦の鯨様の黒い影が覆いかぶさるように、城壁を囲むように飛んで行く。
夜明け前にシュニックからヴェスト区やズューデン区を経て、ミッテ区を囲む堡塁の外堀の至近まで辿り着いた兵たちは、師団長たちの鬨の声を合図に、ミッテ区のディッカー城門とイェーヴォ城門に向かって攻勢をかけ始めた。
蒸気牽引機や輓馬に引かれてきた軽砲と魔導士官の中位魔法は瞬く間に吠え、榴弾を城壁へと見舞う。時代遅れの城壁とは言え厚く積まれた煉瓦と突き固めた土で出来た複合城壁のルドルフ城壁には軽砲や中位魔法では威力不足は否めず、表面の煉瓦を破砕するだけに終わるが、それでも城壁の上から狙い撃とうとする兵を片付けるには十分だった。
そして軽砲と魔法による援護砲撃が鳴り止まぬ中を、歩兵部隊と騎兵部隊が外堀にかかる橋と堡塁の先、ルドルフ城壁の城門を目指して、わぁぁ……と声を上げながら小銃や騎兵銃を握りしめて突撃してゆく。
突き出た稜堡の上からの軽砲や新型機関砲の狙い撃ちに、石畳の破片と共に鉄帽と黒い軍服姿の兵士が次々と吹き飛ばされ、溶けた雪の滲む石畳の上に斃れてゆく。赤い血が石畳を、城壁を染めたが、それでも突撃も砲撃も止まなかった。
重砲も攻城兵器も使えぬ攻城戦を、ユーラヒルの市民たちはいつ砲弾の破片が窓を突き破るかもわからない中、窓越しにその戦況の行く末を眺め、見守っていた。
此方、歴戦の将ジークハルト=ヴィンテル兵務卿に率いられた中央軍再編第一軍。
彼方、帝国最強の魔導師が一人にして反逆の皇弟、ジグムント=ルーハンス少将に率いられた中央軍反乱軍。
ちらついた雪は止む気配を見せず、次の局面を望むように降り続いていた。
「魔信が使えない!? ヴィサンの森へ連絡が取れんだと!?」
参謀本部、ジグムント自身の執務室。執務椅子に腰掛けていたジグムントは、伝令将校の持ってきた報告に苛立たしげに声を荒げる。
先程戦端を開いた報告を聞き、西と南の城門に集めた兵による戦果に上機嫌だったが、徐々に戦況が膠着し始めると、
「は、はい。有線魔信は通じず、無線魔信も魔素飽和で雑音が混じり使用不能に……ミッテ区内の有線魔信はまだ通じますが……」
「何が原因だ!」
ジグムントは声を荒げて伝令に訊き返す。白の大杖に手を付け、今にもくびり殺さんとする表情で睨み付けられた将校は、裏返った声で、通信将校に言われたことを口にした。
「ま、魔信線の切断と、じょ、上空の飛行艦の、魔素放出と……」
「伝令!」
高い、吠えるような声に、びくりと伝令将校の肩が跳ねる。
「今すぐ『エクリプス』と『ラプラスの悪魔』に舫いを解いて、ユーラヒル上空の飛行艦を撃沈しろと伝えろ! 堡塁の重高射砲部隊にも撃沈せよとの命を伝えよ! 今すぐにだ!」
「閣下! それでは市街地に飛行艦が墜落します!」
側近の魔導科佐官が諫めるように口にする。
「民心が着いてこねば閣下の戴冠は危うくなります。ここはお堪えください!」
「五月蠅い! 先に叔父上が撃ったのだからこちらが撃ち返しただけのこと! 素直にそう言えば良いではないか!」
ジグムントは苛立ちに任せてがん! と机を蹴る。頑丈な樫の机にはジグムントの靴底の傷は残らなかったが、それでもニスに黒い痕をつけるには十分だった。
「それでもお堪えください! 玉座の膝元たる帝都臣民を故意に傷つけては、義を失います! 兵務卿と参謀総長の軍もそれを重んじて重砲や高位魔法を投入しないのです!」
「ええい……能なしどもめ! 余の威光を見せ付けるばかりか、臣民に阿ったばかりにベックや叔父上に圧されるなどあり得ぬことだぞ! 余が強きものであれば臣民は余に必ず着いてくる! 撃沈せよ!」
