ユーラヒルの嵐――到着
「中将へ伝令。エリゼン離宮司令部より貨物飛行艦『LB-26』へシュニック湖に着水停泊を求めているとの有声魔信が入りました」
「そうか」
クルト=フォン=ミュッケはヴィサンの森の陣地の片隅にある仮設司令部で、ブリキのコップに注いだ濃く淹れたコーヒーを啜りながら、報告を持ってきた伝令の黒髪の若い女性伝令兵に答えた。
シュニック湖はこのヴィサンの森までそう遠くない位置にある、共にユーラヒルの市民の憩いの場でもある場所で、エリゼン離宮の近郊だ。
トプカプ州軍に奪取された『LB-26』にはトプカプからの先遣隊――テオドールとあのシュリーフの娘が居る混成大隊――が乗っているのだろう。
そしておそらくは機動力と突破力を生かしてこのヴィサンの森陣地へ攻め込むための尖兵となるだろう。クルトはそう考えていた。
方々の体で首都から逃げ出してきたり、叛乱側に属さず首都近郊の駐屯地から招集された中央軍の辛うじて統率の利く部隊は、要塞化された守りの堅いユーラヒル市街攻略に割くことになる。
そして孤立状態にあるヴィサンの森へはそれとは別の、独立した機動力に誇る戦力を叩きこんで突破する。
離反で櫛の歯の欠けたような体裁で、しかもエリゼン離宮の戒厳司令部が更なる離反を恐れて部隊を信頼できず纏められていない中では、指揮権がはっきりし、信頼できる独立部隊の存在はそれだけで有り難い。トプカプのザイサーは恐らくそのつもりで大隊を送り込み、ベックもそれに乗ったと見える。
だが
「どれだけの手練れだろうが、たかだか混成大隊程度で抜けるほどこのヴィサンの森の防備は甘くは無い」
クルトは窓外の曇天を眺めながら、今にもユーラヒルに降りようとする令息と、エリゼン離宮でこの森をどう落とし、『ロキ』を破壊するかと頭を巡らせて居るであろう同期の出世頭に向かって呟く。
「このヴィサンの森を抜けたとして、その先に待っているのは私だぞ。ベック」
クルトは自らの魔杖、『ブルート・ヘイロー』を壁に掛けると、ユーラヒルの官舎から持ち出してきた四本の軍刀拵えの長直剣を次々に佩用してゆく。
その様子を見て、伝令兵はぎょっと目を剥く。
騎兵や重装兵ならともかく、魔導士官が重く使いづらい長直剣など佩用する様子など、彼女は見たことも無かった。しかも一本ではなく左右二本、四本もそんなものを差した将校など、何の冗談かと思えるくらいだ。
しかもクルトは壮年には明らかに荷が勝っているだろうその姿が当たり前であるように振る舞い、中央軍将官の長裾の軍服を翻している。
クルトはまじまじと自分を見る伝令兵に気を配らせることも無く、神聖帝国時代に鍛冶小人が打った四本の竜銀の業物の長直剣を差すと、棚の上に置かれていた軍帽を深く被り、再び『ブルート・ヘイロー』の長い柄を手に持ち、液体魔素管の入った管倉を取り付ける。
「魔獣狩りで平和ボケした州軍と机上だけで平和が為ると思っている参謀本部の連中に、真の平和を得るには如何ようにするのかを教えてやろう」
クルトは独り言ち、『ロキ』のある外への扉を開けた。
『ロキ』は曇天の色をその杖身に映しながら転車台の上で静かにその身を横たえていた。
ユーラヒル帝宮に向けてその杖身を伸ばした『ロキ』は、その御守であるユルゲン=クレイマー大佐が「皇帝に刃を向けられない」と部下を伴ってヴィサンの森を逃げ出した後、クルトの管理の下に入っていた。
帝宮へ向けて杖身を向けているのはクルトにとっては脅しのつもりだが、ジグムント=ルーハンス少将――兄への妬みを隠さず、兄に反抗するように強硬策を喚き散らす座敷犬のようなあの皇弟ならば、いざヴィルヘルム=ルーハンス帝が彼の痛い部分を突くように口を開けば、まだ皇帝の残る帝宮への攻撃を下命することも辞さないだろう。
そしてクルトはそれに従うことは無いだろうが、ジグムントがいざ『ロキ』に飛び乗り詠唱を始めてた時に止めることも無いだろう。クルトにとっては『ロキ』を否定するであろう聡明なヴィルヘルム帝よりは、ジグムントが皇帝となった方が都合が良いから、だ。
『ロキ』の上部に登り、クルトは『ブルート・ヘイロー』の杖先を鉄板の上に置いて、目を閉じる。
何があろうと、誰であろうと、この場は渡さない。クルトは短く口にした。
太陽が傾きかけた頃、シュニック湖に降り立った『LB-26』から降りた一〇九独立混成大隊の面々は、中央軍の参謀本部の兵に誘われ、テオドールとメルセデスはエリゼン離宮の内部へと通された。
