ユーラヒルの嵐――作戦会議・上
「現在の状況だが、一言で言い表すなら『如何ともしがたい』だ」
ベックがふう、と息を吐くと、従兵に命じて方卓の上のユーラヒルの地図に兵棋を並べて行く。
「ユーラヒル市街の内、エンデ街と帝宮の位置するミッテ区はルドルフ城壁とキッペル堡塁に囲まれ、歩兵と軽砲、魔導師だけでは攻めるのが難しい。重砲を撃ち込むという手もあるが、ミッテ区の諸住宅街や施設、それに皇帝陛下の残る帝宮に被害が及べば只ではすまない」
「ちょっと待ってください!」
声を裏返して叫んだのはメルセデスだった。
「皇帝陛下はまだ帝宮にいらっしゃるのですか!? この状況の中で!」
「いらっしゃるのだ。この状況で」
メルセデスの言葉に答えたのはジークハルト兵務卿の掠れた声だった。
「離れれば臣民を揺るがし他国に浸け入る隙を与えると仰って、帝宮を離れず近衛兵連隊を護衛に帝宮の玉座に収まっている――そして列車杖『ロキ』は今、帝宮にその筒先を向けている」
それを聞いて、テオドールの上半身からさっと血の気が引くようだった。
父は皇帝陛下を殺すつもりなのか。という畏れと怒りに、血が引いて冷たくなった頭が上手く働かず、目を忙しなく動かして回りをきょろきょろと見回す。果たしてこの場の幕僚が自分をどう思っているのか。それが気になった。
なにせ自分の父は皇帝に弓を引く重罪人であるどころか、その弓をつがえたまま居るのだから。
そんなテオドールにメルセデスが手のひらを重ねた。
力強く笑む彼女にありがとう、と彼女にしか聞こえない声で呟くと、再びテオドールはベックとジークハルトの方を向く。
「ミュッケ中将がヴィサンの森の列車杖の狙いを帝宮へ定めているのはあくまで脅しのつもりだろうが、ジグムント少将が隙を見計らって陛下を廃位に持ち込みたいのは確かなはずだ。発射の恐れを防ぐためにも、ジグムント少将と『ロキ』を分断する」
ジグムント少将は何処に――テオドールはそう思って卓の地図の上の兵棋を見る。ミッテ区に配備された駒の中に、本来は魔族に使用されることの多い敵魔導将官の黒い駒が参謀本部の上に置かれていた。それに寄り添うように二隻の戦闘飛行艦と歩兵連隊、魔導連隊の駒も置かれている。
地図上の数十サンチャーン――実際には二カムチャーンも離れていない帝宮には戦闘飛行艦と白の歩兵連隊、そして白のチェスのキングの駒が置かれ、駒で置き換えていても微妙な緊張を醸し出していた。
「作戦決行と共にユーラヒルからヴィサンの森への魔信線は切断し、魔素飽和によって無線魔素通信も断つ。また第一師団の歩兵連隊と重装兵連隊、魔導連隊はルドルフ城壁の城門を抑えてミッテ区城内を包囲する。残存する戦闘飛行艦もミッテ区上空で待機だ」
「詰めて音を上げるまで待つ作戦ですか」
ベックの指示の通りに動かされた兵棋を見て、幕僚の一人がミッテ区の城壁と城門を塞ぐように動かされた白い駒を見て呟く。
「ジグムント殿下には確かに効きそうな策ではありますが、あまり混乱を放置しているのも他国に浸け込まれますよ」
「そうではない」
ベックはかつん、と魔導師大隊と降下兵の兵棋を飛行艦に付け、そこから直接エンデ街、参謀本部へと移す。
「飛行艦がエンデ街上空を通過した際に選りすぐりの魔導師大隊と人鳥・小鬼の降下兵を送り込み、頭を直接叩き指揮系統を麻痺させる。包囲部隊もまた突撃隊を編制し、城門突破を行ってミッテ区の諸兵科部隊を釘付けにし、撃破しつつ包囲網を徐々に狭める」
ベックの言葉に議場がざわつく。
ベックの言わんとしていることはつまり、ミッテ区に伸びた指揮系統網の頭――参謀本部をそのまま討ち取ると言うことだ。
選りすぐりの魔導師とベックは言うものの、それで参謀本部を守る部隊を抜き、参謀本部の中枢を抑えられるとはテオドールも思えない。
無謀なのでは。そんな言葉が出掛かった時、がたん、と椅子を鳴らし立ち上がる者が一人居た。
