嵐の前――共に歩むこと
「少佐、クルト=ミュッケ中将からの魔信がありました」
待機を命じられて数日。時計が十の鐘を打つか打たないかの頃合いにエンツェンヴィル城を早馬で訪れたリヒトの口から飛び出した言葉は、意外すぎるものであった。
普段着姿で魔導書を読んでいたところをイレーネに呼び出されたテオドールは、リヒトの伝令の内容を飲み込めず、まだグロックナーの魔法による火傷が治りきっていない彼に聞き返す。
「発信場所は?」
「ユーラヒルの参謀本部から。秘密通信では無かったそうですが、今正午、テオドール少佐との有声交信を求めてきたとの話です」
「正午か……」
テオドールは時計を見つめる。オヴェリフルの州軍司令部へは早馬を飛ばせば正味三十分ほど。十分間に合う時間であるし、その前に誰かと話をする時間もある。
テオドールは確信とは言えないが、父が殆ど何用で有声交信を求めるのかを解っていた。
だからこそ、その内容を誰かと話さなければならない。
「リヒト、暖かい茶でも飲んでいけ。今イレーネさんに頼んで淹れてもらう」
そんな、少佐。と手を振って遠慮するリヒトに、テオドールは優しい口調で返す。
「僕が着替えている間、暇を持て余すだろう」
そう言うとテオドールはイレーネに、リヒトを食堂に通して茶を淹れるよう頼むと、自室へ続く廊下を歩いて行く。
「テオ」
しまったな、とテオドールは顔を曇らせる。
今一番出会いたくなかった女性――メルセデスが目の前の廊下を塞ぐように立っていたからだ。
その服はフリルのたっぷり付いたブラウスと馬着ではなく、騎士鉄丁字勲章をつけた洋酒色の軍服。それに馬体には鞍、胸には手綱に繋がる胸紐を着けていた。
「軍司令部へ行くのですよね、ご一緒します」
にこりと微笑みかける彼女だが、細めた黒曜石色の目の奥にはあの骸炭のように静かに熱く燃える炎があった。何が何でも彼女はついて行くのだろう。
やはり、彼女を乗り越えないといけないのか。
テオドールは金縁眼鏡を直すと、「わかったよ」と口にして、彼女の脇を通り抜けようとする。
かつん、と木の床を蹄鉄が叩く音が響く。
メルセデスの馬体はテオドールの部屋へ向かう進路を塞いだ。
「退いてくれないか、着替えにいけない」
その言葉にメルセデスはじっと、テオドールの眼鏡越しの眼を覗き込むように力強く見つめてくる。
「テオ、貴方は私の伴侶です。貴方の重大な決断は私も口を挟む権利があると思います」
彼女の少女のような高く甘い声は、しかし灰銀の剣のような強靱さを孕んでいた。
首元の騎士鉄丁字勲章に小さな手を置いて、彼女は言葉を継いだ。
「リヒトが伝えた内容は恐らくそうなのでしょう。そして貴方はそれを一人で抱え込もうとしている……英雄のように」
「……ああ、そうだ」
テオドールは言葉を絞り出す。
「リヒトが来たのは父上からの交信連絡を伝えにだよ。父上が何を求めるにしても、これ以上トプカプの皆やメルに迷惑をかけられない。僕だけで行く。英雄のように」
「二人で、です」
メルセデスのもう片方の手で、肩をとん、と掴まれる。
「私たちは半端者ですから、全てを分け合って受け止めるべきです。勿論大隊の皆も、トプカプも貴方の味方です。貴方が巻き込みたくなくても、巻き込まれに行きます」
「……死者が出て、逆賊の名を冠せられるかもしれないとしても?」
「その重みを背負うのは私も同じです。一人で抱えるのではなく皆で分け合って、そして皆で逆賊の汚名を着ましょう」
騎士鉄丁字勲章に置かれていた手が離れ、両の手でテオドールは抱き寄せられる。
「グロックナー中佐は貴方を試していたのだと思います。軍人として部下の死をもって自身のように道を踏み外すか、ミュッケ中将やザイサー司令のように――英雄のように強く振る舞えるか」