机をガンガンと蹴り飛ばし、ニスに幾つも黒い痕を付けて行くジグムントに、側近たちは顔を合わせ、伝令はジグムントの言葉を伝えるべきか、伝えぬべきかと荒い息を切りながら逡巡する。
「伝令!」
二度目の叱咤――碧眼を憎々しげに細め、深い皺を眉間に刻み、目の前の伝令将校に向かい攻撃魔法を放ちかねないような表情と声色で吠える――に、伝令兵は「はいっ!」と裏返った声と共に肩を震わせて、急いで踵を返し、駆け足で部屋を去って行く。
「閣下、お考え直しください……!」
「五月蠅いと言っているではないか! このミッテルラントを治めるのは強き皇帝だ! 皇帝たる者が臣民の十や二十の犠牲を恐れて! アンジーリアや! メアリスや! 魔王グスウィンと対等に戦えると思ってか!」
椅子から立ち上がったジグムントは、窓を開け放ち、空を凝視する。
暫くして、遠くからどうぅ……ん、と低い音が聞こえ始め、雲の中でぱらぱらと不格好な花火のような光が散る。キッペル堡塁の重高射砲の音だ。
側近の一人は遂に始まってしまった、と落ち着かない様子で周囲を見渡す。他の側近はと言えば、ジグムントと同じ狂喜の色を湛えながら空を眺める者と、自分と同様にきょろきょろと周囲を見渡したり、背を丸めて荒い息を吐く者の二者しかいなかった。
撃沈できなかろうと重高射砲の弾片や飛行艦の徹甲弾は容赦なく市街に降り注ぐ。ジグムントは己の命でユーラヒルの市民を手にかけたのだ。
大きな黒い影が参謀本部の建物に覆い被さるように通り過ぎて行く。
参謀本部に係留されていたジグムントの座乗艦『エクリプス』と、クルト=ミュッケ中将から預かった彼の座乗艦『ラプラスの悪魔』の二隻だ。蒸気エンジンの駆動音とプロペラの風切り音を響かせながらミッテ区上空に躍り出た二隻は雲の上へ上昇したと思うと、ミッテ区を覆い囲むように周回する飛行艦の影へと砲撃を開始する。
灰色の雲にぱっ、ぱっと砲炎が滲みはじめ、どぉぉ……ん、どぉぉ……んと艦砲の不気味な響が参謀本部にまで伝わってきた。
「そうだ! そうだ! やれば出来るでは無いか!」
砲撃の轟音とジグムントの狂気じみた高笑いにかき消されて地上に砲弾片が降り注ぐ音は参謀本部まで届くことは無い。
ごおおぉぉん……と遠雷の轟くような音の後に、灰色の雲の中で、曇り硝子のランプのような明かりが差し、落ちて行く。
参謀総長室にはその様子を爛々と輝く目で火の塊となった飛行艦が落着する瞬間まで目を離すまいとする者と、市街地への爆沈の瞬間を見たくないあまりに目を背けるものの二通りに別れていた。
ジグムントの古い側近であった小貴族の出の壮年佐官は角張った手を額に押しつけ、再び響いた遠雷様の音と共に歓喜の声を上げるジグムントを見て、どうしてこんなことに、と心中で叫ぶ。
兄ヴィルヘルム=ルーハンス帝への嫉妬、力への固執、そしてそれを見て見ぬふりをし続け、ジグムントを立て続けた自分も含む側近や帝室の者たちの過ち。そんなことはとうの昔にわかっていたが、それでも「何故」と言う言葉が口から漏れてしまった。
「良いぞ! さらにだ! さらに沈めろ! 余の力を臣民に知らしめ、余こそがミッテルラント帝に相応しいと証明するのだ!」
その証明は真逆の形で出てしまっている。壮年の側近はそう出掛かった言葉を飲み込む。
一隻の巡航飛行艦が撃沈され、西の市街地に墜落して暫くした頃。ルドルフ城壁に沿うように飛行していた曇天の暗い影が一つ、濃く、大きくなってゆく。