「魔導師大隊の指揮はウィラー大佐、先触れはこの私が執ります」
テオドールはそれを聞いて、まさかと方卓の声のした方を向く。
案の定、そこには金色の髪を靡かせた妹の姿があった。
「ウィラー大佐は第九次ヴァッケブルグ攻防戦にて指揮をお執りになり、精鋭魔導部隊と支援部隊で敵魔族の部隊の中央を突破し、敵将を討ち取って軍を総崩れにさせた経験があります。またその際に魔族の将を討ち取ったこの私、エリス=ミュッケが先触れとして敵将ジグムント殿下を討ち取ります。この采配に問題があると思える方は異論をどうぞ」
「……大きく出ましたね。本当にジグムント殿下を討つなんて」
メルセデスがテオドールに向かって呟く。
その声は心配そうでもあったが、同時にどこか面白そうと思っているようでもあった。
周囲を見回したエリスの目が一瞬テオドールの方を向き、いつもの勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
どうだ、自分はやってのけてやるぞ。そうとでも言いたげに口角を吊り上げる彼女に、テオドールは苦笑いと同時に挑戦的な気持ちで小さく頷いた。
エリスの顔には一遍の迷いもない。ジグムント殿下を自らの手で倒す。私が私の星になる。それだけの決意がその表情が雄弁に語られている。
「異論はありませんと言うことですね。ではそのまま通させて貰います」
「いや、異論はある!」
黒い制服の壮年将官が肩をいからせて起立する。
「ジグムント殿下と側近を倒せるかどうかもだが、少将を抑えればミッテ区全体の指揮命令系統が途端に麻痺するというのは希望的観測に過ぎないのではないか!」
それはそうだ。とテオドールとメルセデスは顔を合わせる。
普通軍隊というものは冗長性を求める。どこかが――例え総司令が欠けても作戦遂行が可能なように編成されているのだ。ジグムントを討ってもすぐに現場の指揮で部隊が動くだろう。
「――いえ、あながち希望的観測でもありません」
そう口にして起立したのは、鳶色の短い髪を撫でつけた中年の森人の幕僚だった。右胸の兵科章と階級章を見るに、砲兵科の大佐と言ったところか。
両手には手錠がかかっており、何らかの事情があるのはすぐに見て取れた。
「ユルゲン=クレイマー大佐、列車杖『ロキ』を率いていた者で、『ロキ』を放棄し捕虜としてここにおります」
クレイマーは空咳の後、神妙な口調で語り出した。
「小官はジグムント少将が帝宮へと筒先を向けるときまでヴィサンの森に居ましたが、ヴィサンの森のミュッケ中将の軍は小官の部隊が抜けても列車杖が運用可能なほど周到に配備されています。……ですがミッテ区のジグムント少将の軍は、小官が見聞きできた限りでも、魔信の全てがジグムント少将やその側近を経由していて、ヴィサンの森の配陣にもかなり細かい指示を出していました」
ミュッケ中将は無視をしていましたが。と締めくくり、クレイマーが着座する。それと入れ替わるようにベックが立ち上がり、説明を続けた。
「――ジグムント少将は指揮権を相当自らの下に集中させている。以前から少将は指揮を集中させたがる傾向が強かったが、今回の叛乱では止める者がいないのもあって指揮系統を自身の下に過度に集中させていると思われる。そのため急襲は十分に作戦指揮に麻痺を与えると、参謀本部は判断し、この作戦を立案した。宜しいか」
「ジグムント殿下の英雄病だな。神聖帝国の英雄が如く、大軍の指揮も戦闘もこなせるとお思いなんだ」
どこかで幕僚の一人が零した。
英雄病。その言葉にテオドールはちらとメルセデスを見てしまう。メルセデスはじとりとテオドールを見返した。
自分にはそのぐらいの分別はついている。黒曜石の瞳はそう言いたげだったが、彼女自身が大軍の将にはあまり向かない先陣を切る類の将なので、テオドールは説得力は無いなと内心思っていた。