豪奢な装飾と高い天井、そしてシュニック湖に面した庭園を望む大きな硝子窓は、テオドールが昔一度だけこの離宮の晩餐会に招かれたときと変わらなかった。だがダンスホールに引っ張り出された猫足の机や椅子。無造作に置かれた木箱の山。そして魔信のケーブルの束と黒制服の将校や伝令兵たちの話し声で溢れかえっている今の状況は、あの時の静謐な離宮のイメージとはかけ離れていた。
「シュリーフ中佐、ミュッケ少佐。貴官らの到着に感謝する」
そう言ったのはパウル=ベック大将――現ミッテルラント帝国中央軍参謀総長。ジークハルト=ヴィンテル兵務卿を除けばミッテルラント軍の最高位置に居る男だ。
その彼が州軍少佐と州軍中佐に頭を下げるのだから、テオドールもメルセデスもあわあわと困惑で返すしかない。
「頭をあげて下さい、ベック総長。小官は叛乱首謀者の息子です」
「しかし頼もしい援軍が来てくれたのだ。礼を以て迎えなければならん。なあ、テオ」
ベックは悪気の無い表情でテオドールの方を向く。
イヴァミーズ伯がまだ祖父の代でクルトが今のテオドール程の年齢だった頃、幼いテオドールが住んでいた官舎によくよく父を尋ねてきたのがベックだった。たぶんベックの中ではきっとまだ小さな魔法使いだったテオ坊やの面影が残っているのかもしれない。
「パウルおじさん――ベック参謀総長。今ではお互い立場も何も違います。貴方のかつての友人は貴方を敵とみなし、私はその暴走を止めるためにここに来ました。思い出話は全て済んだ後に部外でやりましょう」
「……連れない奴だ。昔のアリシアさんそっくりだぞ」
ベックは頭を掻きながら、二人を食堂に仮設した会議室へと先導した。これからユーラヒル奪還とヴィサンの森攻略のための作戦会議が始まるのだと言う。
「参謀総長とお知り合いだったのですか?」
「父上の同期で、同じ部隊にいた頃よく官舎に遊びに来ていただけだよ」
まさかあのパウルおじさんが数十年後に参謀総長になっているなんて、当時の幼いテオドールに言っても信じないだろうし、そもそも何のことかもわからないだろう。
通された会議場には黒色の制服の将官・佐官の参謀本部側の軍の顔ぶれが揃っており、その中にはテオドールが見知った顔も一人あった。
「メルセデス、やはりお前が来たのか」
「お父様に……フランツも! こちらに居たのですか!」
メルセデスの父たるオスカー=フォン=シュリーフ大将と、その脇に彼女の弟のフランツ=フォン=シュリーフ少佐。その二人がテーブルの向こう側に佇んでいる。
「当たり前だ。ボンボン殿下や青瓢箪のミュッケの亡国兵器なんぞに肩入れするものか」
「父上、父上――」
フランツが渋い顔で父の言葉を制する。
「……ミュッケ少佐もおいでです。言葉を選んで下さい」
「わかっている。テオドール殿はあの陰気な顔の青瓢箪とは違うとわかって言っている」
オスカーは得意げな表情で目を眇めてテオドールを見下ろす。苦笑で返すしかないテオドールは、一方では騎兵の将はやはりこういう人でないとな。と叔父マインツを思い浮かべながら、考えた。
とは言えテオドールの隣のメルセデスも明らかに不機嫌な表情を父に向けているのを見てか、オスカーはごほん、と咳を払って、「テオドール殿、非礼を詫びる」と頭を下げた。
「父が叛乱に加わったのも、シュリーフ大将の諫言を聞かなかったことも事実です。私自身、娘さん――メルセデスさんが居なければ父の側に着いていたやもしれません。メルセデスさんには感謝してもしきれないほどです」
「そうか! やはりメルの見込んだ男だけある! あの陰気な男に似て表情は硬いが好青年じゃあないか! これなら――」
「父上」
「お父様」
オスカーの豪快と粗忽の狭間を行き来するような言葉はフランツとメルセデスの低い唸りで遮られ、娘と息子に窘められたオスカーは居心地が悪そうに頭を斜めに俯かせる。
オスカーの周囲の将官佐官の苦笑と、伏せた目で彼を眺めながら仕方ない、と首を振る様子に、オスカー=フォン=シュリーフの部内での普段の評価もなんとなく見て取れた。
テオドールとメルセデスも、用意された席に着座し、会議の始まる時間を待つ。
離宮の背の高い扉が開き、ベックともう一人、大袈裟な肩章を垂らした漆黒の制服を纏う、白髪に豊かな口髭の老人が現れる。
ジークハルト=ヴィンテル兵務卿。先帝の弟にして今ミッテルラント全軍の指揮を執る人物。
彼が現れた瞬間に、それまで余裕のあった議場内が一気に引き締まるようだった。
ジークハルトが背ずりの高い椅子に着座すると、方卓の面々を眺めて、口を開く。
「今日、遠方からの援軍の先触れもこの場に来てくれた」
ジークハルトは一拍置いて、再び言った。
「それでは、ユーラヒルを取り戻し、列車杖を破壊するための会議を始めよう」