ディッカー城門で戦っていた兵士たちは、頭上を覆うように高度を下げて飛んで行く暗い影を思わず見上げてしまう。
ユーラヒルの頭上を覆う雲を切り裂いて降下した艦影は重高射砲の追尾を振り切り、最大の戦速でミッテ区を横切って行く。
艦体を市街地スレスレまで降下させ、艦の全容と識別番号を見せ付けながら飛ぶ大型のR2級飛行戦艦は参謀本部に狙いを定め、側面に並んだ副砲で煉瓦造りの厳めしい建物に射撃を浴びせる。
「さあ、ここからは現実のお時間です」
開いたままの船倉扉で降下兵たちに交じってエリス=ミュッケはそう呟くと、『プラチナム・ヘイロー』を握ったまま、眼下に広がる尖塔と煉瓦と石畳の街・エンデ街へと身を投げ出したのであった。
「どこの誰の飛行艦だ! 余が居るとわかって参謀本部を砲撃したのは! 余への反逆と知ってのことか!」
既に叫びすぎて枯れ気味の声で、ジグムントがまた絶叫する。
少し遅れてじりりりん! と壁越しの有声魔信が鳴り、若い側近の一人が魔素線の付いた金属のコップ状の受声器を手に取り、受声器の向こうに駝鳥の頭のような送声器を通じて「ああ、ああ。わかった」と相槌を打つ。苛立ちが最高潮に達しつつあるジグムントをちらちらと怯えるような表情で見ながら、彼は受声器を元の位置に戻した。
「砲撃は東棟の階段室付近の二階から三階部分に命中し、大穴が開いてます。通信室は無事ですが、階段室内のケーブルが断線して東部方面へ通じる魔信線の大部分が断線。現在復旧に当たっておりますが、敵降下兵との戦闘で進まず……」
「被害状況は良い! どこの何奴が撃ったのかを知りたいのだ!」
「L64『メフィストフェレス』! ベック参謀総長の艦です!」
「ベックめ! どこまで余を愚弄するつもりだ!」
ベック! ベック! ベック! ジグムントは咆哮と共に拳を何度も窓の縁に振り下ろす。拳を叩きつける度に窓硝子が音を立てて揺れ、白い手袋に血が滲んだ。
そうして数分ほど悪罵の限りを吐きながら窓の縁に拳を下ろしただろうか、ジグムントは枯れた声で低く呟く。
「……もう良い、余が出よう」
その低い呟きに側近たちは、しかしもう何も意見できなかった。今の彼に意見をすればそれこそ自分の命も、他の者の命も危うい。今のジグムントは手負いの竜と同様に、怒りで我を失い、目の前の自らを否定するもの全てを排除するつもりで、そしてその力もジグムントには備わっている。
何も言わぬ側近を見向きもせず、扉を開け、ジグムントは白い大杖と長靴の底をかつん、かつんと早足で鳴らしながら、砲撃で崩れた階段室の方へと向かう。
その時だった。影が一つ、ふわりと崩れた階段室に舞い降りる。
中央軍の黒い制服を纏った女だった。竜銀と紅玉の髪飾りで止めた三つ編みのアッシュブロンドを靡かせ、竜銀で出来た当人以上に背の高い大杖を手に携えている。見ただけで魔導士官とわかるその女は爪先を階段室の瓦礫の散る床に置くと、彼女は顔を上げた。
女の灰色の瞳はジグムントの姿を捕らえると、挑発的に細まり、その口角もわずかに上がる。
ジグムントはその女を知っていた。
「貴様は……ミュッケの娘の……」
「エリス=フォン=ミュッケです。覚えていてくださり光栄ですわ。少将閣下」
ミュッケの娘――だが、同時に彼女は参謀総長の直属師団の魔導士官でもある。
その女がここに居ると言うことは、つまり答えは二択。
「父同様、余のもとに参ると言うか」
「いいえ、閣下を拘束に参りました」
答えはやはり、薄々ジグムントの思った通りのものだった。




