列車杖『ロキ』
ユーラヒル外縁から南東一五カムチャーン、ヴィサンの森。かつてはユーラヒルからの行楽客で賑わっていた森は数年前から中央軍の兵の手で閉鎖され、拓かれた森の中心部には首都列車線から伸びた引き込み線と転車台、飛行艦発着場が設けられ、今は首都を護る列車砲陣地として機能している。
その森の中で、ひっきりなしに発着する貨物列車と工兵隊、そして飛行艦から降ろされる荷物によって『それ』は着々と建造され、十一月の雨のそぼ降るその夜。ついに『それ』は全貌を顕現させようとしていた。
ユルゲン=クレイマー大佐は目の前の物体を未だに現実の物と思って良いのか。そしてこの途方もないものを自分の手に委ねられたのかと、苦々しい顔で転車台に乗るその車両を眺めながら、紙巻き煙草を手で覆いながらマッチで火を点けていた。
肺の弱い森人向けに調合された肺を傷つけない薬用効果のある紙巻き煙草は、値は張るがプレッシャーに弱い森人が気分を落ち着かせる特効薬でもある。生粋のユーラヒル生まれで、森生まれの森人よりは炭塵にもプレッシャーにも強いと自負するクレイマーもそれに頼らなければいけないほどの圧を、転車台上の車両から感じているのだ。
列車杖『ロキ』。列車砲の基礎部分と途方もなく濃圧縮された魔素を使って、列車砲や艦砲すら届かない遠隔地へと巨大な殲滅魔法を直接打ち込む魔導兵器。
低く伏せた台車の上に乗って斜めに点を仰いでいるのは見慣れた鋼の砲身では無く、竜銀で出来た戦棍のような形状の杖。それが雨粒に濡れ、ぎらぎらと周囲のアーク灯やオイルランプの明かりを照り返して不気味に光り輝いている。
中央軍でも列車砲の第一人者を自他共に称し、このヴィサンの森の陣地を任せられている砲科大佐のクレイマーに車両運用のお鉢が回ってくるのは当然と言えば当然だったが、それにしてもこんな化け物をほいと渡されて、怖じ気づかない方がおかしい。
クレイマーはすう、と煙草の煙を吸い込む。すっとする薬草の匂いが口内にくゆる。
それでも煙草を挟んだ手が震えているのは、外套を着込んでも堪える晩秋の雨のユーラヒルの寒さだけでは無いだろう。
「やあやあやあ! クレイマー大佐!」
その場の雰囲気に不似合いな陽気そう――と言うよりも陽気そのものの声に、クレイマーは火を点けたばかりの煙草をすぐに足下に捨て、靴で踏み消す羽目になった。
場違いなほど喜色に溢れた声に、クレイマーは頬を無理矢理吊り上げて振り向く。
「これはジグムント少将殿下。このようなところに何用で」
彫りは深いが幼げに見える顔に似合わぬ口髭を生やし、本人は洒落込んでいるようだがまるで冗談にしか見えない白の軍服を纏った皇弟・ジグムント=フォン=レンハルスは金銀の装飾と白をあしらった柄の大杖を振り回しながら感嘆を全身で表現している。
傍らには彼以上の長身で、軍帽を目深に被り表情を見せないクルト=フォン=ミュッケ中将がその身丈よりも長い黒塗りの大杖を手に、従者のように付き従っていた。
「何用とは、何用とは!」
芝居がかった様子で近づいてくるジグムントに、クレイマーの眉がひくりと動く。
「決まっておろう! この『ロキ』の初射の偉容をこの目に焼き付けに来たのだ!」
「はあ、初射……」
そうだとしたら随分気の早い話だ。初射は三日後のマクシミリアン帝のサダン会戦戦勝記念日と決め、その日参謀本部で披露目をし、初射を行うとジグムント自身が決めたのに。
まさか三日間もこの森で待つつもりか。そうしたら最悪だ。このボンボン殿下と三日も一緒に居られるか。
クレイマーはそんな内の声が表に出ないように、唇の端を上げつつ、軍帽を直すふりをして、目元を隠す。
しかしジグムントの似合わぬ髭の下の口から高らかに発せられたのは、クレイマーの予想を裏切る答えだった。