ぎゅう、と強く抱きしめられ、彼女の体温がテオドールのシャツ越しに伝わってくる。
「ですが、私たちには分け合うという選択肢があります。伴侶として、指揮官と参謀として、背を預けられるもの同士として」
メルセデスは静かに、しかし強靱な声色で口にする。
「私はもう英雄に憧れません。貴方という星を掴んだのですから。それを手放したくはありません」
「憧れるのを止めたら、君が君でなくなるよ」
「良いのです。貴方が側に居続ける限り、私は私と貴方の、二つの星を磨き続けます」
テオドールは遊んでいた手で、彼女を抱きしめ返す。はっとするメルセデスに、テオドールは「ありがとう」と短く口にした。
「君のおかげで吹っ切れた。共に行こう」
そう言うテオドールの灰色の瞳から憂いの曇りが消えているのを見たメルセデスは、目を細めて「はい」と口にした。
部屋に入り、数日ぶりに軍服と乗馬長靴に袖を通し、魔素管を装填した『アッシャー・ヘイロー』を佩用したテオドールは、姿見に映る自身の顔を眺める。
そこには、いつもより堂々たる男の姿が映っていた。父のような威厳や威圧は無いが、それでも胸を張ってあの小さな人馬の伴侶と名乗れる姿の男が、そこには居た。
テオドールは部屋を出ると、メルセデスと揃って靴音を鳴らして城館の玄関に向かう。
そこにリヒトが合流してくる。彼も誇らしげな上官たちを見て、いつの間にかすっと背を伸ばして歩いていた。
「少佐、大隊の皆はギルマン准尉たちの死を少佐や中佐が悪いとは思っていません」
リヒトが口にする。
「隊司令と主任参謀が『クレスタ』の黒幕に弔い合戦を仕掛けるのなら、皆付いていく所存です。僕も、ノイチュ大尉やジャイム准尉も、ホイス兵長も、アルマとゲルダも」
「……大隊の皆に後で礼を言わないとな」
「ですね」
城館の外に出てテオドールはメルセデスの背に、リヒトは乗ってきた早馬の背に跨がる。 馬の足なら隊司令部までは正味三十分。今からでも十分間に合う。
父上に何と告げようか。テオドールはそう思いながら、ぴんと立った伴侶の耳と、刈り入れを終えた畑に冬麦を撒き始めるトプカプの農地を眺めていた。
軍司令部の白い石造りの建物に辿り着くと、玄関で二人を出迎えたのはザイサーだった。巨体の割に小さな目をつぶり、二人に静かに告げる。
「列車杖の初射が確認された。魔法は目標に命中。今参謀本部は完全に二分されているとのことだ」
「……やはりそうでしたか」
先だって解っていたというテオドールの反応と、メルセデスの強い意志の籠もった瞳を見たザイサーは、頬の肉を揺らして小さく頷く。
「ミュッケ中将からの入電と聞いたが、君たちも覚悟を決めたようだね」
「覚悟は決めていましたが……最後に背を押してくれたのは中佐でした」
「背を押してあげました。責めを負うのは参謀では無く指揮官の責務ですから」
ザイサーは二人の言葉に口元を緩めると、「結果だけを知らせてくれ」と言って庁舎の中に引っ込んでいく。それに続いて二人も庁舎の中に入っていった。
通信室は庁舎左翼。有声魔信室はその中でも小部屋に区切られていて、『トン・ツー』信号の魔信を操作する伝令兵たちの脇を通ると、その小部屋に入って行く。
有声魔信室はテオドールとメルセデス二人が入って狭苦しく感じるほどのガス灯が点る薄暗い部屋で、駝鳥の首のような有声魔信の送声器と呼び出しベル、その上からは天井から伸びた喇叭状の受声器が壁越しに設置されていた。
テオドールは懐中時計を取り出し、有声魔信のベルが鳴るのを待つ。
正午まであと数分、こくりと唾を呑むテオドールに、メルセデスが「構えないで下さい。いざとなったら私が割り込みます」と妙に自信満々に言う。
「わかった、ありがとう」
じりりりん、と目覚まし時計に似た呼び出しベルが鳴ったと思うと、受声器から通信兵の「ミュッケ少佐。ユーラヒル参謀本部、ミュッケ中将からの有声通信です」と断りを入れる高音域の雑音混じりの声が聞こえた。