「クレイマー大佐! 初射の日取りは変更だ! 今夜決行とする!」
三日間この男と共に過ごすよりも信じられない指示に、クレイマーは軍帽の下の顔面と森人の尖った耳が冷たくなっていくのを覚えていた。
ジグムントに向かって、掠れ気味ながら無理矢理声を絞り出す。
「……しかし! 試射の準備は万端ではありません! 魔導科による魔法ダイナモの微調整もまだ済んでいませんし、下手をすれば暴発の危険性もあります! 射撃観測の連絡網もまだ十全ではありません。試射地点周辺に被害が出たなら……!」
ジグムントが考えているであろう以上に列車砲は、繊細な計算と十全の観測、緻密な部品で射撃を行う兵器だ。下手な目測撃ちで撃てば当たること無く周辺に被害が出る。
しかも魔法を用いている分多少融通が利くとは言え、射程が倍以上で今までに実験用の小型模型しか作られたことの無い半ば理論上の兵器を調整中にぶっつけ本番で射撃するなど、この列車杖『ロキ』に少しでも関わった者であればすぐに無謀と解るはずだ。
「なあに、大丈夫だ。余とミュッケ中将、それにクレイマー大佐らが仕上げた『ロキ』にそんなことは起きはせん」
当の発案者がこれでは! と、クレイマーはより軍帽を目深に被り、庇でジグムントの得意げな顔が見えないようにする。そうでもしなければクレイマーはあまりにも不勉強な皇弟に掴みかかり面罵していたであろうから。
「……クレイマー大佐。トルトホルン峰の魔素管精製施設が州軍に強襲された」
肩をふるわせていただろうクレイマーに向かって、クルトが硬質な口調で語りかける。その声と言葉を聞いて、クレイマーはやっと初射の急な繰り上げの状況が飲み込めた。
要はこの『ロキ』を追い詰める参謀本部の手が迫っているのだ。
「施設は州軍に制圧され、我が方はグロックナー中佐が逮捕されている。参謀本部はこれを奇貨とし我々に『ロキ』廃棄を求めるだろう。その前にこの魔杖の威力を参謀本部と兵・外務省、それに帝室と周辺諸国に見せ付けなければならない――試射を急ぐ理由は『ロキ』の存廃と我が国の興廃を賭けたものだ。頼む。やって欲しい」
そう言うと、クルトはクレイマーの肩をがしりと掴む。
軍帽の下から覗くクルトの鷲頭獅子を彷彿とさせる相手を射殺さんばかりの視線からは、彼もまた苛立ちと焦りを隠せていないのが滲み出ている。
この場面で断れる言葉が出せるわけがないだろうに。あの眼で我が国の興亡なんて言葉を出されて、断れる奴が居たら、そいつは捨て身だ。
クレイマーはそう思いながら、軍帽を直して、「了解しました」と何とか漏れ出た声で短く呟く。そして『ロキ』の方へと振り返り、震える声で射撃の準備の号令を次々に発していった。
巨大な『ロキ』を乗せた直径四十チャーンの転車台が、ぐぐ……と目標に向けて回転する。
目標方向は北北西、ハクスハーフェン沖十五カムチャーン――この森から三百八十七カムチャーン離れた場所に投錨した海軍の老朽フリゲート『プリンツ・アダベルト』号。本来の試射と同じ目標だ。
だが観測のしやすい昼間と違い、視認の難しい夜間ともなればまた着弾も異なってくるはずだ。
『ロキ』は複数の観測手の魔導師と射手の魔導師の視覚同調魔法で照準を定めることもあり、通常の砲撃よりは目標へ当てやすいだろうが、それでも射手の認識のズレ次第では大惨事を招きかねない。
近くに操業中の漁船や定期船が居ないことを手を合わせて祈るクレイマーに、クルトがその肩を叩く。
「クレイマー大佐、私が射手を務める」
硬質だが、先程よりは落ち着いた声と表情でクルトが言った。
「魔法は得意だが列車砲や列車杖は私の専門外だ。助言があれば欲しい」
良かった。ボンボン殿下が射手ではなく。と言う安堵と、クルトに対する畏怖がクレイマーの中で渦巻きながら、彼は口を開く。