「繋いでいい」
「わかりました」
暫くして高音域の雑音の向こうから、『テオドール』と自分を呼びかける声がした。高音域の雑音に阻まれ不明瞭な声ながら、この低く硬い、鉄か石で出来た喉を通っているんじゃないかと思う声色は、テオドールには一瞬で誰だか判別できる。
「久しくしております、父上」
有声魔信越しでも威圧感は拭えない。それでも送声器を握る手に力を入れて、テオドールはクルト=フォン=ミュッケへと言葉を返した。
『挨拶は良い。お前も『ロキ』のことは知っているだろう。グロックナー中佐とハント大尉を捕らえたのがお前の属する部隊なのはこちらも確認済みだ』
「……はい。父上が『ロキ』建造に関わっていることも、試射に成功したことも全て聞かされました。成功おめでとうございます」
自分を奮い立たせるために最後の言葉を付け足すテオドール。それにクルトがあくまで硬質な声で返してくる。
『皮肉を言えるほど立派になったか。テオドール』
少しやり過ぎたか。と思ったが、それでも意思表明には丁度良い。
『単刀直入に言おう。テオドール、ユーラヒルへ来て私の下に付け。私の先任参謀のポストと中央軍中佐の階級を用意させる』
クルトの言葉は、きっと以前のテオドールにはとても魅力的だったであろう。
自分のような半端者がそれだけの地位とポストを得られること。そして魔導師として父に認めてもらったことを引っ掛かりながらも喜べたかもしれない。
だが、今のテオドールの答えは違った。
「お断りします!」
テオドールの口が同じ言葉を言う前に、隣から高い声が飛ぶ。
『……誰だね君は』
突然の乱入者に、クルトの声に苛立ちが混じる。
「お初にお耳に掛かります。メルセデス=フォン=シュリーフ州軍中佐。テオドールの妻となったものです。ミュッケ中将」
『ああ……君がメルセデス嬢か。トルトホルン峰の施設では随分世話になったようだ』
「その節はどうも。私たちこそグロックナー中佐とミュッケ中将にはお世話になりました」
メルセデスはクルトの硬く低い声に物怖じもせず、テオドールの手から送声器をひったくって、受声器を睨みながら言葉を継ぐ。
「貴方はテオを貴方の側に引きずり込もうとしているのでしょうが、私は妻として、彼の指揮官としてお断り致します。貴方の企もうとしている列車杖の量産は亡国の兆しです」
『亡国の兆しか』
クルトの声には苛立ちの色が濃くなるのが、テオドールには解った。
『君はお父上のシュリーフ大将によく似ている、お父上にも先程同じことを言われたからね――未だに領主気取りなのか、民のための軍と口にしている君たちはよく似ている』
「貴方もテオそっくりだと思います。全て自分で抱え込む上に、この国の全てが軍を中心に回ってると考える中央軍参謀本部の将校の思考や、この国は『人族の魔王』の下、魔導師で保っていると言う考えが合わさって、最悪の方向へ進もうとしている。アリシア様の言う通り、貴方は真面目すぎるのです」
『あれの名前を持ち出すか、メルセデス嬢』
ふん、と受声器の向こうでクルトが不機嫌そうに鼻を鳴らすのが聞こえた。
テオドールはメルセデスから送声器を返してもらうと、意を決して口を開く。
「僕からもお断り申し上げます。父上」
テオドールの声は自分でも不思議なほどに落ち着いていた。
「父上とジグムント殿下の行いが参謀本部を割っているのも既に承知です。僕は列車杖の維持建造派には加わりたくない」
それに、とテオドールはつけ加えた。
「僕は父上のように振る舞えるほど強くはありません。妻の側を離れられない半端者なのです」
『そうか』とテオドールの返答にクルトの硬質な声が答える。
「ただ、近くユーラヒルには伺います。貴方を止めるために、父上」