「……ミュッケ中将。できるだけ立体的に目標を捉えることを意識して下さい。長距離射撃は三次元の観測で目標を狙います。あまり平面的に目標を捉えると奥行きの感覚を間違え、誤射します。試験用の小型列車杖でそう言った誤射が度々見られました」
「解った。肝に銘じる」
参謀達や佐官以上の魔導師――撃発手たちを引き連れて列車杖の上部へと登るクルトを見送ると、クレイマーは雨で煙る中蒸気クレーンで吊り上げられた、竜銀のケースを青白く光らせる巨大な濃縮魔素管を見やる。それが魔法ダイナモの管室に装填され、管室扉が閉じたのを確認すると、震える手で懐からクロノグラフを取り出し、雨粒が滲む盤面を見る。
射撃時刻までちょうど五分前。クレイマーは声を張り上げた。
「射手視覚同調開始、撃発手詠唱開始」
クレイマーの言葉とともに、詠唱の起動文が次々と口に出される。雷系の高位魔法、『雷槍天槌』の節が苦しそうに上ずった魔導師の声で読み上げられる。撃発手の魔導師も相当の精神痛を感じているのだ。
「余剰魔素マニホールド解放、第一、第二安全装置解除」
クレイマーはクロノグラフに注視し、号令を飛ばしながら、クルトにどうか外さないでくれと祈るしかなかった。
「発射時刻一分前、第三安全装置解除。尾栓最終チェック、どうか」
「尾栓チェック宜し! 魔素漏れ、暴発予兆無し!」
クロノグラフの針がちくちくと時間を刻む。クレイマーは雨とも冷や汗とも解らない冷たい水滴を拭うことも無く、それに注視した。
「いよいよだな大佐! いよいよ『ロキ』の威力を大陸中に見せ付ける時だ!」
「黙っていろ!」
クレイマーは自分の口がジグムントに怒鳴りつけたのを気にする暇もなく、クロノグラフの針に釘付けになっていた。
秒針は五十五秒の刻みを過ぎる。五十七、五十八……。
「発射!」
針が頂点に達したと同時に、クレイマーが絶叫する。
「ベアル・アイズ、雷精の王よ、我が敵に均しくその槌を振りおろしたまえ――『雷槍天槌』」
クレイマーの絶叫を聞いて、クルトは複数の視覚共有の先に浮かぶ、帆柱の立った大時代的なフリゲートに雷が落ちる像を頭の中で描きながら、竜銀で出来た拳銃のような引き金を引き絞る。
かちり、と彼が引き金を引き終えた瞬間、近距離で雷が落ちたが如き轟爆音が辺りに響き渡った。
竜銀の杖身はまばゆいほどの白色に輝いて、杖身後方の魔素マニホールドからは鼻を灼くほどのラベンダーに似た圧縮魔素の匂いが噴出する。辺りの空気も震え、森の木々は発射の空気圧に薙ぎ払われたように傾いてしまっている。
やがて、数十秒ほどしただろうか。白い光が弱まって魔素の匂いが薄れてくると、クレイマーは自失から立ち直ってクロノグラフを目にする。弾着時刻まであと一分三十秒。
取り敢えず初射での『ロキ』の自壊こそ回避したが、今度は弾着だ。ハクスハーフェン港からの弾着の報告魔信が届くのを、クレイマーは殆ど生きた心地がしない状態で待つ。
「クレイマー大佐、ハクスハーフェンより連絡です」
クロノグラフの針が三分を回った頃、伝令兵が駆け込んできた。
「大雷、寸分の類なく標的艦を撃沈せり。小規模な津波が生じたが、航行船舶や市街地に被害なし。スケッチと記録映像魔石も万全とのことです」
その伝令の言葉を聞いて、クレイマーはやっと緊張の糸が解れ、その場にがくりと腰を抜かして、倒れ込んでしまった。
部下の伝令兵に抱えられながら、もう半分遠のく意識の中で、ジグムントが雨に濡れながら狂喜乱舞している姿と、『ロキ』の全容が目に焼き付く。
もうこんな思いは沢山だ。
魔王グスウィンが、周辺諸国が、と無邪気に笑い立てる白い軍服の皇弟と、禍々しい杖身を眺めながら、クレイマーはそう口にした。




